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きみの声をおぼえてる  作者: Rivi
第1章
4/6

4

帰り道、陽がすっかり落ちた街を、澪は静かに歩いていた。

喫茶店を出たときの金色の光が、まだ心の奥でふわりと揺れている。

でも、それは現実か夢か、まだ確かな輪郭を持たないまま、体の中に残っていた。


部屋に戻ると、上着を脱いで、そのまま机の前に座る。

鞄の中からノートを取り出して、金色の記録が並ぶページをそっと開いた。


本のことが、頭から離れなかった。

黒いカバー、置かれた角度、差し込んでいた光――

手に取れなかったけれど、何かがそこに“残っていた”気がしてならない。


ページの余白に、ゆっくりとペンを走らせる。


「今日は、声じゃなくて、本から音がした気がした。」


そう書いてから、ペン先が止まる。

タイトルも著者名も、まだわからない。

でも、その本が“あの人”のもののような気がしてならなかった。


たまたま誰かの忘れ物かもしれない。

けれど、あそこに“置いていった”ようにも感じた。

まるで、わたしに何かを託したように。


「……明日、まだあるかな」


心の中でつぶやいた声は、ページの上で静かに消えていった。


***


翌日、午後の光が少しだけ傾きはじめたころ。

澪は三度目の喫茶店の前に立っていた。


「今日も、あの本があるかもしれない」


そんな希望がほんのすこし、背中を押してくれる気がした。

けれど、いざドアの前に立つと、胸の奥で鼓動が強く響いた。


ガラス扉を押すと、いつものやわらかなコーヒーの香りがふわっと広がる。

澪の視線は、自然と奥の窓際へ向かった。


――あの席には、もう何も置かれていなかった。


椅子はきちんと揃えられ、テーブルの上には何もない。

昨日までそこにあった黒い本も、姿を消していた。


「……やっぱり、忘れ物だったのかな」


喉の奥がすこしだけ苦くなる。

このまま帰ってもいい。でも――


澪は、カウンターへ足を向けた。


「すみません、昨日この席にあった本って……」


「黒いカバーの本ですか? ありますよ」

店員の女性は、ふっと微笑んだ。


「忘れ物かと思ったんですけど、中にこんなメモがあって。

“よければ読んでください”って。気になるなら、どうぞ」


そう言って渡された本は、まさに澪の記憶のままだった。


表紙に触れた瞬間、手のひらに、金色の気配がふわっとにじんだ。


澪は席に戻り、本をそっと開いた。

指先が紙にふれた瞬間、小さな音が生まれる。


しゃりと、小さな音が響いた。

その音に、金色の光がふわっと重なる。

まるで、誰かがやさしく語りかけてくるようだった。


一枚ずつページをめくるたび、

“音”と“記憶”と“なにか大事なもの”が、ゆっくりつながっていく。


最後のページに、しおりが挟まっていた。

そこには、小さな手書きのメッセージがある。


「この本、好きでした。

よければ、読んでください。」


声じゃない。けれど、確かに“伝わる”何かがあった。


澪はノートを開き、ペンを走らせる。


「本の音。声じゃないのに、たしかに届いた。」


その下に、金色の円をもう一つ、

新しく出会った“音の光”を、そっと、丁寧に描いた。


***


向かいのビルの階段から、ガラス越しに彼女の姿を見つけた。

澪。名も知らないその少女の名前を、空はまだ声に出せない。


喫茶店で彼女を見かけたとき、

ノートを開く姿と伏せた横顔が、冬の公園の記憶と重なった。


あのとき――

うずくまって泣いていた少女に、空はたった一言をかけた。

「がんばって、生きてみて」


あのときの表情は、ずっと心に残っている。

涙をこらえた、強くて、壊れそうな目だった。


でも、今の自分には、もう声が出せない。

気づいたとしても、話しかけることもできない。


だから、昨日――あの本を、わざと置いていった。

声のかわりに、気持ちを残すみたいに。


「この本、好きでした。

よければ、読んでください。」


ただそれだけ。

名前も書かなかった。伝えたい気持ちは全部、ページの間に込めた。


読まれなければ、それでもいい。

でももし、手に取ってくれたなら――


そして今日、彼女はまた来た。

今、ページをめくっている。


何も言えないけれど、それだけで、

胸の奥が、すこしだけあたたかくなった。


もう声が届かなくても、

想いは、きっとまだ、どこかでつながっている。

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