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「お姉さま、どうしてあちらの席でご一緒しないのですか?」
清潔感と暖かみに溢れた、日の光がさす窓際の席に、メイリたちが良く見知った黒髪の少年は座っていた。
「………それはね、今は彼女がいるからよ」
しかし彼は一人ではない。木製の趣深い茶色の丸テーブルに少年と向き合って座る、一人の少女。赤みがかった、肩口まで伸びた髪をカチューシャで止めた彼女は、長い時を生きているとは思えない程、少女然とした可憐さに溢れ、今は緊張できつく閉じられた口元も、綻ばせればきっと日を受けて咲き誇る大輪のように、見る者全てを魅了する輝きが彼女にあることをメイリは知っていた。
彼女の名前はミーシャ。仲間と共に世界の悪を打ち倒し、現代の礎を築いた者。彼女もまた神々に翻弄された一人の人間ではあったが、それでも現在の平和は彼女の活躍無しでは語れない程の功績があった。特にメイリたちは彼女に一言で言い表せない程の恩義がある。
「私はミーシャ様とご一緒でも構いませんけど、やはり、その………それは良くないのでしょうか」
「ふふ、ごめんなさいね、メア。あなたは何も気にしなくていいのよ。その方が“自然”なの――――それにほら、今時はジェンダーレスというのかしら。そのおかげで私達だけでもこの限定メニューを頂くことが出来るのよ」
メイリは丁度運ばれてきた二人の目的である、カップル限定メニューの特大パフェにスプーンを差し込みながらいった。
「うーん………そういうことじゃないのですが――――………はむ……んー!これとっても美味しいですよ!お姉さま!」
メアはまだ釈然としない様子だったが、メイリから差し向けられたスプーンをそのまま口に含むとその余りの甘美さに思わず感嘆の声を上げた。
「それはよかったわ」
幸せそうに口の中の甘みを堪能するメアにメイリも思わず笑顔になって、今まで抱いていたもやもやとした気持ちが少しだけ晴れるのを感じた。
(はあ、なにやってんだろ私――――)
メイリはそのもやもやの原因となっている、黒髪の少年を見た。
別にあそこに神妙な顔で座る黒髪の少年に「一緒にカフェに行きたい」と言えば済む話だったのだ。その方がメアも喜んだだろう。でも何故か言えなかった。
ミーシャと一緒が気が引けるのなら、日を変えれば良い、もっと言うなら、我が儘を言ってこちらを優先してもらうことだった出来ただろう。でも――――
(そんなの言えるわけない)
暖かな光が差す窓際に座る少年は、玲瓏館で見せるいつものしかめ面ではなく、どこか優し気な幸福を感じさせるものだった。
(こんなストーカーみたいなこと……今度こそ本当に訴えられても文句言えないじゃない)
あの日激写されたエルハルトのフリー素材は、しっかりとメイリのスマホのカメラフォルダに収められていた。この行為を正当化するためにいくつの罪を重ね、どれほど本人が不利益を負うのかをわからないメイリではなかったが、それでも自分を止めることが出来なかった。
「うー……やっぱりちょっと重いかもです……ほら、お姉さまもぼおとしてないで食べてください。とっても美味しいですよ」
今度はメアがスプーンをメイリの方に差し出して、メイリの口元へ寄せる。メイリはそれを口に含むと、口の中に生クリームとチョコのあの独特の甘ったるい風味が広がるのがわかった。
「美味しい……」
その暴力的な甘さはその味覚の持ち主がどんなに暗い気分でも明るい気分にさせる圧倒的な力があった。
「でしょっ?――――疲れた時は甘いものですよお姉さま」
「ふふ、ありがとう。メア」
さすがは姉妹。わかるものはわかるのだ。
(駄目ね……メアは何も知らないんだもの、せめてメアだけでも楽しんでもらわないと……でもその前に――――)
「メア、あの二人を見て何か思わない?」
「?――――うーん、ミーシャさんはちょっと緊張してるみたいですけど、お二人ともとっても楽しそうですよ?」
「そう……そうよね。楽しそうならそれで良いわよね」
「うん!そうですよ!エルハルト様の幸せは私たちの幸せ。こんな幸せな日々がずっと続けばいいのに」
メアは少し落ちてきたペースを取り戻すために、ぱくぱくとスプーンを口元に運んで、限りある、この瞬間の幸せを全力で享受しようとしていた。
(やっぱりそうだ。おかしいのは私。そう、私とそして――――あの娘だけ)
メイリがその少女に視線を移すと、先ほどメアが評した通りに緊張で顔を赤らめたミーシャがあたふたと忙しなく、手元のコーヒーを口元と行ったり来たりさせていた。
(ネームドは恋をしない)
それはモブ……いや今のほとんどを占める人類の誰かが書いた本の題名だった。
それを書いた著者はとあるネームドの女性に恋をしていた。彼は長い時間を掛けて、彼女を振り向かせるために、様々なアプローチをした。しかし、結果から言うとその恋は実らなかった。彼は短い寿命の大半を彼女に捧げ、何も見返りを得ることが出来なかった。それはただ単に脈が無かっただけとも言える。だが、それは彼に限ったことではない。本当にネームドは恋をしないのだ。
(それが創造主達が与えた“設定”)
ネームドは神に造られた故に容姿端麗の者が多く、ネームドに恋をした人類はもちろん彼だけではなかった。歴史上多くの者がネームドに恋をし、そしてその思いはいずれも実ることなく散っていった。
(私たちは恋をしない――――)
それは偏にネームドという存在が神の恣意的な都合によって作られた存在だからだろう。ネームドには基本的には自由意志があり、感情ももちろんある。だが、ネームドにはそれ以上に厳格に定められた“性格設定”があった。
(私たちはそれから逸脱できない)
恋は人を変えるものだという。恋をした時点でその設定は崩壊してしまうだろう。
(はずなのに――――)
ミーシャは飲み干したコーヒーのお代わりを店員に要求した。もう三杯目だ。彼女たちはもちろんあらゆる面倒事を避けるために、軽めの認識阻害の魔法を自らに掛けている。しかしこの調子では例え見ず知らずの店員だろうと、見抜かれてしまうかもしれない。
勇者ミーシャ。彼女は恐らく世界を救う者、もしくはその一人として造られた存在で、もちろん玲瓏館に住むダンジョンのボスと恋仲になるなどという設定は存在していないはずだった。
(これがあの勇者ミーシャ………?)
メイリが最初に彼女に会った時は、彼女の可憐な少女としての外見とは裏腹に、あらゆる修羅場をくぐった凛とした勇者の風格を保っていた。しかし、今の彼女は――――恋をするただ一人の少女だった――――