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第二部 第三十三章

 ノートを開いた。ふやけている。「これが残っていたノートよ」静江が言った。「ノート?」高山が言った。そこに、静江、竹中、高山の姿がテーブルに囲んでいた。「いや〜暫く家を空けとくと、埃もたまんな〜」国利が隣の台所からお盆に湯飲みを四つ乗せてきた。そしてそれぞれの前に置いた。「はい、お茶」国利が言い、高山は湯飲みを持って一口飲んだ。それと同時に「湯飲みにゴキブリが入っててさ〜」と国利が言うと、高山はその言葉に反応し、口に含んだお茶を吹き出してしまった。「タ、タオル!」静江が叫んだ。国利は立ち上がり、台所に走ってタオルを持って戻ってきた。高山は咳き込んでいる。国利は高山にタオルを渡した。高山は口にタオルをあてた。「大丈夫ですよ。ちゃんと洗いましたから」国利が布巾でテーブルに零れたお茶を拭きながら言った。高山は咳き込みながら湯飲みを見て、テーブルに置き「・・・で、ノート?」冷静さを取り戻して言った。「そう!私たちが倉岡直也の家に入ったとき、このノートを見つけたの」静江は言った。「何が書いてあるんですか?」高山は言い、みんなそのふやけたノートに注目した。「水に浸かっていて、殆どの文字は消えている。だが、少しだけ分かるところもあるんだ」竹中は言った。「倉岡直也はずっと、メモを書いていたの。あの事件のことも、その前の出来事も・・・」静江は静かに語った。



      十二月二十日

       今日は雪だ。美天村も寒い。凍えるような寒さだ。

       シャリーが最近おかしい。何か俺に隠してるようだ。


      十二月二十四日

       クリスマスイブだ。美月が可愛い。プレゼントを買った。

       熊の縫いぐるみだ。喜ぶだろうか。美月が寝付くのが

       楽しみだ。

       シャリーを調べた。どうやら彼奴が関わりあるようだ。

       明日、会うようにしよう。



 「彼奴?」高山は言い、みんなを見た。みんな頷き、また、高山はノートを見た。



      一月七日

       列車を通す話しに縺れがある。昔の友、神霧村から

       やってきた奴と美天村の奴が対立している。

       俺は奴の肩を持つようにしよう。そうすれば

       シャリーが分かるはずだ。


      一月十六日

       最近美月がシャリーの肩を持つようになった。

       何故だ!



 高山はゆっくりと顔を上げて、静江を見た。「まだ、事件が起こる前の事よ」静江は、ゆっくりと言った。少し間を置いて「彼奴って言うのは、たぶん亨ちゃんの事ね」また言った。「亨ちゃん?」高山が言った。「愁ちゃんのお父さんよ」静江が言った。そしてまた高山はノートを見た。ページを捲り捲って、止まった。



      五月四日

       俺は何て運がいいんだ。今夜大雨が降る。奴を落とし

       込むチャンスだ。


      五月五日

       終わった・・・



 「シャリーさんが殺された日だ。・・・亨君も」国利は落ち着いていった。「倉岡直也は完全犯罪を目論むチャンスを待っていたの。完璧に二人を殺すようにね」静江は高山を見て言った。「事件のあったあの丘は地盤が固かったんだ。それを倉岡直也は畑を作ると言って、毎日耕していた・・・」竹中が言った。「土砂は崩れた。倉岡直也の計算通りだ。シャリーさんは土砂に埋もれた。美月ちゃんの目の前で・・・亨君も埋もれたが、土砂から這い出たんだ。それを倉岡直也は見ていた。美月ちゃんが助けを呼びに行っている時、亨君は土砂から這い上がり、その亨君に倉岡直也は近づいた。亨君は倉岡直也に助けを求め近づいたが、倉岡直也は亨君を、殴り、殴り、殴って・・・殺した」国利の言葉は徐々に息が詰まって言った。高山は、目に涙を浮かべながらまたノートを見始めた。捲り捲って・・・    



      八月三十一日

       少年に会った・・・


      九月一日

       学生服。学生帽。まだ幼さが残る純粋な少年。

       俺の愛を捧げよう。



 「少年?」高山が言って、みんなを見た。みんな高山を見て首を傾げた。



 寝室のドアが開き、敬生が入ってきた。「待たせたな」引き締まった体。引き締まったお尻。服は着ていない。敬生の先にベッドで上半身を起こして、胸を布団から出している裸な花崎志帆の姿があった。部屋は暗く、ベッド横のランプが光っていた。敬生は志帆に近づいていった。志帆はにこやかに笑っている。

 敬生はベッドに入り、二人は寄り添い、抱き合い、口付けをした。



 霧は彷徨っていた。汽車は黒い煙を放ちながら、山の狭間を走っている。橘愁はその汽車に乗って神霧村に向かっていた。車両は明るく電気がつき、窓の外の山の風景は全く見えなかったが、白い霧が緩やかに流れているのだけが分かった。愁はドアに立ち、何も見えない外を眺めていた。汽車はトンネルに入った。       

 汽車は緩やかに速度を落とす。そして、止まった。ドアが開き、愁は降り立った。神霧村の駅に着いた。愁はゆっくりと歩き、駅を出た。駅前はロータリー。その周りにはまだ小綺麗な商店街が立ち並んでいた。シャッターは閉まっており、商店街を照らす街灯の下を愁は歩いていた。人は歩いていない。霧は緩やかに彷徨っていた。商店街を抜けると、そこはもう田園となる。街灯もなく、真っ暗な畦道となった。愁は小さなライトをポケットからだし、その道を歩いた。

 暗く、周りに何も見えない。遠く、所々に家の明かりが見えるだけだ。霧は緩やかに愁の周りを流れた。愁は歩き、歩いて、暗い明かりのついていない一軒の家に近づいた。倉岡直也の家だ。愁は玄関のドアに近づき、ノックした。そして、暫く待っているとドアが開き、中から倉岡直也が顔を出した。「よく、来てくれた」そう言うと、愁は家の中に入っていった。家の中は暗い。直也は玄関横にある蝋燭立てに立っている蝋燭に火をつけた。ほんのりと明るくなった。「家に明かりをつけられないんだ。村人はまだ私を警戒している。まあ、私がしてきたことを考えれば、警戒されても仕方ない」愁は頷いた。二人は歩き出した。「美月は元気か?」愁が言った。「いや・・・やはりショックが大きかったらしい。まだ、私にも話そうとしない」そう言って、直也は立ち止まった。それに継いで、愁も立ち止まった。そして直也は蝋燭立てを持った腕を遠くに伸ばすと、ほんのりと明るい光は少し広がり、遠く、薄暗く、ソファに座っている美月の姿が見えた。愁はゆっくりゆっくりと美月に近づいた。美月は一点を見つめており、愁の存在には気づいていないようだった。愁は美月の隣りに座った。「奴は・・・?」愁は直也に聞いた。「来ない・・・だが、いずれ来るだろう・・・」直也は言った。愁は美月の肩を寄せた。美月は、一点を見たまま動くことも語ることもなかった。



 晴れ渡っている丘の下にいた。雲はない。「ここに来て、もう四日になる」高山は言った。「やっぱりあの当時のことを知ってる人いないのかしら」静江は丘を見上げた。「ここで事件は起こったんだ・・・」竹中はしゃがみ、地面の土を手に取った。「土砂は崩れて亨とシャリーさんは生き埋めになったんだ。美月ちゃんは懸命に土を掘り返してシャリーさんを助けようとした。美月ちゃんは、泣き崩れて助けを呼びに行った。その時、亨は土砂から這い上がり、助けを求めて歩いた。倉岡直也が来て、亨を殴り殺した。事件があって数ヶ月、ここは土砂が崩れたままだった。俺もその時の土を手に取った」竹中は思い思いに言った。「・・・あの時のことは忘れない」竹中は手に取った土を握った。「この村は広い。まだ探す場所はあるんだ。みんな、歩こうじゃないか」国利が言い、竹中は立ち上がり、また四人は歩き出した。

 四人は丘を越え、また隣の丘も越えて歩いた。商店街を抜け、住宅街も抜けて暫く歩き、また丘を登った。その丘を登り切ったところに白い建物がある。決して大きな建物ではないが、日当たりがよく、村を見渡せる。二階建ての真っ白い一軒家の建物だ。「ここ・・・」静江は立ち止まった。竹中と高山も立ち止まり、静江を見た。「美月ちゃんが入っていた施設だ」国利が言った。「俺は倉岡直也とシャリーさんと亨君のことは知っているが、神霧村で美月ちゃんに何があったか知らない。この施設があったことも知らなかった。みんなが集まって、美月ちゃんと愁君を思い、倉岡直也を調べてこの施設の存在も知った。もしかしたら何か分かるかも知れない」国利は続けて言い、皆、施設の門を潜った。

 青いドアの前に立ち、高山がベルを鳴らした。暫くして、ドアは開いた。そこに、白いシャツにジーンズをはいた細りとした中年女性が立っていた。「すいません。あの、ちょっと訪ねたいことがありまして・・・」静江が言った。「何か?」女性は言った。「前、ここに倉岡美月という子がいましたね」静江が続けていった。「ええ、いたわ」女性は答えた。「私たち美月ちゃん知り合いで、美月ちゃんの事を聞きたくてここに寄ったんです」静江は言った。女性は静江をジッと見て「まあ、上がって」言うと、部屋の中に引っ込んだ。四人は互いの顔を確認して、その施設の中に入っていった。

