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第7話

 

 3


「いいか、ここの時制は『現在完了』になる。よく『過去完了』と勘違いする人も多いから、気をつけるように」

 山科の乾いた声が教室に響く。

 山科は生徒たちに背中を見せながら、黒板に白いチョークで『We have negotiated the price twice already.』と書き、続けてその下に『私たちはすでに2回、価格交渉をしてきた』と書いた。

 六限目の英語の授業。

 山科は英語の教師だ。そして凛が所属する二年一組の担任でもある。山科は五十過ぎの冴えない風采の男だった。結婚しているのか、結婚していないのか。結婚しているのだとしたら子どもはいるのか、いるのだとしたら何人いるのか。そのことを生徒たちは誰も知らない。山科に興味を持つ生徒なんているはずもなくて、誰一人彼にそのことを質問したことはない。そんな英語教師の一人だった。

 山科が黒板に書き出した英語の文を生徒たちは黙々と自分のノートに書き写す。そのカリカリという音がやけに耳障りに教室に響いている。凛は何も考えることはなく、彼らと一緒にまるで心を持たないロボットのように機械的にノートにペンを走らせていた。

 六限目は今日の最後の授業だ。

 生徒たちはこの時間が早く終わることをひたすら祈りながら、椅子に座っている。そして授業を受ける「振り」をしている。放課後に何をするか。そのことを気にし始めている。ある者は部活に行くのだろう。またある者は友達と駅前まで遊びに行くのだろう。

 一方で私は……。

 凛は『価格交渉をしてきた』とノートに書き終えると、シャーペンをノートの上にころころと転がした。

 帰宅部の自分には放課後にする部活なんてなかったし、一緒に駅前に行くような友達もいない。放課後に何の予定もない。家に帰っても、また空虚な時間が待っているだけだった。

 今日も屋上に行こう……。

 そのようなことを一人考える。

 目の前の空虚な時間を埋めるため、今日も誰もいない屋上に行って、読みかけの「透明な涙の音」の続きを読むつもりだった。

 ふと、凛の視線は窓際の方に向かってさまよい出す。

 凛の席は廊下側の一番後ろだ。そして窓側の一番後ろの席には翔が座っていた。頬杖をつき、どこかつまらなそうな表情で窓の外を見ていた。翔の横顔を見ていると、昨日、屋上で翔から聞いた言葉を思い出した。

「世界って、うるさいよな。……みんな自分のことばっかり喋って、他人の声なんか聞いていない」

 柵の外の世界を眺めながら、翔は誰にともなく呟いた。

 六限目の教室の中で、その言葉が凛の中で無機質に響いていた。

 世界が……うるさい……?

 凛は心のなかでぽつりと呟く。

 この言葉は、どのような意味なのだろう……。

 答えを探すように、翔の横顔を盗み見る。だけど答えは、その横顔には書かれてはいなかった。


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