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「あのう……、ありがとう、矢島クン。遠回りになっちゃうのに……」
「あー、べつにいいって。遠藤さん、カゼひいて体調わるいんだろう? ちゃんと送らないと姉キもうるさいしさ、全然オッケーだよ。どうってことないよ」
そう言って、矢島クンは朗らかに笑ってくれた。嫌な顔ひとつしないで……。
中学校生活三年間一度も同じクラスになったことがなくって、同じ委員会にもなったことがなく、今までタダの一度もわたしと接点がなかった矢島クン。
元サッカー部のキャプテンで成績優秀、スポーツ万能、先生のウケにも女の子のウケにもいい、パーフェクト・ボーイの彼が、信じられないことにわたしの身体を気づかって家まで送ってくれるって言ってくれたの。半ば姉の権力を行使した小春の脅し(?)があったけどね。
わたし、矢島クンのこと好きって言ってたくせに、ホント彼のこと何も知らなかったんだなあ。
笑うと片方にえくぼができるところが小春とおんなじで、くるくるとよく動く黒い瞳も、物静かで大人っぽい外見とは裏腹に意外とおしゃべり好きなところも、やっぱり血のつながりがそうさせているんだろうな。近くで彼を見ていたら、二人がとってもそっくりなことに気がついた。
さっき別れる前に、ここへ来るまでの道の途中でかんたんにしてくれた小春の説明によると、小春と矢島クンは双子。いわゆる二卵性双生児というやつで、お父さんとお母さんが離婚するときに、それぞれひとりずつ引き取られたらしいの。
それを聞いて、わたしは納得した。
わたしと同じく一人っ子のはずなのに、アネゴ肌の気質を持っている小春の性格を、ずっと前から不思議に思っていたの。
小春は、一人っ子じゃなくて、二人っ子。この世に生まれた瞬間から、彼のお姉さんだったんだ。
「矢島クンって、本当に小春ときょうだいなんだね。よく見たら、なんとなく雰囲気似てるし……。苗字がちがうから、気がつかなかったよ。小春も今までなんにも教えてくれなかったし……」
「まあね、親が離婚したのは、ずいぶん昔……えーと、オレたちが小学校に上がる前のことだったからなあ。姉キも言う必要ないと思ったんじゃないの?」
考えるときの矢島クンのクセなのかな。三日月の形を描いたきりりとした彼の眉が、ピクリと動いて真ん中に寄った。
「たぶん、先生以外だれも知らないと思うよ。遠藤さんと槙原以外はね」
「え……ナオも? ナオも知ってたの……?」
矢島クンは、うなずいた。
「うん、いつだったかなあ。小学校で同じクラスになったとき、なんかの拍子でアイツにだけ知られたんだよね。かくそうと意識してたわけじゃなかったから、口外するなよって約束しなかったんだけど……。アイツだれにも言わなかったんだな。仲のいい遠藤さんが、知らなかったぐらいなんだから……」
そう……なんだ。そんなに前から、ナオは知ってたんだ。ナオだけは……。
ナオらしいな。
ナオは、いつもそう。
お調子者でふざけてばっかりのところがあるけれど、人の気持ちには敏感で律儀なところもある。
やさしいところもいっぱいあって、イジメとか、人としてやっていけないことは決してしない。
わたしにだって、わたしが本気で嫌がることは絶対しない。
今までしたことなかった、はずなのに……。
なんだかウソみたい。
現実感がなくって、夢を見てるみたいで。
ナオがわたしにとった行動が……信じられなくて。
昼休みに突然ナオにキスされそうになったことも。
そのせいで、涙がでそうになるほど落ち込んでいる弱々しい自分も。
今日あったことのすべてが、まるで夢を見ているようで。
本当に夢だったらいいな……って、祈らずにはいられない自分がいた。
「遠藤さん、まだ赤だよ!」
矢島クンに腕を引っ張られて歩道に引き戻されたとたん、けたたましいクラクションが鳴り響いて、目の前を白のミニバンがものすごい勢いで通り過ぎて行った。
びっくりした……。
「だいじょうぶ、遠藤さん? ごめん、ケガはないっ?」
わたしが立つのを手伝おうと、青ざめた顔をしながらも、矢島クンは手を差し伸べてくれた。
「うん、だいじょうぶ。少しおしり打っただけだから……」
ぼんやり考えごとしてたせいで、信号が赤なのに気づかないで横断歩道を渡るところだった。もう少しで車にひかれて大ケガしていたかもしれない。運がわるければ、そのままあの世行き、なんてことになっていてもおかしくなかったかも……。
「ありがとう、矢島クン。一度ばかりか、二度までも助けてくれて……」
はあ、スカートの下にジャージをはいててよかった。
おかげで、擦り傷をつくらずにすんだもの。
「自分で立てるから、いいよ」
だって、こうなったのは自分のせいだし、矢島クンにこれ以上迷惑かけられない。
歩道にしりもちついてしまったわたしは、自分の力で立ち上がるとスカートについた砂埃を手で払った。
