テンペスト
僕は、あるアマチュア・オーケストラのコントラバス弾きである。
四月、僕らの楽団に三人の新入団員が入ってきた。チェロ、フルート、トランペットと楽器はそれぞれ違っていたが、同時期に北海道の大学でオーケストラをやっていた仲間である。チェロの女性とトランペットの男性が同じ学年で、フルートの男性だけが二年上ということだった。三人とも結構上手かったので、すぐにこのオーケストラに溶け込んで活躍するようになった。
男性二人のことはともかくとして、チェロの女性は、背が低く、どちらかというとずんぐり型で、特に美人という感じではなかったが、色白で大きな目をしている。童顔が残る、いつもニコニコと快活そうな笑顔がとてもかわいい。北海道と聞いただけでも爽やかなイメージが広がるではないか。僕はひと目見たときからその子のことが忘れられない存在になってしまった。
オーケストラでチェロパートは、コントラバスパートの前の方に位置している。だから練習中僕はいつも彼女の後ろ姿を見ていることになる。音楽の流れに合わせて大きく体を揺らして弾く彼女の姿は、ぞくぞくするほど生き生きしている。彼女の心の中で躍動している音楽がそのまま僕にも伝わってくるようだ。それに、こんなことを思うのは不謹慎なことはわかっているが、ブラウスを持ち上げるふっくらとした胸と、真っ白な肌は健康的な色っぽさもある。僕の気持ちはいやがうえにもエスカレートするのだった。
彼女は、何かというと例の三人で行動していた。特にフルートの先輩を尊敬しているようで、話の中でもしばしば、
「フルートの××さんが・・・」と言うのだ。僕はフルートの××さんに嫉妬した。
彼女の入団から半年経っても、僕が彼女と言葉を交わすチャンスは一度もなかった。きっと彼女は、後ろのほうで弾いている四人のコントラバスの一人に過ぎない僕のことなど、存在すら意識していなかったのだと思う。団員の間では彼女の話題がよく出ていたから、きっと彼女に注目している男は僕だけではなかったはずである。彼女は最初からオーケストラの人気者になっていた。
腕が認められて彼女は、一年もしないうちにトップサイドに抜擢された。チェロパートのトップは、五十半ばのおじさんが勤めている。若いメンバーの多いこのオーケストラでは、おじさんは比較的目立つ年代である。おじさんは僕と同じ大学の大先輩である。チェロパートでは、その大先輩が少しチェロ歴が長めであるほかは比較的初心者に近いメンバーが五人だったので、大学オケ経験者の彼女がトップサイドになるのは当然であった。僕は、彼女はトップサイドではなく、トップになってもいいのにと思ったくらいだ。というのは、大先輩は数年前にヴィオラパートのトップからチェロパートに転向した人で、こう言っては何だがチェロの技術はまだそれほどではなかったからだ。
数年前、定演後の初練習に、大先輩は突然ヴィオラではなくチェロを持って現れた。だまってチェロパートの後ろのほうに座ったのでみんなが驚いたのだった。なにしろそれまではヴィオラの大ベテランとして、近隣のアマチュア楽団にはどこにでもトラとして顔を出していたのだ。ヴィオラの××さんと言えば、この辺では誰もが知っているような存在だったのである。なぜ急に転向したのかは誰も知らない。
「失恋が原因らしい」などとまことしやかに噂を流す者もいた。たしかにちょうどそのとき、オーケストラ随一の美人ヴァイオリニストが結婚して退団した。別に大先輩とその女性が怪しかったとも思えなかったが、いずれにしても本人は何も語らなかったから、転向の理由は謎のままである。
大先輩はチェロの初心者になってからも、ヴィオラでの三十数年という永いオーケストラ経験と持ち前の驚異的と噂される練習熱心によって、最初の一年間こそ一番後ろで弾いていたが、二年目には早くもトップの座に就いたのである。それにはこのオーケストラのチェロパートが人材不足ということもあったが、転向三年目にはグリークのピアノ協奏曲に出てくるチェロのソロを見事に弾いて、指揮者からお褒めの言葉をもらったほどだから、決して人材不足のためだけではなかったのである。ではあるが、大学オーケストラで活躍してきた若者に負けないだけの力量があると言い切れるほどではないと、僕は見ている。いずれにしても、彼女のトップサイド昇格は、経験の浅いチェロパートの他のメンバーからも快く受け入れられたのだった。
