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第二部 終章

 車のヘッドライトがつき、車は車庫から勢いよく出た。

 橘愁は、塀に寄りかかり、刃渡り十センチのナイフを握り締めていた。車は、愁の横を飛び出す。もうその目に意識はない。目を見開き、自分が何をしているかも分からなくなっていた。その瞬間、愁は無意識に見えた。美月が、後部座席でドアに寄りかかっているところを。愁の持っているナイフに震えは起こった。目を閉じることはなく、真っ直ぐ見ている。真っ直ぐと───────



雪はひらひらと降る。大きな囲いがある。その囲いの中に、大きな樹木は立つ。その樹木に飾られたイルミネーションが光輝く。音が聞こえるような気がする。その大きな樹木から細い道は繋がり、夜間出入り口はある。

 誰もいない廊下。非常口灯が廊下を緑に染める。音が聞こえる。繋がった音。廊下の奥から聞こえてくる。そこに、集中治療室はある。

 音は大きく、部屋はうっすら明るい。モニターから漏れる光。心拍モニターに波形はなかった。そのモニターから聞こえる警告音が大きく鳴っている。モニターの前にベッドはあり、そこに白髪交じりの頭、少し皺のある男は死んでいる。酸素吸入マスクは外され、口は開き、上目遣いで死んでいた。ベッドに名前が貼ってある。そこに『松永健太郎様』と書かれていた。

 その事実をまだ、誰も知らない───────          



 飛行機は騒音を立てながら、滑走路に降り立とうとしていた。その飛行機の中に、一人の老人が座っている。高山の姿だ。高山は窓側に座って、降り立とうとしている飛行機の外を見ていた。<橘・・・>



 雲一つ無い空。太陽の光は輝き、冷たい風は走る。私は、丘を登り歩いていた。皮のジャンパーにジーンズ。あの日と同じ服装だ。ここは、アメリカのハワイ諸島。ここに美月の墓はある。一輪の、ピンクの薔薇を持って、ゆっくりゆっくりと歩く。私も大分年をとってしまった。あれから三十年経つ。私は、小説家としての道を歩んでいた。数々の物語を書き、数々の賞を貰い、人々の心に物語を刻んでいった。私の物語を。

 だが、誰も私を知らない───────          

 丘を登りきると、そこに広がる数々の墓石。雲一つ無い青空の下、太陽の光に照らされている。何処までも続く墓石の狭間を私は歩き始めた。美月の墓を見つけるために。彷徨うように歩き、歩いた。どの墓も違う。更に彷徨い、美月の墓を探し求める。暫く歩くと、遠くに大きな樹木が聳え立っているのが見えた。私はその樹木を見、導かれるように求め歩いた。ゆっくりゆっくりと確実に歩み近付く。

 その大きな樹木の前に立つ。そこの樹木の下に影となって、二つの墓はあった。私は見た。一つは、倉岡シャリーと書かれている。もう一つに、永瀬美月と書かれていた。私は美月の墓をジッと見た。

「ずっと、ここにいたんだね・・・」

 墓を呆然と見つめた。私には、あの日の記憶が蘇る。まだ幼い私と、まだ幼い美月は湖にいる。手を繋ぎながら、歩いていた。あの青い光を放つ湖の周りを、笑いながら二人楽しく歩いていた。

