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第16話

 

「では、今朝の連絡事項だが……」

 山科は構うこと無く、朝のホームルームを始める。翔がいないことを山科に言う生徒は一人もいなかった。凛も目の前の状況をうまく理解することができなくて、何も言うことができない。

 もしかしたら、何かのいたずらなのだろうか……。

 山科と凛以外の生徒たちが示し合わせて、「結城翔」という生徒はこのクラスにいないという遊びをしているのだろうか。

 そのような思いが凛の脳裏をよぎる。

 以前目にした、一つの「事件」のことを思い出す。

 その事件が起こった時はニュースでも連日報道されており、このクラスの生徒の間でも話題になった。

 一年前、M市に住む中学二年生の男子生徒がいじめを苦にして、ショッピングセンターの公衆トイレで首を吊って亡くなった。これだけであれば、それこそよくあるいじめに端を発した自殺に過ぎないのだが、この事件が話題になったのには、一つの理由があった。本来、生徒を守るべき立場にいるはずの担任教師もそのいじめに加担していたのだ。

 いじめグループの主催によって、学校でその男子生徒の「葬式ごっこ」が開かれ、その「葬式ごっこ」には担任教師も寄せ書きを添えていたという。この自殺事件は社会的な問題にもなり、男子生徒が通っていた学校では校長の謝罪会見が行われた。校長がカメラを前に頭を下げる映像が、毎日のようにニュースに流された。

 凛は、その「事件」のことを思い出していた。

 今のこの状況も、結城翔という生徒なんてもともと存在しなかったという「ごっこ」を、山科と凛以外の生徒たちでしているのだろうか。

 凛は、教壇の上に立つ山科の顔を見つめる。

 そこには、いつもの冴えない顔でホームルームを淡々と進める五十過ぎの男の姿があった。とても演技をしているようには見えなかった。

 あるいは、翔は引っ越しによって転校になったということなのだろうか……。

 そのことを事前に知っていた担任である山科が、昨日の放課後の間に翔が使っていた机と椅子を片付けていた。昨日の放課後に翔が凛に言った、「もし、俺がいなくなっても、探さなくてもいいから」という言葉も、そのような意味だったのだろうか。翔なりの別れの挨拶だったのだろうか。

 しかし、もしそうなら、この朝のホームルームで山科から何か一言があってもいいはずだ。「結城のことだが、ご家庭の都合で急遽転校することになった」でもいいし、「結城からは自分が実際に転校になるまで、クラスメートには黙っていて欲しいと頼まれていた」でもいい。仮にも結城翔はこの二年一組の生徒だったのだし、山科はその担任だったのだ。それなのに何もこのクラスの生徒たちに話さないのは、どう考えてもおかしかった。

 いつ結城翔のことが山科の口から出てくるかとじっと待っていたのだが、結局、結城翔の「ゆ」の字すら山科の口から発せられることはなく、ホームルームは終わった。

 山科は名簿を持って教室を出ていく。

 しばらくすると、一限目の授業を受け持つ数学の若い男性教師が教室に入ってきた。やはりもともと「結城翔」という人間なんて存在しなかったかのように、授業を進めていく。凛以外の生徒たちも、そのことについて何も言わなかった。

 いつもいるはずの翔がいない。

 そのことを疑問に思うものは、この教室の中に凛を除いて一人もいないようだった。

 そのままいくつかの授業が凛の前を通り過ぎ、その間にいくつかの休憩時間が挟まれる。翔という人間がいないことになっている時間が流れていく。その休憩時間の一つで、凛は隣の女子生徒に翔のことを尋ねようとしてやめた。上辺の会話だけで成立している友達関係の中に、絶対に「本当のこと」を差し込まないということが、彼女たちの間で暗黙のルールになっていた。


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