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第17話

 

 とうとう六限目まで来てしまった。

 結局、生徒も教師も誰も翔のことについては話さなかったし、凛も誰かに翔のことを尋ねることはできなかった。翔がいない教室、翔がいない世界はそれだけで完全な世界であるかのように完結していて、凛はその世界を壊すことができなかった。

 六限目は生物の授業で、中年の男性教師が黒板に細胞分裂の図を描いている。生徒たちは黙々とその黒板の図を自分の手元のノートに書き写す。手が動いていないのは凛だけだった。ただぼんやりと、教室の窓側にある片隅を眺めていた。そこは、昨日までいたはずの「結城翔」という人間が存在しないというだけで、凛には何もない空っぽの空間に見えた。

 男性教師は図を書き終えると後ろを振り返る。そしてどこか焦点の合わない目で教室の中を見回してから、「ここはテストに出るので、しっかりと暗記しておくように」と言った。六限目までにいくつかの授業を受け持ったせいなのか、今日最後の授業で声は少し掠れていた。

 その声が何かのトリガーになったかのように、黒板の横に設置されたスピーカーから、キンコン、カンコン、という六限目の終わりを告げるチャイムが教室の中に流れ込んでくる。

 チャイムの音をきっかけにして、生徒たちは一斉にノートと教科書を閉じ、机の横のスクールバッグの中に放り込む。これでようやく「授業をまじめに受ける生徒」という役から降りることができる、と喜ぶかのように。男性教師はそのことを気にすることもなく、「これで授業を終わりにする」という言葉を残して、教室を出ていった。その光景もいつもと変わらないものだった。

 間をおかず、教室に山科が入ってきた。教室の前で授業が終わるのを待っていたのかもしれない。そのまま帰りのホームルームが始まる。

 凛は、そのホームルームに望みを賭けていた。

 もしかしたら、朝のホームルームでは翔のことをただ単に生徒たちに伝え忘れただけなのではないかと思ったのだ。普通に考えればそのようなことはありえないことだったのだけど、山科ならそんなこともあるのかもしれないと思っていた。朝のホームルームで伝え忘れたのだとしても、今日の最後のイベントである帰りのホームルームなら、翔の突然の転校について何か話があるだろうと期待していた。

 いつものように、聞いても聞かなくても構わないようなつまらない連絡事項を山科は話していく。提出物の期限や再来週の試験の話など、はっきりいって凛にとってはどうでも良かった。

 そのまま山科はホームルームを締めようとした。

 そのとき、ふと何かを思い出したかのような素振りを山科は見せた。

「そうだ、実は、お前たちに一つ、伝えなければならない事がある」

 その言葉に凛は身構える。

 ようやく翔のことを話すのかと思った。だけど山科の口から出た言葉は凛の期待を裏切るものだった。

「K線の乗客から、うちの生徒についてのクレームが学校にあった。周りの乗客の迷惑も顧みずに大声で喋っていた高校生たちがいたそうだ。誰かまではわからないが、制服はうちの高校のものだったらしい。

 まさかこのクラスにそのような生徒がいるとは思わないが、変にクレームをつけられないように、今日はいつも以上に気をつけて電車に乗るようにしてくれ」

 翔にも、そして凛にも関係がないような注意事項だった。

 凛は完全に肩透かしを食らったかのような思いを抱きながら、山科の顔を見つめた。山科はそんな凛に気づくこともなく、「じゃあ、これで、ホームルームは終わりにする。先ほど言ったように気をつけて帰ること」とホームルームを締める。


 待って!

 翔のことは?

 なぜ翔の姿も、翔の机も無くなってしまったの?


 凛の心の叫びは、決して言葉になることはなかった。

 山科は教室から出ていった。

 凛が黙って椅子に座っていると、すでに他人の顔をした隣の席の女子生徒が、席から立ち上がろうとしていた。友達の契約がそこで切れたかのように、女子生徒は凛に「じゃあ、また明日」という言葉を残して教室を出ていく。彼女はすでに、部活仲間と楽しそうにおしゃべりをしている。凛は「うん、また明日」と小さな声で答える。もうその言葉を聞いている者は誰もいなかった。

 凛は机の上に置かれたスクールバッグを手に取って立ち上がる。しかしそのまま固まってしまう。職員室に行くかどうか迷っていた。

 翔がいなくなったとしても、はっきり言ってしまえば自分には関係のないことだった。自分はただ屋上で、お互いの家族の話をしただけなのだ。それに、山科は翔のことを言い忘れていただけなんだと自分に言い聞かせれば、無理やり納得して、今日の出来事を無かったことにしてそのまま屋上に行くことも、家に帰ることもできた。

 だけど、凛は、昨日の放課後に翔が口にした「もし、俺がいなくなっても、探さなくてもいいから」という言葉を忘れることができなかった。そのときの翔の真剣な表情をどうしても頭の中から消し去ることができなかった。

 きっと、私が探してあげなければ、誰も翔のことを探さない……。

 凛は教室を出ると、意を決して職員室に向かった。


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