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星に願うは君のこと  作者: このはな
恋は思案の外
9/10

 ベッドから降りていちばん大きな窓のカーテンを開けたら、カシャンと新聞受けの蓋が閉まる音がしたので、窓の下を見下ろした。


 帽子にマフラー、てぶくろ等の防寒具に身を固めたおじさんが、自転車のペダルをこいで家の門前から走り去るのが目に入った。自転車の前カゴと後ろの荷台には、山のように新聞が積まれている。ちょうど我が家に朝刊が届いたところだった。


 寒いなかご苦労様。


 遠ざかっていく新聞配達のおじさんの背中にねぎらいの言葉を心の中でかけてから、わたしは空を見上げた。空のほとんどは、夜の世界。でも東の空は、ほんのりと明るい。


 また朝がやって来る。いつもどおりの眩しい朝が。眠れない、と思っていたのに、いつのまにか眠っていて。新しい一日が始まる時を迎えていた。


 日の出前なので、部屋の中も外も薄暗い。家の明かりがぽつぽつと灯っているせいか、闇に包まれているみたい。朝がやって来るのがウソのように感じるほど、とても静かに思える。


 空気も冷たかった。あまりにも冷たすぎて、吐く息さえ凍りついてしまいかねないと勘違いするほどに。まるで雪の女王の白い吐息に囚われてしまったみたいに、わたしの身体も冷たかった。


 でも、まもなく太陽が月と星をなぎ払い、夜が終わりを告げる。冬の日差しに背中を押され、この世に存在する多くのものが目覚め、生きるための活動を始める。それは、皆が知っている自然の(ことわり)


 もちろん、わたしも例外じゃない。願う、願わざるを問われることなく、わたしの一日がもうすぐ始まろうとしている。ううん、始まるなんて受動的なものじゃない。中学三年生の女の子としてのわたしの一日を、滞りなく始めなくちゃならない。


 壁にかけてあるラブリーなハート型の飾り時計を見たら、すでに六時半を回っていた。今日は金曜日。六時間授業で想定外のことがなければ、再びこの部屋に戻ってこられるのは夕方の四時ごろ。学校の滞在時間は、およそ七時間。登校時間も含めると八時間になる。


 八時間か……。持つかなあ。


 そろそろ起きて制服に着替えなくちゃ。寝てる間にクシャクシャになった頑固な髪を直すのに十五分はかかるし、忘れ物がないかカバンの中身も確認しなくちゃいけない。あと、ハンカチにポケットティッシュ、鏡も。くちびるが乾燥して切れてしまわないように、リップを塗る時間だって欲しい。


 けれど、まだ起きたくない。このまま冬眠していたい。八時間も元気なわたしを演じるのは、つらすぎる。


 いつもどおりの生活を行うことが不可能に近いほどの至難の業に思えてきたせいか、胸がざわざわして落ち着かなくなってきた。ひんやりと冷たい窓に頭をコツンとくっつける。


「つめたっ!」


 窓の冷たさに刺激を受けて、ぼんやりとしていた意識が目覚め脳が働き始めた。


 自分の顔の前に、指を広げて右手のひらを見つめた。それから、爪があたって痛くなるまでゆっくり指を閉じて、ぎゅっとげんこつをつくり握りしめてみる。昨日、ナオがそうしたのと同じように。


 痛みと熱、固い手応え。ナオの頬を叩いた衝撃だけがリアルに手の上によみがえってきて、きつくまぶたを閉じた。


 顔は思い出せない。ナオの頬を打ったとき彼がどんな顔してたかなんて、思い出したくなかったし、思い出せるはずもなかった。わたしに叩かれたナオの顔を見る前に、わたしは家の中に逃げ込んでしまったんだから。


 ナオとわたしにとって、昨日みたいなケンカすることは珍しくも何ともなかった。両手の指の数だけじゃ数え切れないぐらい、取っ組み合いのケンカをしたことだって何度もある。それこそ何百回、何千回と。毎日ケンカばかり。


 それに、何度ケンカしてもすぐに仲直りできると、わたしは信じていた。たぶんナオも同じだったと思う。ケンカをしても次に会ったとき、何もなかったように元通り話すことが出来たからなの。仲良く笑いあって手をつなぎ外へ飛び出しって行ったことが、まぶたの裏に懐かしく思い浮かぶ。


 だけど今回は違う。今までのケンカと昨日のケンカは、まるで違っていた。いつから、どうして、こんなに違ってしまったんだろう? どこか間違ってるところあった?


