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地下鉄の改札口をくぐり、地下街のメインストリートに出て、大勢の人の波に合流した。
天井からぶらさがっている行き先を示す表示に気を取られながらも、流れに逆らわないように急いで前の人について歩く。
わたしが目指している約束の場所、‘ななちゃん人形’がおわすところは、名鉄線名古屋駅の横にある百貨店の出入り口付近だった。
申し遅れたけど、‘ななちゃん人形’とは、身長が六メートルもある白いマネキン人形の女の子のことなの。
彼女は、いわゆる我が街のシンボルマーク的存在で、夏はビキニの水着、今の時期だったら赤いミニのサンタドレスなどなど、季節に合わせて最新の流行ファッションでキメる頼もしき乙女の味方。つまり、おしゃれ番長だったりする。
そして、カップルがデートのとき待ち合わせする場所として、地元では有名なところだった。
よく考えてみると、家や学校以外の場所でナオと会うのは、初めてかもしれない。しかも、外でわざわざ待ち合わせしてまで会うなんて……。
ナオ、いったい何の話をするつもりなんだろう。
あのカードのメッセージには、約束の日時以外に『話があります』としか書いていなかった。ひょっとして、引っ越しのことについて説明してくれる気にやっとなったのかな。
それとも、カードの中のもうひとつのメッセージ、大きなハート……に関係する話だったりして。
とくん。
わたしの心臓がはねて、どきどきと脈が早くなった。
なんとなく予感がする。次にナオに会ったとき、今までと違う何かが始まるような。そんな予感がしてきちゃって、どうしよう。緊張して足が震える。
やだ、わたし、何を期待しているの?
ナオにはっきり言葉で言われたわけじゃないのに。ただ‘ななちゃん人形’の足の下で待ってるって、話があるって言われただけなのに。
わたしは、ママにつきあってショッピングに行くときぐらいしか百貨店まで足を運ぶことがなかった。地下街には中高生向けの安くてかわいいお店がたくさんあるし、それだけで十分事足りるので、地上に出て高いブティックに行く必要なかったからだ。
そのため、やむを得ないときしか‘ななちゃん人形’の足元を通らなかった。どうしても通らなくてはならないときは、競歩のごとくダッシュで通り過ぎた。彼や彼女が来るのを待っている人たちと目をあわさないように下を向いて。
だから、彼氏いない歴十五年のわたしには、‘ななちゃん’はまったく縁がない場所だと思い込んでいたのだ。
そのわたしが、一方的に呼び出されたとはいえ、待ち合わせしに行くことになるなんて。今置かれている自分の状況がとっても信じられない。
だって、‘ななちゃん人形’の下で待ち合わせするってことは、『わたし、これからデートがあるんです。ラブラブでうらやましいでしょ?』ってプラカード掲げて、大っぴらに宣言しているようなものだもの。公然の暗黙の了解というヤツで。
だから……なのかな。さっきから他の人の視線が痛い。今わたしの周囲にいるすべての人たちが、わたしの動向に注意を払っているような気がして。だれかに見られているような気がして、ひどく自分の恰好が気になってしまう。
ショーウィンドウのガラスに映る姿を発見するたびに、不自然に立ち止まらないように気を付けて歩きながら、顔をあちこち向けて前髪のクセを直したり、さりげなく服の裾を引っ張ったりしちゃって。そして、ガラスを覗きこんでは「ふう」とため息をこぼした。
あーあ、わたしってホント大バカ。こんなことやったって、ファッション雑誌に載っている女の子のように変身できるわけないのに。
恋する乙女らしい一面が自分の中にもあったことに驚いて、半ばあきれると同時に切実な思いがした。波紋のように円を描いて徐々に胸の中に広がっていく。
好きな人の目には、可愛いわたしが映っていてほしい。わたしも、そう願ってしまったの。
クローゼットの奥からタンスのこやしになっていた服を探して引っ張り出したのは、そのためだった。朝テレビで見た星占いのラッキーワードが『おしゃれ』だったということに背中を押されて、あんまり興味がなかったおしゃれをわたしもがんばってみようと思ったの。
ナチュラルピンクのラメがキラキラ入ったもこもこセーターに、黒のフリルがついたミニのチュールスカート。リボンのアクセントがかわいいざっくり手編みの白い帽子と、肌が透けてえっちに見えない厚さの黒いタイツ、それに編上げのブーツ。
普段のわたしなら絶対着ないコーデに身を固めて家を出てきた。途中で知ってる人に出会って白い目で見られたら恥ずかしいので、いつものミリタリー風コートを着てかくしてきたけれど。
