第9話 完全栄養食は完全にマズいです!
「もう抱きかかえなくても大丈夫なんだけど……」
「さっきみたいな事になったら危ないでしょう?」
「そうだぞ、さっきは人がいなかったから良かったものの……下のフロアは人通りも多いからな」
押し問答の末、エリスは成瀬に抱きかかえられながらエスカレーターを降りることになった。いまだに乗り降りする時に大きく跳んでしてしまうため、傍から見ると危なっかしく見えるのだろう。
「この階には100円ショップがあるから、寄っていきましょう」
「100円ショップ?」
「細々としたものが全部100円で売ってる店だ」
「ふむ……それはいいね!」
今やお金持ちと言えるエリスではあるが、長年にわたるスラムと教会での貧相な生活の習慣が抜けきっていない。そんな彼女を久我とエリスは微笑まし気に見つめていた。
「エリスちゃんなら100円ショップじゃなくても余裕で買えると思うけどね……」
「それは違うかな? 安く買えるなら安い方がいいに決まってるじゃない!」
エリスがやたらと乗り気になって100円ショップへ向かおうとする様子に、少し呆れ気味になりながらも二人が後を追う。
「うわぁ、凄い。これ、全部100円?」
「大きい物は違うものもあるけど、基本的には全部100円ね」
安くていいと思う一方、エリスはあまりにも安すぎる価格に不安が脳裏を過った。
「安すぎる気がするけど、大丈夫なの?!」
「質はそれなりだが、使う分には問題ない」
「食器用洗剤、スポンジ、タオル、布巾、歯ブラシ、ボディソープ……」
カゴに成瀬が次々と必要そうな商品を突っ込んでいく。その中には前に食器売り場で売っていた箸という名の2本の棒も含まれていた。
(あ、棒……でも、100円なら安いし……)
2本セットになっている理由はさっぱりなエリスだが、1本は予備だと考えれば辻褄が合う。
その間にも成瀬は必要そうな物を次々とカゴに放り込んで会計を済ませてしまった。
「必要なもの全部は買えないけど、これだけあれば最低限は何とかなるわね」
「だいぶ買い込んだ気がするけど……」
「3人分なら仕方ないだろうな。荷物は俺が持つから気にするな」
大きな袋に詰められた日用品を久我が片手で持つと、成瀬を先頭にデパートの中を進んでいく。当然のようにエスカレーターでエリスが抱きかかえられながら。
「あとは夕食の材料だね。今日は何を食べさせてくれるのかな?」
「完全栄養食は――」
「絶対ダメ!」
楽しそうに聞いてくる成瀬に、エリスは多くの人でごった返している完全栄養食売り場をじっと見ながら答える。しかし、言い終わる前に成瀬によって食い気味に拒否された。
「あれは人間の食べるものじゃねえ」
「でも、あんなに沢山の人が並んでるよ?」
「それは普通の食材が高くて手が出ないからな。この間のパスタも結構な金額だったんじゃないか?」
エリスはきょとんと首を傾げた。
「うーん、全部で1万円くらいだよ」
事も無さげに答えるエリスに、久我は大きくため息を吐いた。
「はあ……その金額、1人分だっただろ。一般家庭の収入を考えたら、そうそう手が出せる金額じゃない」
「だから、みんな仕方なく完全栄養食を買ってるのよ。もちろん私たちもね」
二人はまるでお通夜のように沈んでいた。彼らをここまで追い込む完全栄養食にエリスは逆に興味が湧いてくる。
「うーん、少し興味があるんだけどな」
「それじゃあ、帰りに喫茶店に寄ってみるか。あれよりもマシな完全栄養食が食べられるぞ」
エリスは完全栄養食に後ろ髪を引かれる思いで食材を買い込んでいく。
「うーん、今日はミートローフにでもしよう」
100円ショップでは成瀬が主導権を握っていたが、食品売り場ではエリスが主導権を握って食材をカゴに放り込んでいく。
「ひき肉とパン粉、玉ねぎに卵とラード、あと付け合わせにパンとジャガイモで全部だね」
パスタは1人前な上にシンプルな料理だったおかげで材料費が1万円で済んだが、今回は3人分で手の込んだ料理にしたため、5万円ほどかかってしまった。
「少し買いすぎたかな?」
「気にしないでいいわよ。どうせ上が払うからね」