とにかく僕は、毎週そんな彼女のようすを後ろから眺めながら練習していた。練習中に彼女は、しょっちゅうトップの大先輩に話しかけている。大先輩のことを僕は心から尊敬している。僕だけでなくオーケストラの多くのメンバーがこの人には一目おいている。それはヴィオラの大ベテランから一転チェロの初心者になっても変わることはなかった。大先輩の場合は、音楽に対する姿勢や、その人柄、責任感などで人望を集めているのだ。ただ人望があるだけではなく、女性団員の間での人気も結構高かった。これは、あるおばさん団員が、
「××さんのファンて、案外多いのよ」と、言うのを聞いてから、僕はそれを信じている。世の名チェリストたちには禿げ上がった人が多い。カザルスしかり、ロストロポーヴィチしかり、シュタルケルも、最近ではモルクもそうだ。少なくともその点に関してはわが大先輩もしかりであった。
新任のトップサイドが、トップにいろいろアドバイスを受けたり、指示を仰いだりするのは当たり前のことであるが、そのようすがあまりにも親しげに見えるので、いかに尊敬する大先輩ではあっても、僕は大いに面白くなかった。
一度も声をかけることがないまま八か月も経ったころ、思わぬチャンスがやってきた。その日は演奏会が近づいていたので、昼食をはさんでの終日練習であった。昼食はそれぞれ思い思いにすませる。近くのラーメン屋やファミレスに行くものが多かったが、これはただでも混雑する昼時にいっせいに詰め掛けるので時間がかかる。下手をすると午後の練習に遅れそうになったりする。それを嫌ってコンビニでパンや弁当を買ってきて練習場の隅で食べる者も少なくなかった。それでも僕はいつものようにファミレスにした。そこは練習場から近く、比較的安くておいしいからである。たいていのメンバーは、何人かで連れ立って昼食に出かけていたが、僕はいつもひとりで行くことにしている。僕自身人に拘束されるのが好きでないし、僕も人を拘束したくないからだ。だからといって人と話すのが嫌いというわけではなく、練習の後などに、そのファミレスに集まってコーヒーを飲みながら長々としゃべくるような場にはよく加わった。僕はあまりしゃべらないが、みんなのおしゃべりを聞いているのは結構心休まるものだ。
案の定ファミレスの中は混んでいた。僕が入っていくと、窓際の六人がけの席に例の三人組がすでに来ていた。まだ注文したものは来ていない。見回したところ他に空いた席が見つからなくてキョロキョロしていると、僕に気づいた彼女が、
「ここにどうぞ」と、声をかけてくれた。僕は素直にそうすることにした。彼女の隣である。嬉しかった。隣に座ったとき、彼女の肩にかかった髪が微かにシャンプーのような匂いがした。化粧品の匂いかもしれない。僕は、そういうことには疎いのでよくわからなかったが、彼女の清潔感が伝わってくる。ちょっとどきどきした。しばらくしてようやく注文をとりに来た。三人組も注文はまだだったので、メニューを見ながらそれぞれが思い思いに注文した。彼女がスパゲッティミートソースを注文するのを聞いて、僕も同じものにした。彼女はコーヒーも注文した。僕もと思ったが、真似をしていると思われたくなかったので、頼まなかった。
そのとき初めて、僕は彼女と少しだけ言葉を交わした。正確には二言だけである。
「皆さんは三人とも上手ですね」と言うと、彼女はニコニコしただけで、横からトランペットの男が、
「フルートの××さんは大学時代から名人と言われていましたからね。それから彼女はトップだったし」と、自分のことには触れないで説明した。そのときに彼女が、
「トップといっても、四年生はひとりだったから」と、謙遜するのだった。それから僕は、
「いまの曲はやったことあるのですか」ときいた。今度は彼女が、
「私が一年のとき、うちの大学でやったのですが、私は一曲目の序曲だけにしか出なかったので、自分としては今回が初めてです。とってもやりたい曲だったからラッキーです」と答えてくれた。
いまの曲というのはブラームスの交響曲第二番のことで、今度の演奏会のメインプロである。それから三人の間では、彼女が序曲だけ弾いたという大学時代の演奏会のことで盛り上がり、僕の入り込む余地はなくなってしまった。そのうち注文したものがきたので、話はとぎれてみんな黙々と食べ始めた。食べ終わり、コーヒーを注文した人たちがそれを飲み終わると、もう午後の練習開始時間が迫っていた。みんなはいそいで練習場に戻った。
