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星に願うは君のこと  作者: このはな
恋は思案の外
6/10

 保健室の消毒くさい匂いと陽だまりのあたたかさが、涙がでそうになるほど心地よかった。


 ヒザを折り曲げてベッドのシーツにくるまり寝そべっていると、だんだん気持ちが落ち着いてくる。


 このまま自分の世界に閉じこもっていれば、不安が遠ざかっていきそうで、何もかも忘れられそうな気がする……。


 ううん、何もかも忘れてしまいたい……。 



 壁に押し付けられた背中の痛みも。


 頬に触れられた熱い手のひらも。


 少し開かれた薄いくちびるも。


 はじめてこわいと思ってしまった、突き刺さるような視線も。



 目を閉じて自分の意識から追い出してしまえば、今日起こったことのすべてがなかったことにできる。


 そうすれば、また元通りの元気な自分に還れそうな気がして。


 ノートに間違えて書いてしまった文字を消すように、あの記憶をごしごし一生懸命消しゴムで消している自分を思い描いた。



 しばらくたって、まぶたを閉じてうとうととしているところへ、小春がわたしのカバンを持って姿を現した。


「サチ、だいじょうぶ……? 家に帰れそう?」


 ベッドの横のついたての向こう側から、こちらを覗きこむ眉を曇らせた親友の顔。


 あっ、いけない……。元気ださなきゃ……。


 そうでなくっても、小春はいつもわたしの心配ばかりしてくれているんだもの。


 これ以上余計な心配させたら、神様のバチがあたっちゃうよね。


「あ、うん、ごめんね! だいじょうぶ、カバン持ってきてくれてありがとう」


 と、にっこり笑ってから、両手を前に伸ばし勢いつけて、いっきに身体を起こした。


 それが効を発揮したらしく、小春の憂い顔がちょっとやわらいだので、わたしはほっとした。


「はあ、びっくりしたよ。トイレから戻ってきたと思ったら、急に気分が悪いって言いだすんだもん。顔色も悪かったしさあ」


 彼女らしい憎まれ口をたたきながら、ついたてをまわりベッドのそばまでやって来た。ベッドの脇に置いてあった丸椅子に「よいしょ」とすわり、手を組んで小首をかしげる。


「今流行りはじめだって先生から聞いたから、サチもカゼひいたんじゃないの? 熱はあった……?」


 わたしの顔近くにまで、小春の手が伸びてきた。


 とたんに、よみがえる指の感触。


 背筋がビクッと反応して、彼女の手が触れる前に思わず顔をそむけてしまった。まぶたまでぎゅっと閉じてしまう。


「サチ……どうしたの?」


 彼女の怪訝そうな声に、はっと気づいた。


「あ、ごめん! なんでもない……」


 あわてて顔を元の位置に戻すと、なんでもなかったように「あはは」と笑ってみせた。


 でも、かえって逆効果だったみたい。


 乾いたように笑うわたしを見て、小春の目が大きく見開いた。


「ひょっとして、アイツとなんかあったの、槙原と……?」


 まぶたがピクピク震えるのを感じて、わたしは口を閉じた。


 カンがいい小春は、わたしの異変にすぐ気づいたようだった。わたしの手の上に自分の手を置いて、包みこむように握ってくれる。何かから守るように、そっとやさしく。


 そして、わたしをじっと見つめながら、つぶやくように静かに話しだした。


「サチが行ったあと、アイツ血相変えてさ……。急に教室飛び出していったの、すっごい勢いで。あんまりすごかったから、わたし目がテンになっちゃった。おかしいと思ったよ……」



 そっか……、ナオは本当にわたしを心配して追いかけてきてくれたんだ。


 わたしが泣きそうになって我慢していたことに、すぐ気づいてくれたんだ。



 胸がちくりと痛んだ。


 だったら、なんで急にあんなことを……どうしてキスしようとしたの?



 黙りこくって返事をしないわたしの身体から、小春は少し身を離し、足をもぞもぞ動かして居住まいを正した。


「サチ、ちがってたらごめんね。アイツとケンカでもしたの……?」


「小春……」


「それとも……告られたの、槙原に……?」


「ちがうっ、ちがうよ! そんなことあるわけないじゃん……」


 わたしは、小春の声をさえぎった。


「だって、ナオ、いっつも冗談ばっかなんだよ。いっつも冗談言って、ふざけてばっかで、ホントのこと言ってるのか言ってないのか、全然わかんないんだもん……! だから、だから……」



 だから……キスしようとしたのも、きっと冗談だったんだ!


 うっかりその気になって、わたしが目を閉じたりしたら、面白がってバカにするつもりで……。


 いつものように、にっと笑って……わたしのことからかって……。


『何やってんだよ、サチ! じょーだんにきまってんだろう』って、また言うつもりだったんだ……。 



「引越しのことだって、はっきり教えてくれないし。頭がグチャグチャでわかんないよ……!」



 わたし、ナオに恨まれるようなことしたのかな……。


 知らないうちに、ナオに嫌われるようなことしたのかな……。


 ナオが何を考えてるのか、全然わからない……。



 わからなくて、こわい……!



