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寒がりの短編集

夏の初めの晴れた空

作者: 寒がり


 初夏のある日。抜けるように青い空にくっきりとした白い雲が浮かび、大気はやや温かい。

 こういう日には何かが起こりそうな予感がする。それは、好ましい、新しい何かだ。街はそんな明るさと解放感に溢れている。


「若く明るい歌声に———」


 ふと、古い時代の純朴で底抜けに明るい歌を口ずさむ。泣き腫らした後みたいな、雨上がりみたいなどこまでも澄んだ歌。死んだおじいちゃんが好きだったあの歌だ。


 焼け野原の上に広がる青い空。見たことのない光景は、しかし確かにここにあったのだ。そんな青空には、あるいは林檎の赤がよく映えたことだろう。


 今や、ビル群が空を覆っている。

 けれども、今日みたいな日だけは、灰色のビルの合間合間にまで青空が染み渡っている気がする。

 青空が地面まで続いているのだ。

 

 令和に生きる僕には、本当にそんな時代があったのかなんて分からない。「楽しい日本」がスローガンになるくらい楽しくない今を生きているらしい僕には。


 寄り添って歩く老夫婦とすれ違う。

 この人達は、そういう時代を生きたのだろうか。そういう時代を生きた人は、今の時代をどう生きているのだろうか。


 分からない。分かりようがない。

 それを経験した事はなく、歌なり本なりに断片を見つけるのが精一杯だ。


 此処にあるのは、フレグランスのフラグメントって所だ。

 若くて明るい時代を満たしていたそれは、粉々になって図書館の奥とか街角の廃墟みたいな古い建物とか人々の記憶の奥底に散らばっている。

 そういうものを拾い集めても、それ全体にはたどり着きようがない。

 

 知りもしないものを懐かしむなんておかしいだろう。それでも、懐かしいのだ。油断すると涙が滲み出る。

 そういうものの断片が一つ、また一つと消えていく事をどうしてか寂しいと思う。


「私が子供時分の歌じゃないですか。今頃の若い人も歌うんですね」

「おじいちゃんが好きだったんです。よく歌ってました」


 振り向くと、豊かな白髪の老紳士が立っていた。

 行きつけの喫茶店の常連さんで、何度か顔を合わせるうちに話すようになった人だ。

 老人と大学生。世代が二つも違う、不思議なご縁だった。


「あの時代の曲って、真っ直ぐで力に溢れてていいなって思います。ああいう時代に生まれてみたかったです」

「さつまいもの蔓しか食べる物がなかった時代に?」

「でも楽しい時代だったんですよね」

「楽しいというより誰も彼も一生懸命でしたね。思い返せば楽しかったかも分かりませんが、その時はとにかく食べることでしたね」


 死んだおじいちゃんはさつまいもの蔓は「珍味」だと言っていた。二度と食べたくないし見たくもないと。さつまいもそのものも食べ過ぎてもう食べたくないと。


 それでも、幸せな時代は常に過去にのみ存在する。少なくともZ世代、この国が下り坂に入った時代に生まれた僕にとっては。


「世の中が若々しくて活力に溢れていたんだと思います」

「ハハハ、若い人が何を言ってるんだか」


 でも、僕らは若くして老いている。

 個々には若くとも、群として、ネイションとしてバイタリティを失いつつある。そういう鈍痛のような空気を吸って、育って来た。


 今日みたいな空を懐かしく思うのは、青春を思い出すからだと思います。

 そういう話をすると、お爺さんは困ったように笑った。


たまには明るい話を書こうとして失敗しました。

p.s.「青い山脈」は名曲。

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