第21話
凛は慌ててその封筒を机の中に戻す。
そっと視線を自分の周りに巡らせて、誰かに今の自分の行動を見られていたかどうかを確認する。生徒たちは周りの生徒同士でおしゃべりをしていて、凛のことを見ている者は誰もいなかった。凛はほっと胸をなでおろす。なぜかは分からなかったが、この封筒は自分以外の者に見られてはいけない気がした。もし見られてしまったら、その封筒自体も翔と同じように消えてしまうような気がした。
凛はすぐにでもその封筒の中身を見たかったが、ぐっと我慢をする。再び両手を机の中に入れると、ノートの上にはやはり先ほどの封筒があった。机の中で封筒をノートの間に挟む。外から封筒が見えない状態にして、ゆっくりとノートごと封筒を取り出すと、そのまま机の横にあったスクールバッグの中に入れた。
その日の授業は、凛はずっと上の空だった。スクールバッグの底に隠した、「結城翔」と書かれた封筒のことが気になっていた。
やっぱり翔はいたんだ。間違っていたのは私ではなく、世界の方だったんだ。きっと翔は私に何かを伝えたくて、この封筒を私の机の中に入れたんだ。そうでなければ、「結城翔」と書かれた封筒がこの机の中に入っているわけがない……。
数学の授業中も、生物の授業中も、凛の頭の中ではこのような思いがぐるぐると回り続けていた。一回転するとその思いはそれ以前よりも少しだけ強固になっていく。際限なく回っている中でその思いは、凛の頭の中で「人はいつか必ず死ぬ」ということと同じくらい、確固たる真実のようになっていた。
そのような精神状態だったから、もし授業中に教師に何か問題を当てられたりしたら、凛は何も答えることができず教師に不審に思われただろう。だけどその日は、教師たちは一度も凛を当てることはなかったし、凛のことを見ることすらしなかった。
それに、いつもは休憩時間に凛と上辺だけの会話をしていた隣の席の女子生徒も、その日に限っては朝以降、凛に話しかけることもなかった。不思議な静寂の中で、まるで「早川凛」という生徒なんて存在しないかのように世界の時間は流れていった。
六限目が終わり、帰りのホームルームの時間がやってくる。
山科は昨日も話した電車でのクレームの話をすると、「これで今日のホームルームを終わりにする」と言って教室の外に出ていった。凛はすぐに教室を飛び出すと周りに怪しまれると思い、山科が教室を出ていってからしばらく待って、机の横に置いてあるスクールバッグを手に取った。そのバッグを大切そうに胸に抱えるように持ち教室の外に出る。そしてそのまま階段に向かった。
周りに誰もいない静かな場所で、翔からの手紙を読みたかった。学校の中でそれができる場所は、そのときの凛には屋上しか思いつかなかった。
ようやく学校から解放されて家に帰ろうと、多くの生徒たちが階段を降りてくる。そんな生徒たちの波に逆らうように、凛は一人階段を上っていく。凛の教室がある三階から一年生の教室がある四階を過ぎると、階段を上る生徒は凛一人しかいなかった。四階の上には屋上しかない。放課後に屋上に用事のある生徒なんて、凛以外にいるわけがなかった。
最後の階段を上っていくと、凛の前に、屋上に出るための扉が現れる。
扉を開こうとして右手でその取っ手を握る。やはり扉の鍵は壊れたままで、取っ手は何の抵抗もなく回った。
ふと、あの日のことを思い出す。
あの日、扉を開くと、屋上の柵の前には翔の背中があった。翔から、翔の家族について話を聞いた日だ。
もしかしたら、この扉の向こうには、あの日と同じように翔がいるのではないか。そして、あの日と同じようにいろいろな話を私にしてくれるのではないのか。
微かな期待を抱きながら、凛は取っ手に力をかける。
扉は、キーと耳障りな音を立てながら開かれていく。それに従い、凛の目の前に屋上の光景が少しずつ広がっていく。あの日、翔が立っていた場所。そこに、翔の姿は無かった。




