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第二部 第三十章

 雪はひらひらと降る。辺りは明るくなっていた。人も疎らに歩き始め、橘愁は薄暗く光が入り始めた部屋にいた。昨日の夜と同じ場所に座っている。眠れず、ずっと考えていた。美月のこと、健太郎のことを──────

 外は雪。人は疎らに歩いている。そこに愁のアパートを見上げる倉岡直也の姿があった。



 キッチンから音がする。俎板(まないた)を叩く音だ。敬生は階段を降りた。そしてリビングへ向かい、テーブルの椅子に腰をかけた。

 奥のキッチンから美月はお皿に載せたトースト二枚と、器に盛ったサラダを持ってテーブルに置いた。

「どうした。顔色がいいじゃないか」敬生は美月の顔を見ていった。「そうかしら?」そう言うと少し笑って、またキッチンに戻り、すぐにバターとイチゴジャム、そしてコンソメスープを持ってまたリビングに戻り、テーブルに置いた。「いつもと変わらないわ」言ってテーブルの椅子に座り、敬生を見て少し微笑んだ。敬生は一枚トーストを摘むと、美月を見て囓った。



 チャイムが鳴った。部屋のチャイムだ。橘愁は立ち上がり、玄関に向かってドアを開けた。そこには杖で体を支えている倉岡直也の姿がある。「朝早く、ごめん・・・」愁は直也の顔を見ると、そのまま部屋の奥へ歩いていった。直也は玄関に立っていた。愁は振り返り、直也の姿を見ると「上がれよ」言った。直也はドアを閉め、部屋の中に入っていった。「昨日、美月にあったのか?」直也はそう言いながら、窓を開けて外を見ている愁に近づいて言った。「ああ・・・」愁は頷いた。「・・・で?」直也は愁に一歩近づいて、愁の言葉を待った。「いつものように公園で待ち合わせたんだ。そこに美月はサングラスをかけて現れた。僕は・・・何か言葉をかけてからの方がよかったけど・・・僕は・・・すぐに、サングラスを取った」直也は静かに愁を見ていた。「痣があったんだ。目の周りに青々とした痣が・・・上着を少しはだけると、胸や肩にも痣が・・・」直也はその場にしゃがみ、俯いた。「私が悪いんだ・・・私が美月をそんな運命にした・・・」俯いていた。「美月は話してくれた。夫、敬生のことを・・・匂いがすると言ってたよ。あなたの匂いが・・・」愁は直也を見た。「私の?」直也は顔を上げ、愁を見た。「ああ、あの事件が起こる前のあなたの匂いだ。そこに美月は・・・惹かれたんだ・・・優しくて・・・楽しくて・・・初めての恋だった」直也を見ていた。「・・・結婚するまでは。結婚して、変わったんだ。・・・暴力を振るうようになった」直也は愁を見て、瞬きも出来ずに目に涙を浮かべて、また俯いた。「何て事だ・・・」愁はそんな直也を見て、また落ち着いて話した。「それでも美月は・・・自分が悪いと言ってるんだ」愁は口許に力を入れ、涙を浮かべて話した。直也も目を見開いて涙を浮かべて愁を見た。「あんな酷いことをされても、自分が悪いと・・・僕は・・・抱くことしかできなかった・・・」直也は涙を浮かべ、力一杯に口を振るわせていった。「美月は・・・どうしたんだ?」愁は直也の目を見て、暫く置いてから口を開いた。「今の家に帰った・・・自分の家はあそこだと・・・僕は・・・どうすることも出来なかった・・・」直也は愁を見ていった。「愁君・・・守ってくれ・・・美月を・・・守ってくれ・・・頼む・・・愁君しかいないんだ」愁はその直也を見て、口を開いた。「会わないか・・・今度・・・美月と会わないか・・・」直也は驚き、愁をジッと見ていた。



 二階の部屋。敬生はクローゼットの中からワイシャツを出して着て、ボタンを閉めた。敬生の側に美月はネクタイを持ちながら立っていた。「今日、遅くなる」敬生は言うと、美月からネクタイを取り、横にある鏡を見て締めた。そしてズボンを取り出して履き、ジャケットを着た。そして美月がネクタイを整えてあげると敬生は部屋を出て階段を降り、玄関へ向かった。すぐに美月は鞄を持って敬生を追った。敬生は靴を履くと、美月から鞄を受け取った。「今日は夕食はいらない。あと、キチンと掃除しておけ。埃一つ残すな」そう言うと玄関を出た。「いってらっしゃい」美月は言った。敬生の行動はいつもと変わらなかったが、美月の心は安心感に満ちていた。