 四人は施設のリビングに通された。「座って」女性は言い、目の前にあるテーブルに座った。女性はリビングに繋がるカウンターを通り、キッチンに入っていった。棚からお茶っ葉を出し、やかんのお湯を沸かした。テーブル席にいる高山はポケットからクチャクチャになったタバコを取り出し、口に銜えた。「タバコは吸わないでね。ここは禁煙よ」女性は四人の座っているテーブルに背を向けてお茶の用意をしていたが、高山の行動を見ていたかのように言った。高山は銜えたタバコを取り、またポケットに入れた。「ここには七人の子供達が住んでるわ。小学生や中学生。今はみんな学校に行っていないの。先生も私の他に二人いるけど今ちょっと出てる。今は、私一人」そう言いながら、テーブルにお茶を運んできた。それぞれに置き、座った。「・・・で、何?」女性は言った。「え〜私たちは神霧村から来ました。私は竹中直紀と言います。で、隣が、古希静江。竹中国利。そして恋酔出版社の高山さんです」竹中はいい、女性は一礼して「私は金沢華」言った。「美月ちゃんのことを知りたくて、ここに来ました。美月ちゃんはここでどんな生活をしていたのか・・・」高山は言った。「なんであなた達は、美月ちゃんのことを知りたい訳?」金沢は言うと、静江たちは一瞬口を瞑ってしまった。どう言えばいいか、分からないんだ。その様子を金沢は見て「まあいいわ・・・美月ちゃんは、いい子だったわ。とても・・・でも、必要なこと以外は喋らなかった。他の子とも喋らなかった。いつも一人でいたの」金沢はお茶を飲んだ。「美月ちゃんは昔、辛いことがあったんです」静江が静かに言った。「知ってる。私がここに来たときには、もう美月ちゃんはいたけど、話は聞いてるわ」金沢は言った。「実は、美月ちゃんのこと、それと父親の倉岡直也のことが何か分からないかと思って来たんです」静江は興奮気味に言った。「倉岡直也?」金沢は少し考え「ああ、一度ここにも来たことあるわ」言った。「来たことある?」静江は飛びつくようにいい、竹中は金沢を見、国利、高山は顔を見合わせた。「私は会ったことがないわ。そんな話を聞いたことがあるって言うだけ。昔……美月ちゃんがここに来る前に来たことがあるらしいの」金沢は言った。「えっ!」静江はその驚きを隠せないでいた。<あの事件の後、倉岡直也は服役した。そして美月ちゃんは施設に入った。でも、事件の前に倉岡直也はここに来ていた・・・>静江は思った。「園長が知ってるわ」金沢は言った。「園長先生は何処にいるんですか?」高山が前のめりになって聞いた。「今日は来ないわ。明後日。明後日は来るわ。次の日のイブを祝う準備に来るから・・・」金沢は腑に落ちない様子で言った。「二十三日ですね」竹中が言った。「ええ・・・」顔を落とした。「じゃあ、その日にまた窺います」国利が言い、四人は立った。「ちょっ、ちょっと待って!」金沢は四人を見上げ言った。「園長先生、目が見えないの。耳も遠いわ。昔、何かあったみたいなの。その、倉岡直也のことで・・・それでショックを受けて視力を失ったって聞いてる」言った。「でも、私たちは知りたいわ。もう、あの苦しみは忘れたい・・・」静江が言った。「分かった。けど、すぐには話さないで。様子を見てから・・・園長先生はあの話を嫌うわ・・・」金沢は不安に思い、考えた。



 辺りは暗くなっている。霧は彷徨い、満月が村を光りあてている。静かだ。風があり、雲が流れている。満月も見え隠れしている。人は、誰も歩いていなかった。家々の明かりも消え、寝静まっていた。

 美月はベッドに横たわっていた。安らかに寝ている。天窓から月明かりが部屋の中に漏れ、美月の顔にあたった。美月は夢を見ていた。淡い、子供の時の夢を。愁と遊んだ夢を。幸せだった夢を───────

 ドアが開いた。廊下から漏れる明かりは部屋の中に入り、美月の顔にあたった。ドアに近づく影があり、その影は徐々に部屋の中に入っていった。ドアは大きく開かれ、その影は大きくなり、そこに、倉岡直也が立っていた。「美月、覚えてるか。あの日と同じだ」美月を見つめていた。「満月だ。風もあり、雲で月も見え隠れする。霧も流れている・・・覚えてるか・・・俺達が愛し合った日と同じだ」にやけた。「お前の唇は最高だった・・・美月・・・」直也は持っている杖を床に放った。上着を脱ぎ、厚い胸板を見せた。「年は取ったが、あの時と変わらない。お前の想いは・・・」ズボンを脱ぎ、トランクスを脱ぎ、鍛えられた引き締まったお尻だ。「みつき・・・」見つめ、足を引きつり、美月が起きないように静かに布団を捲り、直也は入っていった。寄り添い、美月の肩にそっと頭をのせた。



 雪がひらひら降っている。辺りは明るかった。部屋の中から外の風景をガン太が見ていた。「どうした?」その姿を遠くから見ていた芳井が唯に訪ねた。「帰ってこないんだって」唯はガン太を見て言った。「帰ってこない?」芳井が言うと唯は頷き「静江ちゃんが帰ってこないんだって」言った。「ああ、そう言えば連絡ないな。コクリンも呼ばれて行ったし・・・」唯を見た。「こんなに長い間会わなかったことは今までなかったんだって。『今まで、競馬、競輪、競艇、パチンコ、全てのギャンブルをやってきた。でも、それも何年もやらず、今は身内との賭け事だけだ。それさえも止めよう』って叫んでた」唯は言った。「どういうこと?」芳井は言った。「明日は?」唯は芳井を見ていった。「明日?」少し考え「イブだ!」答えた。「そう、イブ。二人で過ごさなかったイブは今までなかったんだって。ここで毎晩吠えてた」唯が言った。「仲いいじゃない」芳井は頷いた。「ヨッシー知らなかったの?いつも二人でいたじゃない」唯は笑っていった。「え?だっていつもここで悪口ばかり言ってたし」芳井は窓側のガン太の姿を見て言った。「愛してる証拠だよ」唯は言い、芳井はガン太に近づいた。肩に手をかけ、ガン太は芳井を見た。そしてまたガン太は窓の外を見「昨日までは霧が渦巻いていたのに、今日は雪だ。いつもクリスマスイブの前の日はそうなんだ。前の日に霧が渦巻き、イブの前日は雪だ。いつも同じだ。いつも同じ・・・だけど、今年は静江がいない。初めてなんだ。一人で過ごすの、初めてなんだ・・・」ガン太は窓の外の風景を見ながら言った。「ガンちゃん・・・大丈夫だよ。静江ちゃん、もう戻ってくるよ」芳井が言った。「紅茶入れたよ!」唯がテーブルに紅茶カップを置きながら叫んだ。芳井は唯を見た。ガン太はまだ窓の外を見ていたが、芳井は肩を叩き「飲もうぜ」そう言い、二人は振り向いてテーブルに向かった。



 静江、竹中、国利、高山は丘を登っていた。今日も晴れ渡っている。丘に輝きがあった。丘の上に白い建物が見え、日の光に反射して輝いて見えた。

 四人は丘を登り、白い建物の前に来た。子供達のざわめきが聞こえる。静江が門に手をかけると、三人の子供達が建物の前にある庭でボール蹴りをしていた。一人はヒョロヒョロとした背の高い中学生ぐらいの男の子で、もう一人は同じく中学生ぐらいの背が低い小太りの男の子。そしてもう一人は十歳ぐらいの髪がボサボサの女の子だ。その女の子が静江の存在に気づいた。ボール蹴りを止め、門に近づいた。その行動に、他の男の子も目を追った。女の子は門の前で立ち止まり、静江を見上げた。背の高い男の子は、蹴っていたボールを拾い、門に近づき、小太りの子も追った。女の子は静江の後ろに立っていた竹中、国利、高山にも目をやった。「金沢先生いるかい?」静江は少し腰を曲げて言った。女の子は頷いて振り向き、二人の男の子の間を縫って青いドアに走っていった。「せんせー。はなせんせー」女の子は叫んだ。「あの〜どなたですか?」背の高い男の子は静江を見て言った。「ゴメンね。ちょっと華先生に用事があって・・・」高山は前にのめり込んで言い、少し間があって「美月って子、知ってる?」聞いた。背の高い男の子は首を横に振った。高山は隣にいる小太りの男に子も見、その男の子も首を横に振った。

 青いドアが開いた。四人はドアを見、男の子二人も振り向いてドアを見た。ドアからボサボサ頭の女の子が出て来て、その後ろから金沢華が出てきた。金沢は四人の顔を見て、表情はなく「上がって!」言うと、家の中に引っ込んだ。四人は門を開け、中に入っていった。

 四人はリビングのテーブルに座っていた。金沢はリビングから繋がるキッチンにボサボサ頭の女の子といた。「じゃあ、みんなにお茶出してね。先生、大事な話があるから」金沢が言うと「はい」女の子はティーカップを並べだした。金沢はカウンターを通り、リビングに戻ってテーブルに座った。四人の顔をよく見「園長先生ね、まだ来てないわ。もう、来ると思うけど・・・」言った。「今日は子供達、いるんですね」国利が言った。「冬休みに入ったの。今日から毎日賑やかな日が続くわ」金沢は笑って言った。その時、ボサボサ頭の女の子はお盆にティーカップを乗せて来た。「ありがとう」静江は言い、女の子はそれぞれの前に紅茶を出した。そして、女の子は一礼して部屋を出ていった。「いい子ですね」竹中が言った。「ええ」金沢が言った。「あの子も親がいないんですか?」高山が訪ねた。「あの子は赤ん坊の頃、親に捨てられたの」金沢は答えた。「外にいた子も?」国利が言った。「小太りの男の子は親が離婚して、母親に引き取られたんだけど母親もあの子を見捨ててね、男つくって逃げちゃった。父親を捜したんだけど、見つからなくて・・・背の高い子は美月ちゃんと一緒、父親が犯罪を犯して刑務所にいるの。ここには悲しい過去を背負った子がいるの」言った。「他の子も?」静江が静かに言った。「ええ、そうよ。後四人いるわ」紅茶を一口飲んだ。「他の子も今いるんですか?」竹中は聞いた。「ええ・・・でもみんな静かね〜」金沢は言い、四人は同時に紅茶を一口飲んだ。その時「コラッ!」部屋の外から怒鳴り声が聞こえてきた。と、同時に部屋のドアが開いた。そこに、七人の子供達が横並びに聞き耳を立てていた。その横で、腕を組んでいる少し太っている女の先生がいた。「どうもすみません。お客さんが珍しいもので・・・すぐ退かしますから」その先生は言った。先生の指示により、子供達とその場を離れようとすると「あ、ちょっと待って!」金沢は呼び止めた。「みんな来て!」そう言うと、七人の子供達は部屋の中に入ってきた。その後ろに子供達について、先生も入った。「みんな、折角だから自己紹介しなさい」子供達を見て笑顔で言った。子供達も笑顔になり、四人は子供達を見た。まず端にいたボサボサ頭の女の子。「加世子と言います。年は十歳です」隣にいる子は背の低い男の子だ。「中村元と言います。九歳です」元気のいい声で言った。その隣にいたのは先程外でボール蹴りをしていた背の高い男の子だ。「神保悠木と言います。十三歳です。宜しくお願いします」その隣は背が高く、髪が長い女の子だ。「黒澤幸恵です。十五歳です」隣は外でボール蹴りをしていた小太りの男の子だ。「金田忍。十二歳」その隣りもヒョロヒョロとした男の子だ。「永嶋克典です。十四歳です」声変わりの途中のガラガラした声だった。そして、ショートカットの女の子だ。「小瀬久美子。十二歳です」言うと、みんなの目線は子供達の後ろに立っている女の先生に注がれた。「え?私?」女の先生はみんなの顔をキョロキョロと見「橋本美子です。後、もう一人、若い男の子がいるんだけど、今園長先生を迎えに行ってるの」言った。三十代半ばぐらいだ。そして、加世子が静江に近づいてきた。「おばさん、来て」加世子は静江の袖を取ると引っ張り、静江は周りをキョロキョロ見ながら立ち上がり、加世子に引っ張られて部屋を出ていった。他のみんなも立ち上がり二人を追い、子供達も橋本も追った。