私は静かに美月に問いかけると、持っていた一輪のピンクの薔薇を墓の前に置いた。

「この薔薇の、花言葉を知ってるかい?」

 墓を見ていた。

「愛の誓いだ。親父が、美月のお母さんに捧げようとしていた、花なんだよ。・・・やっと、渡すことが出来た」

 私は少し微笑んだ。そして、私は目の前の樹木を見上げ

「ずっと、木の影に隠れていたんだ・・・」

 目を瞑った。

「寂しい思いをしたかい?ごめんね。ずっと思っていた。ずっと、思い続けてた……」

 目を開け、墓を見た。

「今日はクリスマスイブだ。美月が亡くなってからもう、三十年が経つんだ。私もこの通り、変わってしまった」

 手を広げ、美月に自分の姿を見せた。

「白髪交じりに、顔はクチャクチャだ」

 仄かに笑い、私は思い出した。皮のジャンパーのポケットを探り、焼き錆びれた銀の平べったい丸い缶を出した。そして、美月に見せる。

「これ、覚えてるかい?」

 堅く錆びれた蓋を、力強く開けた。その瞬間、パラパラと蓋にこびりついていた錆が落ちた。その缶の中には、砂が入っている。

「昔、湖で、妖精を捕まえた。二人で捕まえた妖精だよ。美月の家に埋まってたんだ」

 私は少し悲しくなった。缶の中の砂を摘み、また缶の中に落とす。

「もう、見えなくなってしまった・・・」

 そう言い、私はしゃがんで

「これは・・・美月の物だ・・・」

寂しい思いで、缶を置いた。私にはもう、妖精は見えない。あの、美しい姿が、見えないんだ。そして私は、また墓を見る。

「私の姿は変わったが、美月の思いはいまだ、変わらない・・・」

 墓を美月の姿とダブらせて見た。私の胸に、杭を打たれたような痛みが走った。美月を思い、思い続け、苦しく、悲しく、それが、痛みに変わった。

「何故、死んだんだ・・・」

 悔やむ。

「私は変わった。だが、美月は変わらない。あの時から何ひとつ、変わらないんだ。それが、私には絶え間なく苦しい。苦しい・・・」

 息が途絶えるように痛み放った。美月の墓の前でしゃがみ、手を地面につけて土を握り締めた。俯き、涙を流し続ける。

 その私の背後から、足音は聞こえる。涙を流し続け、その音は聞こえる。私には、分かっていた。それが誰なのか。この時が来たんだと。私は、悲しみを堪え、顔を上げて静かに立ち上がった。胸を締め付けるように、一息飲み、ゆっくりと振り向いた。

 そこに、随分と年老いた永瀬敬生とまだ幼い少女の姿があった。



 高山は、空港内を人々を避けながら走っていた。<橘!>



 暫く睨み合う。永瀬敬生の姿も変わり果て、年老いている。

「久しぶりだな」

 私は睨み、言った。

「ああ・・・」

 永瀬敬生は、少し驚いていたようだった。私は、永瀬敬生と手を繋いでいる少女の姿を見た。

 敬生もその姿に気づき

「俺の孫だ。美佳(みか)と言うんだ。来年十二になる」

 髪は長く、目は吊り上がっていた。敬生は少し姿勢を低くし、美佳の目を見て優しい顔で言った。

「これからおじいちゃん、大事な話があるんだ。美佳は先に丘を降りて、下で待っているおばあちゃんの所へお行き」

 美佳は大きく頷き、その場を去った。その姿を見届け、姿勢を正した。私もその姿を追い、また永瀬敬生を見た。

「待っていた。ずっと、待っていたんだ」

 私が言うと、永瀬敬生は近付いてきた。

「あれから三十年。ずっと思っていた。この日が来ることを・・・」

 敬生は近づき、顔がよく見えた。焼け跡が全くない。その顔を、私は少し驚いてジッと見ていた。

「これか?」

 私の姿に敬生は気づき、自分の手で顔を探った。

「消したよ。全て綺麗に消した・・・」

 永瀬敬生は、私を見ていた。

「あの傷があると、あの日を思い出してしまう・・・」

 私は、永瀬敬生を見た。

「お前は、あの日を悔やんでるのか?」

 敬生は、一息飲んだ。

「ああ、悔やんでる。美月を愛してたんだ」

「愛してた?」

「俺は、美月を愛してた。あの日美月を抱えて車に乗せ、病院に行ったんだ。だが、手遅れだった。目の前で、愛する人を亡くしたんだ。二度、恋した人を亡くしたんだ・・・」

「二度?」

「満月の夜の事件に俺はいた。倉岡直也と共に、家に行ったんだ」

 私は、驚いた。

「窓から、暗い家の中を覗いた。何も見えなかったが、時々月の光が差して明るくなった。その時、光にあたる美月の顔を見たんだ。窓の外から、美月の顔がハッキリと見えた。その瞬間俺は、美月を見入った。とても美しかったんだ。心臓が止まりそうだった。それを恋だと気づかず、偽り美月を愛した」

 私は永瀬敬生を見、ゆっくりと口を開いた。

「お前は偽り美月を愛した。愛を信じていた美月を偽ったんだ。愛を求めてた美月を偽ったんだ!」

「違う!知らなかったんだ・・・何が愛なのか分からなかった。それに気づいた時は、手遅れだった。美月を愛していたんだと気づいたときは、もう遅かったんだ」

「お前は、何故偽った」

「それが、愛だと教えられた。ずっと、美月を見ていた。満月の夜の事件の日からずっと・・・」

 二人は少し黙った。そしてまた、敬生は口を開いた。

「俺は、あの苦しみを消したかった。だから顔の傷を消したんだ。でも傷は消えたが、記憶は消えない。俺の苦しみは、消えないんだ。俺は愛を求め、俺を愛する女と再婚した。だが、あの記憶は消えない・・・愛を埋めても消えないんだ・・・」