 複数の電話のベルが鳴っていた。慌ただしく動く人々。電話に出てる者、雑誌を読む者、パソコンを打つ者、個々に話す者や個室で会議する者の姿があった。松永健太郎はパソコンに書類を打ち込んでいた。ここは恋酔出版社、九階、恋愛大衆編集部。「松永」その声に健太郎は振り向くと、そこに高山が立っていた。「今日、彼女来るんじゃないのか」少し微笑んで「ええ」健太郎は答えた。「どうした、元気ないな」高山は言った。「いえ、何でもありません。彼女、今日ちょっと遅くなるんです」健太郎は言い、高山は頷いて「どこか行くのか?」言った。その言葉に健太郎も答えた。「まだ考えてません。ただ、クリスマス一緒に過ごせないので、今日夜二人のクリスマスを過ごそうと思います」健太郎がそう言うと、高山は微笑み「若いって言うのはいいもんだ。恋をすれば素敵に見える。昔、俺もそんな時があった。松永、今日は早く帰っていいぞ。ゆっくり二人の時間をつくれ」言った。「ありがとうございます」健太郎が言うと、高山は歩いてまた自分のデスクに戻った。その時、健太郎のデスクの電話が鳴った。「はい、恋愛大衆編集部」取った。「あ、しおりちゃん?」健太郎が言うと、受話器から声が漏れてしおりの声が聞こえてきた。

「けんちゃん?大丈夫?愁に謝った?」

「いや、まだ・・・」

「そうだと思った。けんちゃんそういうとこダメなんだから。早く謝った方がいいよ」

「ああ、分かってる。でも・・・」

「・・・でも?謝りにくいんでしょ。素直になった方がいいよ。後で自分が後悔するから。分かった!しおりと一緒に謝りにいこ!今日、ちょっと遅くなるけど、ねっ、謝りにいこ!」

「ありがとう」

 健太郎は言った。



 教会から透き通ったような歌声が聞こえてきた。道行く人はその美しい歌声に立ち止まり、教会を見上げる。美月もその一人だった。ただ美月はリビングのソファに座ってその歌声を聞いていた。

 音がする。ドアが閉まる音だ。その音が聞こえると、廊下を駆けてくる音がした。「敬生?」リビングに花崎志帆が顔を出した。「あら、あんたいたの。敬生は?」美月に聞いた。美月は志帆が突然現れたことに驚き、すぐさま言葉が出てこなくて首を横に振った。「あんた、敬生をどこにやったの?」そう言うとリビングから離れ、「敬生?」そう叫び、寝室を見、二階に上がり各部屋を見渡して「敬生!」叫んでまた階段を降りてリビングに戻った。「どこ行ったのよ!最近会ってくれないのよ。ねえ、あんた何か知ってるんじゃない?他に女がいるんじゃないかしら。私は敬生と毎日会ってないとダメなのよ。もし女がいるんだったら許せないわ」壁を足で蹴り、リビングを出ていった。そして、ドアが閉まる音がした。

 美月はリビングのソファに座っている。教会からの歌声は美しく響いていた。



 松永健太郎はデスクの上に鞄を置き、中に書類を詰め込んで鞄を締めた。「お先に失礼します」健太郎が言うと「おう、お疲れ!松永!いいクリスマスを」デスクに座っていた高山は健太郎に親指を立てて笑顔で言った。「はい!」健太郎も笑顔で答えると、人々の間を通って九階のフロアーを走り、エレベーターホールへ行き、下りボタンを押して待った。チンその音と共にエレベーターの扉は開き、健太郎は乗り込んだ。