「ホントおっちょこちょいだよね、わたし。いつもは、まだマシなんだけどな……」
わたし、何やってるんだろう……。
だんだん声がしぼんだように小さくなって、愚痴っぽくなる。
「今日は、なんか……やっぱダメみたい……」
そんなことやったって意味ないし、矢島クンが困るからいけない。
わかっていたけれど、手の甲で目頭をこすってしまった。どうしても彼に涙を見せたくなかったから。
案の定、矢島クンはちょっとだけ困ったように目をパチパチさせた。
「オレのほうこそ、ごめん。遠藤さんを転ばせちゃったね。姉キに大目玉食らうよなあ、泣かせちゃったし……」
「あっ、いいの! ちがうの、これは、その……。他のことで、ちょっと色々あって、その……」
あわてて涙を拭い去ると、「えへへ」とつくり笑いした。
「矢島クンのせいじゃないからね」
なんとか誤解をとかなくっちゃ。
両手で顔を覆ってかくした。
そして一呼吸置くために……ワン、ツー、スリー。
いない、いない、ばあ!
手を顔の両横に、耳の付け根の辺りで大きく広げ、あっかんべーと舌をだした。
「ほら、だいじょうぶ! もう泣いてないでしょ?」
し、しまった……!
ばあ! と舌をだした瞬間、冷や汗たらり。
するんじゃなかった……。
とっても後悔した。
ホントわたし、何やってるんだろう……。
開いた口がふさがらないといった感じで、矢島クンの口がぽかんと大きく開いていたからなの。
ど、どうしよう。こういうとき、どうしたらいいっ!?
わたしと矢島クン、横断歩道の前でふたり、しばらく固まったまま動けないでいたら、反対側から自転車が近づいてきた。
「あーっ、あのおねえちゃん、へんなかおしてるようーっ」
お母さんらしき女の人がこぐ自転車の荷台にすわっていた小さな女の子が、わたしたちとすれちがう際指をさしてきたの。
「え、えへっ、ばいばーい」
耳までまっかっかになりながらも、恥ずかしさをごまかすために、わたしは女の子に向かって手をひらひらふった。女の子もにこっと笑って手をふり返してくる。
すると、彼のほうが先に「ぶはっ」と吹きだして、げらげら笑いだした。
「も、もーっ、さいっこう! 遠藤さん、いっ、いい! わっ、笑えるうーーーっ」
そ、そうですか……。どーも、喜んでもらえてよかったです……。
彼がおなかを抱えて笑う姿を見て、乙女心はちょっと複雑になってしまったけれど、わたしも苦笑いしないではいられなかった。
なんと驚いたことに、矢島クンの笑いがおさまるまで、横断歩道の信号が変わるのをあと二回は待たなければならなかったの。
知らなかった。彼って、笑い上戸だったんだね。
矢島クンのことで、わたしはまたひとつ新たな発見をした。
わたしの家にやっとたどり着いた頃、空は紺色に移り変わっていた。
おしゃべりでもしているのかなあ。夜空いっぱいに冬の星たちが輝き始めている。
「ふふっ、今日もキレイだね……」
思わず声にだして、ひとり言のように空に向かって話しかけてしまった。
「遠藤さんは、星好きなの?」
あっ、そうだ。今日は、矢島クンが一緒だったんだ……。
あんまり星がキレイに輝いていたから、彼がとなりにいることを忘れて、夜空に見惚れてしまっていた。
そんな子供っぽい自分が恥ずかしくなって、頬が熱くなる。
「うん、大好き……。特に今の季節は、いちばん好きなんだ……。空気が冷たくて寒いけど、星はとってもキレイでしょう? すごく大きく輝いて見えるし……」
でも、矢島クンに大好きな星のことを聞かれて、わたしはうれしかった。
「星座って、とっても面白いのよ。コップ座とかウサギ座とか、由来がよくわかってない星座もたくさんあって……。紀元前のずっと古いものもあれば、たった三世紀前につくられた新しい星座もあるんだって。黄道十二星座は有名でよく知られているけど、中国にも独特の天文学が発達してて、東西で星の呼び方もちがっているのよ。比べてみると、面白いよね……」
聞かれてもいないことを、ひとりで勝手にべらべらしゃべり続けていた。
気分が落ち込んでへこんでいるときは、だれかに話を聞いてほしい。
わたしがそう思っていることが彼に伝わったのか、矢島クンは黙って聞いてくれた。小春と同じようにうなずきながら、小首をかしげて。
くだらないと思われたかもしれないけど、それでもいい。
黙って聞いてくれる、彼の思いやりがうれしかった。
「空には、たくさん星があるんだもの。お月さまだって、全然さびしくないよね……」
「そうだね、遠藤さんの言うとおり、きっとさびしくないよ。うらやましいよな……」
夜空を見上げてぽつりと言った矢島クンの横顔は、とてもさびしそうに見えた。
もしかして、矢島クン……。
「矢島クンは、さびしくなかった……?」
「え……?」
「あっ! ごめんなさいっ」
やばい、変なこと聞いちゃった。
上を向いていた矢島クンが、驚いた顔でわたしを振り返って見たの。
「え、あ、ごめんなさい、変なこと聞いて……」
あーっ、もうわたしのバカ!