 苦しい。胸が支えるように苦しい。

「今でも美月を愛している・・・」

 敬生は、力つきるようにその場に跪く。その敬生を、私は見下ろした。

「私は、この日を待っていた。お前が今日来ることは分かってたんだ」

 私は言った。その言葉に敬生は顔を上げ、私を見た。

「あの日、お前を殺そうとした。お前を殺して、美月を奪い逃げようとしたんだ」

 私は敬生を睨みつけ、皮のジャンパーの内ポケットに手を入れた。そしてその中の物を握り締め、取り出した。それは、刃渡り十センチのナイフ。あの日に持っていた物と同じ。私はその刃を、敬生に向けた。

「あの日からずっと待っていた。今日が来ることを・・・」

 敬生の額に刃は向けられる───────

私の目に写りこむ記憶。目に力が入り、苦しくも、あの日の記憶が私の目の前に現れる。


愁は塀に寄りかかって刃渡り十センチのナイフを握り締めている。教会からは、美しい歌声が聞こえる。雪はひらひらと降っていた。愁のナイフを持つ手は震えていた。

 車のヘッドライトがつき、車は車庫から飛び出した。愁に意識はない。その愁の目に写ったんだ。一瞬の出来事が、止まって見えた。車の後部座席のドアに寄りかかる美月の姿。

 絶望感に満ちていた。何を考える余裕もなく、愁は、地面にしゃがみこんだ。



敬生はその刃を見、唾を飲んだ。微かに震えている。震えていたが、ゆっくりそのナイフを見ながら立ち上がった。

「いつか来ると思ってた。それが今日だとは、考えもしなかった」

 敬生は言い、私を見る。私は、敬生の喉にナイフを向けた。

「美月は死んだ・・・一人、寂しく死んだんだ・・・」

 私の目に、美月が車の後部座席のドアに、寄りかかっている姿が映る。     

「何故、美月は死んだんだ・・・」

 私は怒り問う。

「お前は美月に何をした!」

 怒り、苦しく叫ぶ。目に涙は浮かぶ。ナイフの持つ手は、怒り震える。敬生の目を睨む。ナイフの刃は喉に突き、少し切れた。そしてそこから少し血は垂れた。

「俺は見たんだ・・・湖を・・・」

 その言葉に、私は反応した。瞼はピクリと動く。

「神霧村で、湖を見た・・・」

 青々とした湖。霧が、緩やかに流れる。

「焼き爛れていた、顔だ・・・湖の上を歩いていた。俺が、俺自身が・・・迫るように・・・湖の上を歩き、近づいてくる・・・」



 敬生は湖にいた。顔は焼き爛れている。怯えていた。何かを見ている。湖の上から迫り来る者。それは、自分自身。焼き爛れた自分が四人、湖の上を歩いて自分に近づいてくる。

敬生はその姿に怯え、後退りしていた。



敬生は睨むわけではなく、私の目を見て話す。

「あの湖は、何だ・・・」

 敬生は冷静に話す。だが、私には迫力に感じた。敬生はまた言った。

「それが・・・この日だと、今、分かったんだ・・・」

 私は、力強くナイフを握った。

「何を言っている・・・」

 私は怒り、脅え、震え、更にナイフを力強く握り、今にも喉を突き刺そうとしている。また、喉が少し切れ、血は垂れた。

「その意味に気づいた・・・」

 それでも敬生は動かず私を見る。

「私は、お前を・・・」

 力強く突こうこうとする。敬生の目を見る。

「お前を・・・」

 敬生の目を力強く見入った。怒る。喉を突こうとする。突こうとするが、一瞬が過ぎる。顔。少女の顔。私の頭に、敬生と手を繋ぐ美佳の顔が過ぎった。美佳の愛を奪おうとしている───────      

 私の目に力は入り、涙は浮かぶ。体中が怯み、膝が落ちた。

「私は・・・」

 言葉にならない。

「私は・・・」

 苦しく、力は抜け、地面に膝はつき、ナイフの持つ手を緩めようとした。その時、その緩めた手を被せるように手が、シッカリ握られた。私は咄嗟に顔を上げた。敬生は屈み、私の手を力強く握ると、引っ張るように顔に近づけようとする。