 静江は加世子に引っ張られ、別の部屋に連れてこられた。静江は部屋にはいると、目の前にある大きなものを見上げた。皆も部屋の中に入ると、その目の前にある大きなものを見上げた。それは、煌びやかに飾り付けられている、クリスマスツリーだ。「きょうね、えんちょーせんせーがきてね、おほしさまをつけるの」加世子は言った。「クリスマスツリーの頭につける星を、園長先生と僕らで一緒につけて完成させるんだ」外でボール蹴りをしていた背の高い神保悠木が前に出て言った。静江は悠木を見て頷いた。その時、「お〜い、園長先生ついたぞ〜」外から声が聞こえた。「園長先生来た!」金田忍が大きな声を張り上げて言うと、玄関にかけていった。他の子供達、先生、静江や竹中、国利、高山も玄関に言った。

 門の前に白いワゴン車が止まっており、二十代前半ぐらいの若い男が車椅子を降ろしている。後ろの席には皺の寄っている、かなり年老いた女性が座っていた。男はその女性を抱いて、車椅子に乗せていた。「えんちょーせんせー」加世子はドアを飛び出し、近づいた。「えんちょーせんせ!」車椅子に乗った園長先生の体に触れた。すると、園長先生はゆっくりと加世子の顔を手で探ぐり始めた。「これは〜加世子だね」息が詰まったような声を出した。加世子は園長先生の耳元に近づいて「うん」そう答えると、園長先生はにこやかに笑った。すると他の子供達も近づき、園長先生はそれぞれの顔を探り始めた。「これは、幸恵だね」また隣の子の顔を探った。「忍かい?」また顔を探った。「久美子だね〜」また顔を探り「悠木か。元気かい?」悠木は頷き、また園長先生は顔を探った。「元だね」また顔を探り「カツか。悪戯そうな顔してる」永嶋克典は頭を掻き上げ笑った。その光景を玄関から静江、竹中、国利、高山は見ていた。静江の側に、金沢と橋本もいた。「あの男の子も、ここの出身なの」金沢は門の側で園長を囲んでいる子供達を見ながら言った。「あの男の子?」静江は聞いた。「あの、若い先生よ。彼の名前は吉沢って言うの。子供の頃、親が事故で死別したの」金沢は、そう言うと言葉を途切り、考え「ああ、そう!吉沢君は知ってるわ。美月ちゃんのこと。美月姉ちゃんって慕ってたから・・・」言った。

 「わたしがえんちょーせんせーを、いえまであんないする!」加世子は車椅子を押して門から玄関に向かった。そして玄関の段差を、みんなで園長先生が乗った車椅子を持ち上げて、家の中へ運んでいった。

 家の廊下を加世子が車椅子を押していた。「久しぶりに来るのもいいものね〜懐かしい匂いがするわ」園長はその匂いにしたっていた。そして部屋の前で加世子は止まり、他の子供がドアを開けた。車椅子は部屋の中に入っていった。そして止まった。目の前に飾りつけられた大きなクリスマスツリーがある。「園長先生」黒澤幸恵がクリスマスツリーの頭につける星を持ってきた。園長先生は手探りをし、星を掴み、車椅子のタイヤを自分で回し、クリスマスツリーに近づいた。そして、神保悠木がツリーの前に立っており、園長先生は悠木に星を渡した。悠木はツリーの脇に置いてある三脚を昇り、てっぺんに星をつけた。すると皆笑顔になり拍手が起こった。園長先生も笑い、静江も竹中も国利も高山も笑った。悠木は誇らしげな顔をして三脚の上から皆を見渡し笑った。



 酸素吸入音が聞こえる。心拍モニターの波形は静かに流れている。松永健太郎は静かに眠っていた。その健太郎が眠るベッドの横に、しおりは静かに見ていた。

 集中治療室のドアが開き、そこに橘愁が立っていた。「こんにちは」愁は言った。「こんにちは」しおりも返した。愁はベッドに近づき、しおりの横に座った。そして暫く黙った。そして、静かに話し始めた。「健太郎は、僕の親友だった。いつも一緒にいて、何でも話せた。どんなことでも話した。どんなことでもね・・・だけど、今どんなことを言っても、返事は返ってこない・・・」俯いた。「けんちゃん、よく愁君のこと話してた。楽しそうに・・・そんなけんちゃんを見てるの好きでした」口を噛み締め、しおりは思い思いに言った。「僕は、健太郎を守ることは出来なかった・・・」愁は俯き、黙った。その沈黙に「どうしたんですか?」しおりは愁の顔を覗き込んで言った。「今、僕は守りたい人がいるんだ……」愁は言った。「美月さんですか・・・?」しおりは言い、愁は咄嗟に顔を上げた。「何となく分かります」しおりは少し笑って愁を見た。「けんちゃんから聞いてました。愁君、美月ちゃんのこと好きなんですよね。すっごく好きなんですよね」愁はしおりを見た。「守ってあげてください」しおりは笑った。



 テーブルに、静江、竹中、国利、高山が座っていた。その四人を見渡せる中央に園長先生は車椅子に乗っていた。園長先生の側に立って金沢はいる。「お客さんが来るなんて珍しいね〜」園長先生は息を詰まらせた声で言った。「先生、この人達は美月ちゃんの知り合いなの」金沢が言うと、園長は「そうかい。そうかい」頷き、笑った。「お待たせしました」その時、ドアは開き、吉沢が来た。「吉沢君も座って。この人達は美月ちゃんの知り合いよ」金沢が言い、四人は吉沢を見て一礼した。吉沢も頭を下げた。「美月ちゃんは元気なのかい?」園長は言った。「いえ、あまり会っていません。ちょっと色々ありまして・・・美月ちゃん、どんな生活をしていたのか知りたいんです」高山が少し前のめりに言った。「いい子だったよ。本当にいい子」園長は息が詰まりそうに話し、一度口をモグモグとさせてからまた、話し始めた。「いつも一人でいたけどね、いつも窓際に座ってここから丘の下の村を見てたけどね。他の子とはあまり話さなかったけど、ヨシちゃんは美月ちゃんに慕ってね〜」言った。「ヨシちゃん?」国利が言った。「吉沢君のことよ」金沢が言った。四人は頷いた。「僕、美月姉ちゃん大好きだったんです。僕に、いつも笑顔を振りまいてくれたから。だから、美月姉ちゃんがここを出ていくとき、すごく寂しかったです」吉沢は言った。「たかおが来たからね〜」園長が言った。「たかお?」竹中が言った。「ここにいた永瀬敬生という子なの。美月ちゃんの旦那さんよ」金沢はそう言い、四人に近づいて小声で「その子が園長の目を見えなくしたの。あなた達が聞きたがっている倉岡直也と何か関係があるのよ」言った。すると高山が勢いよく立ち上がり「倉岡直也のこと、知ってますか?倉岡直也のことが知りたくて、ここに来ました!」言い放った。その言葉を聞き、園長は体を硬直させ、目を見開きドクッドクッ心臓の音が高まり始めた。



 愁は村の路地に出た。雪はひらひら舞っている。人は歩いていない。暫く歩くと、丸太の看板で紅涙と書かれている喫茶店がある。愁はドアを開けた。チャランドアにかけられた鈴の音がなる。三段の階段を降り、店内に入った。愁は窓際に座り、低い窓から外を眺めた。「随分と久しぶりだね〜」愁が振り向くと髭を生やしたマスターが立っていた。マスターは愁を見て「いつものかい?」言った。愁は頷くと、マスターは歩き、カウンターを通って店の奥に消えていった。

 窓の外の雪は静かに降り続ける。ひらひらと、蝶が舞うように降り続いた。「寂しいね〜」その声が聞こえ、愁が振り向くとマスターがお盆にコーヒーをのせて立っていた。マスターはお盆の上のコーヒーを愁の前に出した。愁はまた外を見た。「静かですね。人も歩いていない」愁は言った。「雪は音を消すからね」マスターも外を見た。「マスター」呼んだ。「ん?」言った。愁はマスターを呼んだが、なかなか答えようとしなかった。そんな愁を見「何を考えている?」言った。「言いたいことが、あるんじゃないの?」また言った。愁はゆっくりと振り向き、マスターを見た。「昔、僕は一人の女の子を守れませんでした。その子は父親から虐待を受けていました。体にも痣が出来ていて、守ろうとしましたが・・・守れませんでした」マスターは愁を見ていた。「その子と再会したんです。結婚していましたが、旦那からの暴力が耐えなく、体中、顔にも痣があります」愁は俯きながら言った。「今も旦那の所にいるの?」マスターは聞いた。「いえ・・・今は父親の所に・・・」マスターの顔を見「あの時の父親じゃありませんから・・・」愁は言い、マスターは愁を見続けた。「大丈夫です。今はもう、大丈夫です」愁は言った。「本当にそう思っているの?」マスターは言った。「愁君、この雪を見て何を思う?」愁はマスターを見た。「この、低い窓から外の雪を見て何を思う?何かを思い出すためにここに来たんじゃないの?」愁は黙っていた。確かにそうだった。愁はあの思いを感じ取ろうとしていた。あの十二歳の時のような、真っ直ぐとした想いを───────

 「怖いんです」愁は言った。「怖い?」マスターは聞いた。「あの日の事が頭に過ぎります。あの、秋の日に起こった出来事が・・・」愁はまた俯いた。「僕の父親は彼女の父親に殺されたんです。その事実を知ったとき、僕は彼女も疑ってしまった。彼女から遠ざかった。守る事などしなく、僕は彼女から逃げたんだ」言った。「彼女はどんな子かは知らないが、父親が彼女を救ってくれると?」愁はマスターを見た。「虐待していた父親が、彼女に暴力を振るっている夫から救ってくれると?」マスターはまた言った。愁の肩に手を置き「守れるのは愁君しかいないんだよ。彼女もきっとそれを望んでいる。外の景色をもう一度見てみなさい」言い、愁は外の景色をまた見た。「何が見える?」雪がひらひらと舞っていた。人は歩いていなく、音はなく、静かに、静かに、雪はひらひらと降り続いた。愁の記憶の中で、その雪はあの日と重なり合っていく。あの、秋の、風吹く満月の夜。暗い部屋で、月明かりは流れ行く雲の狭間をぬって光り輝いていた。そこに、若き倉岡直也と橘恵子は対峙していた。「パパを・・・殺した?」小さな愁は意識を失いつつ、床に倒れながら二人を見た。その姿を見上げている美月の姿もあった。その美月の姿を見た。「パパを・・・殺した・・・」美月を見た。「パパを・・・殺した・・・」何度もその言葉が頭の中に過ぎった。怖く、怖く、美月を見て後退りした。その姿に美月は気づいた。「違う・・・違うの。私は知らない。何も知らないの」美月は愁の目を見て言った。愁は震え、肩を窄めて顔を横に振り続けた。「私を、信じて・・・」美月は悲しく、愁に救いを求め続けて涙流した。愁は放心状態に、美月の目を見てずっと顔を横に振り続けた。         