 目を開けて、飾り時計の下の窓へと視線をやった。


 この窓の向こう側には、ナオの家がある。わざとつくったのか、偶然そうなってしまったのか知らないけれど、ナオの部屋が真正面にあって、お互い向き合うようにして窓もあった。


 よく窓から顔だけ出して、学校で面白かったことやテレビの内容などどうでもいい話を、延々とおしゃべりして過ごしたことがあったっけ……。


 その窓際に置かれたベッドで、ナオはまだ寝てるはず。


「ナオ、ほっぺた叩いてごめんね。痛かったよね……」


 物理的にわたしの声が聞こえるわけないってわかっている。それでも構わない。


 わたしは、まだ眠っているはずのナオに向けて呼びかけた。わたしの真実の想いがどうか届きますように。祈りにも似た言葉をくちびるに載せながら。


「でもね、わたしも痛かったの。ホントだよ……」


 人を叩いたら自分も痛いんだ。手も心も、どうしようもなく。


 中三のくせに、いつまでも子供なわたし。


 本当の自分と向き合いたくなくて、子供のフリしているだけのわたし。幼なじみというぬるま湯のような関係を壊したくなかっただけの、ズルいわたし。


 わたしは、今のままでいたいだけだったんだ。ずっと子供のままでいたいだけで、大人になんかなりたくない。そう願っていたことが、はっきりわかった。


 だから、わたし、こわかったんだ。ナオにキスされそうになって、わたしは女の子で、ナオが男の子だってことを思いしらされて。生まれたときからずっと一緒でおんなじだと信じていたけれど、そうじゃなかった。わたしとナオは違う。


 ちゃんとわかっているつもりだった。ナオの引越しを聞かされたあの日、青天の霹靂(へきれき)の意味を知ったあの日に。いつまでも一緒にいられないって、おんなじじゃないって、十分わかり過ぎるぐらい、わかっていたはずだったのに。


 本当にわかっていたなら、昨日矢島クンとのデートに誘われたとき受けるべきだった。ナオの頬を叩く資格なんか、わたしにはなかった。


 今まで十五年間ずっと、わたし何やってたんだろう。どうしてもっと真剣に考えなかったんだろう。ナオの引越しのことを聞いたときに、気づけばよかった。それよりもっと早く、ナオに彼女が出来たときに気づくべきだったんだ。


 こんな簡単で大事なことを、今頃自覚するなんて。

 

「わたし、ナオのことずっと好きだった。ごめんね、ナオ……」


 涙が落ちて、頬が濡れる。


「ごめんね、ずっと知らないフリして……。とっくにわかってたのに、勇気がなくって言えなかった。知らないフリして、ごまかしてた。なのに、ごめんね。叩いてごめんね……」


 わたしは、窓辺に立って体の半分を壁にもたれたまま泣き続けた。




 コンコン、とドアをノックする音がして、パチッと電気がつき部屋が昼間のように明るくなった。


「紗智、いつまで寝てるの。もうとっくに起きる時間よ……」と言いながら、ママが部屋に入ってくる。あっ、と思って涙を拭いたけど、遅かった。ママに泣いてる顔を見られてしまった。


「紗智、どうしたの? 具合わるいの?」


 おでこが温かい。わたしの熱を測ろうと、ママの手が触れたのだ。思わず手を伸ばしてしがみつく。小さいときしていたようにママの胸に顔をうずめたら、懐かしい匂いがしてわずかに気分が安らいだ。すると、「あらあら」と言って、ママがわたしの髪を優しく撫でてくれた。


「風邪ひいて熱があるの、わたしの赤ちゃん?」


 ママがふんわりと柔らかな声で問いかけてきた。「ふふっ」と笑う声がかすかに漏れる。


「ううん。ちょっと、おなかが痛いだけ……。たぶん生理のせいだと思んだけど……」


 わたしは、ママの胸に抱かれたまま答えた。


 次の生理が来る予定日まで、まだ二、三日猶予があったけれど、おなかが痛いのは本当で、おへその下がシクシクして張っているような感覚があった。遠からずやって来る気配がする。


「顔色がわるいから、無理しないで休んだほうがいいわ。貧血起こしかけているかもしれないし。先生には連絡しておくから、来週から行けるようにしっかり休みなさい」


「うん、わかった。そうする……」


 わたしの生理が重いことを知っているママは、何の疑いもなくわたしの言葉を鵜呑みにした。


 わたしが泣いている理由も、年頃の娘にはよくあることと思ったんだろうな。ママは何も聞かないでいてくれたので、わたしはほっとした。


 ママはことあるごとに、『わたしも昔は女の子だったのよ』と、パパによく自慢していた。多感な少女時代を過ごした経験があるんだから、娘のわたしの一番の良き理解者は自分である、とママは信じている節があった。だから、こういうとき助かる。わたしは、心の中で「ありがとう」とつぶやいた。