 そして一階に辿り着き、エレベータから降りると鞄を抱えて走り、ロビーを通って外に出た。恋酔出版社のビルを後に走っていった。

 人々の間を駆けめぐる。雪はひらひらと舞った。傘をさす者ささぬ者。サンタクロースの服装でチラシ配りしている者。数多くの商店が並ぶ。町はクリスマスの音楽が流れて飾りも派手になっている。もう夕刻。人は多くなっていた。その中を健太郎は走ってると、一つの店の前で立ち止まった。ガラス張りの店を覗くとケーキが並べられている。洋菓子店だ。健太郎はその店の扉を開け、中に入った。「いらっしゃいませ」若い女の店員が立っていた。その店は二席の丸テーブルがあり、そこでケーキを食べれるようになっていた。二人の女性客が一つの丸テーブルでケーキを食べながら紅茶を飲んでいる。その横の保存庫にケーキは並べられている。そのケーキを覗きながら健太郎は言った。「あの〜クリスマスケーキあります?」すると女の店員は「申し訳ありません。クリスマスまでまだ数日あるため店頭には置いてありません」言った。「そうか〜じゃあ、そこにある丸形のイチゴがいっぱい乗っているショートケーキの上のチョコレート板に『メリークリスマス』って入れること出来ます?」健太郎が言った。「はい、出来ます」店員は言った。「じゃあ、それ文字入れてください」健太郎が言うと「はい、この三千五百円の丸形ケーキでよろしいですね」店員は確認のためにもう一度言った。「はい」健太郎が答えると、店員は保存庫から丸形ケーキを取り出して、店の裏のキッチンにそのケーキを持っていった。キッチンはガラス張りで、店内から作業する姿が覗けた。

 暫く健太郎が店内で待っていると、女の店員はキッチンから丸ケーキを持って戻ってきた。チョコレート板に『Merry  Xmas 』と書かれている。「こちらで、よろしいでしょうか」店員が言うと「はい」健太郎は答えた。

「ありがとうございました」女の店員は言った。そして健太郎は、箱に詰まったケーキを持って店を出た。また商店がたくさん並ぶ道に出る。雪はひらひらと降っている。クリスマスの音楽も聞こえてくる。健太郎は人々の間を潜りながら鞄を抱え、ケーキの箱を持って歩いた。そして商店が並ぶ通りを過ぎていくと人も少なくなり、商店の明かりも遠ざかって街灯が乏しく道をあてた。そして大きな公園に入っていった。樹木が立ち並び、乏しく電灯がその道をあてる。雪は疎らに舞った。人の気配はない。その道を歩き、大きな凍り付いた噴水に出た。雪はまたひらひらと降り始め、その道も通り過ぎた。

 そして路地を通り、雪が被った丸太の看板がある喫茶店に辿り着いた。その看板には雪が塗してあったが、微かに紅涙と言う文字が見えた。ドアを開け、三段の階段を下って店内に入った。「マスター!コーヒー粗挽きで」店内にはマスターはいなかったが、健太郎は裏にいるマスターに聞こえるように、大きな声で言った。その声を発しながら入り口にある棚からスポーツ新聞を取って、店の端の低い窓から外が見えるテーブルについた。「マスター、ちょっと人を待つから長くいるよ!」叫んだ。そして新聞を広げ、上着のポケットからタバコを一本取って、口に銜えてライターで火をつけ、一つ吹かした。



 汽笛の音が響いた。山の狭間にうねりを上げて、黒い煙を靡かせて走っていた。雪は降る。すでに村の明かりはついていた。

 傘を閉じて竹中と国利は村役場の玄関を入っていった。そして暗い廊下を歩き、一つ明かりのついた部屋に向かっていた。

 静江は黒板台の横で立っていた。ガン太と芳井もいた。二人はテーブルに向き合いながらカードゲーム、『スピード』をやっていた。その時ドアが開き、竹中と国利が入ってきた。「二人とも遅いわ!」静江が言った。「おう!やっと来たか」ガン太が竹中と国利の方に向いて言っていると、芳井はそのすきに、全てのカードをテーブルの真ん中に置かれた、二つのカードの束に置き「上がり!」声を発した。「あ!きったね」ガン太が慌てて言った。「スピードって言うゲームを知ってんか?相手より先にカードを出しきった方が勝ちなんだぞ」芳井が得意げに言った。「よし!じゃあみんな集まったわね」静江が言うと、竹中は席につきながら「唯がいない」言った。「え?唯ちゃんはどこ行ったのよ!」静江は怒鳴った。「ああ唯ね、さっき見回りにいったよ」芳井が落ち着いた口調で言うと「何で見回りに行くのよ!全然集まらないじゃない!大体村長になって、いつまでも管理人みたいなことをしてるんじゃないのよ!」静江は怒鳴り、ガン太と芳井はまたカードゲーム『スピード』を始め、それを竹中と国利は見ていた。



