第二部 第二十八章
玄関のドアを開け、靴を脱いで暗く長い廊下を歩いて洗面所に向かった。洗面所に辿り着くとスイッチを入れて明るくして、美月は洗面台の鏡を覗いた。そこにはサングラスをした疲れ切っている顔がある。サングラスを外した。目元に痣はある。鏡に自分の顔を近づけてその痣を覗いた。哀しくなる。痛いほど苦しい思いがした。美月は顔を洗った。
水飛沫を上げながら顔を上げた。横にかかっているタオルを取りだして顔を拭き、拭き取るとまたタオルをかけ直して洗面所を出た。暗い廊下を歩きキッチンに向かった。
辿り着くと冷蔵庫を開け、五百ミリのペットボトルの水を取りだして飲んだ。「帰ったか・・・」声が聞こえた。美月はキッチンからリビングの方へ覗くと、ソファに座っている敬生がいた。「随分と早い帰りだな」リビングにかかっている時計を見ると、十一時二十分だった。「まあ、いい。たまには生き抜きも必要だ。いつも家の中にいたらおかしくなるからな」美月はただ敬生を見、何も答えられず、動くことも出来ずに水を持ったまま立っていた。だが、少し、ほんの少しだけその水は揺れていた。「こっちに来ないか」敬生は手招きした。美月は動かなかった。「どうした?」優しい口調で言った。美月は俯いていた顔を上げ、笑顔を作った。「さあ、こっちだ」敬生は笑顔で呼んだ。美月はゆっくりと歩いて敬生に近づいていった。怖かった。昔を思い出す。その言葉は直也の言葉でもあった。よく言っていた言葉だ。歩きながらあの時の自分と重なった。十二歳の時だ。「美月、こっちへ来い」直也がソファに座り手招きしている。十二歳の美月は近づいていった。
「さあ、ここだ」敬生は言い、美月は敬生の前に辿り着くと、暫くその場に立ちつくした。「どうした、何してる」そう言うと、美月は顔を横に振った。「さあ、座れ」ゆっくりと座った。優しい口調はおかしかった。何かを企んでいる。美月はそれが怖かった。
教会の十字架は光っていた。白蝶街に雪はひらひらと舞い落ちる。人通りはない。道にある街灯が乏しく地面に覆った雪にあてていた。ザクッザクッ足音、地面に覆った雪に人影が写る。近づいた。そして、その人影は教会の前に着くと立ち止まり、その人物は見上げた。永瀬敬生と永瀬美月の家がある。暗く、電気はついていない。仄かに笑う。それは、花崎志帆だ。そして、口笛を吹きながら体を弾ませて家の門を潜り、ポケットの中から鍵を取り出してドアを開け、家の中に入っていった。
「どうした?元気がないな」敬生と美月はソファに座っていた。敬生は美月の肩に手をかけた。「震えてるじゃないか」美月は硬直して真っ直ぐ向いていたが、目だけが敬生を見た。「何故震えてるんだ?何が怖い」敬生が言った。美月はその言葉で咄嗟に笑顔を作った。「そんな事ないわ・・・」美月は考えていた。敬生が何を企んでいるのか。また、突然自分を殴りかかるのか。それとも性的に迫るのか。「そうか・・・」更に美月に近づいた。そして肩に掛けてある手を自分に寄せて美月を近づけた。
玄関を閉め、花崎志帆はゆっくりと長い廊下を通り、リビングへ向かった。
