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玲瓏館当主エルハルト・フォン・シュヴァルツベルクの華麗なるわからせ美学  作者: 柴石 貴初


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76/211

5-3

 「できた……!」


 レーネのその呟きと共に砂時計の砂は落ち切って、のんびりとした朝の工作の時間は終わりを告げた。


 「じゃあ、勝負だな」


 「うん。この飛び石から並んで投げて、遠くまで飛ばせた方の勝ち」


 レーネが辺りを見回して、花壇を彩る少し大きめの飛び石を見つけると、その淵に立ってエルハルトに隣に並ぶように指示した。


 「わかった――」


 エルハルトはその指示に従って、のんびりとした歩調で彼女の指示された飛び石まで向かい、隣に並んだ。


 長閑な朝の木漏れ日と、しばらく続いたの緩やかな時間の起伏に、エルハルトはすっかり毒気を抜かれて、まるで縁側で座りながら庭で遊ぶ孫を見守る、爺のような気分になっていたが、それはそれとして彼女と同じように飛び石に淵に立ったエルハルトは、ふとその並びに違和感を覚えて、隣に並ぶ彼女の顔を見上げた。


 「っていうか、お前……でかなくなった……よな」


 そう、その違和感とは並ぶ肩の位置に、彼が記憶する過去の思い出のそれとは明らかに異なった大きな差が有った事だった。


 「……」


 エルハルトの言葉にレーネはちらりとこちらに視線をよこしただけだった。彼女の無表情は昔と変わらず、その内面を推し量ることができない。

 変わったのはその視線の角度だけだった。


 「――――……」


 彼女の身長は、メイリよりは小さいが、ミーシャよりは確実に大きい。

 

 エルハルトの記憶の中にある彼女の背丈は自分のそれよりももう少し小さかったはずである。

 果たして、いつ彼女は自らの身長を追い越したのだろう……


 見上げるエルハルトの視線は、しばらく自分よりちょうど頭一個分程の高さにある彼女の顔に注がれていたが、やがて元気をなくしたその目線は落ち込んで、彼女の背丈と共に成長したその胸元へと注がれた。


 「エル君のえっち……」

 

 エルハルトの視線に気づいたレーネが、透け感のあるシフォンの、いかにも育ちのよさそうなドレス風の衣装の上から、胸元を抑えてジト目の非難を彼に送った。


 夏らしく、肩口が露出した衣装から、レーネの不健康そうな白い肌が覗いて、思わずエルハルトは彼女から視線を逸らした。


 「ば、ばかっ!!僕はそういうつもりで言ったんじゃ……!!」


 「……知ってる」


 「――――!!もう!何なんだよ!お前は!……いいから早く終わらせるぞ!僕は忙しいんだ!」

 

 「……うん」


 よく考えてみれば、彼女の成長は喜ばしいことだ。

 今更、背を抜かれて悔しいという感情が芽生えたことに、エルハルトは自分でも驚いていた。


 「じゃあ、いくよ。準備はできてる?」


 「おう」


 「じゃあ、投げるよ……せーのっ、えいっ」


 「――うりゃっ」 


 レーネの合図とともに二人は紙飛行機を投げる。勢いをつけて放たれた二つのインク混じりの白翼は、その大きく広げた翼で大気の気流をしっかりと掴んでふわりと浮上し、そして限りある空の旅路を少しでも長く満喫するために、ゆっくりと、そして確実に高度を下げ下降していく。

 その姿は力強く大空を羽ばたく白鳥というより、むしろ、脆く儚い、初冬に降る雪のように、一瞬の揺らめきの中で、その美しい結晶を人々の目に焼き付けようとする、ある種の生き汚さと生命力を見る者に与える。


 とまれかくまれ、彼らの勝敗はその泥臭くも美しい生命力に託された。


 この世界にあるあらゆる生命は等しくその醜穢しゅうわいと精華を持つ。

 いずれにしてもその二つによって生命が成り立つのなら、より強く、より真摯に、より醜く、それを求めた者がより遠くまで手を伸ばせるのが道理でありその勝敗の行方はもちろんそれの多寡によってなさ――


 「って、なんかお前の紙飛行機、こっちに向かってきてない!?」


 「あ、あれ……?」


 そう、エルハルトの紙飛行機と同時に放たれたレーネの紙飛行機は、途中まで二人で仲良く空の旅を楽しんでいたものの、レーネの紙飛行機だけ突如としてその行き先を真反対へとUターンさせると、ふらふらと力尽きたように二人の間の飛び石に不時着した。


 「…………」


 「…………」


 一方、対照的にエルハルトの機体は綺麗に真っすぐとその生涯を息抜き、細く長く続いたその曲線はさらに無駄に長い軌道を描いて、遥か遠くに見える東屋のテーブルの上に優雅に着陸した。


 「…………」


 「…………」


 ……いや、飛び過ぎでしょ。


 「……勝負……ありだな」


 「――――……うん」


 しかし何はともあれ勝敗は決した。つまり――


 「……僕の勝利ってことで、よろしいでしょうか?レーネお嬢様?」


 「――――……」


 エルハルトは生涯で数えるほどしか味わったことの無い勝利の美酒に酔い、少しだけ浮かれていた。


 「…………」


 「よ、ろ、し、い、でしょうか?」


 エルハルトは、少しだけ、浮かれていた。

 

 「むう……これは何かの間違い……」 


 「いーや、そんなはずは無いね!だって、見ただろう僕の素晴らしい紙飛行機の出来栄えを! 僕の実力を! 今のレーネの実力じゃあ、後何百回挑まれたって負ける気がしないね!」