ついうっかり口をすべらせて、思ったことをそのまんま聞くなんて。
「矢島クン、今さびしそうだったから……。ただ……ずっと一緒だった人が、急にいなくなることになって……。家族が別れ別れになったことを平気な顔で言ってたけど……。本当はひょっとして、さびしいんじゃないかな……って思っちゃったの……」
やだ、わたし、矢島クンに何を聞いてるんだろう……。
わたしが双子の姉の親友だからって、初対面で立ち入ったことを聞かれたら、いくらやさしいって評判の彼でも怒るよね。
ところが、彼は怒らなかった。
怒っても仕方ないことをわたしはしてしまったのに、背の高い彼はわたしを見下ろしたままで。
矢島クンは、うんと大きく背伸びをすると両手を左右に広げておろし、背中のうしろで手を組んだ。
「ありがとう、遠藤さん。気にしてないから、だいじょうぶだよ。さびしくないといえばウソになるけど、学校に行けば忘れられるし、姉キにも会えるだろ。だから、ホントだいじょうぶなんだ」
彼は怒るどころかほほ笑んでいたので、わたしは胸をなでおろした。
「そっか……よかった。よかったね、矢島クン……」
「そういう遠藤さんは?」
「……へ?」
「遠藤さんも、さびしくなるようなことあったの?」
「矢島クン……」
「さっき横断歩道で、遠藤さんが顔をかくしたときさ、マジでやべぇって思ったんだよね。ぶっちゃけ、こんなとこで泣くなよ、ってさ。そしたら、いないいないばあ! だろ? なんか、びっくりしちゃって」
思い出し笑いしたみたいに、矢島クンの口の端が上にあがった。
「遠藤さんの顔が面白くって笑っちゃったけど、笑っているうちにだれかに似てるよなあ……って思えてきて……。そうしたら、さっき気づいたんだ。遠藤さん、姉キに似てるんだよ」
「小春に……?」
「うん、強がって平気な顔で笑ってるところ、そっくりだよ」
「強がってるだなんて……」
思いがけないことを彼に言われて、うつむいてしまった。
わたし、そんなに強がって見えるのかな……。
そういえば、ナオも同じこと言ってた。
『オレ、ちゃんと知ってるんだぜ。サチが強がりだってこと……』
一日に同じことを二回も言われちゃった。しかも、別々の男の子に……。
幼なじみでわたしのことをよく知っている彼と、今日はじめて話したばかりの憧れの彼。
付き合いの長さも、性格も全然ちがう二人なのに、二人ともわたしのことを見破っている。
「矢島クン、わたし、そんなにわかりやすいのかな……?」
何かを失いかけて、心の真ん中にぽっかり穴が空いているわたしを――
「やっぱり、単純なのかなあ……?」
わたしのことを、二人は見透かしている……。
「遠藤さん、オレ……」
わたしを見下ろしていた、矢島クンの口が動いたそのとき、
「サチ!」
口を開きかけた矢島クンをさえぎるようにして、わたしの名前を呼ぶ声が突然したの。
顔をあげて前方を見たら、ナオが自分の家の門扉のところから顔を出して、わたしと矢島クンをうかがうようにじっと見つめていた。
門の上部に両腕を置いて、その上に顎をのせて、ゆったりと上半身をもたれさせていた。
切れ長の目がいつもより細く尖って、つりあがっているような気がして……。
「ナオ……」
ナオの顔を見た刹那、昼間のことが頭をよぎり、わたしの心臓がとくんと跳ねた。
矢島クンと二人でいるところを、彼に見られたくなかった。
どうしてだかわからないけど、そう思ってしまって。
急に寒さを感じ、ぶるっと身体が震えた。