それなのに、無理。今の自分にできる精一杯のおしゃれしてきたつもりなのに、やっぱり自信がない。
だって、わたしは、自分の容姿に成績がつくなら、たぶん五段階の中の三。可も不可もない、ううん、どちらかと言えば不可の方が多い、いたってごく普通の女の子。
目だってパッチリしてないし、鼻も高くない。口だって食べるためだけに存在しているみたいに大きいし、あるべきところにお肉がついていない。十五歳になる今までパパやママ以外の人に「かわいい」と言われた記憶だってない。もちろん、ナオにも……。
世の中、どうしてかわいい女の子がたくさん存在しているんだろう。
通りをすれ違うわたしと変わらないぐらいの年の女の子たちが、みんな自分よりずっと美人でかわいく見えて。
わたしが、いちばんこの世で至上最悪。どんなにおしゃれしたって全然敵わない。到底女の子らしさをアピールできないし似合わない。そんなふうに思ってしまうの。
おまけに、のんびりしていられない。話が済んだら、すぐ戻らなくちゃいけない。学校を休んだうえに、図書館に本を返しに行く日だからって、ママにウソついて家を出てきちゃったんだから。
そうだよ、ナオとは話をするだけ。でっかいハートをもらってうれしかったのは事実だけど、だからって調子に乗ったらダメ。これは、デートじゃないんだから……! わかった、サチ?
ウィンドウガラスの自分にあっかんべーと舌を出して素早く決別すると、わたしは近くの階段を上がって地下街から地上へと出た。
「わあ、きれい……」
外は、すっかり日が暮れて、もう夜。
クリスマス・イルミネーションによって街路樹はロマンチックに飾られていて、わたしの大好きな星たちがたくさん街に降りてきたみたい。少しずつ気分がほぐれて、さっきまで感じていたみじめな想いも消え去ったような思いがした。
暖かい場所から急に冬の冷たい空気に身をさらしてしまったので、身を震わせて首が縮んでしまいそうになったけれど、実際はならなかった。不思議と寒さを感じない。
顔を上げて胸いっぱいになるまで息を吸い込む。冷たい酸素が脳に行き渡ったおかげで、頭がしゃきっとした。
よし、やるぞ! ナオの言う話がなんなのか知らないけど、負けていられない。自分の気持ちがはっきりわかったんだもん。
「わたしだってガツンと言ってやるんだから、ガツンと!」
気合を入れるために、「えいえいおー!」とこぶしを天に向けてつきあげる‘我が生涯一片も悔いなし!’ポーズをしたときだった。
パシッと振り上げた右手首を、いきなり捕まえられてしまったの。
「もーう、物騒だなあ。こんなの振り回しちゃって……」
と、笑みを含んだ声が背後から聞こえてきた。背中に固い感触があたったので、思わずぎくりとなる。どくどくと心臓の音が大きくなって、耳鳴りのようにうるさく感じてしまった。
「な、ナオ……?」
そうやって聞き返すのが、やっとだった。やばい、後ろを振り向けない。顔が急速に熱を帯びるのがわかって、前を向いたままナオの視線を背中で受け止めた。
「オレ以外のヤツにあたったらどーすんだよ、サチ? そいつ、死んじまうぞー」
「そ、そんなことないって……。そんなことないもん……」
よかった、いつものナオだ。
わたしがよく知っているナオの憎まれ口がしたので、ほっとしたのはよかったんだけど……ど、どうしよう! これ以上近寄らないでほしい。ナオとわたしの服が引っかかるように上下に擦れたのを、とっさに認知してしまったの。
ナオはいつものナオなのに、わたしの方がいつものわたしでいられない。パ二くって身体に変に力が入って強張ってしまう。ちょっと触れただけなのに、ナオの胸を意識しちゃって、つかまれた手首が熱くってどうしようもない。
「手、離してよ……!」
「い・や・だ! 離してまたビンタ食らったらヤダもん、痛いからさー。もうサチがしないって言うなら話は別だけど?」
と、ナオが意地の悪い調子でわたしに言った。
いつものわたしなら、ここで『おまえ、お子さまか!』とツッコミ入れて蹴りをおまけにつけてやるところだったんだけど。
「うん、もうしないから離して……」
哀願するような弱々しい小さな声しか出てこない。ナオに片手をつかまれて背中を向けた姿勢でいるしかなかった。
すると、ふいにナオが腕をおろしたので、少しだけ身体が楽になった。わたしの手はまだ彼の中にあったけど、腕が下におりたおかげで、身体をずらして自分とナオの間に十分な距離をつくることができた。
「そーだなあ、絶対下を見ないって約束するなら離してあげてもいーよ」
「へ……なんで?」
思わずナオの言った変なセリフにつられ、腰をひねり身体の向きを変えてしまった。下を向いてナオの足元に視線を移す。
そうしたら、何それ?