 私は顔を横に振った。

「やめろ・・・」

 口元はそう言ったが、声にはならなかった。敬生は引っ張る。私は敬生の手を外そうともがくが、力強く私の手を押さえるように握る。

「やめろ・・・」

 少し声は出た。涙が流れる。私は顔を横に振り続ける。

「やめろ・・・」

 私は引っ張られ、ゆっくりと立ち上がった。ナイフの刃は、喉に近付く。

「これが・・・真実なんだ・・・」

 敬生は、私の目を見て言った。私はもがき、敬生の手を離そうとした。その力強さから刃は揺れる。

 刃は揺れながら、今喉に突き刺さろうとしていた。

「やめろ!」

 私は叫んだ。敬生は、私の目を見る。顔を激しく横に振り、もがき、涙を流した。そして敬生の目が、『ピクリ』とこじ開いた。



 何が現実なのか、私には分からない。何が真実なのか、私には分からない。目に見える物が、真実なのか?目に見えない真実はないのか?それさえも、分からない。私は、二度の過ちを犯した。一つは、美月を守れなかったこと。二つ目は、最愛の友を亡くしたことだ。   

 廊下を歩く。誰もいない廊下。外の光も窓から疎らに入り込むが、どこか薄暗い。足音が響く。

 私は、神霧村で高山さんと再会した。村を歩き、別れ、美月に会いに行く。だが、私は旅立つ前に、最愛の友に会うのだ。

 私は立ち止まった。それは集中治療室の前だ。そして、扉を開けた。するとそこに、静かに眠る松永健太郎の姿があった。私は部屋に入り、健太郎の寝てるベッドの前に立ち、そして座った。

「久しぶりだな・・・」

 私は声をかける。だが返事はない。心拍モニターの波形は、安定している。酸素吸入マスクを付け、松永健太郎は寝ている。

「お前はずっとここにいる」

 健太郎を見ている。

「変わらないな・・・だが、体は老けたようだ」

 ふと笑った。

「お互い老けたな・・・」

 私は健太郎を見、少し黙り、そして言葉を詰まらせてまた言った。

「・・・ずっと、来れなくてごめんな」

 俯いた。もう、随分ここへは来ていない。

「会いたかった・・・」

 健太郎を見、顔に力が入った。      

「お前は意識が戻らなく、三十年生きている。寂しかったかい?苦しかったかい?私は、お前を見ているだけで苦しくて、会えなかったんだ。健太郎と会話出来ないんだ・・・」

 息を飲んだ。

「健太郎と、会話したかった・・・いっぱい、話したかった・・・」

 目に力が入り、涙は溜まる。

「やっと、自分に区切りが出来た。私は、健太郎がいたから、私でいられたんだ・・・」

 健太郎を見続けた。

「松永健太郎が一番の、友だ・・・」

 私は、布団の中にある健太郎の手を握った。

「健太郎が一番だ・・・」

 その握った手を布団の中から出し、力強く両手で握った。そして額に祈るようにその手をあて、ゆっくりと立ち上がった。

「もう、寂しい思いはさせないからな」

 握ってた手を離し、健太郎の頭を少し持ち上げ、下の枕を取り出すとまた、健太郎の頭をそっと置いた。

「もう、苦しまなくていいから・・・」

 酸素吸入マスクを静かに外した。暫くは静かだった。何もない。だが、健太郎は少し咳き込み始め、体は痙攣しだした。

「ごめんな・・・」

 涙が流れた。激しく咳き込み、大きく痙攣した。私は手に枕を持ったまま、その健太郎の姿を見

「ごめんな・・・」

 涙を流し、健太郎の激しく痙攣する顔の上に枕を置き、上から押さえつけた。すると健太郎はバタンバタンと激しく、ベッドから落ちそうなぐらい抵抗するように、体を上下に動かした。心拍モニターの波形は激しく動く。私はそれを抑えるように枕を押し込んだが、直視出来ず顔を避け、涙を流した。そしてやがて、松永健太郎の体は静まり、部屋には警告音が鳴り響いた。



