〔少女〕 離別
夜中の十時少し前、私は待ち合わせ場所である北谷公園の園内に身を潜めていた。神尾という男には入り口の外灯前と伝えてあるので、園内までは入ってこないだろうと判断し園内から入り口を見通せる範囲に身を潜めることにしたのだ。
夜の公園は初めてだったが、これはこれでいい物だなと思った。昼間の賑わいとは正反対の、まるで無人の廃墟のように人気の消えた公園。外灯に集まる蛾や昆虫だけが、かつかつという音を立てていた。
時計台で時刻を確認する。ちょうど十時を回ったところだった。そろそろ奴らが現れる頃だろうか。しばらく待っていると、遠くからかしましい話し声が聞こえてきた。どうやら奴らが現れたらしい。私は見つからぬように身を隠し、入り口へ耳をそばだてた。
「おい、いねえじゃん。神尾、本当に女三人くるのかよ?」
「本当だって。ちゃんと須田と三田村も呼んでくれって、名指しで言われてるんだからな。多分遅れてるだけだろ」
「楽しみだなあ。でも神尾さん、なんでその人は、僕や須田さんまで呼んだんですか?」
「いやなんかな、俺に会いたいって奴がものすごい恥ずかしがり家らしくて、一対一じゃ恥ずかしいから、三対三で会おうって言って来たんだ。でもそのお蔭でお前らも呼んでもらえたんだからな。俺に感謝しろよ」
「はい、ありがとうございます」
「うーん、俺はなんかしっくりこねえな」
聞き覚えのある声、物陰から彼らの姿を確認する。間違いない、今日彼をいじめていた三人組だ。律儀にも、女三人が現れるのを待っている。しかしいくら待っても彼女らが現れることはない。なんたって、あれは彼等を誘き出す為のまったくの嘘なのだから。
さて、これからが本番だ。奴らに制裁を加えるのだ。彼の受けた痛みを、死を以って償ってもらう。私は手にしたナイフを握り締めた。
私が勢い良く物陰から姿を現すと、彼らは物音に気づき、一斉にこちらを振り返った。
「あれー? 来てたんだったら声掛けてよ! 隠れるなんてひどいなー。もしかして悪戯のつもり? えっと名前……凛ちゃんだっけ。君しかいないようだけど、他の二人は?」
私は何も答えない。ただじっと三人を見据える。場に沈黙が流れる。
「神尾、あいつ様子がおかしくないか? それにあいつが手に持ってるの……ナイフじゃね?」
精神を集中させると、私は深く息を吸い込んだ。そして、矢庭に、三人目掛けて走りだした。
「やべえ!みんな逃げろ!」
先頭にいた神尾の心臓目掛けて飛び込んでいった。しかしナイフは寸でのところでかわされ、腕に浅い傷を作っただけだった。
「ぐっいてぇ! くそっ! 腕をやられた! 三田村、そいつをなんとかしろ!」
「え! だ、だって神尾さん。あいつナイフを持ってるんですよ! 無理ですって……!」
神尾の前に出された三田村にむかって、すたすたと近づいていく。今度は確実にしとめるつもりだった。
「ああああぁ、ご、ごめんなさい! 許してください! お金がほしいなら出しますから!」
三田村が命乞いをしたが、許す気は毛頭なかった。
「随分虫のいい話だな。残念だが、お前らがしてきたことは、こんなものじゃ償えない。皆の痛みを知れ」
そう言い、ナイフを構える。狙いを定め、飛び込もうとした瞬間、背中に激痛が走った。ゆっくりと振り向くと、顔面を蒼白にした須田が立っていた。そしてその手には、血濡れのナイフ……。
「お……俺……刺しちまった……人……人……なあ神尾……どうしよう」
「きゅ、救急車呼びましょう!」
「ばかやろう! そんなことしたら俺たち捕まっちまうだろ! 逃げるんだ! おい三田村、須田は気が動転してるみたいだから、お前がつれて走れ! いくぞ」
呆然とする私を尻目に、三人は逃げていった。残された私は、全てが台無しになってしまったことで、頭が真っ白になってしまった。
背中の傷口から血液が流れ出し。徐々に体力を奪っていく。計画は失敗したのだ。彼には申し訳なく思う。復讐を遂げることができなかった。しかしもう、後戻りはできない。
これからどうしよう……。そうだ……最後に彼に、さよならを言わなくては……。
私は鈍りはじめる体を引きずり、彼の家へ向けて歩き出した。
十分くらいして、私は彼の家の前に到着した。しかし、彼の家の明かりは消えていた。多分もう二人共寝てしまったのだろう。けれども私は、諦めることができなかった。いなくなる前に、どうしてもさよならを言いたい。私は道端の小石を拾うと、余力を振り絞り、それを窓目掛けて放った。どうか気づいて欲しい……。
なんどか窓に当たったが、彼が起き出す気配はない。やはりだめなのか……。諦めかけたとき、唐突に、彼の部屋の電気が点いた。直後、カーテンが開かれ、窓越しに彼の姿が現れた。どうやら、まだこちらに気づいていないようだ。見当違いの場所ばかりを探してる。だが少しして、やっとこちらの方に目を向けた。彼は私の存在に気づくと、窓を開け、驚いたようにこちらを見つめていた。私たちはそれから、しばらくの間見詰め合った。彼の顔を見られるのもこれが最後だと思うと、途端に涙が頬を伝った。私は背中の傷が痛むのを強いて堪えていた。最後は笑顔でお別れしたいと思ったからだ。
見詰め合った後、彼は急に部屋の中へ引っ込み、少しするとまた戻ってきた。その手にはいつものスケッチブックが掲げられてして、そのスケッチブックには、「昨日は高台に行けなくてごめんなさい。明日いつもの時間に待ってます」と記してあった。彼のせいではないのだ。私は首を振り、気にしていないことを告げた。彼は悪くない。悪いのは全部、あいつらなのだ。でも許して欲しい。今日私は奴らに復讐を果たすことができなかった。名残惜しい気持ちを振り切り、私は告げた。
「さようなら」
その一言を告げると、私は走り出した。闇の中を、あの高台へ向って走った。傷口がずきずきと痛み、意識が朦朧としてくる。急な坂に出ると、ぜいぜいと息を切らし、立ち止まった、しかしここで力尽きるわけには行かない。私は殆ど気力と精神力だけで歩を進めた。
高台に到着した時、私は直ぐにその場に倒れこんでしまった。
私はこのまま死ぬのだろうか。
人生を振り返ってみた。
ろくな人生ではない。
私の人生の中で、彼だけが唯一の光だった。
薄れ行く意識の中で思う。
今度生まれ変わるなら、普通の人間に生まれたい。
やがて私は、意識を失った。