「うん、そーだよね。はっきり言ってくれないと、わかんないことあるよね」


 小春は、わたしの頭をなでてくれた。


「だからね、サチ。悩み事があったら、遠慮しないではっきり言いなよ。わたしだって、アンタのこと心配してるんだから。ちゃあんと言ってくれないと、わからないんだからね」


「うん……、うん……」 


 わたしは、小春の言葉を聞きながら何度もうなずいた。


 歯に衣を着せない口ぶりが、彼女の本心を語っているようでとってもうれしい。


 小春が、わたしの親友でいてくれてよかった。本当に心からそう思った。


 わたしの不安な気持ちを吹き飛ばしてしまいそうになるほど、明るくくったくない彼女の笑顔を見ていたら、なんだか元気がわいてきて。


 もやもやした気持ちがどこか遠くに吹き飛んで、消えてなくなってしまったような気がしたの。


「小春!」


「さ、サチ……?」


 あんまりうれしくて、飛びつくように小春に抱きついてしまった。


「小春、ありがとう。そのときになったら、相談するね……。ホントにありがとう。小春、だーいすき!」


「あーらら、サチは甘えんぼさんなんだから!」


 小春も、うれしそうに笑ってくれた。 


「でもね、いーのいーの。もっと言ってちょーだいなっ。なんなら、槙原に一発お見舞いしてやってもいーけど? サチの代わりにね!」


 パシッと手を合わせて打ち鳴らすと、彼女はおどけてウインクした。




「遠藤さん、受験勉強大変だろうだけど、今日はゆっくり休むのよ。気をつけて帰ってね」


「はい、先生。ありがとうございました……」


 保健室に逃げ込んでいる間に時がたち、いつのまにか下校時間になっていた。


 養護の先生に帰りのあいさつをして、靴箱のある土間に下りたときには、すでに日が傾き始めていて。


 グランド整備の道具を片付けているんだろうな。野球部員の白いユニフォームが、校舎と反対側にある体育倉庫の前で、ちらちら動いてるのが目立っていた。



 あれからずいぶん長い時間がたったような気がして、頭がぼんやりとする……。


 あっ、ダメ……! しっかりしなきゃ、わたし!


 再び不安に駆られてしまいそうになった思いを断ち切るために、わたしはぼーっとした頭をぷるぷる横に振った。


「小春……」


「なーに、サチ?」


「あのね……、さっき保健室でちらっと言った……ナオの引越しのことなんだけど……。まだ、はっきり聞いたわけじゃないの。だから……」


「みなまで言わなくてもいーわよ。もち、聞かなかったことにするつもり。安心してっ」


「ありがと、小春……」


 わたしと小春は、普段どおりおしゃべりしつつ靴をはきかえ土間をでた。


「そういえばさ、サチがいなかった間にね……」


「え、ナニ何? なんか面白いことあったのー?」


 元気にはしゃぎ、くすくす笑い合いながら、大きく足を踏みだし段差になっている坂を下りはじめた。


 だけど校門がある方角、左手の方に視線を向けたそのとき、自然に足がとまって立ちすくんでしまった。


 目に飛び込んできた、彼の横顔。


 ナオ……。


 校門の前に大きく枝を広げそびえ立つ桜の木の下で、ナオが立っていた。でも、ひとりではなくって。髪を耳の上で二つに結んだ女の子が、彼のとなりで、彼の顔を見上げて笑っていた。


 あの子が、うわさの……ナオの彼女なのかな……。


 ナオのとなりの場所に当然のように立っている、名前も知らない彼女を見ていたら、どうしたんだろう……。胸が苦しくなって、息がしづらくなってきた。



 どうしよう……。ナオに会いたくない。


 どんな顔をして、あの二人の前を通り過ぎればいいの?



「サチ、裏から行こうか?」


 状況を察してくれたのか、小春がわたしに聞いてきた。


「でも……遠回りになるし……」


「もーう、サチったら! それぐらいどうってことないわよ。あんなところ通るよりマシでしょう?」


 小春が、びしっと校門前のふたりに向かって指差した。


「アンタが具合わるい原因をつくった張本人は、あんなところで女といちゃいちゃしてんのよ! 少しぐらい心配したってバチはあたらないのにさ、くやしいと思わないの?」


「べつにくやしくないよ……。誰だってタダの幼なじみより、自分の彼女のほうが大事なんじゃないの? 仕方ないよ……」



 そうだよ、こんなところでグチャグチャ思っていても仕方ないよ……。


 だって、ナオとわたしは、どうやったってタダの幼なじみなんだもん。


 今までも、これからも、きょうだいみたいに仲良く……。


 仲良く……?



 本当に、ナオと仲良くできる……?


 今までどおりに……?



