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玲瓏館当主エルハルト・フォン・シュヴァルツベルクの華麗なるわからせ美学  作者: 柴石 貴初


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第5話 コントラスト

 思春期を殺した少年のフリル。それがクローゼットの吊られた衣服達からはみ出し、一際目立ってその存在を主張していた。


 エルハルトはその目立つフリルに目を止め、しばしそのふらふらとした曖昧な曲線を睨みつけていたが、何かを諦めたようにため息をつくと、いつもの仕事用の紺色のベストを選びとってそれに袖を通した。


 あの日失ったものはあまりにも多い。だが、この宇宙を支配する理の内の一つ、対称性と保存則に従うのなら、その損失には必ず流用性があり、自分に降りかかった災難はその分、きっと誰かの幸福となったのだろう。たとえその理論がこのちっぽけな日常では当てはまらない理論だとしても、そう信じることでエルハルトはその虚無的な感情と記憶に、ある一定の折り合いをつけた。


 今日は仕事だ。

 楽しい祭りは過ぎて、またいつもと変わらない退屈な日々がやってくる。だけどそんな退屈な日常こそ、エルハルトにとっては掛け替えのないものだった。

 ある邪悪な思想によって、貴重な休日が消滅し、なけなしの尊厳が踏みにじられようと、それは変わることはない。


 それは変化を嫌うネームドにはありがちな思想かもしれないが、その平穏と日常を愛する気持ちは彼の嘘偽りの無い本心であり、それがずっと続いていくことが彼の唯一無二の願いでもあった。


 エルハルトは最後にクローゼットの姿見で念入りに身だしなみのチェックを行うと、その思い出に蓋をするようにその折れ戸を閉めた。

 

 部屋の入口に立って、テーブルの上に置かれた未完成のジオラマを振り返る。


 結局あの日からそれは全くの手つかずのままだった。


 製作途中のこまごまとした人形のパーツが、恨みがましくエルハルトを見つめた。


 エルハルトはその視線から逃れるように背を向け、未だ完成には至っていないそのミニチュア達に未練を覚えながらも、いつもの日常へと還っていく為に目の前のドアノブに手を掛け――


 コン――コンコン――


 ノックをするような乾いた、弱弱しい音。


 「……?」


 音は目の前の扉からではなく反対側の窓の方から聞こえる。

 エルハルトは足を止めて少し警戒するように、音のする方へ、ゆっくりと視線を巡らせた。


 「――――……いや気のせいか」


 音が止んだ。


 エルハルトの自室は二階にある。盗賊か何かの可能性もあったが、きっとその可能性は低いだろう。しっかりと閉め切られたガラスの窓枠は、特段いつもと代わり無く、穏やかで平和な日常を、屋敷を取り囲む美しい山々と豊かな自然と共に写していた。

 何者かが侵入した形跡はない。


 コンコン――コン――


 しかし、不可解な連符は短い休符を経て、それは再び演奏を再開させた。どうやら気のせいではなかったようだ。


 「いや、気のせいじゃない……?というか――」


 コンコンコン、コン――


 エルハルトは何者かが地上から窓枠へと投げつける小石たちの数とその大きさが、だんだんと大きくなっていっていることに気付いて、慌てて窓を開け、その犯人がいると思しき、階下に向かって声を張り上げた。


 「おい、やめろ!窓が割れたらどうする!」


 そして、エルハルトは当然のように窓ガラスに代わってダメージを受けた。


 「痛あ!」


 「あ……ごめんなさい」


 エルハルトは新たに生まれた額のたんこぶを手で押さえながら、その場でうずくまった。

 痛い。思ったよりも痛い。きっと顔面でその石ころを受け止めなければ、目の前のガラスの儚い命はばらばらに砕け散っていただろう。

 しかし、エルハルトは額の痛みを押してすぐさま立ち上がった。窓枠からちらりと見えた犯人の姿と微かに聞こえたその声に心当たりがあったからだ。


 「――れ、レーネ……一体どうしたんだ?こんな朝っぱらから」


 そう、地上から石を投げつけていたのは驚いたことに、かの大魔術師にして、勇者一行の一味、レーネ・フォン・フォーゼルブルグだった。


 「あ……ごめんね。こんな朝早くから――」


 レーネはそう言ってばつが悪そうに、怪訝そうな顔つきで見下ろすエルハルトから視線を逸らした。


 「……」


 「……」


 正直なところ、エルハルトは突然のレーネの訪問にかなり驚いていた。

 確かにあの夏祭りの日、突如現れた彼女に宣戦布告(?)のようなものをされはしたが、何百年と顔を見せなかったかつての旧友が、こう立て続けに目の前に姿を現すとは思わないだろう。


 気まずい沈黙が流れる中、エルハルトは彼女に返す言葉を見失った。


 「えっと、違う……ええと……」


 先に沈黙を破ったのはレーネだった。


 しばらくレーネもそうして何かを言いあぐねるように、きょろきょろと視線を巡らしていたが、遂に決心したかの様にエルハルトを見上げて、


 「こほん……エルハルト・フォン・シュヴァルツベルク!!」


 と言った。


 不安と覚悟とそして弱気が少し入り混じったような表情――


 「今から貴様に――」


 「……」


 「一対一の決闘を――」


 「……」


 「申しこみゅ!!」


 「――――……」


 「……」


 また先ほどとは少し違った意味で、しばらくいたたまれないような沈黙が両者の間を流れた。


 「――――……申し込む!!」


 盛大に噛み散らかしたレーネは、取り繕うようにもう一度最後の台詞を言い直すと、そのなんとも言えない表情で上階のエルハルトを見つめながら、彼の返答を待った。


 「……」


 「……」


 エルハルトは色んな意味で、また返す言葉に困窮した。


 彼女は一体何を考えているのだろうか。

 少なくとも、あの夏祭りの再会が想像していたよりずっと酷いものだったことを考えると、今回もあまり良い事が起こるような予感はしない。

 

 やがてようやく返す言葉を見つけたエルハルトが、窓から身を乗り出し、階下のレーネに向かって声を張り上げる。


 「とりあえず今から下行くから、大人しくそこで待ってろ!」


 少し乱暴な口調の台詞を残しながら、エルハルトは自室のドアを開けて、階段を駆け下りた。


 エルハルトは取り合えず些細な憶測や、現時点では解決不可能な事象を一旦棚に上げて、行動に移すことにした。


 しかし、当然のことながらそれらを見えないところに押しやってしまったからと言って、それら不透明な事象が消えてなくなるわけではない。

 対称性と保存則。それは無駄に厳密に彼を取り巻く全てに作用し、本来は調和を保つためのその自然の原理さえも、彼の平穏を妨げるものとして押し迫っているような、そんな錯覚にエルハルトは襲われていた。



 ――――……


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