その後も僕は、彼女と話す機会がないまま後ろ姿を見ながらすごした。そうした何事もおきない毎週の練習も、僕にとってはある種の緊張の連続であった。練習に出かけていくときには、彼女に会えるのが楽しみでわくわくしているのだが、練習場での彼女は近くて遠い存在でしかない。僕からは強烈に電波が発信され続けているのに、彼女がそれを受信しているようすはまったくない。つねに彼女と言葉を交わしたいという願望に自分自身が責められるような気持ちに、僕は苦しみ続けていたのである。練習が終わって別れ別れになった瞬間から、心にポッカリ開いた穴は大きく、僕は次の週を待ち焦がれ始めるのだった。
ある日の練習が終わったとき、僕は彼女に、話があるから一階のロビーで待っていてほしいと言った。なぜその日だったのか自分でもわからない。われながら余裕のないものの言い方で、口ごもった。それまでほとんど話したこともないのに、あまりにも唐突な申し出であった。僕は、自分から言い出したのに、初めから断られることを覚悟していたような気がする。というより、あまりの準備のなさに、断られるに決まっていると確信していたかもしれない。なんとなく、言ってしまったのである。言った瞬間から、この不用意さですべてを失ってしまうのではないかと後悔した。だが彼女は、
「はい」
と、はっきりした口調で言った。彼女は断らなかったのだ。しかも笑顔である。僕に対して不信感を抱いたようすもない。僕は何を話すのかさえまとまってはいなかった。とにかく楽器を片付けて、ロビーに下りていった。彼女はチェロの白いケースをそばに立てて、ロビーの真ん中にある椅子に腰掛けて待っていた。
「すみません」
僕はコントラバスを抱えながら駆け寄って言った。彼女はそれを見て立ち上がった。僕は何を言うか、その時点でもまだ準備がなかったが、とっさに口から出まかせで、
「実は、チェロの××さんの家に話しに行くのですが、一緒に行きませんか」
と言った。彼女は間髪をいれずに、
「わ、いいですね。私なんかがお邪魔してもいいのですか」
という返事。ありがたかった。僕はさらに口から出まかせを続けた、
「まだ日と時間を決めてないんで、いつがいいですか、たとえば今度の金曜日の夜とか・・・」
「私は大丈夫です、決まったら教えてください」
案外僕も機転が利くものだ。予想外にうまくいった。そのとき大先輩はまだ上の練習場に居たかも知れなかったのだが、何となくみんなの居るところでは言いにくかったので、家に帰ってから電話で大先輩の都合を聞いた。今度の金曜日の夜ということで、これもすんなり決まった。その日までにオーケストラの練習はないので、僕は彼女に電話することにした。電話番号は団員名簿でわかっていたし、それはもう僕の手帳に書き写してある。
すぐに電話に出た彼女は、三人組の他の二人も誘っていいかと言った。僕はそのことを予測していなかった。しかし、断るわけにもいかないので、もちろんかまわないと言うと、彼女は大いに喜んで、フルートの××さんとチェロの××さんはきっと話が合うと思うと言うのだった。彼女と二人で訪問することをイメージしていた僕は、少しがっかりしたが、とにかく彼女と行動することには違いないのでよしとすることにした。考えようによっては、彼女と二人だけの行動よりもむしろ気楽だとも思った。
僕たちは、ファミレスの駐車場で一旦落ち合ってから、四人そろって大先輩の家の玄関を叩いた。
僕が大先輩の家に話しに行くのは、三回目である。だから大先輩の部屋での雰囲気は予想できていた。大先輩の奥さんも音楽が好きで、オーケストラには入っていないが少しヴァイオリンを弾くらしい。これまでの訪問のときは、奥さんもお茶を持ってきたまま座り込んで、しばらく一緒に話したりした。しかし、初めての者三人を含む四人で押しかけた今回は、これまでとはようすが違った。まずは自己紹介的な会話が飛び交い、その中に出てきた場所や、事柄についていちいち話題になりといった具合で、どちらかというと表面的なことでやたらに盛り上がる若者的な雰囲気で終始した。しかし、ひとしきりそういった話題が続いたあと、突然音楽の内容的な話に入り込んだ。そうなるともっぱら大先輩とフルートの××さんのやり取りになり、あとの三人は聞き役に徹するがごときになっていった。その夜、十二時頃まで話し込んだが、結局大先輩とフルートの××さんのヤナーチェク論をたっぷりと聞かせてもらうだけの夜となったのであった。