 雪はひらひらと舞っていた。愁にはあの日の想いが過ぎった。雪を見て、ずっと雪を見て、愁は掌を力一杯握り締めた。その姿をマスターは見ていた。



 霧が流れていた。辺りは薄暗くなってきている。倉岡直也は蝋燭に火をつけた。蝋燭立てを持って、直也は窓に近づき外を見た。霧は静かに流れ消え、雪がひらひらと降り始めた。「クリスマスだ・・・明日はイブだというのに、この村は何も変わらない」蝋燭を持ち、歩いて言った。その先のソファに美月は座っていた。少し、肩を窄めている。「美月、寒いか?」直也は聞くと、美月は顔を横に振った。「今、毛布を持ってきてやるからな」直也は言い、居間を出て、二階に上がっていった。美月は体を小さくして座っている。

 暫くして直也は毛布をもって戻ってきた。「これで暖まりな」直也は美月に毛布を掛けてあげた。すると美月は毛布にくるまりながら直也を目線で見上げ、微笑んだ。「ありがとう・・・」直也もその言葉を聞いて笑った。そして、美月の横に座った。「美月は綺麗になった。母親に似ている・・・」直也は独り言のように呟いた。その言葉を聞き、美月は微かに顔を(うごめ)かした。その時、小さな音が聞こえた。止まり、また音が聞こえた。ドアを叩いている。大きくはない。小さく、小さくドアを叩く音が聞こえた。直也が少し笑ったように見えた。すると、ゆっくり立ち上がり、玄関へと向かった。

 近づき、ドアを開ける。そこに、永瀬敬生の姿があった。直也は敬生の目を見て笑った。そしてまた、直也は振り返り歩き出し、敬生も家の中に入った。直也は居間へ入り、その奥にソファの上で毛布にくるまっている美月を目指して歩いた。美月は直也を見て微笑んだ。だが、その笑顔も消え、震えに変わった。直也の後ろに立っている敬生に気づき、毛布を握り締め、体中に震えが起こった。直也は近づいた。「美月、残念だ」美月は何を言っているか分からなかった。「時間なんだ・・・」直也は言った。敬生が歩き出した。近づく。美月は激しく震えだし、顔を何度も横に振った。敬生は近づき、美月の腕を掴んだ。「帰るぞ」言い、引っ張った。美月は抵抗した。だが敬生は腕を思いっきり引っ張って美月を立たせた。「嫌!」美月は毛布を持ちながら激しく抵抗した。「イヤー!」美月は抵抗し、敬生に引っ張り連れて行かれながら直也を見た。直也は美月のその姿を見ながら<美月・・・>歩き、美月は居間を出ていき、廊下を引っ張られて玄関を出ていった。<仕方ないことなんだ・・・>直也は玄関の入口からその姿を見ていた。美月は抵抗しながら敬生に引っ張られ、目の前に止まっている車に美月を押し込み、ドアを閉めて自分も車に乗り込み、走らせた。直也はそれを見ていた。



 子供達が廊下の部屋のドアの前に集まっている。「帰ってくれる?」声が聞こえた。クリスマスツリーの飾られた部屋で金沢、静江、竹中、国利、高山はいた。四人は金沢を囲んでいた。「突然立ち上がってあんな事を言うなんて!」金沢は怒っていた。「言ったでしょ!園長は彼奴によって視力を落としたって!」四人を睨みつけた。「園長に謝って!謝ってよ!」怒鳴りつけた。「そんな言いかたしなくても・・・」国利は呟いた。「何?」その言葉に金沢は国利を睨みつけた。「ごめんなさい」静江が出た。「謝って帰ります。でも、私たちも苦しいんです。昔のことを思い出します。あの日のことを・・・私たちは少しでも倉岡直也の事を知りたかっただけなんです」静江は懸命に言い放った。「とにかく謝って!」金沢は言い、歩き出した。静江も歩き出し、竹中は隣で俯いている国利の足を軽く叩いて歩き出した。顔を上げ、国利も歩き出し、高山も歩き出した。部屋を出ると、子供達が群がっていた。その間を通り抜け、リビングに入り、ドアを閉めた。子供達はまたドアの前に群がった。園長は車椅子に座っている。その両脇に橋本と吉沢がいた。静江が園長の前に立ち「先程はすみませんでした。・・・帰ります」お辞儀した。そして、竹中、国利、高山もお辞儀し、その横で金沢は頷いていた。四人は歩き出し、部屋を出ようとした。「ちょっと待ちなさい!」息が詰まったように苦しい声で言った。四人が振り向いた。「あの日・・・いたの?」園長が言った。「えっ」静江が言った。「あの事件の日・・・あなた達も美月ちゃんの家に・・・?」園長は言った。「はい・・・」竹中が言った。「席に座りなさい」園長が言い、四人はテーブルに座った。金沢はため息をつき、テーブルに座った。橋本と吉沢は園長の脇に立っていた。「橋本さんと吉沢君、リビングの外で子供達が群がっているからちょっと離して」金沢が言い、二人はリビングを出ていって、子供達を部屋の周りから離した。「あなたの声が大きいから、私の耳が遠くてもよく聞こえたわ」園長は言った。「すみません」金沢は言った。

「美月ちゃんは元気なの?」

 園長は言った。

「はい・・・あ!いえ・・・最近会って・・・」

 国利が言おうとしたとき、間をぬって高山が

「会いました。美月ちゃん、元気そうで・・・」

 言った。

「そう・・・よかった。」

 園長は微笑んだ。

「美月ちゃんが初めてきた日を覚えてるわ〜可愛らしくて、綺麗で、あの、青い目が瑞々しかった。・・・でも、彼女の体にはいくつかの痣があった。その痣を見たとき、私は美月ちゃんの目を見たの。さっきまで瑞々しく見えた目が、悲しく見えた・・・美月ちゃんの姿をこの目で見たのはそれが最後だったの・・・」

 皆、園長の話を聞いていた。

「それは、美月ちゃんの父親が倉岡直也だと知ったから・・・」

 園長は言葉一つ一つを吐き出すのが苦しそうだった。それでも息が詰まりそうに話し始めた。

「美月ちゃんはいつも一人だった。他の子供達とふれ合うことはなく・・・」

 その時、橋本と吉沢がリビングに入ってきた。

「ヨシちゃんかい?」

 園長が言い

「はい・・・」

 返事した。

「こっちへおいで」

 園長は言い、吉沢は園長の側に来た。

「この子はいつも私の世話をしてくれるの〜美月ちゃんとも仲良かったのよ〜」

 園長は吉沢の頭を撫でた。皆、少し微笑んで聞いていた。

「美月姉ちゃんは小さな僕の頭をいつも撫でてくれました。いつも窓際に座っていた。悲しい顔で・・・でも、僕が近づくと笑ってくれました。僕、知りたかったんです。美月姉ちゃんが、いつも窓際に座って何を考えていたか。だから『美月姉ちゃん、何を考えてるの?』って、聞いたことがあります」

 皆、吉沢を見ていた。園長だけ、耳を澄ませて聞いていた。

「そうしたら、優しく微笑んで、答えてくれました。『昔、お姉ちゃんを守ってくれた人を思ってるんだよ』って。確か、たちばな・・・」

「シュウ・・・」

 竹中が言った。

「そう!橘愁と言う人でした」

 吉沢は言った。そして、また園長は口開いた。

「私はね、悔やんでたの。美月ちゃんが来て、倉岡直也の娘だと知ってとてもショックを受けたの。そのショックから視力も失ってしまった」

「園長先生は、何故そんなにショックを受けたのですか?」

 静江が慎重に聞いた。本当は、倉岡直也との関係を率直に聞きたかった。だが、先程のことがある。園長の神経が高ぶらないように、遠回しに聞いた。だが、園長はその質問に返すこともなく話し出した。

「私は視力を失い、ここにも偶にしか来なくなった。美月ちゃんは変わらずに誰とも口をきかず、窓から外を見てた。ここに来て何年か立ち、思っても見ない人が来たの」

 園長は少し笑ったかのように見えた。その園長を皆は見ていた。

「敬生よ。永瀬・・・敬生」



 ひらひらと降る雪だけが見えた。暗く、明かりのない道を橘愁は走った。家々はなく、辺りの田園には雪が積もり始めた。愁は走り続けた。走り走って、倉岡直也がいる家へ向かっていた。

 遠く、影が見える。走り走って、その影は倉岡直也の家だ。愁は近づき、激しくノックした。何度も何度も何度もドアが開くまでノックを続けた。その時、ドアは勢いよく開いた。そこに倉岡直也が立っている。一瞬の沈黙があった。「愁君?」少し脅えたように涙を浮かべて直也は言った。「美月は?」愁は冷静に言った。直也は黙って愁を見た。「美月はどこ?」言った。「どこだ!」激しく直也の体を揺らして言った。「もう、美月はいないんだ」直也は涙を浮かべて言った。「何処へ行った!」愁は直也の体を揺すりながら聞いた。直也はまた少し沈黙をし、目から涙が流れた。「私はダメな父親だ。抵抗したんだ。だが、この足が言うことを聞かない。杖を落として、私も床に倒れた・・・」また沈黙があった。愁は目に涙を浮かべているように見えた。「あいつが来て、美月を連れて行った・・・」直也がそう言い放つと、愁は咄嗟に振り返り、走り出した。その愁が走っていく姿を、倉岡直也は見ながらニヤッと笑った。



 「ここを出ていって一度も顔を出さなかった敬生が、突然やってきたの。『仲間と一緒い暮らしたい』と」

 園長は一呼吸した。その園長を黙ってみんな見ていた。そしてまた、園長は息が詰まりそうに話し始めた。

「私は嬉しかったわ。あの敬生が帰って来たんだもの。一番心配していた子なの。ここにいた子達から、敬生は美月ちゃんを選んだの。美月ちゃんも敬生に引き寄せられた。私たちは信じられなかったわ。あの美月ちゃんが、初めて会う敬生に心を許すなんて・・・」