「朝ごはんは? 少しぐらい食べたほうがいいわよ。リンゴ食べる?」


「うん、食べる……」


 時計の下の窓を一度振り返ってから、わたしはママと一緒に部屋を出た。


 リビングのこたつに潜り、テレビの電源をつけてチャンネルを変えたら、朝のワイドショーの星占いコーナーがちょうどいいタイミングで始まるところだった。思わずテレビにかじりつく。洗濯機が回る音がうるさくて聞き取りにくかったので、リモコンを操作してボリュームを三段階上げた。


「十二月十日金曜日、運勢がいちばんラッキーな星座は……」


 ジャジャーン! という在り来たりの効果音とともにテレビ画面に映し出されたのは、


「おめでとう、牡羊座生まれのあなたです!」


 神様がわたしに意地悪しているのかも。皮肉なことに、わたしの星座だった。


「恋愛運も金運も絶好調! そんな牡羊座生まれのラッキーワードは、おしゃれです。今日は、おしゃれして出かけましょう!」


 ラッキーワードは、『おしゃれ』か……。この星占い信じてもいいのかな。とても、おしゃれする気分になれない。わたし、まだパジャマの格好だし。外へ出かける気にもならない。


 そういえば、ナオに借りっぱなしになっていたフリース、まだ洗濯してなかったんだっけ……。星占いのおかげで思い出した。


 テーブルに置かれたリンゴをシャリシャリほおばりながら、再び部屋に戻りクローゼットを開けた。ナオのフリースを探し出し、ハンガーを外す。フリースを手に持って胸にかき寄せたそのとき、カサッという小さな音がした。


 なんだろう……? フリースのポケットに手を入れて探る。


『フリース洗う前に、ポケットの中身見て欲しいんだよ。百円入ってるかもしんないしさあ』


 わたしにフリースを貸したときのナオの台詞が、頭に浮かんだ。


 あのときのわたしは、ナオが引越しのことをはっきり教えてくれなかったことに腹を立てていたので、『その百円、わたしがもらっとくから安心して!』と、よく考えずに言い返してしまった。でも、さっきの音は、百円の音じゃない。紙のような音だった。


 ひょっとして、ナオが強引に近い形でフリースを貸してくれたのは……。わたしにポケットの中身を確認させたかったのものは、百円じゃなくって……?


 指にあたったものを取り出してみたら、やっぱりただの白い紙だった。ちょうどハガキぐらいの大きさで、本当に見た目はメモ用紙みたい。二つに折り畳んであった。裏を返してみる。『遠藤紗智様』と、ボールペンで書かれた宛名書き。メッセージカードだった。中を開ける。


『サチに話したいことがある。下記の場所へ来て下さい。待ってます。

 

 十二月十日 午後ジャスト五時、名駅(めーえき)前のナナちゃん人形の足の下。


 寒いから、ちゃんとあったかい格好で来ること。マフラーは可。ただし、手袋はなし。


 槙原 尚道』


 何これ……? なんか、らしくない。


 用があるなら口で直接言った方が早いのに、なんでわざわざ外で待ち合わせなんか……。それにマフラーは良くて、手袋はダメって、いったいどういうこと……? 服装指定の意味がわからない。


 そう首をかしげたとき、指がメッセージカードの端っこに触れた。まだ紙が重なっていることに気づく。カードは、二つ折りじゃなくって四つに折られていた。


 まだ、こっちにも書いてあるのかな……?


 念のために確かめておこうとカードを広げたとたん、一瞬のうちに心臓の鼓動が全身に伝わり、八方塞だった想いがパチンとはじけ飛んだような気がした。


 わたし、夢を見てるかもしれない。


 そこに綴られている文字が、とても信じられなくって。手の甲で目をゴシゴシこすってから見直した。だけど、文字は変わらない。


 大きなハートの絵がピンクの太いマーカーで書かれていて、そのハートの真ん中にわたしの名前があったの。わたしの名前、『サチ』の二文字が素っ気無く並んでいる。


 ナオ、わたし……。自惚れてもいいの……?


「何これ? こんなんじゃわかんないよ……。もーう、ナオのバカ……」


 はっきり言わないのが、ナオらしい。


 照れくさそうに無理な咳払いをしてるナオの顔を思い浮かべながら、わたしはカードを胸に抱きしめた。


 




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