しかし、この訪問によって、僕はかなり彼女に近づいたという手ごたえを感じることができた。彼女のほうから僕に話しかけるケースもでてきて、あきらかに一歩前進というところである。
練習後のファミレスでの雑談も何度かあって、僕も出来るだけ参加したし、彼女もよく来ていた。しかし、彼女のそばに座るような幸運はめったにない。恥知らずの強引な男が、なりふりかまわず彼女の隣に割り込むようなこともあったが、僕にはそんなことは出来ないし、するつもりもない。みんなの雑談に割り込んだりもしない僕は、一言もしゃべらずに、ただみんなのおしゃべりを聞いて、解散するということが多かった。それでも彼女と同じ席に居ることで幸せだったし、彼女の話に相槌を打つだけで、意思の疎通が出来たような気になったりもした。彼女は、それほどおしゃべりではなかったが、僕よりはみんなの会話に加わっていた。男たちが、彼女に何かを言うように仕向けるのである。僕に対しては、誰も仕向けたりしないから、僕はあまりしゃべることにならない。
彼女との距離が縮まったとはいうものの、僕の気持ちはそんなもので満足できなかった。通り一遍の会話がいくら出来ても、僕はなにひとつ満たされなかった。練習場で姿を見、挨拶を交わし、当たり障りのない会話を交わすだけで、次の週までお別れというのでは、フラストレーションがたまる一方であった。練習が終わってそれぞれが散っていくときに、僕は彼女と挨拶を交わしたいと思っているのに、彼女のほうは他の者と話しながら、僕の方を見向きもしないで帰っていくことも少なくない。
そしてある練習の後、それは突然やってきた。
僕は、その日彼女と別れてしまわないうちにと、急かれるような気持ちで彼女を呼び止めた。
「ちょっと話があるから、ロビーで待っててくれない」
僕にとっては、居ても立ってもいられない気持ちから出た言葉だったのだが、彼女にとっては何のことかわからなかっただろう。以前、大先輩の家に話しに行くと言って誘ったのと似たパターンだったが、あの時とはすでに時間の経過があり、彼女との距離にも多少違いがある。彼女は、言いたいことがあればその場で言えばいいのにと思ったかも知れない。彼女は、僕の言葉に少しばかり首をかしげるような仕草をしたが、
「はい」と言って頷いた。練習場ではまだたくさんのメンバーが、後片付けや、打ち合わせや雑談で残っていた。いつもはそんな人たちの輪に加わることの多い彼女が、そそくさと練習場を後にしていった。僕もいそいで大きなコントラバスを、大きな帆布製のケースに収め、譜面台をたたみ、楽譜や松脂やチューニングメーター、鉛筆、消しゴムなどをズタ袋に押し込んだ。片付けなければならない物がもっともっとたくさんあればいいのにと思った。片付けながら、緊張で顔の表面が熱くなっていくような気がした。自分の心臓の音が聞こえる。楽器が床に当たらないように体を斜めにして担ぐと、いそいで練習場を出ようとした。そのとき、マネージャーに呼び止められた。来週の練習の前に、ちょっと人手の要る作業があるので早めに出て来てくれないかと言うのだ。僕は、とりあえず了承だけしてロビーに向かった。
彼女は、前の時と同じように真ん中の椅子に座って待っていた。僕が近づくと立ち上がって笑顔を作ったが、その表情は固いように見えた。僕はこの時点で先行きを予感してしまったが、ここでやめるわけにもいかない。
練習場に残っていた連中が、帰るときにここを通るので、僕たちは隅のほうの椅子に並んで座った。このことも、これから話すことを暗いイメージにするものとなってしまった。
「付き合って欲しいと思って・・・」