「私も覚えています。あの日のこと。若い男の子が突然やって来て、『仲間と一緒に暮らしたいです』って言ったの。玄関先で、初めて会った私にそう言ってきて、吃驚しちゃって、何のことか分からなくて戸惑っちゃった。でもその日、たまたま園長先生が来ていて、その声を聞いて永瀬敬生だって気づいたの」

 金沢が言った。

「それから何度も敬生はここに足を運んで、美月ちゃんと親密になっていったの・・・」

 園長が言い、金沢はあの日のことを思い出していた。あの、施設に真っ赤な夕日が射し込んでいた日。真夏の日。ドアが叩かれた。施設内は子供達のざわめきが聞こえる。「戸棚からお皿を出して」まだ若い姿の金沢はキッチンで言った。三人の小さな女の子がキッチンで動いていた。金沢はオーブンからスポンジケーキを取り出した。「今日は園長先生が来てるから、とびっきり美味しいケーキを先生が作ってあげる」屈み、横にいた子の耳元で言った。ドアが叩かれた。その女の子はその音に気づき「華先生、誰か来たみたい」言った。「あら、誰かしら」言うと「私見てくる」女の子は言い「お願い」金沢も言った。女の子がキッチンを出ていこうとしたとき「あ、ちょっと待って!やっぱり私が見てくるわ」女の子は立ち止まり、金沢はタオルで手を拭き、キッチンを出ていった。女の子はキッチンに戻った。

 リビングを出、廊下を歩き玄関に向かった。子供達は廊下で(たわむ)れたり、駆けずり回っていた。金沢は玄関のドアを開けた。そこに、若い男が立っていた。金沢はその男をジッと見て「何か?」訪ねた。男は黙っていた。それをジッと見ていた。すると突然男の子は顔を上げて「・・・仲間と暮らしたいんです」言った。訳が分からずにいた。「華先生、どうしたの?」数人の子供達が玄関に集まり聞いた。金沢は子供達の言葉には応えなく「君は、誰なの?」男の子を見て聞いた。皆、注目した。「ここにいました。昔ここにいたんです」言った。「どうしたんだい?」金沢や子供達が振り向くと、小さな男の子が園長の乗った車椅子を押して廊下を歩いてきた。「園長先生?」男の子は言った。「誰だい?」気づかなかった。「僕です!」男の子は目の前にいる金沢や子供達の間から、自分の顔が見えるように飛び跳ねて言った。「その声・・・たかお・・・敬生なのかい?」園長が言うと、男の子は金沢や子供達の間をすり抜けて、家の中に入っていった。「そうです!園長先生。久しぶりです」園長の前に来た。「どこだい。敬生はどこにいるんだい?」園長は言った。「先生!僕はここです」敬生は言った。「園長先生は目が見えないの」玄関のドアにもたれ掛かって金沢は言った。「えっ?」敬生は振り向き金沢を見た。「顔を近づけて私に見せてくれ」園長は言うと、敬生は顔を近づけ、園長は敬生の顔を手で探った。「大人になったわね〜」園長は涙を流した。

 敬生が園長の車椅子を押して廊下を歩いていた。その横を敬生と一緒に金沢も歩いていた。「そうなの。会社の寮から自立するために、一緒に住める人を捜してるの。そうなら歓迎よ。あなたなら安心して任せられるわ」園長は言った。車椅子は押され、一つの部屋の前を通りかかろうとしたとき、敬生は止まり、部屋の中を見た。そこに、その部屋の窓際に美月は座って外を見ていた。敬生は見た。その敬生を金沢は見ていた。美月は気配に気づき、振り向いた。「みつき・・・」確かに言った。敬生の口はそう言った。金沢はその姿を見ていた        

 「美月って言ったわ」金沢は呟いた。静江、竹中、国利、高山、橋本、吉沢は金沢を見た。

「あの時、敬生は美月って言ったの・・・・」 

 金沢はまた言った。

「親密になっていく敬生と美月ちゃんが一緒に暮らすことを許したわ。あの二人は兄妹のようなの・・・」

 園長があの頃を思い出し、優しく言った。

「兄弟?」

 静江はゆっくりと言った。



 敬生は美月の肩を抱き、ドアを開けて玄関に入った。そのまま長い廊下を歩き、リビングに出て美月を突き放し、美月はソファの上に倒れた。敬生はそのまま美月の上に乗って、激しくキスをし始めた。「美月、愛してる。何故お前はそんなに美しいんだ」激しくキスをした。美月はもがき、抵抗した。敬生は美月を押さえつけ、激しく、激しく、激しくキスをし、服を脱がし始めた。「やめて〜」苦しい声だった。「お前を愛してる。お前を誰にも渡さない!」敬生は上着を脱いだ。美月は激しく抵抗した。「何故なんだ!何故お前は抵抗する。俺のしていることは悪か?俺達は夫婦なんだ!誰も止めはしない!」美月をひっぱたいた。美月の記憶が一瞬過ぎった。あの日の満月の夜に父親にされたこと。「愛してる・・・」敬生は美月の下着の上から胸を押さえた。「やめて〜」力無く言った。美月の胸に顔を頬摺り、キスを体中にし、また顔に近づいた。「やめて〜」力無く言い、敬生は美月の唇に近づいた。また、記憶が、あの日の、満月の夜の記憶が美月の中で過ぎった。敬生の顔が、一瞬直也に見えた。「やめて!」大声と共に力一杯敬生を払いのけ、その勢いで美月はソファから落ちた。「何故そんなに嫌うんだ」敬生は立ち上がった。「何故そんなにも、セックスに拒否をする」美月は倒れたまま敬生を見ていた。敬生はゆっくりと美月に近づいている。美月は体を起こして、後退りした。「俺からは逃れられない。どんなことをしても・・・」美月は震え、後退りした。敬生はゆっくり美月に近づき、屈んで美月の目を見た。「知ってるぞ・・・」美月は敬生の目から逃れられない。「おまえ、倉岡直也とやったんだろ?」美月は固まり、敬生の目を見ていた。「父親とセックスしたんだろ?」敬生は笑った。美月は体中震え、その場から動けず、その恐怖に耐えられずに目から涙が出た。



 「可哀想な子なの。父親は女が出来て逃げて、母親が育てた。だけど、母親も病気になって死んでしまったの。それでここに来た。苦労してるのに、あの子は明るく元気だった。私たちはね、敬生に幸せになってもらいたかったの」

 園長はあの頃を思い出しながら言った。皆、黙って園長の話を聞いていた。

「夏が終わる頃、ここに養子を貰いたいと言う人が来たの。その人は子供に恵まれないまま、奥さんに先立たれた。生きる望みを失った自分に、生きる勇気をくれる子供が欲しいと言っていたわ。養子として、自分の希望を迎えたいと・・・それが、倉岡直也だった・・・」

 皆は顔を見合わせた。

「倉岡直也はたくさんいる子供達の中から、特に明るく元気な敬生を選んだ。敬生は学生服に学生帽を被って、秋の初めに、倉岡直也に連れられてここを出ていったの」

 静江の目には涙が溢れていた。園長は胸がいっぱいになっていた。目には涙を溜めていたが、それを抑えるために目を瞑った。胸が詰まって言葉が震えた。園長は息が詰まったような声で、言葉震えながらまた話した。

「それから数日後に美月ちゃんは来た。倉岡直也の娘の美月ちゃんが・・・」

 もう、耐えられなくて─────── 言葉が出なくて───────

「・・・ショックだった」

 園長は目を閉じながら涙を流した。



 美月の目は敬生から逃れられなくなっていた。敬生は美月を見ていた。「昔、俺は、お前に会ったことがある」言った。美月は震え、言葉を出せる状況ではなかったが、懸命に胸を抑えて震えた声で言った。「どこで?」敬生を見ていた。「美天村の路地だ。俺は学生服に学生帽で、お前の親父といた」敬生は美月を見ていた。「何故?」美月は苦しい声で言った。「さあ、何故かな?」敬生は美月を見続けた。「ただ一つ言えることは、お前は仕組まれた人生を送ってきたと言うことだ」敬生は美月を見ていた。その目にあの日の記憶が写り出す。学生服に学生帽を被った敬生が、路地を歩いていた。その隣には倉岡直也の姿があった。直也は立ち止まり、敬生も立ち止まった。直也は少し屈み、「今日から俺は、お前の父親だ。限りない愛でお前を支えよう。だから、お前は裏切らない愛で、俺を支えてくれ」言い、敬生が頷くと直也は頭を撫でて体を起こした。遠く、気配がした。敬生は振り向くと、そこにまだ幼い美月と愁の姿があった。「誰?」敬生は直也を見上げて言った。「さあな」直也は二人を見ずにそう答えて歩き出した。その記憶は敬生の目から消え、目の前にいる美月の姿が写った。「俺は見ていた。満月の夜の日」美月は強張った。「俺もあそこにいたんだ・・・」敬生は美月の目を見ていた。「俺は見てたんだ・・・」立ち上がり、美月は敬生の行動を追って見上げた。「奴は、俺に美月を愛せと言った。美月を愛し続けろと・・・」美月を見た。「俺の幸せを望んでか?俺の?・・・違う!奴は俺に偽りの愛を教えて、全てを自分のものにしようとした!」敬生は屈み、美月に顔を近づけた。「美月の愛を奪うために・・・」また体を起こした。「愛を知らない俺に、偽りの愛を教えた。初めからそうだったんだ。奴は自分に時間がないことを知っていた。だから俺を残したんだ。美月を手放さないように・・・」美月は震え、目に涙を浮かべた。「橘愁を殺せと言った」美月は目に力が入った。「奴は俺に、橘愁を殺せと言った。邪魔な橘愁を。お前が愛している橘愁を・・・」美月を見た。「俺は、殺す気はない」息が荒くなっていた声を落ち着かせて言った。「何故だ?どうしてだ?」笑った。「偽りの愛が、本物の愛に変わったからだ」美月に近づき、しゃがんで目を見た。「俺もお前と同じ、仕組まれた人生を送っていたというわけだ」また立ち上がった。「奴が邪魔だ・・・」そう呟くと、敬生は振り向き、リビングを出ていった。その行動を美月は目で追った。「止めて〜」震えた声だった。何度も何度も顔を横に振った。「止めて〜」固まった体を動かそうと懸命だった。手が震え、足が震え、それでも敬生の後を追おうと懸命に立ち上がった。「止めて!」そう言うと走り、リビングを出ていった。