 私は彷徨う。丘をフラフラと歩いていた。顔や服に返り血がかかっている。手に力はなく、足にも力はない。何処に向かい歩いているかも分からない。

 空は雲一つなく、透き通る青空が広がっていた。あの、湖のように───────       


        誰かは言った。妖精は、人の無意識の中に存在する。


        誰かは言った。その存在は、意識を詰め込むことで

        消えてしまうのだと。


        だが、その意識の中に、ほんの少しでも気づく

        意識があるならば、その存在は消えないだろう。


        人は、感覚的意識の中で生きている───────         



 高山は走り、丘に着いた。「橘!」叫び丘を登る。「橘!」辺りを見渡した。走り走って丘の上へ到達し、膝に手を置き息切れした。そして顔を上げると、そこに広がる数知れない墓石。一度息を飲み、また走り始めた。<たちばな・・・>捜した。まず美月の墓を捜した。一つ見、二つ見、彷徨い、それぞれの墓石を見たがどれも違う。<たちばな・・・>高山は体を起こし、遠くを見る。何か見える。それは大きな樹木。高山は何かに導かれるように、走り始めた。<たちばな・・・>

 高山は走り着いた。目の前にそびえ立つ大きな樹木。その巨大さに、思わず見上げて近付いた。そして、見上げた目線は降りてくる。するとそこに、樹木の下に二つの墓がある。その墓石の一つに、寄り添うように倒れている影がある。<永瀬敬生・・・>喉から血を流し、美月の墓に寄り添い死んでいた。高山は足が震えだした。「何て事だ・・・」震える足を、ゆっくりと動かして敬生に近付いた。そして目の前に立ち、しゃがんで敬生を救うように抱き締めた。「たちばな・・・」涙が流れた。「たちばな・・・」胸に突き刺さる。「橘!」高山は墓石の前で座り込んで敬生をシッカリ抱き、痛哭(つうこく)した。「橘!」高山の叫びが木霊する。その高山の脇に置かれる、銀のまあるく平べったい缶の中には砂が入っている。その砂の中から小さく何かが光ったように感じた。



 私は風に靡いている。私は海を見ている。どう歩いてきたか、覚えていない。どのくらい時間が経ったのかさえ、分からない。丘をずっと歩き、この場所に辿り着いた。私の目の前に広がるのは、青々とした海。私は波打つ崖っぷちに立っていた。私は考える。美月のことを。健太郎のことを。今までの人生のことを。私の人生を───────         

「橘!」

 声が聞こえた。

「橘!」

 その声に、私は振り向いた。すると、遠くから歩いてくる。高山さんの姿だ。

「ここにいたのか・・・」

 高山さんは笑顔で言い、立ち止まった。

「随分と捜した」

 ズボンのポケットを探り、何かを出した。

「お前は、ここに美月ちゃんの墓があることを、知っていたんだな」

 それは、飛行機の半券。

「神霧村でお前と別れた後、またお前の家に行ったんだ。そこで、ゴミ箱の中に捨ててあった」

 私は高山さんを見た。

「神霧村を一人で見て回ったよ。湖にも行った。美月ちゃんの家にも行ったんだ」

 高山さんは、上着のポケットから、銀のまあるい平べったい缶を取り出した。

「この中に、妖精はいたんだよな」

 高山さんは、缶の蓋を開けた。中には砂が入っている。

「俺には、ただの砂だ・・・」

 缶の中の砂を摘み、また缶の中へ落とした。

「どうしたら妖精は見える?俺には、お前のマネは出来ないようだ」

 少し笑った。

「この缶は、美月ちゃんの家に埋まっていたんだ。ここに持ってきたんだ・・・」

 高山さんは、私を見た。

「美月ちゃんの墓にもよったよ。美月ちゃんに返したのか?」

 私の目を見た。

「美月ちゃんの墓にあった・・・」

 少し黙った。

「いろいろあったんだな・・・」

 敬生を思い、そう言った。高山さんは、私を見ている。風は、二人を靡く。

「お前は、ここに美月ちゃんの墓があることを知っていた。じゃあ何故、今頃ここに来たんだ」

 答えを待っている。

「また、黙るのか?お前はいつもそうだ。自分のことを語ろうとはしない」

 私は俯いている。

「高山さん・・・」

 声を出した。

「高山さん・・・」

 声が震えている。それ以上言葉にするのは苦しかったが、ゆっくり口開こうとした。その私に、高山さんは優しく言った。

「どうした?ゆっくり話せばいいんだ・・・」

 微笑んで私を見ている。その言葉に、その高山さんの顔に、私は静かに口開いた。

「人間は、こんなにも、(もろ)いものなのですか?私は、あれから生きる気力さえ、無くしたような気がします」

 私の言葉に納得したように、高山さんは答えた。

「ああ、脆いものだよ。だから助け合うんじゃないのか?」

 私は高山さんを見

「美月を殺しました・・・」

 言った。

「美月ちゃんを殺した?」

「私が・・・美月を殺しました」

「まだそんなことを言うのか?美月ちゃんは、自ら死を選んだんだ」

「私は美月を守れませんでした。美月を助けられなかった・・・」

「お前はそう悔やんで生きてきた。俺はもう七十年生きている。色々なことを経験し、色々なことを学んできた。七十年も生きてきて、まだ知らないことや、気づかないこともある。七十年も生きてきてだ!」