「音・・・」美月が言った。「おと?」敬生が言った。「今・・・音がしたわ」美月が言うと「何も聞こえないよ」そう囁いて、力強く美月を近づけて濃厚にキスをした。美月はその激しさに驚いて敬生を突き放した。「楽しそうじゃない」女の声がした。美月はその声にまた驚き、声のする方へ向いた。リビングの入り口に寄りかかって花崎志帆はいた。「これから始まるところだ」その声にまた驚き敬生を見た。すると敬生は上着を脱ぎ、胸板の厚い裸体を見せると美月に抱きつき、濃厚にキスをして美月の服を脱がそうとした。志帆は入り口から歩き始め、上着を脱いで胸を突きだしながら二人に近づいた。美月は激しく抵抗したが敬生の力は強く、なかなか逃れられない。志帆は近づいてきた。「何をそんなに興奮してるの。もっと楽になれば楽しいわよ」美月は激しく抵抗した。「この女!」敬生がひっぱたいた。それでも美月は激しく抵抗した。志帆は近づき「いつまでそんな力が残ってるかしら」美月は抵抗しながら志帆を睨みつけた。「あら、珍しい。随分と強気ね」笑った。美月は激しく抵抗し続け、思いっきり敬生の股間を蹴り上げた。その瞬間敬生は怯んで股間を押さえ、美月は飛び立ってソファを降りて志帆も突き飛ばして走り、リビングを出ていった。走った。廊下を走り、玄関横にある階段を上って二階に駆け上がって一つの部屋に逃げてドアを閉め、その部屋の鍵を閉めた。ドアは閉めてもその恐怖から震え、ドアノブを握りしめたままだった。美月は顔をキョロキョロさせ、何かを探した。
階段を駆け上る足音。二人の足音が鳴り響いた。「あの女!」志帆は憎しみ、怒りを露わにして叫び、部屋の前に来るとドアを蹴りまくった。「チキショー!」その怒りは異常なほどに狂い、異常なほどの叫びだった。ドアを蹴った。「何なのよ!あの女!」
敬生は静かな笑みを浮かべ、しゃがんでズボンのポケットを探り、そしてポケットの中の鍵を取りだした。志帆はその行動を見、静かな笑みを浮かべた。そして敬生はその鍵を鍵穴に近づけた。
美月は何かを探した。ドアノブは握り締めたままその手は離せないままに辺りを見渡し、考えていたんだ、逃げ場を。何処かに隠れる場所がないかを。顔をキョロキョロさせ、辺りを見渡した。物入れ、タンスと壁の隙間、部屋の一郭にある窓、そこに掛けられているカーテン。窓は開いていた。カーテンは外から流れ込む静かな冷たい風に靡き、雪も少しその風と共に入り込んだ。その窓を見た。風に靡かれているカーテン。そこに橘愁がいる。子供だ。月明かりが眩しくその人物もなかなか分からなかったが、その人物と月が重なったとき分かった。手を差し伸べていた。窓から身を乗り出して手を差し伸べていた。美月は窓を見ていた。カーテンは靡いた。やがてその月明かりは消え、橘愁も消えた。ドアノブを握り締めたまま、窓を見ていた。カチャ音が聞こえ、握り締めていたノブはゆっくりと回った。美月は驚きの目でノブを見た。ゆっくりと回っていた。驚き、恐怖に震え、ゆっくりとノブを離し、後退った。決してドアから目を離すことはない。
ゆっくりとドアは開いた。窓から冷たい風が入り込み、カーテンは靡いた。ゆっくり、ゆっくりとドアは開き、美月は壁に張り付く。横にある窓のカーテンは靡いた。ドアが開いてそこに上半身裸の永瀬敬生と上半身裸の花崎志帆の姿があった。敬生は部屋に入り、ゆっくりと美月に近づいてきた。志帆はその後ろで仄かに笑った。「何故逃げるんだ・・・」敬生はそう言いながら近づいていった。美月は何も答えられないでいた。敬生から目を離さない。その恐怖に打ち勝とうとしたが、敬生の気迫に気後れしてしゃがみ込んだ。でも、目は離さない。目元も体も気力を無くしていたのかも知れない。「俺から逃れられると思うのか。誰かが助けに来るとでも?」敬生は美月の前に来ると見下ろした。「夫婦なのに・・・結婚してるのに・・・」そう言うと敬生はしゃがみ、美月を哀しい目で見た。「こんなに愛してるのに・・・」優しくキスした。美月は動けないで、目は開いたままだった。敬生は唇を離して、哀しく、涙を流した。「こんなに愛してるのに・・・」美月の目を見ると頬を思いっきり殴った。そして立ち上がり、美月を蹴り飛ばした。「こんなに愛してるのに!お前は俺に恥をかかせた!」腹を蹴り、頬を殴り、美月を殴り殴った。その姿に志帆は嘲笑い、腹を抱えて笑い転げていた。