 橘愁は背広姿の人が多く歩く、オフィス街のビルとビルの狭間を歩いていた。雪は降り、みんな傘をさしていたが、愁に傘はなく、人々の間を潜りながら歩いた。雪はビルの狭間をひらひらと降り続き、愁は静かに立ち止まってゆっくりと空へ顔を上げた。



 教会から美しい歌声が聞こえた。その歌声に立ち止まり、教会を眺める者もいる。十字架は雪の傘を被りながら静かに光り、その下のマリア像は優しく微笑むかのように辺りを見渡した。永瀬美月は二階の窓から教会を見ていた。十字架の光に心を落ち着かせ、マリア像の優しさに母親を思い、教会から聞こえる歌声に酔いしれた。



 声が聞こえる。二人の男の声だ。

「久しぶりだな・・・」

「ああ・・・」

「美月は、どうしてる?」

「元気だ」

「順調か?」

「ああ、順調に進んでいる」

 男の口許は笑っていた。

「順調に、可愛がってるよ」

 低い窓から雪がひらひらと降るのが見えた。人々が疎らに歩く足元が見える。階段を三段下った低い喫茶店だ。店内にはマスターはいなく、客は男二人に新聞を読んでいる者が窓際に座っていた。二人の客は新聞を読んでいる客と少し離れて座っている。一人の男は立ち上がり、前屈みになって男の耳元に近づいて静かに口を開いた。その座って言葉を聞いているのは永瀬敬生──────

「橘愁を、殺せ・・・」

 男はその言葉を発すると、静かにまた座わった。その男は、倉岡直也だ。

「橘愁が現れた。予想外だ。あの男は邪魔だ・・・」

 倉岡直也が言った。その言葉に敬生は一本タバコを取り出し、火をつけて吹かし、倉岡直也の目を見て言った。

「なあ、一つ聞きたい。何故、橘愁をそこまで憎むんだ?」

 直也は一つ間を置いて、静かに答えた。

「奴は、俺の愛を奪った」

 敬生はまた、タバコを吹かした。

「もう一つ聞きたい。何故、美月をそこまで追いつめるんだ?」

 直也は敬生を見た。

「あいつは、その愛を裏切った」

 低い窓からは、静かに雪がひらひらと降り続くのが見える。人も疎らに歩く。店内は静かだった。灰皿にタバコは数本消されていた。テーブルにあるコーヒーは飲み干されている。静かに新聞を読んでいた。だが、微かにその新聞も揺れている。そこに、松永健太郎は座っていた。目を見開き、体全体がその恐怖に微かに震えていた。