 敬生は玄関を出た。そして車庫に向かい、門を開け、車庫の壁沿いにある赤い石油タンクを持ち、車のトランクを開けて入れた。落ち着いた行動だった。焦りを感じない。

美月は勢いよく玄関を飛び出した。辺りを見回し、敬生の存在を確認した。敬生はトランクを閉めるところだ。すると美月は走り、車庫に向かった。「止めて!」叫び、直也が車に乗り込もうとした時、腕を掴んだ。「行かないで」敬生は振り向き美月を見た。美月の目から涙が流れていた。「止めて・・・」美月の力一杯のお願いだった。その美月を敬生は振り払い、車に乗り込みドアを閉めた。美月は蹌踉けた体をすぐに立ち直らせて、窓を叩いた。「お願い!」叩いた。敬生は美月を見ることはなく、エンジンをかけた。「止めて!」窓を叩いた。そのまま車は車庫を出た。車を追い、窓を叩き続けたが、スピードが速くなって、車も遠ざかっていった。「止めて〜」美月は力無く言い、フラフラに歩き、とうとう地面に覆う雪の上に跪いた。雪はひらひらと美月を包むように降っている。



 愁は走っていた。薔薇山の木々の狭間走り抜けた。木々の間から霧は通り抜け、愁の周りを取り巻いた。<美月!美月!>愁はその想いを胸にただただ走り続けた。



 青いドアが開いた。そこから高山、静江、国利、竹中が出てきた。辺りは暗く、満月が輝いており、星がたくさん見えた。皆ドアから門まで歩き、高山は他の三人の顔を見「急いだ方がいいかも知れません」言うと、皆顔を見合わせた。「何かイヤな予感がする」高山は続けて言った。「倉岡直也は何を考えてるの?」静江は高山に言った。「分かりません。とにかく静江さん達は神霧村に戻ってください。そこには倉岡直也がいる。僕は紅髯町に戻ります。橘に会いに行きます」高山が言うと、皆頷いた。



 しおりは健太郎の側に座っていた。健太郎は静かに安らんでいる。酸素吸入マスクをつけて、酸素を吸う音が静かな病院に響き渡る。心拍モニターの波形も穏やかに流れていた。その音もまた、病院内に響き渡った。暗い部屋で、心拍モニターの表示画面から漏れる青い光だけが、しおりの顔にあたった。「けんちゃん」松永健太郎の顔を見て、少し笑った。「明日はイブだよ。町に出れば人はいっぱいいるの。クリスマスツリーも飾ってあるし、他にも色々といっぱい飾ってあるんだ。サンタさんの格好した人がチラシを配ってたり、中年のおじさんがおもちゃ売り場でプレゼントを選んでたり・・・ああ、そう!昨日ね、道を歩いていて、笑い声が聞こえたんだ。一軒家の洋風レストランからだった。窓から覗いてみると、カップルが楽しそうに笑ってた・・・」幸せそうに微笑んだ。「楽しそうだった・・・」微笑んでいた。その笑顔のまま、涙を浮かべた。そして、笑顔も消え、しおりは布団の中にある健太郎の手を取り、シッカリと握った。二人の背後にある窓から、ひらひらと降り続ける雪が見えた。



 美月はよれよれになりながら歩き続けた。一つのことを思い続けていた。「パ・・・パ・・・」そう呟きながら、ただ、ただ、歩いていた。ひらひらと降る雪が、美月には重くのしかかっていた。美月は歩き、斑と顔を上げると大きな公園の入口に辿り着いていた。公園の入口を入り、大きな樹木の狭間の道をゆっくり歩いた。ここには雪はあまりは入り込まない。ゆっくりとゆっくりとその道を歩き、やがて、大きな広場へ出た。その先に噴水がある。美月は立ち止まった。「けんたろうくん?」その広場を見つめて呟いた。そしてまたよれよれと歩き出し、噴水へ向かった。「けんたろうくん?」また呟いた。噴水を目指していた。美月は朦朧として遠くを見つめた。目には遠く、雪の上に俯せに倒れている健太郎がある。雪はひらひらと降り続け、健太郎の上に舞い降りていた。その健太郎に美月は近づいていた。



 激しくドアは叩かれた。「橘!」更に激しくドアを叩いた。薄暗い。一つの電球が光っていて、雑物が疎らに置いてある二階建てのアパートの廊下に高山はいた。「橘!」叫んだ。だが、応答はなかった。「橘!」叫び続け、ドアを叩き続けた。



 雪が降っていた。一つの光が動いている。その光と共に三つの影が動いた。「戻ってきたわ」静江の声だった。国利が懐中電灯を持っている。その後ろを竹中と静江が歩いていた。「何もないようだ」竹中が言った。「ええ」静江もすぐ返事をした。「もうすぐ、倉岡直也の家だよ」国利が言った。三人の前方に、家の影がある。倉岡直也の家だ。明かりはついていない。静かだ。誰も住んでいないように静かだった。国利は懐中電灯の明かりを家から避けるようにあてて歩いた。窓があった。窓から家の中は暗く、何も見えない。三人は黙って通り過ぎた。三人が通り過ぎた後、何も見えない家の中から、一点の光はつき、また消え、またついた。そこに、影が見えた。




 「明日は何日だ?」ガン太は窓の外を眺めながら言った。「二十四日。クリスマスイブね」芳井はテーブルで紅茶を飲みながら言った。その目の前の席で紅茶を飲んでいる唯が「何回目?」聞いた。芳井は窓の外を見ているガン太の姿を見て「六回」言った。「六回?六回も言ったの?」唯は驚いた。「ああ」ガン太を見ながら芳井は頷いた。「同じ言葉を六回。相当落ち込んでるね」窓の外を見ているガン太を見ながら「そんなに気にしてるなら、電話すればいいのに」芳井は言った。「電話できないんだよ。照れくさいんでしょ」唯もガン太を見ながら言い「まあな」芳井も頷いた。その時、ただ窓の外を見ていたガン太の目の色が変わった。ソワソワと動き始め、落ち着きがなくなり、顔の表情も柔らんだ。ガン太は部屋の入口まで歩き、また窓まで歩いた。そしてまた入口まで歩き、窓まで歩いた。その様子を芳井と唯は紅茶を口にしながら見ていた。「どうしたの?」芳井が聞いた。するとガン太は迫るように芳井に近づき「来た!来た!来た!」鼻から声を出してるかのように興奮していた。「来た?」芳井は立ち上がり、窓に近づいて外を見た。すると遠くから懐中電灯の光がここ、村役場の方に向かっていた。「静江だよ。静江が帰ってきた」ガン太が芳井の顔に近づいて言った。「でも光しか見えないよ。何で静江ちゃんだって分かるの?」芳井が言った。「匂いだよ」ガン太は言って入口に向かい、暫くそこに立ち竦んでまた、窓まで歩いた。「ガンちゃん落ち着いて座ったら?」唯が言うと「そうだな。落ち着こう」そう言って、芳井が座っていた席につき、目の前にある芳井が飲んでいた紅茶を飲んだ。「なあ、どうしたらいい。帰ってきて何て声かけたらいいんだ?」唯に聞いた。「普通にしてればいいじゃない。お帰りって言えばいいんだよ」唯が言うと「そうか、お帰り。お帰り!お帰り〜」練習を始めた。その時、ドアは開いた。そこから「ただいま」懐中電灯を持った国利が入ってきた。「ただいま」続いて竹中が入ってきた。「ただいま!」そして静江が入ってきた。静江を見た瞬間、ガン太は思わず目の前にある紅茶を慌てて飲んだ。そのガン太に静江も気づいた。「ただいま」笑って言った。「おう!」()ねたようにガン太は答えた。「どうだった?」芳井が聞いた。「うん、色々と探して最後に美月ちゃんのいた施設に行ったんだ。そこで色々と聞いて・・・」国利が言い、静江が間に入った。「倉岡直也のことがちょっと分かったわ。私たちは見逃してた・・・」そう言うとノートを出し、テーブルに広げた。皆、テーブルに集まった。「あの犯行当時のことしか書いてないかと思ってたわ。でも、倉岡直也は自分が出所してからのことも考えていた。復讐するためにね」静江はノートを捲った。



      八月三十一日

       少年に会った・・・


      九月一日

       学生服。学生帽。まだ幼さが残る純粋な少年。

       俺の愛を捧げよう。



 「少年?」唯が聞いた。「倉岡直也は美月ちゃんが施設に入る前に、その施設を訪ねてたの」静江が言った。「何のために?」芳井が聞いた。すると、静江はズボンのポケットから紙切れ三枚を出した。「これよ」皆がその紙に注目すると、その紙には何も書かれていない。その紙は(まっ)(さら)ではなく、インクで黒ずんでいた。「これが、何か?」唯は聞いた。「倉岡直也がこのノートをトイレのタンクに入れたのは、あの事件の真実を隠す為じゃない」静江は言い「どういうこと?」芳井が聞いた。すると静江はノートを閉じ「消す為よ!」言った。「消すため?」国利が聞いた。「私、ここに帰る途中、ずっと考えてたの」皆は静江を見た。「倉岡直也に時間がなかったのは事実よ。奴は今までの犯行をこのノートに書き残していた。捨てれば見つかる。燃やせばその灰が証拠となる。奴は考えたの。消すことをね」静江は皆の目を見た。「逃げることは考えなかったわ。何処に逃げても同じことは分かってた。亨ちゃんの事件も証拠不十分で釈放される可能性もある。奴は釈放されると動きにくくなることも考えてた。復讐するのにね。だから、美月ちゃんをレイプしたの。愛する美月ちゃんをね」皆俯いた。「これは事実なのか?」ガン太が聞いた。「正直、分からないわ。でも倉岡直也は亨ちゃんを憎んでた。その息子の愁ちゃんもね。美月ちゃんまでもが自分を裏切ったことに悔やんでた。あの日、あの満月の日、愁ちゃんが来るのを知ってた。わざと、愁ちゃんの前でレイプしたの。愁ちゃんの目に焼き付けるためにね」皆黙って静江の話を聞いていた。「奴は・・・倉岡直也は、ノートに書かれたある部分を消したかった。その消し方を考えてたの。それでタンクに入れた。水に浸かれば字は滲むわ。滲んでやがて消える・・・」言った。「ある部分とは少年の・・・」ガン太が言った。「そう・・・少年・・・永瀬敬生よ」静江が言うと、ガン太、芳井、唯は顔を上げた。「美月ちゃんの旦那だ」竹中は俯きながら言った。ガン太は静江の顔を見「何故?」言った。「このノートには永瀬敬生のことも書いてあったの。この後に計画された復讐のことをね・・・」静江はみんなの顔を見「・・・たぶんこの破られた紙三枚に、その復讐のこと、永瀬敬生のことが書いてあったんだわ。消しやすくするために、ノートから破ったのよ」また言った。「でも、まだ何もない」芳井は言った。「これからよ」静江が言った。「何で今まで何もなかったの?」唯が聞いた。「様子を見てたのよ」それに答えた。「俺達は、それに気づいたのに遅すぎたのか」竹中が言った。「いえ、遅くはないわ」静江が言い「どうするつもりなんだ?」竹中が聞いた。「やられる前に、やるのよ」静江は笑った。皆、その静江の姿を見ながら、その言葉の意味を考えた。



