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玲瓏館当主エルハルト・フォン・シュヴァルツベルクの華麗なるわからせ美学  作者: 柴石 貴初


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3-16

 「娘たちの里抜けを阻止するのは簡単でした。最近娘が不良たちに絡まれて、里抜けの手伝いをさせられそうになっているという噂を聞きつけた私は、わざとありもしない密談の話を娘にそれとなく聞かせ、それに伴う結界の停止時間を明記した書類を書斎の机の中に忍びこませました――――私は娘を信じていた」


 「――――信じてたなら、どうしてそんな事したの……」


 「信じていたからこそ、お前が自分の意志でその善悪を見極め、それらを撥ね退けると思っていた」


 「そんなの絶対嘘!!どうせ気に入らなかったんでしょ!?あの子達が!!だからこんな嘘までついて……あの子たちを騙して――――私の大事な友達だったのに……」


 アルドはそれ以上娘には何も答えなかった。


 「――――それから学園を卒業したアリアは家に引きこもるようになりました。原因は閉鎖的な里の慣習にありました。里の者の、罪を犯した者への視線は厳しく、残念ながら娘に丁度良い働き口はありませんでした。外に出る事くらいはできたはずでしたが、繊細な娘には耐えられないものだったのでしょう――」


 「…………」


 「それからしばらくの時間が経ちました。しかし、状況は変わらず、時間が解決してくれることもありませんでした。私たちは長命種であるために、時間に解決を求めるのならば、他の種族より多くの時間を費やさなくてはならない。そして、私も正直なところあまり深刻には捉えていませんでした。何せ、まだたかだか数十年、過ぎ去るにも、解決を望むにも何もかもが早すぎる……そう思っていました」


 「――――だけど、アリアさんにとってその時の流れは遅すぎた……」


 「…………」


 「ええ――歳をとると、幼き頃の記憶は薄れ、だんだんと彼らの時間とは離れていってしまう……特にエルフはそれが顕著だと言われています。エルフの成人年齢は里によって規定が大きく変わる……それはエルフの成長速度が個人ごとに差が大きすぎることに起因しています。人の体感時間は、成人までで人生の半分を終えると言われています。それはエルフも同じです――――アリアは子供でした……」


 「私はもう子供じゃない……」

 

 アリアの呟いたその言葉に足を止める者はいなかった。


 「そして、今も恐らく彼女は子供です……少なくとも私たちにはそう見えます」


 「だから、もう子供じゃないって言ってるでしょ!里の規定でだって――」


 「――――ええ、僕から見ても彼女はまだ子供に見えます」


 「エルハルトさん……!?」


 「――――アルドさん……続きをお願いします」


 「――――ええ……娘にとってはその期間は長すぎたのでしょう。娘は一つの書き置きだけ残して、私たちには一言も告げずに、里を抜けました。昔とは違って――事情は省きますが――アルステリアの里抜けは遥かに容易になっていました。あの頃より成長した娘なら容易に里を抜け出せたでしょう」


 「なるほど……」


 「我々の掟では一度里を抜けた者は二度と同じ里の地を踏むことはできない。しかし、幸運な事に娘は誰に気付かれることもなく、里を抜け出すことができました。故に誰にも気付かれずに里に娘を連れ帰ることができれば、里抜けの事実はなくなる」


 「ふむ――」


 エルハルトのその相づちと共に、場に少しの沈黙が流れた。エルハルトには何か言いたいことがあるようだった。アルドはその様子を口を閉ざして見守った。

 エルハルトはその沈黙の中で、思案するように自らの顎を撫で、たっぷりと時間を掛けたのちに口を開いた。


 「――――あなたは娘の為に里の掟を破り、里の者を騙すのですか?」


 「――――!」


 その罪は娘が失念していた事実だった。だけどアルドはその指摘を待ち望んでいたようだった。


 「ええ……今は皆の記憶も新しく、視線も厳しいものとなっていますが、たとえエルフと言えどいずれ風化し、忘れ去る……そうなれば娘も家から出て、人並みの生活を送れるようになる……」 


 「アリアちゃん……まだ間に合うの……今は大変だと思うけど、お母さんも一緒に頑張るから――」


 「お母さん……」


 「ふむ、なるほど、わかりました――――アリアさん……親御さんはこんなにもあなたを想ってる。君はそれでもまだ帰りたくないと思うかい?」


 親子の会話を聞いていたエルハルトは久方ぶりにアリアに向き直って、彼女にそう問い質した。


 「わ、私は――」


 「アリア……」


 「アリアちゃん――」


 惑う瞳は揺れ動いて、どこにも定まらない。


 「私は帰れない……帰りたくない……!もう二度とあんな所……帰りたくない!!お父さんたちが里の掟をやぶろうとしてるのだって、どうせ私のためなんかじゃないんでしょ!周りの目があるから、自分たちの立場を失いたくないから、どうせそんなところでしょ!?――――私はあそこのそういうところが嫌い!じめじめして、息苦しくて……――――私は自由に生きたい!!自分の力で自由に生きたいの!!」


