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きみの声をおぼえてる  作者: Rivi
第1章
2/6

2

あの音を聞いた瞬間、時間が止まったような気がした。

でも、ふと我に返ると、喫茶店の空気は何も変わっていなかった。

本をめくる音だけが、静かに“しゃり、しゃり”と続いている。


金色の光は、一瞬で消えた。

まるで最初から、錯覚だったかのように。

けれど、鼓動だけがひどくうるさくて、胸の奥がきゅっと締めつけられた。


そっと顔を上げて、わたしは視線を後ろへ向けた。

窓際の席。文庫本を読んでいる制服の男の子がいた。


ただ、それだけ。

顔も知らない。名前も知らない。

あのときだって、振り返ることさえできなかったから。


顔までは見えなかった。

でも、ページをめくる、その静かな動きに、なぜだか心が揺れた。


彼の指が紙を送るたび、わたしの視界には、ふわりと金色の光がまたにじむ。

現実の音は、ただの“紙の音”なのに――

わたしには、それが金色に“見えた”。


十年前のあの声と、まったく同じ色。

わたしの心が、理屈より先に「この人だ」と知っていた。


喉の奥が熱くなる。

声をかけたかった。

でも、それができなかったのは、あのときのわたしと、まったく同じだった。


立ち上がることもできず、コーヒーをほとんど飲まないまま、レジへ向かった。

扉を開けたとき、背中から“しゃり”というページの音が響いた。


その音にも、金色のにじみがある気がして――

わたしは、振り返れなかった。


違っていたら、こわかった。

あの記憶まで、嘘だったみたいに思えてしまいそうで。


***


街の空気は、少しだけ冷たかった。

夕方に近い空が、うっすらと群青に染まりはじめていた。


駅前の通りは、人がまばらに行き交っていたけれど、

その雑踏の音すら、どこか遠くに聞こえるようだった。


イヤホンはもう外していた。

通りすぎる声、人の足音、風の揺れる音。

どの音も、さっきより少しだけやわらかく聞こえた。


コンビニの扉が開く「ピロリン」という電子音は、水色にやさしく揺れていた。

自転車のベルの音は、細く揺れる黄色。

誰かのスマホからこぼれた通知音は、灰色の粒になって漂っていた。


金色の余韻が、まだ世界のどこかに残っている気がした。

それだけで、歩く歩幅が少しだけ軽くなる。


でも、胸の奥に引っかかるものもあった。

“あれは気のせいだったのかもしれない”という不安と、

“もう一度確かめたい”という気持ちがせめぎ合っていた。


***


帰宅してからも、その音のことが頭から離れなかった。


部屋のドアを閉めて、ベッドに倒れ込む。

イヤホンをまた耳に入れてみたけど、何も再生する気になれなくて、すぐに外した。


少し時間がたってから、体を起こしてソファに移る。

そこでようやく、カバンからノートを取り出した。


そのノートには、

“音の色”を思いついたまま書き留めるためのページがある。

ただの落書き帳みたいなものだけど、

誰にも見せたことはない、わたしだけの小さな場所。


今日のページを開くと、

昨日の音――電子レンジの「ピッ」とした赤、

母の書き置きに感じた白、

スマホの通知音の灰色――

そんな色が、メモとして並んでいた。


ページの余白に、そっとペン先を走らせる。

あの喫茶店で耳にした、本をめくる音。

その瞬間、視界に、ふわっと金色の光がにじんだ。


“しゃり”――紙が空気をすべるような、小さな音だった。

けれど、その響きは、あの声と、まったく同じ色をしていた。


その横に、小さく描いたのは、淡い金の円。

ほんのりと光をまとうような、やさしい色。


ページをめくって、過去の記録をたどる。

「金色」と書かれた記録は、ただ一度だけ。


十年前、公園で泣いていたときの、あの声。


それだけに、今回の記録は、思わずペンを止めるほど――

自分でも驚くくらい、深く、心に残った。


ページの端をなぞって、

わたしはそっとつぶやく。


「……また、会いたいな」


自分でも、誰に言っているのかわからない。

でも、口にしたとき、胸の奥がじんわりあたたかくなった。


あの音が、本当に“あの人”のものかどうかなんて、まだわからない。

それでも――


“あの音”に、もう一度会いに行こう。


小さな決意が、心のなかに静かに灯った。


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― 新着の感想 ―
このあと男の子と会うことができるのか!? 続きが気になるー!
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