その声を、その叫びを、雪の中聞いている者がいる。暗い家を見上げて倉岡直也が佇んでいた。
部屋は暗い。車が通る音がした。パソコンはついている。その画面の明かりが橘愁の顔にあたっていた。ベッドに腰をかけ、俯いている。愁は想いに更けていた。橘恵子のことを。<かあさん・・・>何を想ったらいいのか、何を考えたらいいか分からない。心が痛く、辛い日々を送って、物語を書く気力もなくなっていた。
愁は哀しい音色で鼻歌を歌い始めた。
コーヒーを飲んだ。そこに、高山春彦と松永健太郎がいる。低い店内から見る景色は明るく、人々は盛んに歩き、雪は降っていた。
「今日も雪だ」
高山が呟いた。店内には数人の客がいて、いつもいないマスターも店を駆け回っていた。外は少し風が吹き、丸太に紅涙と書かれた看板は揺れた。
「いつまで降るんだ・・・」
また、高山は呟いた。
「え?」
その言葉が聞き取れず、健太郎はそんな返事をしてしまった。
「何故雪は蝶のように舞い、静かに止まる」
「え?・・・さあ?」
健太郎は首を傾げて言い、高山は健太郎を見た。
「松永・・・」
「は、はい!」
慌てて返事した。
「橘は元気か?」
「え?はい・・・いいえ、それが・・・あんまり・・・」
ハッキリしない返事をした。
「今年は、書けないか?」
「はい・・・」
健太郎は俯いて力のない返事をして、また、高山は窓の外を見た。
「そうか・・・なあ、松永」
「はい」
落ち着いた返事だ。
「もうすぐクリスマスだ。町も飾り付けられていく。楽しい季節なのに、何故哀しくなるんだ?」
その言葉に健太郎は考え、静かに答えた。
「きっと・・・季節がそうさせてるんです」
「季節?」
高山は言った。
「ええ、雪ですよ。冷たく染み込む冬に、雪は表面から体を凍らせていくんです。誰もがきっと哀しいんです。だから明るく飾り付けていく。人間はその哀しさや寂しさを、クリスマスという幸せで埋めてるんです」
「そうか・・・」
高山はコーヒーを飲んだ。
いつもより部屋は少し明かりを増したように感じる。愁はパソコンの前に座り、画面を眺めていた。そして、電源を切り、パソコンも閉じた。愁は立ち上がり、部屋を出た。
雪の中、サクサクと音を立てながら歩いた。傘は差していない。傘を差した人々とすれ違いすれ違った。誰よりも早く、人々の流れに逆らいながら歩いた。何処に向かう訳でもなかった。冷たい風に、冷たい雪に浸り、人々の流れに逆らいたかった。
もう一つの足、杖のついた足が愁の後を素早く追った。愁も、素早く歩いていた。その足も素早く追った。愁はその足に気づかない。その杖のついた足は、もの凄い早さで愁との距離を縮めた。
そして、距離をドンドン縮め、咄嗟に愁の腕を掴んだ。愁はその腕に引かれ、立ち止まり、驚きの顔で振り向いて掴まれた腕を見た。其処から目線を上げると、そこに倉岡直也が立っていた。
暫く愁は直也を見た。すると直也はゆっくりと落ち着いた口調で言った。
「ちょっと、話があるんだ」
愁にはその話が何か全く予想できなかった。
「つき合って欲しい」
愁は全く分からず、いつまでも直也を見ていた。