 できない。



 仲良くできないよ……!



 ナオが引越ししたら、今までみたいに一緒にいられない……。


 今のままでいられたとしても、やっぱり一緒にいられない……!



 やっぱり、ナオがこわい……!

 


 ナオがわたしにしようとしたことを思い出すだけで。


 ナオの思いつめたような顔を思い出すだけで。



 こわくて、胸が痛い。


 すごく苦しい……。



 突然立っている地面がぐにゃりと動いて、宙に浮いているような不安定な感覚におちいった。


 足元がふらついたと思ったら、


「あっ……!」


 段差を踏み外し身体がずるっとすべり落ちそうになる。 


「サチ、あぶない!」


 小春に名を呼ばれた瞬間、ナオが振り向くのが視界に入った。


 こちらに向かって駆け出そうとする彼の姿が、コマ送りのように見える。



 それから、すぐにオレンジ色の空に転じて……。



 あっ、わたし倒れるんだ……。



 そう思って、次に訪れる衝撃に備えるため身を固くしたとき、背中が何かにぶつかり、ぐいっと強い力で引き寄せられたのを感じた。


 心臓が早鐘のようにドキドキしている……。



「だいじょうぶ、遠藤さん?」


 わたしの頭上から、どこかで聞き覚えのある声が降ってきた。


 この声……。もしかして……。


「やっ、矢島クン……?」


 びっくりして頭を動かして顔を上に向けたら、凛とした涼やかな黒い瞳がわたしを見下ろしていた。


「うん、そーだよ、遠藤さん。オレ、一組の矢島光平(コウヘイ)


 彼が、わたしに向かってにこっとほほ笑みかけている。


 う、ウソみたい……。こんな至近距離で、矢島クンのきれいな顔を見るなんて……。


 しかも彼は、段差を踏み外し倒れそうになってしまったわたしを、自分の胸に抱きかかえ支えていてくれていた。


 背中から覆いかぶさるようにしっかり……。


「あっ、ごめん!」


 矢島クンは、あるまじき体勢に気づくと、わたしのおなかの上にあった腕をすぐに離した。


「とっさのこととはいえ、ごめんね、遠藤さん。イヤだったでしょ?」


「あの、その……、わたしのほうこそ……」


 矢島クンと顔を合わせるのが恥ずかしくて、うつむいてもじもじ手を動かしていたら、ふたの外れたカバンが転がっているのが目に入った。見渡すと、教科書とノートがあちこちバラまかれたように散乱している。


 瞬時に彼のものだとわかった。


「ごめんなさい、矢島クン! わたしを助けようとして、教科書が……」


「いいよ、教科書ぐらい。遠藤さんの方が大事なんだから、気にしなくていーよ」


「そうそーう、いいのよ。サチが気にしなくっても」


 小春がわたしをぎゅっと抱きしめてきた。


「サチがケガしない方が大事なんだから、ホント気にしなくていーの。よくやったわ、光平。褒めてつかわす」


 な、何? 光平……!?


 小春が矢島クンの名前を呼び捨てにしたので、びっくりして二人の顔を交互に見た。


「へ、どーいうこと? 小春、もしかして矢島クンとつきあってるの……?」


 すると、小春と矢島クンがきょとんとした顔で見合わし、一緒に仲良くぷぷっーっと吹きだした。


「ひーっ、やめてよお、サチい。なんでコイツとわたしがつきあってると思ったのーっ?」


「オレだってヤダね、姉キみたいなガサツな女! 血がつながってるだけでも、イヤんなっちゃうときがあるのにさあ」


「なあんですってーーーっ! 弟のクセに姉に逆らう気いーーー?」


 ふたりは、わたしが見てる目の前で言い争いをはじめた……っていうより、これって、ひょっとして……。


「ちょ、ちょっと待って……」


 わけがわからなくて、こんがらがってしまいそうになっている頭を両手で抱えた。


 姉キ……? 弟……?


 ってことは、つまり……。


「矢島クンと小春って、きょうだいなの……?」


「あっれー、サチ。わたし、言ってなかったっけ……?」


 わたしは、思いっきり頭を縦に振った。


「ほら、見ろ! やっぱガサツな女じゃないか……」


 あきれたようにぶつぶつ言った矢島クンの頭を、小春が軽くこづく。


 ほ、本当に、この二人きょうだいなんだ……。


 小学校のときからずっと友達で、もう何も知らないことはないと思っていたはずの彼女に、まだ思いがけない真実があったことを知って。


 目の前のことに驚いていたわたしは、気づかなかったの。


 ナオがわたしたちにくるりと背中を向けたことに……。


 わたしが校門を見たときには、もうナオの姿はなかった。とうぜん彼女らしき女の子の姿も。


 ただ冷たい木枯らしが、身体ばかりでなくわたしの心まで凍えさせようと、すきま風のようにぴゅーっと通り過ぎるのを感じて、悲しくなって目を伏せてしまった。






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