そこには、色もデザインも異なるスニーカーを片方ずつはいたナオの足があったの。びっくり! 目を丸くさせて顔を上げる。
ナオが「ちっ!」と舌打ちして、わたしをにらんでいた。
「ナオ、どーしたの、それっ? なんでちがうのはいてるのーっ?」
おなかの底から笑いがこみ上げてきて、一生懸命抑えようとしたけれど結局吹き出してしまった。げらげら大きな声を出して身をよじる。
「わ、バカ! 大声出すなよ! 下を見るなって言ったばっかりだろ!」
ナオがあわてふためいてわたしの目をふさいできたので、わたしの視界は真っ暗になった。ひんやりとしたナオの大きな手をまぶたの上で感じる。
こんなことするつもりじゃなかったのに、パチパチとまばたきしてしまって、わたしのまつげがナオの手のひらを擦った。
「笑い事じゃない! みんなサチのせいなんだぞ!」
雑踏の中にいるはずなのに、ナオの声しか聞こえてこない。
「えー、なんでよう。わたし、なんにもしてないじゃん。間違えて靴はいてきたのは、自分のせいでしょう!」
文句を言いながらも、わたしは心の中で安堵をしていた。いつものように自然な会話がすらすらと出てきたからだ。
その一方でわたしのまつげは、ナオの手のひらと触れていた。ナオの手と接触している部分が自分のものでないような感覚がして、さらにそれをごまかすかのように、わたしの口だけが冷静に動いているような気がする。
「わたしのせいにしないでよね、ナオったら……」
「サチがそんな恰好してるからだぞ!」
ひえ! 目隠ししているナオの手が緩んで、彼の親指がわたしのほっぺを一瞬撫で上げた。ナオの言葉と仕草の両方に驚いて、息が詰まる。
「サチが、その、短いの着てるから……。コートの下に何にも着てないような恰好で家を出るのを見ちゃったから、オレ……。あわててオレも家を飛び出してきて……」
「ナオ……」
ナオの手を引きはがし思いきって見上げたら、わたしより頭ひとつ分高いところにナオの顔があった。
電灯の下のナオの顔は白かったけれど、口をへの字に曲げてもごもごさせていたので、彼が恥ずかしくて照れていることがすぐにわかる。
「だから、靴が片っぽ違ってたんだよ! サチのせいだぞ! なんか文句あるっ?」
「ううん、ありません……」
ナオの赤い顔を見て、わたしも恥ずかしくなった。
「よし!」
ナオはふくれっ面をしながら「いーっ!」と白い歯を見せた。そして、すぐ目がつりあがる。
「寒いからあったかい服で来いって言っただろっ。なんだよ、そんな格好してさ」
「だって……」
「だってって、なんだよ」
「だって、星占いが……」
「はあ?」
「牡羊座のラッキーワードが、おしゃれだったんだもん!」
真っ赤になってしまった顔を見られたくなくて、うつむいた。ブーツのつま先が見える。黒のタイツに包まれた膝小僧が小刻みに揺れていた。
「そんなに怒らなくたって……」
「怒ってないよ。そういう短いのも、あの、なんていうか、かわいいし……」
「え……?」
「それから、昨日のことゴメンな。オレがわるかったよ」
ナオがわたしの手をつかんだまま自分が着ているダウンコートのポケットの中に入れた。その中でぎゅっと力いっぱいにぎりしめられる。
「な、ナオ……」
「ほら、こーすれば手袋なくったってあったかいだろ?」
「うん……」
「だから怒ってないよ、ちっとも。怒ってなんかいないよ」
ナオの声がとっても優しかったので、わたしもポケットの中の彼の手をにぎり返した。顔を上げるのが恥ずかしいので、うつむいたまま黙ってうなずく。
なんだか、もうそれだけで、いっぱいいっぱい。
今、時間が止まってしまえばいいのに。そう思ってしまった。