 私を見た。

「今気づいたことを、俺はどう思うんだ?何を考える?どう行動すればいいんだ?どれをとっても、悔やむばかりだ・・・お前は、美月ちゃんが生きた三十年を生きようと思った。

ずっと美月ちゃんを思い続けていたんだ・・・だから今、ここに来たんだ・・・」

 高山さんは言った。

 私は胸に突き刺さる思いがした。ずっと、美月を思っていた。

「お前は十年前に、小説家を引退した。もう、自分の気持ちが耐えられなくなっていたのか?そしてお前は、俺に美月の墓を捜してくれと言った。何故突然言うんだ?」

 高山さんは問う。

「お前は生きる証を、残したかったんだ。お前が家で飛行機のチケットを捨て、そのチケットを見つけて俺がここに来ることも、知っていたんだ」

 高山さんは一歩前に出て、私の目を見た

「俺はお前と生きようと思った。お前を理解し、お前を助け生きようと思ったんだ。お前の物語は素晴らしかった。最高だ。いつも俺を夢中にさせた。・・・これが、お前の物語のラストなのか?」

 私を見た。

「これは現実だ。物語じゃない!」

 私は正気無く高山さんを見た。まるで、意識が遠ざかるようだ。

「もう一度、お前の物語を読ませてくれ・・・」

 人は、感覚的意識の中で生きている。それは、触れて感じる物ではなく、何かを感じ取ること。何かに導かれて生きることなんだ。

「たちばな・・・」

 私の中の意識は薄れていく。

「たちばな・・・」

 高山さんの声が、遠ざかっていく。

「また、黙るのか・・・」

 高山さんは私を見ているが、私には高山さんがぼやけて見えた。

「やっと分かったんだ・・・」

 私を見る。

「美月ちゃんが守り続けていたもの・・・」

 高山さんは、息を飲む。

「それはお前、橘愁の愛なんじゃないのか?」

 その瞬間、私の目は見開いた。体は揺れる。私は、松永健太郎を殺した。永瀬敬生を殺した。美月を思う。美月のことを───────

「どうした?」

 全ての罪が、私だ───────      

「たちばな・・・」

 体は揺れる。

「神霧村に帰ろう」

 高山さんは、近付こうとした。

「たちばな・・・?」

 高山さんの顔色は変わった。目に、涙は浮かんだ。

「何を、考えてる・・・」

 私の体は揺れる。

「やめろ・・・」

 意識を感じない。高山さんの足は、最大に震えた。

「やめろ・・・」

 声を震わせながら、一歩一歩近付こうとした。私の体は、大きく揺れる。その揺れは、徐々に徐々に大きくなり、(なだ)れるように倒れていった。

「やめろ!!!」

 高山は走り、愁を止めようとした。だが、愁の体は、崖に落ちていった。高山は、崖っぷちに着き、落ちていく愁の姿を見た。そして、力無くその場に座り込み、地面の土を握り締め、泣きじゃくり

「橘!!」

 叫んだ。その時高山の側に、小さな気配を感じた。高山は涙を流し、その気配の方へゆっくりと向いた。するとそこに、投げ出された銀のまあるい平べったい缶があった。砂は、地面に零れている。高山は涙でかすんだ目を擦り、地面に零れた砂を見ると、そこに、一人の妖精は立っていた。高山はゆっくりと近づき、両手を救うように合わせて妖精の前に差し出し少し笑うと、妖精は掌に乗った。そして高山は、その掌に乗った妖精を見ながら、ゆっくりと立ち上がった。



 青々とした空。雲一つ無い。まるで、あの湖のようだ。まだ幼い橘愁と、倉岡美月は手を繋ぎ、笑い駆け回っていた。



 橘愁は顔を浮かべ、空を見上げて波に流されていった。



                             < 了 >


今まで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。この物語は、書き終えるのに7年かかりました。まあ、仕事とかいろいろな事情なのですが・・・


で、少し誤字が目立ったっと言う意見も多数ありましたので、この場をかりて謝りたいと思います。


どうもすみませんでした。


本当に今まで読んでいただいてありがとうございました。


ただいま、新作を執筆中です。これからももっといい作品を作るよう努力しますので、今後よろしくお願いします。

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