「コーヒーで、いい?」直也は言った。愁は頷きも反応もなく直也を見ていた。テーブル席に、ウエイトレスが来ている。「コーヒーを二つ下さい」直也がそう言うとウエイトレスは引き下がっていった。公園が見渡されるガラス張りの喫茶店。いつもはオープンカフェとなるこの喫茶店も、冬の間は雪で扉を閉めている。静かな公園が見渡せられる。雪が舞い、樹木の枝にも止まって傘が出来る。地面は雪で埋まっていた。人の足跡でさえない。誰かが歩いても、すぐその足跡が消してしまうんだ。「冬になると公園も死んだようだ・・・」直也が呟いた。その直也を愁は静かに見た。「人もいない。この喫茶店もよく営業してるもんだ・・・」直也は一つ呼吸をして、また話した。「この公園を見ていると、神霧村を思い出す。この空間だけ静かなんだ。いい村だった」そう言うと、愁は静かに口を開いた。「それで、話とは?」直也は愁を見た。「美月の家に行った」愁は驚き、微かに眉が動いた。「もちろん、美月には会ってない。家の前で見届けただけだ」愁は静かに聞いた。
「私が家を眺めていると、美月は帰ってきた。私は美月に分からないように隠れたよ。美月は家に入っていった。でも、おかしいんだ。電気がつかない。普通、家に帰ったら電気をつけるだろ。でも、つかなかったんだ。・・・だから、私は様子を窺って、家の前でずっと様子を窺って・・・悲鳴が聞こえた」
「えっ?」
愁は驚き、直也を見た。
「愁君、私はどうしたらいい?私は美月にも愁君にも酷いことをしてきた。だから君たちに何も言えないし、何も出来ない。でも、辛いんだ。愁君にこんな事をお願いするのは間違ってるかも知れないけど・・・美月を見てくれ。また、私がしたようなことを繰り返している。美月の体に痣が出来てるかも知れない・・・もう、愁君しか頼めないんだ。辛い・・・辛いんだ」
直也は俯いて目に溜めた涙を拭った。愁は、何も言えなかった。辛い。胸が痛んだ。だが、どう答えていいのか分からない。直也がした過ちを許そうとしていた。
ざわめくオフィス。数々の電話の音が鳴り響いていた。恋酔出版社、九階。そこに、松永健太郎のデスクはある。健太郎はパソコンに書類を打ち込んでいた。「健太郎、電話」一人の男の同僚は言った。「はい」返事をすると、目の前の電話を取った。「お電話代わりました、松永です。え?あ!しおりちゃん?どうしたの?会社なんかに電話してきて・・・え!」思わず大声を出して立ち上がった。その声と行動に皆が振り向き、健太郎は自分のとった行動に慌て、皆を見て会釈して静かに座った。「マジで!本当に?嬉しい・・・明後日?分かった、また電話する」小声で話し、静かに受話器を置いた。「どうした?」健太郎が後ろを向くと、高山が立っていた。「いえ、すんません、何でもありません」健太郎は言った。「プライベートの事か?」健太郎は頷き「すんません」言った。「女か?」高山がすかさず言うと「ち、違います!彼女いません」照れたように慌てて否定した。「好きな人です・・・」しおりを想い、安心して少し笑みを零して高山に言った。「そうか・・・」高山は言った。「彼女にしたい人です。遠くに住んでいて、なかなか会えないのですが、明後日会いに来るんです」爽やかな顔をした。「デートか。何処に行く?」高山は健太郎を見て、優しい口調で聞いた。「いえ、まだ・・・」健太郎は言った。「美天村はいいぞ。あそこは丘が綺麗だ。汽車も走ってな、これが絵になるんだ」そう言うと高山は歩いて行ってしまった。「ありがとうございます」健太郎は笑顔で元気よく言った。
薄暗く、夜に差し掛かっていた。冷たい霧が村をゆっくりと流れる。雪は止んでいたが、家の屋根、田園、道やその脇に潜む草に雪は覆っていた。
電気がついた建物がある。村役場だ───────
「唯ちゃん、キチンと書いてね」
静江が腹の底から声を張り上げた。管理室の狭い部屋に黒板台が置かれていた。静江はその脇に立ち、その前のテーブルに唯がいてノートに静江の言ったこと、黒板に書かれたことをメモを取ろうとしていた。そして、その横には竹中、ガン太、芳井、国利がいた。