言いたいことはこの一点だったのだから仕方がないが、あまりにも単刀直入であった。もちろんこれは、僕にとっては人生を賭けた重大な告白である。だがそのときの彼女の表情からは、思いがけなく重大な告白をされたという驚きも、もちろん期待していた言葉を聞いたという喜びのようなものも見て取れなかった。ある程度予想していたのだろうか。いつもは明るく快活な彼女が、黙り込んでうつむき加減に前方の床と壁の境の辺りをじっと見たままだ。どやどやと団員たちが僕たちの背後を通っていく。僕たちに気づいて、それまでの話し声が止む。きっと外に出た途端、僕らのことを話し出すに違いない。僕は誘った本人だから仕方ないが、彼女を同じ目にあわせたのが申し訳ない。人のけはいがなくなってから、彼女は言った。
「ごめんなさい。いまは音楽のことに打ち込みたいから・・・それに仕事もまだ慣れなくて大変だし・・・」
断られただけでなく、仕事のことまで付け加えられて、僕は急に彼女が遠い存在に思えてしまった。もっと粘りたいという気持ちはあったが何も言えなかった。体から何かがスーッと抜けていくような気がした。
「・・・わかりました・・・」
それがかろうじて僕が言ったひとことだった。彼女はうつむいたまましばらく黙っていたが、急に顔を上げると、
「来週早めに出てきて、手伝うことになったの」と、ことさら快活さを装って言った。彼女もマネージャーに頼まれていたのだ。その場の気詰まりな雰囲気を振り払おうとするような言い方だった。だが、それが僕に何の関係があるのだと思った。返事もしたくなかった。のどの奥で、
「そう」と言うつもりだったが、声にならなかった。気を取り直して、
「今日は、ごめん。じゃあ・・・」と言って、立ち上がり彼女の顔を見ないようにしながら大きな楽器を担いだ。彼女も背の低い体にとっては大きなチェロのケースを担いだ。ロビーの入り口まで黙って並んで歩いたが、玄関を出るとそれぞれ違う方向に別れた。別れ際は、お互いに小さく、
「じゃあ」と言っただけだった。
僕はすぐに車で帰宅したが、彼女はファミレスのほうに行ったような気がした。仲間たちが行っているのかもしれない。
寂しかった。
その週のある日、夜遅く仕事から帰ると母から、
「夕方オーケストラの方が来られて、あんたに渡すようにって、これを置いていったよ」と言って、小さいがやや厚みのある包みを渡された。部屋に入ってからよく見ると、大先輩からだった。中には短い手紙とCDが入っている。手紙には、
『チェロの彼女から聞きました。いまの君が聞くといい音楽です。特に第三楽章を勧めます』と書いてあった。大先輩が自分でコピーしたとみえるCDには、小さな文字で、
『ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ、ニ短調演奏ケンプ』とある。
すぐにCDをかけた。音楽は分散和音でゆっくりと始まった。僕は装置の前に立ったままで聞いた。聞いているうちに底なしの喪失感が体中に広がっていく。心の中を見つめるようなゆっくりとした第二楽章がすむと、駆け抜けるようなアレグロの音楽が始まった。テンポは軽快だが、澄んだ寂しさを湛えている。心が洗われる分散和音のフレーズのあと、慟哭するようなフォルテがひとしきりあってから、音楽はあっけないくらいあっさりと終わった。聞き終わったとき、僕は心の中を洗い流されたような気持ちになっていた。
僕は、仕事着を着替え、母が食事の用意をして待つ茶の間に下りて行った。母が、届けられたものが何だったのかなどと聞かなかったのはありがたかった。僕は平静を装っていたつもりだが、母親というものは息子の気持ちを、その態度や表情から敏感に察するものなのだろう。
夜遅く、大先輩にお礼の電話をした。どうして彼女から聞いたと言うのかも知りたかった。
大先輩の説明はこうだった。あの日の夜、大先輩のところに彼女から電話があったのだそうだ。彼女は僕とのことを話した後、オーケストラに居れなくなってしまったといって泣きだしたと言う。そして僕に申し訳ないと何度も言ったそうだ。大先輩が、僕のことを、彼なら大丈夫だからオーケストラをやめたりしないで今までどおり一緒にやろうと説得した結果、そうすることになったのだそうだ。
それで大先輩は、このCDを作って仕事帰りか何かに僕のところに寄ってくれたのだった。
あの日、彼女はきっとあれからすぐに帰宅したのだろう。僕のせいで心に大きな重荷を抱えて。
ロビーで何事か深刻そうに話している僕たちを見たオーケストラの人たちも、大先輩も、母までもが、僕に起きたことを知ってしまっていた。
来週頼まれたオーケストラの手伝いを断ろうかと思っていたが、僕は行くことにした。
完