 「そ、そんなこと無い……! もう一回! もう一回だ……! エルハルト・フォン・シュヴァルツベルク!」


 「だから、何でフルネーム?」


 「もう……! そんなことどうでもいいじゃん……! はい、これ! これでもう一回つくって……!」


 「いいや、やだね。何故なら、労力と時間の無駄だからさ!さっきも言っただろう、レーネ? 僕は忙しいんだ」


 「~~~!!」


 「そんな目で見てもだめなもんはだめだ。ほら、この君が作った紙飛行機を見ろ。こんな雑な折り方じゃあ、一生掛かっても真っすぐ飛ばすことなんてできない。こんなごちゃごちゃとした意味の無い折り方を学ぶ前に、真っすぐと、綺麗な折り目を付けられるようにもっと練習を重ねるべきだ」


 「……もん」


 「ん?なんだって?」


 「意味無くなんかないもん!」


 レーネは少し涙目だった。エルハルトに負けたのが相当悔しかったのか、それとも煽り耐性がゼロなのか――


 「うう、おいおい、でかい図体でそんな顔をするなよ、そんな顔されたら僕だって――」


 思わずエルハルトは言葉を詰まらせる。彼にはこうして人に追い詰められた経験は星の数ほどあれど、人を追い詰めた経験は露ほども無かった。


 (うっ……ちょっとやりすぎたか――)


 「ふわあ……どうしたんですか? こんな朝っぱらからピーチクパーチク――」


 と、そんな時機を見計らったように何者かが姿を現し、彼らに声を掛けた。


 「あ……メイリ。おはよう」


 そう、言わずもがな、その正体は当館の有能(?)メイド長のメイリである。

  

 「おはようございます、エルハルト様。私、生まれて初めて小学校にクレームを入れる高齢者の気持ちがわかりましたよ」


 うーん、これ以上ないほどの最低な登場の仕方だ。


 メイリはそんなかつてないほどの最低の挨拶を主人にかましたが、そこは古兵のクレーマー、そのまま流れるように主人の隣にいる少女に一瞥をくれ、メイドとしての最低限の仕事をこなした。


 「……レーネ様、ようこそ玲瓏館へ。私は当館のメイド長を勤めさせていただいているメイリと申すものでございます。もし御用がありましたらどうぞ遠慮なく私にお申し付けくださいませ」


 「……」


 しかし、どうしたことかレーネは話しかけてきたメイリに挨拶どころか、目すらも合わせない。


 「ええと、レーネ……?」


 「……」


 レーネは相変わらず目も合わせず、無言だ。

 まあ、正直こんな挨拶をかましてきたメイドに愛想よくする義理は無いのは事実ではあるが、その行動は彼女に似合わず少々不遜でもある。


 「えっと、メイリはレーネの事は……まあ、あんま知らないよな。あの夏祭りの日が初対面か?」


 「……ええ、私も実際にお話ししたのはあの夏祭りの謎イベントの時が初めてだったと記憶しております」


 「そう、だよなあ……じゃあ、改めて挨拶を……って、おいどこ行くんだ?」


 「帰る……」


 「え?せめて、挨拶だけでもって……消えた……?」


 レーネの帰宅宣言からの退却はきわめて迅速だった。エルハルトが感じていた隣のレーネの妙に大きな存在感は、彼が一瞬目を離した隙に、跡形も無くなくなっていた。


 「これは……姿隠しの魔法ですね……レーネさんレベルの魔術師を追跡するのはほぼ不可能でしょう」


 「そうか、残念だな、朝食ぐらいは一緒にと思ってたんだがな……メアのことも紹介しそびれたしって――」


 「――――……」


 エルハルトは当社比でいつもより表情から感情を無くしているメイリに気付いた。


 「ど、どうした?メイリ」


 「……もしかして私、レーネさんに避けられてます?」


 デジャヴ。


 「い、いや……そんなことはないんじゃ……ないのかな……?」

 

 「……――――」


 「な、なあメイリ……?勘違いしないで欲しいんだが、レーネは――」


 「はあ……別に私はそれでもいいですけど、ただ――」


 メイリとしては、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、これらの事象で軽く心に傷を負ったことは事実ではあるものの、気に掛かる箇所はもっとほかの場所にあった。


 (……二人の距離、妙に近くなかった?)


 家政婦は見ていた。あの甘酸っぱい青春を――


 「?」


 「いえ、何でもありません」


 しかし、メイリは何食わぬ顔で主人の方に向き直り、乱れた内面を悟られないように言った。

 彼女の数ある欠点の一つはポーカーフェイスが上手すぎることかもしれない。


 「そうか、じゃあ、一緒に朝飯でも食べるか。どうせまだ食べてないだろ?」


 「ありがたきお言葉。ええ、もちろん、ご一緒させていただきとうございます」


 「? なんかやっぱお前ちょっと変だぞ……」


 「いえ、私は正常です。お構いなく――」


 「うーん、でもお前の気持ちもちょっとはわかる。人付き合いって大変だもんな」


 「ええ」


 「まあ、でもそんな気にするな。お前は知らないと思うが、あいつは相当な変人なんだ。だからお前だからどうって訳じゃないはずだ、たぶん……」


 「はあ」


 「ということだから、とりあえず飯でも食って今日のことは忘れよう、な?そんな心配しなくても次はきっと普通に話せるさ」


 そう言うとエルハルトは少し背伸びをしてメイドの肩をとんとんと叩くと、そのまま背中を向けて屋敷の入口へと向かっていった。


 残されたメイリは彼が消えた屋敷の扉を見つめて独り呟いた。


 「――――……はあ……こう、どうして私の周りにはデリカシーの無い人しか集まらないんでしょうか……」


 ……類は友を呼ぶ。   



 ――――――…………


 ――――……


 ――……


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