「え〜、今日お集まりいただいたのは私の計画を伝えるためです。え〜」チラッと唯を見た。「ちゃんと書いてね。大事なことなんだから」唯は頷いた。静江は冷静な素振りで、声は張り上げて話し始めた。「最近、昔のことを思い出します。愁ちゃんのこと、美月ちゃんのこと、そして倉岡直也のことです。私たちが体験したあの事件のことです。あの日、私たちは傷つきました。心に深く留まった傷です。私たちは倉岡直也を追いつめて、事件は終わりました。だけど、本当に終わったのでしょうか。あの日の悪夢が、何年も経つ今でさえ私たちを追いかけます。倉岡直也は出所して、恵子ちゃんは亡くなり、私は不思議な物を見た。・・・そこで、私はある計画を打ち出しました」そう言うと、黒板に向かい、チョークを摘んで何かを書き出した。静江の話を目の前に横並びで座っている、竹中、ガン太、芳井、国利の四人は静かに聞いていた。「なあ、何でこんな狭い部屋であんなに声を張り上げるんだ?」竹中は隣にいたガン太に小声で聞いた。「そうそう、さっきから耳に響いて痛いんだよね」また、ガン太の右隣にいた芳井も小声で言った。「ダイエットだよ」ガン太は腕を組んで言った。「ダイエット?」竹中と芳井は声を揃えていった。「静江が雑誌で見たんだよ。気合いダイエット法だ」ガン太が言った。「気合いダイエット?」竹中と芳井が声を揃えてまた言った。「気合いを入れて腹の底から声を張り上げることによって、腹の筋肉が活性化されてダイエットに繋がるらしいんだ」竹中、ガン太、芳井は腕を組んで頷いた。「・・・それ、間違ってないか?」国利が呟くように落ち着いた口調で言った。<えっ?>竹中、ガン太、芳井の三人は驚くように国利を見、そして四人は静江を見た。「倉岡直也宅襲撃計画です」まだ声を張り上げて静江は言った。「襲撃?って何処を?」芳井が言った。「倉岡直也の家って言ってるだろ!」ガン太が芳井の頭を軽く叩いた。「・・・で、どうするんだ?」竹中はタバコに火を付け言った。「静江、襲撃ったって誰も住んでないだろ」ガン太が言った。「それに何で今頃?」芳井も続けて言った。「私、何か気になるのよ」静江は四人を見、黒板の前でメモを取っている唯を見て言った。「倉岡直也が出てきたわ」静江は静かに言った。「何を心配してるんだ。倉岡直也はこの村にはいないよ。戻ってこれる分けないだろ、あの事件を起こしたんだ」ガン太が静かに言った。「でも心配なの。恵子ちゃんが亡くなったわ。私もあの家で不思議な物を見た」静江が言った。「恵子ちゃんが亡くなったのは関係ないだろ」ガン太が言った。「不安なの。不安なのよ」静江は少し目に涙を浮かべているように見えた。その静江の姿を見て竹中はタバコを吹かして言った。「・・・で、どうするんだ?」竹中は静江を見て、ガン太も芳井も国利も、そしてメモを取っている唯も手を止めて静江を見た。そして、静江は顔を上げて力強く答えた。「だから、倉岡直也の家に忍び込むのよ。何か分かるかも知れないわ」掌を握り締め、固い決意だった。「・・・それって、不法侵入じゃない?」国利が言い<えっ?>静江は国利を見た。他の人も国利を見た。「だって、まだ倉岡直也の持ち物なんだろ。それって、もし何かあったら家宅侵入罪で捕まるんじゃないか?」国利は呟くように言った。その言葉に竹中、ガン太、芳井は頷き、唯もメモを取りながら少し笑って頷いた。だが、静江はその国利の言葉に少し怒りを感じ、興奮して言い返した。「大丈夫よ!ちょっと入るだけなんだから!」