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十代の不協和音  作者: 鷺岡 拳太郎
エピローグ
26/26

第26話

 

 文章の一行目は「放課後、早川凛は誰もいない屋上で、ひとり風に当たっていた」で始まっていた。

 その文に続いて、早川凛の日常が日記のような形で書かれている。ただし、自分のことを「私」ではなく、「早川凛」と三人称で書いている。日記としては違和感がある。これには何か意味があるのだろうか。山科はどこか釈然としない思いを抱きながらも読み進める。

 内容としては、早川凛という少女と、結城翔という少年との交流の様子が描かれていた。文章の中で描かれている「早川凛」も、先ほど竹内から聞いた話と同じように、母親との関係に悩み、そして学校では本当の自分を隠すためにひたすら仮面を被り続けている。普通の生徒を演じながら、心の奥底では不気味な生き物のような孤独が蠢いている。そんな心の隙間を埋めるかのように、自分と同じ境遇の結城翔に早川凛は心を開き始める。

 しかし最後に結城翔は「もし、俺がいなくなっても、探さなくてもいいから」という言葉を残して早川凛の前から消える。そして次の日から、もともと「結城翔」なんて人間は存在しなかったかのような日常が始まる。

 山科の目は、ノートに書かれた文字をひたすら追っていた。その頭の中では、このノートは誰かのいたずらによるものなのだという考えはいつの間にか消えていた。

 ノートに書かれた文章は、屋上で早川凛が結城翔からの手紙を読んだところで終わっていた。その先のページもパラパラとめくってみたのだが、白紙のページが続くだけだった。山科は小さく息を吐きながらノートを閉じる。

 おそらく早川凛にとって、結城翔とはイマジナリーフレンドのようなものだったのだろう。多感で感受性が豊かな子どもの中には、自分の心を守るために、心の中にそのような架空の友だちを作ることがあると聞く。竹内から聞いた「早川凛」の境遇。そしてこのノートの中の「早川凛」の境遇。母親との確執。学校での孤立。おそらく早川凛は、壊れていく自分の心を何とか守ろうとして、自分と似たような境遇であり、そして自分のことを理解してくれる「結城翔」という少年を作り出したのだろう。

 しかし、早川凛が自分を守るために作り出した「結城翔」は、最後に早川凛の前から姿を消す。おそらくそれは、早川凛の中で何かの限界線を超えたサインだったのだ。その限界線の先には何があったのか。ここに書かれているように、ただ「空虚な世界」だけが広がっていたのかもしれない。

 このノートには結末は書かれていないが、竹内の話が本当だとしたら、早川凛は、結城翔と初めて会話をした校舎の屋上から飛び降りて亡くなった。結局、自分を守るために作り出した「結城翔」は、早川凛のことを守ってはくれなかったということか。

 山科は、ノートの表紙に書かれた「早川凛」の文字を見つめる。

 実は、このノートに書かれた文章の中で、山科には一点だけ不可解な点があった。早川凛の担任として登場する教師の名前が「山科」だったのだ。文章の中の「山科」も英語教師であり、二年一組の担任だった。全てが今の山科の状況と一致していた。ただ、今の山科には受け持つ生徒の中に「早川凛」という名前の生徒はいない、ということを除いて。山科は今も、そして過去も、そのような名前の生徒を担任として受け持ったことは一度もない。

 このノートは、何なのだ……。

 山科は、どこか薄気味悪い思いを抱きながら、机の上に置かれたノートを見つめる。

 その時だった。

「山科先生……」

 突然、山科のすぐ近くで声がした。

 思わず、山科は「あっ」と声を上げる。反射的に声が聞こえた方に顔を向けると、山科の机のすぐ近くに一人の女子生徒が立っていた。それまで全く、人が近寄っているような気配を感じなかった。気付いたら自分のすぐ近くにその女子生徒が立っていたのだ。

 隣の席に座っていたはずの竹内は、一限目の授業に行ったのか席からはいなくなっている。その時、山科の周りには自分とその女子生徒以外に誰も居なかった。突然、二人だけの隔絶された世界が現れたかのように、山科とその女子生徒の周りの世界は妙に静まり返っていた。

「山科先生……」

 再び女子生徒が山科の名を口にする。その声には全く抑揚がなく、そして水の音のように静かな声だった。

「ええと……君は……」

 山科は気を取り直し、目の前に立つ女子生徒の顔を見る。女子生徒は「山科先生」と自分のことを呼んだが、その顔には全く見覚えがなかった。ただし、その女子生徒が着ている制服は、確かにうちの高校のものだった。

 女子生徒は病的なほど青白く、それでいて怖いほど無表情の顔で山科のことを見ていた。

「山科先生……。

 結城君がどこに行ったか、知りませんか……」

「結城?」

 山科は目の前に立つ女性生徒のことを凝視する。

 まさか……。

 いや、そんなことはありえない……。

 きっと、二年一組の生徒が、私に顔なじみのない生徒にお願いして、こんないたずらをしているんだ……。

 山科の頭の中を様々な言葉を浮かんでは消えていく。青白い顔の女子生徒は表情を全く変えること無く、山科のことを見下ろしていた。永遠とも思える時間が過ぎ、女子生徒はおもむろに口を開いた。

「昨日までは二年一組の教室にいたのですが……。

 今日は結城君の姿も、机も無くなっていて……。

 私にとって結城君は、かけがえのない存在なんです……。

 彼がいないと、私はこの世界を生きていくことができないんです……。

 それとも……。

 先生が、彼の代わりになってくれますか……?」

 山科は言葉を失う。唇は自分の意志に反して、小さく震えていた。

 そんな山科の様子を見て、女子生徒は少し寂しそうに微かに微笑む。

「次は……先生の番だよ……」


(了)


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