 愁は走った。白く染まった町。雪に覆われていた。家々の屋根や壁、止まっている車や道は雪に覆われていた。人々は商店街を歩く。「メリークリスマス!」サンタクロースの服装をした若者が鐘を鳴らしながら叫んでいた。「メリークリスマス!」鐘を鳴らした。愁は商店街を人々の間をぬって走った。ある中年男性は大きなプレゼントが包装された箱を持ち、玩具屋から出てきた。愁はその中年男性の前を走り去り、あるカップルはイタリアンレストランから食事を終えて出てきた。愁はその前も走り通った。人々の間をぬって走り、やがて人通りのない路地に出た。道の脇に路上駐車の車が列を作って止まっている。車は雪で覆われ、その物の色は分からなかった。愁はその道も走った。走り走り、公園の入口に辿り着いた。愁は公園に入り、大きな樹木が立ち並ぶ道を走り、そして広がった。その先に噴水がある。その噴水の前で誰かが地面に座っている。愁はゆっくりその道を歩きながら見た。<美月・・・>そこに美月はいた。松永健太郎が倒れていた場所に、美月は座り込んでいた。愁はゆっくり美月に近づき、しゃがんで美月を抱き寄せた。「神霧村・・・」美月は地面の雪を触れながら言った。「神霧村に行って・・・」美月は愁の顔を見、愁も美月を見た。



 車は走り抜けた。大通りを通り、狭い路地を突き抜けた。高山は焦っていた。何かが起こる予感がして仕方ないのだ。車を飛ばして美月の家に向かっていた。愁が家にいなければ美月に会いに行くはずだと確信していた。<橘・・・>路地を通り、大きな公園の入口に出た。高山はハンドルをきり、右に曲がった。また、アクセルを強く踏もうとしたとき、バックミラーを見た。二人の人が車と反対に歩いていた。一人が一人の肩を抱えている。高山はアクセルを緩め、ブレーキを踏んだ。車を止めて降り、遠く歩いている二人を見た。「橘か?」高山が訪ねると、二人は振り向いた。橘愁と永瀬美月だ。愁は美月の肩を抱えていた。「橘・・・」高山は二人に近づいた。「高山さん・・・神霧村まで乗せてください」愁は言った。「神霧村?」高山は愁を見て言った。「美月がそう言ってるんです」愁は高山の目を見て言い、高山は愁を見、横に俯いてる美月を見て「車に乗れ」言い、三人は車に向かった。



 暗闇に、一点の光がついたり消えたり。その光から、煙は上がった。そこに影がある。また、光はついたり消えたり。すると、カチッそんな音で炎が上がり、その炎は動き、止まった。そこからまた炎が上がり、辺りがほんのりと明るくなった。蝋燭についた炎は倉岡直也の顔を浮きただした。直也はライターの火を消し、銜えてあったタバコの煙が浮き上がった。タバコを灰皿に置き、目の前にあったバーボンを飲んだ。「もうすぐだ・・・もうすぐだ・・・」呟いた。「敬生・・・」また呟き、笑った。「愛しの敬生・・・」タバコを灰皿から取り、口に銜えた。「彼奴はやる・・・俺の愛を奪い返す・・・美月・・・美月・・・」タバコを吹かし、直也の顔に表情が消えた。「橘・・・愁・・・」そう言うと、咄嗟に置いてあるバーボンの入ったグラスを取り、勢いよく放り投げた。グラスは壁にあたり、割れて、中に入っていたバーボンと共に床に散らばった。直也の顔に、ヒシヒシと怒りが滲み出てきた。



 大音量でロック調の音楽が聞こえた。霧が渦巻く。もの凄いスピードで車が樹木の狭間を通り過ぎていた。永瀬敬生はハンドルを堅く握り、胸高鳴る音楽に踊らされて、自分の怒りは頂点に達していた。その興奮から堅くハンドルを握っていた手は震えている。車はもの凄いスピードで樹木の狭間を通り、やがて霧に包まれて消えていった。



「何があったんだ」

 高山は運転席から、バックミラーに写る愁と美月の姿を見て聞いた。

「分かりません」

 後ろの座席で美月を抱えながら愁は答えた。

「神霧村で何が起こるんだ」

 高山が言った。

「美月が言ってるんです。神霧村って・・・」

 愁はそう言うと、美月を見て

「なあ、そうでしょ?」

 言った。

「神霧村に向かってるわ・・・」

 美月が一点を見つめて話し始めた。

「誰がなんだ!」

 高山は思わず興奮して大声で怒鳴った。

「そんなに興奮しないでください」

 愁は言い

「美月、誰が向かってるの?」

 優しく聞いた。

「たかお・・・」

「敬生?」

「彼は・・・今、とても危険だわ・・・」

 その言葉を高山も愁も黙って聞いていた。

「高山さん、少し急いだ方がいいかも知れません」

 愁は言い、高山は頷いてアクセルを踏み込んだ。



 もの凄いスピードで車は走っていた。霧は渦巻く、樹木の狭間を流れるように通り過ぎた。山を下り、荒れ狂う道に車はバウンドしながら走った。霧は車を覆うように渦巻き、やがて、その霧も避けるように横に広がり消えていった。霧が消えると樹木も消え、雪がひらひらと降り、そこに暗闇の中に消えた村があった。ポツポツと家の影があり、そこに明かりがついていた。車はその山、薔薇山の麓の枯れ果てた薔薇畑の花壇の前で止まった。敬生は大音量でかかっていた音楽を止め、少し笑ったように見えるとまた車のアクセルを軽く踏んだ。車はゆっくりと進み、暫く進んでまた止まった。ライトを消し、エンジンを止めた。そして敬生は落ち着いた感じに車を降り、トランクを開け、中から赤い石油タンクを出し、トランクを閉めて歩き始めた。ゆっくりと、ゆっくりと歩く。数十メートル前に家の影がある。窓の中からほんのりとした明かりが見えた。敬生は石油タンクを持ち歩いて、暗く包まれた家の前に着き、石油タンクの蓋を開けて、家の周りにまき始めた。家の周りに石油を零しながら一周し、敬生はポケットからジッポを出した。ジッポの蓋を開け、火をおこした。その火の明るさで、敬生の顔が少し見えた。雪はひらひらと降り続いている。火のついたジッポを掲げ、「もう、終わりだ」そう言うと、腕を下げてジッポの火を地面につけた。すると、家の周りを取り囲むように火はついていき、燃え広がっていった。更に敬生は、近くに落ちている木の破片を取り、そこに石油を零して火をつけ、二階の窓へ投げた。また、木の破片を取り、石油を零して一階の窓に投げつけた。窓は割れ、その火はカーテンへ燃え移った。

 直也は立ち上がった。何が起きたのか分からない。直ぐさま杖を取り「何故だ!何故なんだ!美月!」叫んだ。

 敬生は木の破片を取り、石油を零して火をつけ、また窓に投げつけた。燃え広がる炎。火は徐々に広がりを見せていた。

 直也は咳き込んでいた。あまりにも突然のことで方向を見失っていた。自分の逃げ場を見つけるのに彷徨っている。カーテンが燃えている。直也はその燃えているカーテンの窓から、燃え広がる炎の中からその人物が見えた。炎の狭間から嘲笑うように見ている敬生の顔があった。「裏切ったな〜!」その怒りから後退りし、テーブルにぶつかり、そのテーブルに乗っていた蝋燭も倒れ、床に落ちた。直也は慌て、玄関へ行ったが炎が囲い、台所も炎が囲い、二階に駆け上がったがすでに炎が囲いきっていた。「美月!美月!」叫んだ。



 霧が渦巻いている。ヘッドライトの光がぼやけていた。樹木は流れるように過ぎていた。「もうすぐ神霧村だ」高山は目を見開いて運転に集中しながら言った。愁は美月を抱えて後ろの座席に座っていた。<何かが起こる。何かが起こる>その緊迫感が漂っていた。流れる樹木。美月を抱えながら窓の外を見ていた。その時、枝に赤いリボンが結ばれた樹木を通り過ぎた。うっすらとした霧の中から湖が見える。青々と茂った草、青々とした葉をつけている樹木。大きな岩が湖を見つめるようにある。大きな湖から青い光が放っている。その青々と茂った草の上をまだ幼い橘愁と倉岡美月は手を繋ぎながら湖に向かって歩いていた。

 愁は車の後部座席から流れる樹木と、流れ行く霧を見て、美月を力強く抱えた。「ここから山を下る。道が悪くなってるから気をつけて乗ってろよ」高山はそう言った。高山の言うとおり、道は悪くバウンドしながら車は山を下った。ヘッドライトの光はぼやけてあたる。霧が渦巻き視界を邪魔した。高山はそれでもスピードを落とさずに車を進めた。車は激しくバウンドする。やがて、霧は避けるように消え、樹木も消えた。そして、雪がひらひらと降っている。そこに、暗闇に消えた村があった。高山は薔薇山の麓、愁の家の枯れ果てた薔薇の花壇の前に車を止めた。花壇に雪は積もっている。小さな風車が寂しげに回っている。高山は村を見渡した。遠く、明るく見える。「火・・・火事だ!」高山はそう言うとアクセルを踏み込んだ。その言葉に愁は前に屈み、美月は俯いていた顔を上げ「パパ・・・パパ・・・」言った。