その静江を見て「ちょっ、ちょっと静江ちゃん、落ち着いて」宥めるように芳井が言った。竹中はタバコを吹かして「・・・で、いつ決行なんだ」言った。「明後日よ!」ガン太が驚きの顔で見た。芳井は顔を上げた。唯はメモを取ってる手を止めて「明後日?」三人は声を揃えて大声で驚いた。竹中は落ち着いた表情で静江を見てタバコを吹かした。国利も落ち着いた、何か考えているかのような顔で見た。その顔は仄かに笑ってるかのようにも見えた。実は竹中も国利もこの計画に驚きはしていなかった。何故なら、竹中も国利も二人で静江と同じ計画をしようと思っていたからだ。二人も気になっていたんだ。竹中は愁と美月のため、二人の心を落ち着かせるためにあの事件を調べたかった。この静江の発言が竹中の心に決意させた。国利はあの事件の真相は知らない。竹中直紀から聞いただけだった。だが、従兄弟である竹中直紀の気持ちと一緒だった。倉岡直也と言う男を知っている。倉岡シャリーと言う女を知っている。橘亨と言う男を知っていた。そして国利は倉岡直也が出所した噂を聞いた。だから、神霧村に来たんだ。竹中直紀に知らせ、その真相を掴むために──────
「さあ、解散!明日また集まってね。計画を話すわ」そう静江が言うと、唯は皆を見送り、皆役場を出ていった。
ピンポ〜ンチャイムが鳴った。もう一回、チャイムは鳴った。ドアノブはガチャガチャと回され、ドアが開いた。そこに、松永健太郎が入ってきた。「なんだ、開いてるじゃん」電気はついてない。暗い。奥に人影がある。健太郎は上がり、電気をつけるとそこに、橘愁がいた。「どうしたの?暗くして」健太郎は言った。「いや……」愁にその後の言葉はなかった。「まあいいや、ちょっと聞いてよ」愁に寄り添って来た。愁は何も写っていないテレビ画面に向かって座っていた。「しおりちゃんが来るんだよ」健太郎は笑顔で愁の耳に囁いた。「えっ?」愁は健太郎を見た。「いつ?」聞いた。「明後日だよ。夜来るんだ。うちに泊まりに来るんだよ」興奮しながら言った。「嬉しい?」愁は落ち着いて聞いた。「嬉しいよ。すっげー、最高だよ!」心臓がドキドキするように興奮した。「幸せ?」愁は笑顔で聞いた。「もちろん!幸せだよ。愁に一番にこの気持ちを知らせたかったんだ」嬉しくて、自分でもどうしたらいいか分からないほどに嬉しくて「今日、泊まってくから!」そう言うと、健太郎は布団にくるまった。愁も嬉しくなった。健太郎がこれほど喜ぶのは珍しい。だが、倉岡直也が言った言葉が愁には気がかりだった。美月のことだ。その事が気がかりで、素直に喜べないところがある。その事に、美月の思いに、愁はどうしたらいいか分からない。その想いに更けていた。
健太郎は布団にくるまりながら嬉しくて、興奮して眠れないでいた。その愁の気持ちは全く気づかないで、その夜は過ぎていった。
薄暗い朝。霧が流れていた。雪は降っていない。疎らに立っている家々の明かりはつき始めた。足音が聞こえる。雪を踏みつける足音だ。それも、一つではなく二つ。そして、止まった。そこに家がある。その家を見上げ、竹中直紀と竹中国利は近づいた。そこは、倉岡直也の家だ。二人は家に近づくと、家の回りを歩き始め、トイレ、風呂場、台所、居間、それぞれの窓を覗き始めた。
誰もいるはずはなかった。もちろん明かりはついてなく、当然ながら人がいる気配もない。それでも竹中直紀と竹中国利は窓から中を覗き込んだ。薄暗い外の明るさから、家の中は物の影が見えた。二人を霧は渦巻いた。物の影からは昔と変わらなく見えた。物の配置が全て昔のままだ。それを確認しても、二人はまだ家の中を覗き込んでいた。