「そろそろ帰るか?」
「そうね。私は車を取ってくるから、建物の前で待ってて。あ、喫茶店には行くから心配しないでね」
帰ると聞いて不安が顔に出ていたエリスの額を人差し指で軽く突いて、成瀬がエレベータホールへと歩き去っていった。
エリスたちが建物の外で待っていると、彼女の車が目の前で停まる。荷物を積み込んで車に乗り込むと、ゆっくりと走り出した。
少し走って繁華街から外れたところに、その喫茶店はあった。三角屋根のレトロな雰囲気を持つ建物は、むしろエリスにとっては馴染み深いもの。
「それじゃあ、さっそく中に入ろう!」
一足先に店内に入ると、落ち着いた雰囲気ながら清潔感のある内装にエリスは目を奪われた。
「まるで貴族のサロンみたいだ……」
「そんなことないわよ。普通の人でもちょっとの贅沢程度で入れるお店だからね」
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
店員の言葉に甘えて、成瀬の選んだ席に座った。
「完全栄養食……あった! でも、なんか色々とあるんだけど」
「ああ、ここは完全栄養食のアレンジメニューも多いわね」
「ふぅん、丼……と蜂蜜とかクリームを掛けたのもあるのか。でも、他の物を付けると一気に高くなるね」
「それは仕方ないさ。完全栄養食以外の食材はコストが掛かってるからな」
確かにデパートでも完全栄養食と他の食材では価格が10倍以上違った。それを考えると喫茶店の値段も妥当だと言える。
メニューを見ながら、エリスは完全栄養食と紅茶のセット、成瀬はチョコレートパフェとホットコーヒー、久我はBLTサンドなるものとホットコーヒーを注文した。
「こ、これが完全栄養食……?」
しばらく待って出てきた完全栄養食にエリスは絶句した。例えるなら黄土色のレンガのような物体がドンと皿に乗っているだけ。成瀬や久我のような見た目の華やかさもなく、申し訳程度にナイフとフォークが添えられているだけだった。
「ま、まあ……実際に食べてみなきゃ分からないよね」
一口大に切って、恐る恐るエリスは口に運んだ。まず、青臭い匂いと蜂蜜のような甘ったるい匂いが混然一体となって口の中に広がる。続いて、わずかに塩気が感じられる胸やけをしそうな甘さが口に広がり、それを追いかけるように酸味が舌を刺す。のど越しは誤魔化しようのない苦みが喉を焼いてくる。
「う……ま、マズい。マズすぎます……」
口にした途端、エリスが白目をむいて固まった。意識はあるらしく口がもごもごと動いているが、わずかに開いた口の端から涎と共に魂が抜け出ているようにみえる。
「マズい、マズいよぉ……」
うわ言のように繰り返しながら、エリスは涙目になりながら飲み下そうとする。しかし、あまりにマズすぎて喉が完全にシャットアウトしていた。
「だから言ったじゃないの……」
「何事も経験ということか」
成瀬にアイスコーヒーを頼んでもらい、エリスはコーヒーの強い味と香りで誤魔化しながら、口の中に残った完全栄養食を強引に流し込んだ。
「こんなもの、よく食べれるな……」
「小さいころから食べてるから、慣れてるというのもあるわね」
「マズいけどな。これ以外に食べるものが無ければ、イヤでも食べなきゃいけねえ」
「栄養だけはあるのよね」
一気に食欲の無くなったエリスは、成瀬に代わりに食べてもらう。彼女は生クリームや蜂蜜、チョコレートソースなどを追加して「マズい」と言いながらも平然と食べていく。
あまりに平然している成瀬を見て、エリスは味を誤魔化しているからだと思い始める。しかし実際に口にしてみた結果、いくら味を誤魔化してもマズいものはマズいという教訓を得ただけだった。
「ヒドイ味だった……」
「気を取り直して帰りましょ」
成瀬は意気消沈するエリスの肩を叩いて励ました。車で自宅に戻り、夕食の準備を始めようとしたところで、久我の端末に佐久間から着信があった。すかさず通話状態にしてスピーカーモードに切り替える。
『テロリストから爆弾テロの犯行予告があった。大至急、署に戻ってきてくれ』
一瞬にして、久我と成瀬の間に緊張感が走った。