 扉が開き、唯が入ってきた。「やっと帰ってきた!」静江が怒鳴った。「唯ちゃん遅いわ!」静江がまた言った。「ごめんなさい。キチンと決まった時間に見回らないと、落ち着かなくてね」唯は言った。「じゃあ、みんな集まったわね。話すわ」静江が言った。「ちょっと待って!」ガン太が言った。二人はスピードのゲームに真剣に取り組んでる。ガン太も芳井もカードから目を話さない。真ん中に置かれた二つのカードの束に、もの凄いスピードで重ねていった。「ちょっとそんなゲーム終わりにしてよ」静江が怒鳴った。「まあ、二人とも真剣なんだ」国利が言った。竹中と国利と唯も真剣にゲームの様子を見ていた。もの凄い早さでカードを出し合っている。二人の目は右へ左へ真剣だ。二人のカードを取る手は早い。徐々にそれぞれの手に持っているカードは減っていった。その二人のカードの動きを竹中と国利と唯は、右へ左へ目で追っていた。「やった!」全てのカードを出しきった。最後の一枚を出し切り、芳井は声を放った。「負けた・・・」手に持っていた余ったカードをガン太はテーブルに置いた。「終わった?もうみんなもっと真剣になってよ」静江が言った。「真剣だよ、いつでも」芳井が言った。「ゲームじゃないわよ。今日の事よ。じゃあ話すわね」皆静江が立っている横にある黒板を見た。そこにはすでに倉岡直也の家の図が書かれていた。「いい?今日、夜の十二時に計画を実行するわ」静江は言った。「何で十二時なの?」唯が言った。「人目に付かないじゃない。まず、唯ちゃんはちょっと寒いけど玄関で見張り番。何かあったらヨッシーに連絡ね」唯を見た。「わかった」言った。「そこで器用なヨッシーが針金で玄関を開けるわ」芳井を見た。「OK!まかせて!」言った。「そして唯ちゃん以外は家の中にはいるわ。一階には居間と台所がある。そこはたけちゃんとヨッシーにまかせるわね。ソファの下、棚の引き出しや後ろ、台所の戸棚、冷蔵庫の中もキチンと見るのよ。後、階段横にトイレがあって、その前が洗面所とお風呂。それと、階段下に物置があるわ。扉はなくて、ただ物の置けるスペースがある。前はいっぱい置いてあったけど、警察が全て持っていって今は何もないわ」竹中と芳井を見て言った。「ああ、わかったよ」タバコをふかして竹中が言った。「居間を出て、奥の廊下を歩くと階段がある。その階段を上がって二階に行くの。そこに三つ部屋がある。一つは寝室よ。そこはダブルベッドがあり、奥にクローゼットがある。その中はもう何もないはず。警察が全て持っていったわ。だけどよく探して。まだ何か残ってるかも知れない。もう一つの部屋は美月ちゃんの部屋よ。天井に窓があるの。タンスがあるけど他は何もないわ。そして残りの部屋は倉岡直也の部屋よ。ここも何もない。警察はその部屋が一番の証拠として、全て持っていったの。その三つの部屋を私とガン太とコクリンで探すわ。後二階にもトイレはある。これが倉岡直也の家。みんな分かったわね!」静江が叫んだ。皆頷き、竹中はその姿を見ながらタバコを吹かした。「何よ!みんな元気ないわね!」静江はみんなの姿に腹立たしく怒鳴った。「返事は?」怒鳴った。「は〜い」皆、それぞれだらしなくバラバラに答えた。「シッカリ!」叫んだ。「はい!」みんな声を揃えて大きくハッキリと答えた。その姿に竹中は微笑み、静かにタバコを吹かした。「唯ちゃん、まだ時間はあるわ。みんなに何か作って頂戴!スタミナ源のつく物」唯を見て言った。「任せといて!」唯はそう言うと立ち上がり、台所に向かった。「よし!行くわよ」静江は拳を作って掲げ叫んだ。



 松永健太郎は走った。左に鞄を抱え、右に買ったケーキの箱を持っていた。雪はひらひらと降る。人々の狭間を通り走り、そのスピードに雪は健太郎に激しく降った。いろいろな店が建ち並ぶ商店街。クリスマスの音楽が所々から鳴り響く。サンタクロースの服装をした者はチラシを配り、どの店もSALEの看板を掲げている。<愁に知らせなきゃ>健太郎はその恐怖に焦り、懸命に愁を思った。走り走って商店街を抜け、路地を走り、大きな公園へ出た。<シュウ!>心の中で叫んだ。樹木が立ち並ぶ。電灯は、乏しく道をあてていた。走り走って、ゆっくりとそのスピードを落として立ち止まった。そしてズボンのポケットの中から携帯電話を取りだしてダイヤルした。ベルは鳴る。幾度も幾度も鳴った。そして「留守番電話サービスに接続します・・・」音声が聞こえた。健太郎は一度電話を切り、またダイヤルした。そしてまたベルは鳴る。幾度も幾度も鳴る。「留守番電話サービスに接続します・・・」また音声が聞こえた。健太郎はまたダイヤルした。



 暗い部屋。どこからか電話の着信音が聞こえる。洗濯物は散らばり、ゴミ箱のゴミも溜まっている。パソコンの電源はついたままで、スタンバイ画面で四角いロボットが荷物を運んでいる。ギィーギィーと錆びれたような音も、電話の着信音と重なって聞こえた。電話の着信音は止まり、またすぐに鳴った。窓際の壁に電源がさされている充電器に、携帯電話は差し込まれていた。その電話が何度も着信音を鳴らす。また着信音は止まり、また鳴り始める。ここに、橘愁はいなかった。