 「…………」


 「アリアちゃん……」


 彼女は戦うしかなかった。今度は逃げ道はどこにもなかった。


 「親御さんの努力が、自分たちのためだと、君は本当にそう思っているのかい……?」


 「――――うん……」


 アリアはエルハルトの夜空を思わせるその藍色の瞳に、震える唇でそう呟いて視線を逸らした。アリアはその悠久の時を孕んだ藍色に、ちっぽけな自分が飲み込まれそうになる幻覚を得た。


 「そうか、君の気持ちはよくわかった。ありがとう、話してくれて」


 「エルハルトさん……」


 「だが、君は帰るべきだ」


 半ば予想できた答えだった。


 「エルハルト様……」


 非情な決断を下す主の無表情に、メイリは思わず、その名を呟かずにはいられなかった。


 「ど、どうしてですか――――」


 「君はまだ子供だ。うちでは子供を働かせることはできない」


 「私は子供じゃないです!!里の規定でだって――」


 「いや、君はまだ子供だ」 


 「違うって言ってるじゃないですか!!だって玲瓏館の就労規約にも――」


 「ならば君は――」


 アリアの言葉を遮ったエルハルトの声音は、静かで、どこまでも落ち着いて冷たく、その声音にアリアはそれ以上の言葉を続けることができなかった。


 「ならば君は何故僕たちを頼らなかったんだ? メイリやメアを、ミーシャを――――なぜ頼らなかった? なぜ君はメイリとメアに事情を説明せずに、ここを立ち去ろうとした?

――――そして、君はここを立ち去る時に、あのペンダントを置き去りにした。なぜだ?あれがあればこんな事にはならなかった。こうなることを君は予想できなかったのか?」  


「――――だって……みんな……良い人だから……迷惑を掛けたく……」


 (――――違う……)


 「違うだろ?君はもう知っているはずだ――――君は逃げたんだ。僕たちと向き合うことをせず、答えを出すことを恐れ、君は僕たちから逃げた。いや、もっと前から、ご両親からも逃げていた――――」


 「――――……」


 「もし君が正面からご両親と向き合っていたのなら、きっと彼らは罪を犯さずにすんだだろう。違うかい?」


 「わ、私は……」


 「だけど――」


 エルハルトの言葉を引き継いだのはアルドだった。


 「だが、それは親の役目だ。アリア、お前に罪は無い。それに、お父さんはお前のためなら里の掟だって変えて見せる覚悟がある」


 「――――そんなの嘘……」


 「嘘じゃない。だけど、お父さんも悪かったんだ。もっと時間があると思っていた。里の者は皆、神の怒りを恐れている。私もそのうちの一人だ。その恐れが私たちの手足を鈍らせて、苦しむ君を一人にしてしまった――」


 「そんな神の怒りなんて、大げさな……お父さんはいつもそう、いつもそうやって事を大げさにして、誤魔化して……言い訳ならもっと――」


 責めるアリアの言葉を遮って、アルドの援護に回ったのはエルハルトだった。


 「いや、それほど大げさというわけでもない。掟というのは意味があって存在する。彼らにとってはそれが生きるための標、生き残るための術なんだ。そして、それを知った上でもう一度、里の掟を破るとはどういうことなのか、よく考える必要がある」


 アルドはエルハルトの言葉に首を縦に振って同意した。 


 「ああ……エルフの里がこんなにも閉鎖的なのは、神の使いによる預言があるからだが、それには一定の合理性がある。たとえば、エルフという種族は非常に長命で繁殖力が低い。それが意味することは、身体的な脆弱性だ。生命のサイクルが遅いということは、環境の変化に極端に弱いということだ。例えば疫病なんかがわかりやすい……他種族は圧倒的な繁殖力によって遺伝子レベルで抗体を得ることができる。それに数が多いということはそれだけ症例が多いということになって、医療技術に天と地ほどの差を生む……残酷なことだがな……」


 「疫病の流行というのは交易が発展し、様々な種族が交わることによって引き起こされる。閉鎖的であればあるほど、そのリスクが減るんだ」


 エルハルトが横から口を挟んでアルドの言葉を補足した。


 「それらの予期不能かつ、対処不能な事態を想定して、我々は神の怒りと呼んでいるんだ。神々の時の流れからすると、我々は赤子同然だ。彼の者の預言による里の掟は、そのゆりかごであり、実際それに守られて、私たちは生き残っている……少なくともそう、里の者たちは信じている」