 「おまたせ〜」ガン太がエプロンをつけて台所から出てきた。「今日は、ガン太特性の高級ピラフを作ってみました〜」お盆に乗せ、テーブルに運ぶ。そのテーブルには竹中、国利、芳井、唯も座っている。そして静江も座って待っていた。「あんたが料理するなんて初めてね」静江はテーブルに肘をつき、笑顔で言った。「僕が教えたんだよ。でも、どんな料理になってるか・・・」唯は冗談かますように、ガン太を心配そうに見た。「バカ!俺は料理うまいんだよ。若い頃はよくやったよ。もっといろいろ出来るんだけど、みんなが食べなれてるピラフを作ったんだよ!」少し唯の言葉にムキになって答え、それぞれの前に置いた。「ピラフ!ピラフ!ピラフ!いつも俺達はピラフだな!」芳井が叫んで言った。「お前、このピラフはただのピラフじゃない!俺が作ったピラフだ」ガン太は叫び、芳井は一口食べた。「本当だ、ただのピラフじゃない・・・まずい!」すると芳井は立ち上がり、台所に走っていった。「おい!吐くのか!俺に失礼じゃないか!」叫んだ。その姿を静江は見て微笑み、斑と窓を見た。窓の外が少し明るく感じた。静江の顔に笑顔が消え、静かに立ち上がった。「どうした?」竹中が聞いた。「何か、外が明るくない?」静江は言うと、窓に近づいていった。その静江を皆見ていた。静江は窓から外をジッと見る。遠く、家が燃えている。「火・・・火事・・・」静江は呆然と言った。「え?」竹中が答えた。「火事!倉岡直也の家に火がついてるわ!」静江が叫び、竹中、国利、唯は窓にしがみついた。ガン太はその場に立っていた。芳井は台所で吐いている。「唯ちゃん、消防車呼んで!」また静江は叫んだ。「消防車なんてここじゃ来るのに三十分はかかる!」唯も叫び「いいから呼んで!」静江も叫ぶと、電話に飛びついた。「何か消す方法ない?」静江が言うと「消化器は?」国利が言った。「消化器じゃ全然ダメ!他は?」静江が叫び「水!バケツに汲んで持っていくのは?」また国利が言った。「あんな距離まで水を?無理だわ」静江が叫んだ。「じゃあ、バケツを持っていって積もった雪で消そう!」竹中がいい「それよ!コクリン!消化器ももっといで!」静江が叫んだ。「電話した!」唯も叫び、静江は部屋を飛び出し、竹中、国利も飛び出した。「ヨッシー!」唯も叫んで部屋を出た。芳井も台所から顔を出し、そのまま気持ち悪そうにみんなの後を追った。ガン太だけ立ったまま「ちょっと・・・」そう言い、目の前にあるピラフを手に取り皿に乗ったピラフを見ながら窓に近づいた。そこから窓の外を見、ガン太の顔に遠く燃えている炎の影が写ったように見えた。



 逃げ場を失っていた。「みつき〜!みつき〜!」倉岡直也は叫び続けた。炎は家を取り囲むかのように燃えている。直也は逃げまどった。窓ガラスは割れる。家の柱、ソファやテーブル、あらゆる物に炎は燃え移っていた。直也は立ち竦み叫び続ける。「奴か!橘愁だな!奴が俺をこんな目に遭わせてるのか!」柱は崩れ始めた。「ハハハ!こんなもので俺は終わらん!これがおまえの考えていたことか!おまえは父親と同じだ!裏切り、愛を奪い続ける!おまえの父親の死ぬところを見せたかった!赤ん坊のようにヨチヨチと俺にしがみついてきたんだ!ハハハ、俺は殴ったよ!その顔がむかついてな!」笑い転げ、叫び続けた。

 その声を聞いていた。薄らと笑ってた。敬生は木の破片を手に持ち、火をつけて掲げて家の周りを歩き回っていた。「おまえは終わりだ。もう、終わりなんだ。美月は俺が守る。

お前と違うやり方だ。正当なやり方だ。俺は愛を試したくなった。本当の愛だ。橘愁が、お前から美月を奪ったように、俺は、橘愁から美月を奪ってみせる!」

 車はスピードをあげた。道が悪くてガタガタと揺れ始めた。高山は堅くハンドルを握っていた。愁は車の揺れに耐えて美月を抱えていた。美月の体は激しく震えていた。敬生の止めた車を越えた。美月は、美月だけがその敬生の車に気づき、震えながらその過ぎゆく車を目で追った。ガタガタと激しく車は揺れる。高山は燃え上がる家を目指し、アクセルを深く踏んだ。家に向かう。そのスピードで滑り始めた。「パパ・・・パパ・・・」美月は呟いた。車は大きく滑り始めた。高山はその車を正そうと、ハンドルを堅く握り操作している。ハンドルを正そうとすればするほど車は滑り、そして車はスピードを増したまま、道を外して雪の積もる田園へ落ちていった。

 「キャー!」美月は叫んだ。車は田園へ落ち、止まった。高山はハンドルからエアバックが飛びだし、保護されたが動く気配はない。愁は運転席に強く頭を打ち、気を失っていた。美月はその落ちた反動で後頭部を強く打ったが、頭を押さえ、ドアを開けて車を降り立った。「パパ・・・」

 直也は煙に巻かれていた。「敬生、何故裏切る。俺はお前を助けたじゃないか。一人だったお前を・・・」咳き込んだ。「橘愁か!何を吹き込まれた!」咳き込み、叫んだ。その煙に苦しみ、杖を落として咳き込みながらしゃがんでいった。

 車を降り立ち美月はフラフラになりながら走り「パパ!」叫んだ。その声に、車で気を失っていた愁は気づいた。「み・・・つ・・・き・・・?」頭を押さえ、ゆっくりと体を起こした。「美月?」車の外を覗くと走り向かう美月の姿があった。「美月!」愁は叫び直ぐさまドアを開け、車から降りたった。美月は炎に包まれた家に向かって走っていた。「美月?」愁はその後ろ姿を見て立ち竦んだまま「何で・・・」言った。分からなかった。何故美月は走るのか。父親を叫び、炎の家に向かうのか。分からない。

だが、美月を助けなければ─────── 橘愁は炎に包まれた家に向かった。

 「パパ!」美月は叫び走る。「美月?」その声に直也は気づいた。炎に囲まれて(うずくま)っている。「美月、美月なのか!」顔を上げ、立ち上がろうとしたが立ち上がれない。「パパ!」声が聞こえた。「美月!助けてくれ!お前のパパじゃないか。また一緒に暮らそう!楽しく!あの頃のように・・・」炎に囲まれ、もう逃げ場はない。杖も何処かにいってしまった。直也は自力で立ち上がろうとしていた。「美月!」叫んだ。

 高山はエアバックに顔が埋まっている。「み・・・つ・・・き・・・?」叫び声が聞こえたように感じた。ゆっくりと体を起こし、慌ててドアを開けて車を降り立ち炎に包まれた家に向かっていった。

 炎の家に向かっている人は他にもいる。バケツを持ち、消化器を持って走り向かっている竹中、国利、静江、唯、芳井の姿がある。少し遅れ、エプロン姿のガン太も向かっていた。

 敬生は手に持っている火のついた木を掲げ、笑っている。「パパ!」声が聞こえた。敬生は振り向くと美月が懸命に走って向かってきている。敬生は少し歩み寄ろうとした。美月は近づいてくる。敬生は炎に埋もれた玄関に向かう美月に、走り体を抱くように止めた。「パパ!」美月はもがき、敬生に抵抗して体を激しく動かした。「パパ!」また泣きながら叫んだ。「何故彼奴を助ける!あんな父親を!」敬生は美月を抱き抱えている。「パパなの。私のパパなの」美月は落ち着いた感じにそう言い、敬生は抱き抱える力を少し緩めた。「私の・・・パパなの!」その瞬間、力強く敬生を突き放し、美月は敬生の手から放れ走っていった。敬生は突き放された勢いで体勢を崩して家へと蹌踉めき、炎が敬生の目の前を覆い、体が炎に埋まった。そこから勢いよく逃れると、体に炎が覆われたまま「うわぁぁぁぁぁぁ!」激しくもがき叫びながら走り、暗闇の中に消えていった。

 美月は走った。倉岡直也を助けるために。「美月!」叫び声が聞こえた。「パパ!」走り続け、炎に向かう。「みつき〜!」直也は叫び、炎の中に入り込もうとした瞬間、美月の手が取られた。引っ張られ、振り向くと美月の腕を掴んでいる愁の姿があった。愁は美月を見ていた。美月も愁を見た。愁は落ち着いた表情で顔を横に振り「美月、行こう・・・」そう言い美月の手を引っ張り、それに美月も納得したように二人は走った。

 高山は炎に向かいながら、その場から立ち去る愁と美月の姿を見た。「橘!何処へ行く!」立ち止まり、手を広げて大声で叫んだ。その言葉に愁は気づかずに走り去った。

 炎に囲まれている。「美月!」叫び続け、家の柱は倉岡直也の上から崩れ始めた。

 高山が立ち竦んでいる横を、竹中、国利、静江、芳井、唯、少し送れてエプロン姿のガン太が通り過ぎた。唯と竹中は消化器を炎の家に向けて放った。静江、芳井、国利、ガン太はバケツで地面の雪をすくい上げて炎の家に放った。

 高山は立ち竦み、愁と美月が走っていった方向を見ている───────



 霧は渦巻いている。樹木が立ち並び、地面からその根っこは飛び出ている。静かだ。ガサガサと音がした。生えきった草を掻き分ける音。誰かがやってくる。ガサガサと音は聞こえ、そして、草は掻き分かれた。

 青々とした湖。大きな岩。霧は静かに流れている。草の中から飛び出し「うわぁぁぁぁ!」顔を押さえて走った。湖に向かう。「うわぁぁぁぁ!」激しく叫び、湖の岸で立ち止まりしゃがみ、ゆっくりと顔を押さえていた手を離して湖の中に覗き込んだ。声を出したくても言葉が出ない。もう、自分の顔ではない。焼き爛れて、敬生の顔は何処かに消えた。震え、初めて恐怖が自分の中で過ぎった。顔は熱く、ヒリヒリと弾けるぐらいに痛い。手は震え、ゆっくりと手を伸ばして水を掬い、顔に覆った。「うわぁ!」激しい痛みと激しい熱さ、激しい苦しみが敬生を襲った。水を覆ったとき、顔から煙が立ち込めた。「うわぁぁぁぁ!」もがき苦しみ、顔を手で押さえて転げ回った。『カコ〜ン』音がする。敬生は苦しくその痛みに耐えられずに、叫び続けながら転げ回っていた。『カコ〜ン』音がする。カコ〜ン、カコ〜ンその音は近づいてくる。敬生はもがき苦しみながらも、その音に気づいた。『カコ〜ン』敬生は激痛に耐え、顔を押さえていた手を取り、地面に下げて音のする方を見る。『カコ〜ン』それは湖の上からだ。『カコ〜ン』霧は湖の上を流れる。その霧に黒い影がいくつか写る。敬生はその影を脅えながら見ていた。『カコ〜ン』その影は徐々に大きくなっていく。「来るな・・・」震えていた。「来るな・・・」脅えている。「来るな!」叫び、その影は近づいてくる。やがて霧からそのものが現れた。「誰だ・・・」脅えている。そして敬生の目は見開き、その者が見えた。「違う・・・違う・・・」震え、しゃがんだまま後退りした。霧の中から敬生が・・・湖の上を歩き、焼き爛れた顔の敬生が四人、歩き近づいている。「違う・・・」震え「違う!」叫んだ。焼き爛れた顔の敬生は脅える敬生に近づいていく。敬生は震え、後退りをしながら「違う!」叫び続けた。

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