 健太郎は焦っている。ダイヤルしては留守番電話サービスに繋がり、すぐに切ってリダイヤルする。何度も何度も繰り返した。ベルは鳴り、留守番電話サービスに繋がると、健太郎は電話を切った。そして携帯電話は後ろのポケットにしまい、静かに走り始めた。<愁の家に行こう>

 雪は疎らに降り、樹木が立ち並び続けた。電灯は乏しく通りをあてている。人のいない公園を松永健太郎は走っていった。



 高山春彦は傘を閉じた。丸太の看板は雪が塗してあったが微かに‶紅涙″と書かれていた。ドアを開け、階段を三段下り店内に入った。「おう!」高山は言った。店の端の窓側の席に橘愁は座っていた。低い店内から人々が歩く足元が見える。「おまえが呼び出すなんて、珍しいじゃないか」高山は橘愁の席に近づいた。店内には橘愁と高山春彦。あと、窓側とは反対の席、橘愁の席と一つ席を空けて壁側のテーブル席に、ショートカットの若い女性が携帯電話を睨みつけていた。

 高山は席につき「マスターいつものね」大声で言うと「おう!」低い声でカウンターの奥から聞こえてきた。

「どうした?」

 高山は、愁を見て言った。

「いえ、ただ・・・」

 愁は高山の目を避けて俯き言った。

「ん?」

 高山は優しい口調だった。

「もうそろそろ物語を書こうと思いまして・・・」

「どうした。今年はまだ書かない方がいいんじゃないか?」

「ええ、ただ・・・自分の中でいろいろありまして・・・どうしたらいいか分からなくて・・・何か、物語を書いてる方が落ち着くのかなぁって・・・」

「どうした?何かあったのか?」

 俯いている愁を覗き込むように、高山は優しい口調で言った。

「ええ・・・」

「何か疲れてるな。大丈夫か?顔が(やつ)れてる・・・」

「大丈夫です」

 高山は俯いた愁の顔を覗き込むように言った。

「松永か?」

 愁は顔を上げて高山を見た。

「どうした?」

 愁は少し答えるまで間をあけた。高山はその間を優しい顔で待った。

「健太郎と、ちょっとありまして・・・」

 愁は答え始めた。

壁際に座っているショートカットの女性は、何か落ち着いていなかった。時計と、電話を気にしている。深刻そうな顔をしているようでもあり、何かを心配しているようでもあった。テーブルに置かれたコーヒーは、また一口も飲んでいなかったが、冷め切っていた。女性は携帯電話を睨み、手にとってダイヤルした。



 健太郎は大きな公園の樹木が立ち並ぶ通りを走っていた。電灯は乏しく通りをあてた。その時、静かな公園に携帯電話の着信メロディーが鳴り響いた。それに気づかずに健太郎は走り続けた。一度着信メロディーは止まり、また鳴り始めた。

 そして健太郎はその音に気づき、ゆっくりと走っている足の速度を落として止まった。着信メロディは鳴り響く。一度その音も止まったが、またすぐにメロディーが鳴った。健太郎は後ろのポケットから携帯電話を取り出して、表示画面を見た。そこには『しおりちゃん』と書かれていた。着信ボタンを押して耳に電話をあてた。ツーツー音は流れた。取ったと同時に切れてしまった。一度ボタンを押して切り、健太郎はダイヤルした。ツーツー切れている。表示画面を見ると『圏外』となっていたが、また暫くして着信メロディーが鳴った。画面表示には『しおりちゃん』と書かれていた。また取るとツーツー切れてしまった。すぐに電話を切ると、直ぐさま着信メロディーは鳴った。表示画面には『しおりちゃん』と書かれている。健太郎は暫く表示画面を眺めた。

 健太郎の背後に何かの気配がした。通りをあてている電灯に、何か掲げられて反射した。だが、健太郎はそれに気づくことはなく、携帯電話の画面表示を見ていた。その瞬間、その掲げられた物が振り落とされ、『ズン』鈍い音がした。健太郎は左手で抱えていた鞄を落とし、右手に持っていたケーキの箱と携帯電話を地面に落として、(ひざまず)いてそのまま俯せに倒れた。何が起こったか分からない。何も考えることは出来なかった。健太郎は暫く動かなかったが、何とか無意識に体を起こし、手を後頭部にあて、離して掌を見た。ぼやけていた。意識は朦朧(もうろう)としている。それでも掌を集中してみようとすると、ぼやけた物が徐々に見えてくる。手は赤く染まっていた。健太郎の掌には、赤い血が付いていた。何が起こったかも分からず、意識は朦朧として、周りの景色もぼやけて見える。その中に、ゆっくりと立ち上がって後ろを見た。フラフラになって、体は安定しない。だが、何かの気配はした。乏しく道をあてている電灯からはずれ、誰かが立っている。健太郎は意識が朦朧とした中、少し首を傾げた。その時その人物は少し前に出て、電灯の光に浮かび上がるように見えた。

