第4話 思春期を殺した少年のフリル
「ありがとうを大きな声で言うこと、ごめんなさいを早めに言うこと、それが幸せの秘訣」
「そう、ですね……今更になって、それがどれだけ大切か、どれだけ難しいことか、わかったような気がします」
「そうだね――まあ私も他人の受け売りなんだけどね」
森の小道を進む馬車に揺られながら、ミーシャは三年振りの再会を果たした少女に言った。
「なんかね、母の教えって奴らしいよ、エル君たちの」
「メイリさんたちのお母様――」
「うん。私は会ったことは無いんだけどね――」
ミーシャは揺れる馬車の中で、器用に頬杖をついて、少女に微笑んだ。
「でも、たぶん良い人だったんだろうなあって思うよ。あの子たちを見てると」
「本当……そうですよね。玲瓏館は優しくて、まぶしくて……私なんて、迷惑しか掛けてないのに……ごめんなさいもありがとうも、ちゃんとできてないのに――」
「だめだよ、アリアちゃん――」
少女……アリアはミーシャの力を感じる声に思わず口を噤んだ。
「ごめんねアリアちゃん、私もわかるよ、その気持ち……でもね、もう一つあるみたいなの。その幸せの秘訣――」
「――――……」
「それはね、誰よりも笑顔でいること――」
「誰よりも笑顔で……」
「ふふっ……ちょっと難しいよね。でもそれが自分を好きになるおまじない――君はもっと自分を好きになるべきだよ、それが幸せになるために必要なことなんだ」
ミーシャは不安そうに顔を伏せるアリアにちょっと気取った口調でそう言った。
「――――……」
「さあ、着いたよ。アリアちゃん……ふふっ、そう不安そうな顔をしないで。実を言うとね私はそれほど心配してないんだよ。何故なら、君はきっと――」
「お帰りなさい!!アリアちゃん!!」
「待ちくたびれましたよアリアさん……」
「ふはは!!よくぞ戻ってきた我が従者よ!!」
「みんな……」
馬車の扉が開くとそこにはもうすでに幸福があった。
「お帰りなさい……アリアさん……」
そしてアリアは、日を受けたアルステリアの花のごとく――
「――――……ただいま!!」
「ふふっ……やっぱりね。できてるじゃん、誰よりも笑顔でいること――」
玲瓏館の玄関にできたひだまりに、ミーシャは馬車の中で人知れず笑みを浮かべた。
――――――…………
――――……
――……
「つまり、今回は新しく里でできた、研修制度の一環での派遣ということなんだ」
玲瓏館の当主はアリアの現状を、彼女に代わって手短に説明した。ちなみにその役割として最適だと思われるミーシャは、仕事の為、すでに行きの馬車と共に帰路に着いていた。
「はあ……それにしても、よくあのエルフの里で、こんなにも短期間で制度を通したものですね」
従者たるメイリはその無表情の中で、微かな不安を抱えながら言った。上手く行っている状況でも、悪い方へ悪い方へと考えてしまうのは彼女の悪い癖だった。
「それはお父さんがあれやこれやして、私もちょっと頑張ってって……そんな感じで――まあ、ともかくこれは試験的なものですし、里の大体の人たちも体のいい追放としか思ってないはずですから、それほど大掛かりな事ではないんです……」
応接間のソファに行儀よく、姿勢を正して座るアリアが、少し顔を俯かせて言った。
アリアの背に流れる、あの時より幾分か伸びたその毛先と、伝統を意識したそのサイドの編み込みは、彼女が故郷で行き会った様々な困難の証だった。
旧態依然としたエルフの社会では、語る言葉や人物の核心より、その容姿と立ち居振る舞いの方が優先されることがままあった。
「だから、あの里を変えるためにはもっと――」
しかし、思いつめたような口調で語るアリアの言葉を遮ったのは、あの懐かしい日々を思い出すような、香しいハーブの香りだった。
「こちら当館特製のハーブティでございます――」
「あ、ありがとうございます。じいやさん……」
「お帰りをお待ちしておりましたよ、アリア“お嬢様”」
そんな幾分かしおらしくなったアリアの髪形を揶揄したのかはわからないが、じいやは思いつめたように視線を落とすアリアに、執事然とした丁寧な挨拶をこなしつつハーブティの入ったカップを差し入れると、最後に揶揄うように“お嬢様”と付け足して、豪快に笑い声を上げた。
「はっはっは――」
「もう……からかわないでくださいよ――」
アリアはそんなじいやの気遣いに、少しだけ肩の荷が軽くなったような気がした。
「あっ!ずるい!!アリアさん、私も今紅茶淹れますからね、待っててくださいね――――……メア!友情タッグよ!」
「はい!お姉さま!」
「…………」
……というか、玲瓏館の従者連中はその肩の荷物を強奪しようとする追剥なのかも知れなかった。
アリアが三年間故郷でじっくりと醸造した、折角のシリアスな雰囲気も、玲瓏館の従者たちにかかれば、三ページとかからないうちに、脆くもあっさりと崩れ去ってしまうようだ。
「はあ……こうして、望まれていない紅茶が出来上がっていくのか……」
エルハルトの実体験の苦労を伴った呟きが、ため息とともに玲瓏館の応接間に消えた。
――――……




