表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/26

第9話

 

 一年生と思しき生徒たちが、ようやく授業から解放された喜びを体いっぱいで表現するかのように友達同士で楽しそうにおしゃべりしながら階段を降りてくる。凛は彼らの間を縫うようにして階段を上に上がる。凛の教室があるのは三階で、その上の四階には一年生の教室しかない。三階から階段を上に登る生徒は凛だけだった。上から降りてくる一年生たちは、まるで彼らには凛の姿なんて見えていないかのように、凛のことを気にすることはなかった。だけど凛はそのことを何とも思わない。いつものことだったから。

 四階から更にその上の階に向かう。

 この校舎は四階建てだから、四階の上には屋上しかない。もはや上から降りてくる者は誰もいなかった。凛は一人、階段を上る。先ほどまでとは別の建物に迷い込んでしまったかのように、階段には凛の足音しか響いていなかった。

 階段は、突き当りにぶつかった。そこは四畳ほどの小さな小部屋だった。いわゆる「塔屋」と呼ばれる場所で、ここから屋上に出ることができる。屋上に出るための扉は通常であれば鍵がかかっているのだけど、誰かが壊したのか、いつの間にか鍵がかからなくなっていた。一ヶ月前、それを凛は偶然発見した。それ以来、屋上が凛にとってお気に入りの場所になっている。屋上であれば、誰かに向けて偽物の笑顔を浮かべる必要もなかったし、誰かに向けて嘘の言葉を並べる必要もなかった。誰かのふりをする必要なんてなかった。誰にも邪魔をされない、凛だけの楽園だった。屋上に出入りする人は凛以外に居ないのか、その壊れた扉の鍵を直そうとする者もいなかった。

 凛はその扉の取っ手に右手を掛ける。

 ひやりと冷たかった。鈍い銀色の取っ手は凛の手から熱を奪っていく。気にせずにその取っ手を右に回すと、凛の前で扉はキーという耳障りで小さな音を立てて開かれていく。


 あれ?


 凛は心の中で呟く。

 扉の向こう側に見える、殺風景な屋上の風景。空間は胸くらいの高さの柵で四角く覆われている。その柵の前に一つの人影が見えたのだ。今までこんなことはなかった。黒い学ランを羽織っている。この高校の男子生徒のようだった。顔は柵の外側を向いており、凛にはその後姿しか見えなかった。

 今まで、こんなことはなかったのに……。

 凛は自分だけの楽園を汚されたような気がした。だけどこの場所はもちろん凛だけの場所ではない。

 仕方がない。今日は屋上で本を読むのを諦めて、家に帰って自分の部屋で読もう……。

 凛は、自分の存在をその少年に悟られたくなくて、なるべく音を立てずにゆっくりと扉を閉じていく。その時だった。

「早川だろ」

 扉の隙間から、凛の耳に少年の声が飛び込んできた。

 扉を閉じかけていた凛の右手が止まる。

 一瞬、屋上は静寂に包まれる。その静寂はあまりにも重たくて、今さっき自分の名前が呼ばれたのが幻聴にすら思えた。だけど、再び「なあ、早川なんだろ」という声が聞こえ、それが幻聴ではないことを凛に知らせた。

 なぜ私の名前を知っているのだろう。私のことを知っている人なのだろうか……。

 凛は恐る恐る扉の隙間を覗き込み、少年が立っていたあたりに視線を戻した。そこでは、今までは柵の外を向いていた学ランがこちら側を向いていた。左手は柵に掛けられたまま、どこか怪訝そうな顔をして凛のことを見ている。

 結城翔だった。

 翔の顔を見たとき、凛は自分が二年一組の教室を出たときのことを思い出した。あの時、まだ翔は、窓際の席で窓の外を一人眺めていた。私は教室を出てからこの塔屋まで寄り道をせずに来たのだ。

 いつの間に追い抜かれたのだろう……。

 凛の心によぎったのは、そのような疑問だった。

 だけどその疑問は、引き続いて翔の口から発せられた言葉にかき消された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