第一章 『過去から伸びる支配への導き』
注意書き
〜この作品は猟奇的、性的描写が含まれます〜
この作品はあくまでフィクションであり、作中の倫理観や性癖を推奨するものではございません。
——楪が殺された。
不動産会社を隠れ蓑にした秘密組織「エクスプロイト」の統治者「豬苅 総司郎」はその報せを聞き、おもわず咥えていた葉巻を強く噛み締めた。
つい最近、エクスプロイトは昔から縄張り争いで拮抗していたヤクザとの関係に悩まされていた。——このままでは抗争は避けられないだろう、と。
そんな中、俺は以前裏社会メインの弁護士であり、現在は裏組織「アルトル」の長「楪」に第三者としてヤクザとの仲裁を依頼していた。
ヤクザが絡んでいるため非常にリスクのある依頼だったが、それでも楪は二つ返事でその依頼を引き受けた。
過去に楪の窮地を救った俺へ、恩返しのつもりだったんだろう。……助けたと言っても、利用価値があったから生かしただけではあったが。
本来、楪の腕なら多少のリスクはあれど問題なく抗争は避けられるはずだった。それだけ彼は立ち回りスキルや経験に長けており、普段他人なぞ信用しない俺ですら認めざるを得ない実力者だったのだ。
——しかし、事はそんな単純にいかなかった。
ヤクザ側のスポンサーに個人的な恨みから和解を妨害されたり、ヤクザ側が別の組織とも問題を起こしていたためその飛び火が飛んできたり、身内に裏切り者がいたり…それ以外にもタイミング悪くあらゆることが積み重なってしまった。
結果的に話は拗れ、向こうは和解を断固拒絶。
そのヤクザだけでなく他の組織も絡む大ごとになってしまっていた。
それらの事態の収拾に奔走していた楪は、アルトルではなくホテルに短期滞在していたところを狙われ、
——還らぬ人になってしまった。
豬苅「…クソッ!!!」
叩きつけた拳は重く、重厚なマカボニー製のデスクに浅くひびが入る。
痛みはない、心にも体にも。ただただ怒りだけがここにある。
自分の判断が誤っていたとは思わない。
実際、彼が仲介役でなければとっくにエクスプロイトは破滅していた。
——しかし最終的に俺の依頼のせいで楪は死に、ヤクザ達とエクスプロイトの抗争はもはや避けられないものとなった。
デスクから離れ、ソファに深く腰を落とし葉巻を燻らせながら静かにこれからのことを思案を巡らせる。
——向こうの組だけを潰すならまだ策はある。
だが、必ず抗争のあとには漁夫の利を狙う別の連中が来る。そうなると選択肢は限られていた。
じき向こうはこのエクスプロイト本拠地の位置を割り出し、襲撃してくるだろう。
——ならやるべきことは一つ。そうなる前にエクスプロイトを実質解散させ、一度水面下で立て直すことだ。
豬苅「………チッ。アイツの組織もそのままにはしておけねぇ。」
——楪の治めていた裏組織「アルトル」
人数規模100人前後の小さな組織で「法に触れるような異常性癖持ちの倒錯者」向けに事業を展開している。
人身売買なんざまだ生ぬるい。食人、催眠、改造などの想像を巡らせることすら憚られることを取り扱い、裏社会の人間ですら無闇に彼らへ喧嘩を売らないぐらいには常軌を逸した組織だ。
……正直関わり合いになんざなりたくない。
だが自分のせいでドンを失わせてしまった以上、ケジメはいる…最低限でもスポンサーとして面倒を見続けるなり、組織の立て直しを協力するなりしなくてはならない。
——それが情もへったくれもない俺ができる、楪への贖罪でもあるだろう。
ひとしきり考えをまとめ上げ一度深く息を吐く。ゆるく漂う葉巻の煙が視界を覆う。
……彼には悪いことをした。裏社会で長年生きてりゃこの程度で自責の念や惜しむ気持ちはミジンも湧いてはこないが、——思うところがないわけではない。
「最後に彼と言葉を交わしたのはいつだったか」、と思慮を巡らせる。
ふいに脳裏を何も起きてないのに静かで不気味だったあの夜の記憶が掠めた。
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——あれは楪をこの建物に呼んだ時のこと。
柔らかく静かな夜、アンティーク家具でシックにまとめ上げられたダイニングホール。
この日俺は経過報告と建前上の労いのため、楪を夕食に呼び出していた。
楪はいつものようにやや天パの髪をセットもせず、Tシャツとジーンズというラフな格好で現れた。