 その顔に朦朧とした意識の中、恐怖が体全体に轟かせた。腕、足、口は震え、目は見開いた。そこに立っている人物は、杖で体を支えている倉岡直也の姿だった。健太郎はその恐怖に震え、その場から朦朧とした意識の中、フラフラになりながら振り返って走り始めた。

 倉岡直也は笑い、杖をつきながら歩き始め、地面に落とされたケーキの箱を踏んで健太郎を追い始めた。地面に落とされた携帯電話の着信メロディーは響き渡っていた。健太郎はフラフラになり、何度も何度も雪に滑って転びながら体を起こして、朦朧とした意識の中逃げまどった。



 橘愁は静かな声で話していた。

「健太郎に悪いことしてしまいました。僕もいろんな事があって・・・精神的に辛い思いをしてるとき、本当に心配してくれたんです。・・・なのに、傷つけてしまった。僕は酷いこと言ったんだ」

「ああ、あいつも元気なかった。そんなことがあったのか」

 高山は言った。

「ええ、僕はどうしたらいいんでしょうか」

 橘愁は高山を見た。

「簡単だ。謝るんだよ。松永に会って素直に謝るんだ。あいつはその事に、いつまでもグチグチしている男じゃない。あいつもそう思ってるよ。橘に謝りたいはずだ。今でもあいつはお前のことを心配してるよ。本気で心配してるはずだ」

「そうでしょうか」

 橘愁は言った。

「ああ、あいつはいい奴だ」

 高山は橘愁を見て微かに笑いながら言った。近くに座っているショートカットの女性は携帯電話を眺めて幾度も幾度もダイヤルをしていた。



 乏しく道を電灯はあてた。樹木の通りはまだ続いた。携帯の着信メロディーは静かな公園に鳴り響く。健太郎は足が蹌踉け、フラフラになりながら走っていた。激しい頭痛が襲い、意識が朦朧として視界もぼやけて見える。幾度も転び、立ち上がって懸命に逃げまどった。

 倉岡直也は所々に乏しく光る電灯にあたりながら、素早く杖をついて健太郎を追った。

 松永健太郎は走る。フラフラになりながらその道を走った。そして、凍り付いた噴水の前に出た。雪はまた蝶のようにひらひらと舞い、その噴水の周りは誰の足跡もなく、綺麗に雪で地面が覆われていた。その上を健太郎はフラフラになりながら歩き、そのまま倒れ込んだ。

 ザクッザクッザクッ音が聞こえ、倉岡直也は健太郎に近づいて、杖を掲げて力一杯振り落とした。健太郎の背中にあたった。健太郎は微かな意識の中、懸命に立ち上がり逃げ進もうとした。そんな健太郎を幾度も杖を力一杯振り落とした。それでも健太郎は懸命に立ち上がって逃げようとした。もう、意識はない。視界もぼやけて何も見えなかった。その中でも健太郎は立ち上がって逃げようとしたが、倉岡直也は幾度も杖を頭に振りかざして、健太郎はその場に俯せに倒れた。動きはしなかった。その健太郎の耳元に、倉岡直也は近づき「坊や、夜遊びは危険だぞ」笑い、立ち上がってその場から歩き去った。静かに足音は聞こえ、倉岡直也は来た道を戻り、徐々に徐々に暗闇に消えていった。

 携帯の着信メロディーは静かに響き渡った。凍り付いた噴水。人はいない。雪はひらひらと舞った。地面に覆われた真っ白な雪に、松永健太郎と倉岡直也の足跡が悲しく残る。その先に松永健太郎は俯せに倒れていた。誰も気づくことはない。やがて、地面に覆われた真っ白な雪も、松永健太郎の頭から徐々に徐々に赤く、赤く染まっていった。

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