彼のやや優しげな顔立ちも相まってその姿は滑稽なほど場に似つかわしくなかったが、彼持ち前の異様なオーラがそんな事実を容易くねじ伏せていた。
楪「…——報告は以上っすね。とりあえず雲行きは怪しいままですが、まぁ上手くやりますよ。」
そう笑う楪の顔が若干やつれている。あまり休めていないようだ。
豬苅「……てめぇにもてめぇの組織のことがあんのに悪りぃな。貸した部下が役に立ってりゃいいが。」
楪「あーだいぶ助かってますよ。それに今は秘書の福良木も踏ん張ってくれてるんで。」
そう軽口をいいながら楪は出された料理を完食し終え、電子タバコを吸い始める。
楪「…前も言いましたっけ。福良木はよくできた秘書な上、ペットとしてもこれ以上なくてですね。最近前よりも可愛げが増してるのに、依頼の対応で会えないのが寂しくて寂しくて…」
楪の表情に気味の悪い恍惚が浮かび始める。
……楪が昔から女をペットとして飼う趣味があるのは知っていたが、何回聞いても嫌悪感が湧いてくる。
しかもそのペットに秘書をやらせているのだからとんだ笑い話だ。
楪「……俺が躾する前から頭は切れるのに従順で、喋りも行動もこちら側を満たしてくれて、2人きりのとき犬みたいに扱うとすごい可愛い顔で…」
眉間に深く皺が寄る。
普段物事に囚われない楪にここまで言わせる女というのは少しだけ気になりはするが。
これ以上惚気を聞く気も、ましてクソみたいな性癖の話を聞く気もない。
楪を黙らせるため彼を睨つけようと目線を動かした瞬間。
視界に楪の狂気じみた笑みが映り、あまりの不気味さにこちらの動きが一瞬止まる。
楪「…俺はいつか彼女、福良木をあなたに献上するつもりですよ。」
表情を変えないまま楪はそう静かに言った。
——コイツは何を言っている。女…しかもてめぇの愛玩犬なんざいるわけがねぇだろうが。
俺は一瞬で思考を立て直し、テーブルに片手を叩きつけた。
豬苅「…いらねぇ。」
吐き捨てるように低く答えた。気色悪い、穢らわしいと言葉を続けようとする。
——だが、なぜかそこで喉が詰まった。
…何故か分からないが、それを言いたくないと思う自分がいる。彼がいうその彼女を見てみたいと思う自分がいる。
苛立ちを押し殺し、葉巻を取り出して深く煙を吸い込む。もちろん楪を睨みつけたままだ。
俺の考えを見抜いたのか、楪の笑みは更に仮面のように狂気的で、どこか人間離れしたものへと変わっていく。
楪「…いいや、あなたは絶対彼女を気にいりますよ。」
言葉に揺らぎは一切ない。確定事項のように淡々とした物言いにおされ、言葉を遮ることも拳を振り上げることもできず押し黙る。
楪「彼女の、人間の物差しでは測れぬ価値を、保証しますよ。」
楪は「ではまた。」と、こちらの言葉を待たずに顔に微笑みをうかべたままゆっくりとその場を立ち去る。
残された俺はただただ事態を咀嚼しきれず、楪が出ていったドアを見つめることしかできなかった。
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思い返せば随分くだらないやり取りのはずだったが妙にあの日のことははっきりと記憶に残っている。
——何でアイツは自分の女を俺に献上しようとした?
一抹の疑問を振り払い、エクスプロイトの部下達に今後の方針と指示の連絡をいれる。
ふとスマートフォンを覗くとアルトルに貸し出している部下から連絡が入っていた。——楪の葬儀は3日後とのことだ。
スケジュールを確認し「参列する」とだけ返す。
アルトルの奴らは決していい顔しないだろうが、ここで参列しないというのは俺の矜持に反する。
返信後すぐに部屋のクローゼットを開き、喪服を探し始める。1番奥に掛けられていたそれは周りの人間があまたと死んでいるのに新品同様だった。
喪服を取り出しながら不意にある考えが脳裏をよぎった。
——その葬儀には、件の福良木とやらもいるのだろうか。
噛みしめた葉巻が、わずかに裂ける音がした。苦味の中に焦げた煙が広がる。
思考も、自責も、怒りも、——楪の存在さえも。
すべて灰となり、煙として消え去っていく。
喪服を乱雑にソファの上へ投げ捨て、いつも通りの足取りで部屋の外にむかう。
なんの感情も今は感じないが、ただただ楪の言っていた言葉だけが俺の胸へわずかな影を残しているのであった。