 「それは知ってるよ。だけどそんなのはまやかしかもしれないじゃん」


 「ああ。掟の全てが正しいとは、お父さんも思ってはいない」


 「……!!……なら――」


 「だが、同時に恐れもある。例えば今のお母さんの症状とかな……」


 アルドは妻の方に顔を向けて神妙な顔つきをした。


 「お母さん……!?」


 「え?なに?もしかして、今私の話してた?」


 ……話、聞いてなかったのかな。妻のその反応にアルドは悲し気な表情になって、言葉をつづけた。


 「――――……彼女の今の症状は恐らく言い伝えにあるものと同一の症状だろう……エルフには度々ある症状なのだそうだ……元々体の弱いエルフがなりやすい症状で、エルフが外の世界へ出ると彼女のように、身体に様々な異常をきたすことがある。古来からエルフの間ではその症状のことを“空気が馴染まない”と表現してきた。しかし、やはりこれも詳しくはわかっていない。何故なら症例が極端に少ないからだ。ほとんどのエルフは里から出ない。出る必要もなかったからだ」


 エルハルトはアルドの悲し気な表情に、訳知り顔で頷いて、彼の言葉を引き継いだ。


 「出る必要がない。なぜエルフが閉鎖的であるか、その答えは結局それにある。彼らの繁殖力と時の進み方、そして、神が与えた恵みによって、彼らは外に出るまでもなく、その生活が支えられる。だが他の種族ではそうはいかない。限られた資源はいずれ尽き、移動を余儀なくされる。つまり理想郷なんだ、エルフの里というものは。掟を守ってさえいれば、君らは安全で、むしろ、下手なことをすれば、君たちのような種族は一気に絶滅の危機に陥るだろう。それほどまでにこの世界は残酷なんだ。だが、君の言う通り、それを神の加護とするか呪いとするかは一考の余地がある。神はそれらを維持するため、彼らに力と特有の制限を与えた。だが、それは本当に神の加護なのか。それらの加護はエルフという種全体に停滞と緩慢な死を招いている。しかし、それらを与えた神の正体とその意図は長年の研究の甲斐もむなしく、これといった答えを出せていないのが現状だ。つまり――」


 エルハルトは最近読破した、エルフに関するいくつかの書物の文章を脳裏に浮かべながらアルドの言葉を引き継いだが、


 「――あの……もういい?今そんな事関係ないでしょ?」


 ミーシャが盛り上がる二人に水を差して、二人のデュエットを中断させた。


 「「す、すまない……」」


 二人は意外と似た者同士なのかもしれない。


 「とにかく――――アリアさん……これでわかったかな?」


 「…………」


 「確かに君は正しい。たとえどれほど大層な理由があろうと、君の歩みを止める資格は誰にだってないだろう。少なくとも僕はそう思う。だが、君は覚悟ができていたかい?世界の全てに逆らって、自分の我がままを貫き通す覚悟が――」


 「――――……」

 

 無かった。アリアには両親の愛に立ち向かう覚悟も、道を阻む掟に立ち向かう覚悟も無かった。ただアリアは過去の記憶と、里の息苦しさから逃れるためだけに、現実リアルを捨てた。彼女にとっての玲瓏館は、電子の仮想世界の延長線だった。


 「君は足りてなかったんだ、他の者の歩みを遮って、我が道を行く覚悟が――――……君には足りない、何もかもが。一人で生きる覚悟も……そのための力も――――」


 「…………」


 でも玲瓏館は現実だった。どこまでも追いかけてくる現実に、無力なアリアはただひたすらに逃げることしかできなかった。


 「いいかい?アリアさん、一人で生きるということは誰にも頼らないことじゃない。誰の手を掴むか、自分で決める事、決められるようになることなんだ。賢い君にはわかるだろう?君の周りには手を差し伸べてくれた人がたくさんいた。その力があれば、君にその手を取る覚悟があれば、結果はもっと違ったものになっていた、そうじゃないかい?」


 「――――!!……」


 だけど、そうだ。彼らの手を取りさえすれば、アリアはいつでもこの現実で生きることができたはずだ。そうできなかったのは――


 (私が何も知らない子供だったから――)


 アリアは知らなかった。一人で生きていくということを、その術を。何故なら彼女はいつも一人だったから。固い殻に閉じこもって、本当の自分を見せずに、現実から目を逸らし続けていた。


 「だから、もう一度やり直すんだ。アリアさん。君にはそれが許されている――」


 だけどまだ世界は終わってはいない。彼女は本当は一人なんかじゃない。だからやり直すことができる。

 まだ子供のアリアにはそれが許されている。


 「アリア、お父さんたちにもう一度、君と話す機会ををくれないか?」


 「アリアちゃん、ごめんね、気付いてあげられなくて。でも話して欲しかったよ、お母さん。お母さんはいつでもあなたの味方だから。もっと頑張るから。だからね、もう一度お母さんたちを信じてみてくれないかな」


 目の前の世界が溢れだした何かで滲んだ。目を逸らし続けていた世界の色が、こんなにもぐちゃぐちゃで、そして、綺麗な色合いをしていることに、アリアはようやく気付いた。


 「エルハルトさん……私……」


 「ふふ……大丈夫。君ならできるさ。それに言っただろう?君は一人じゃない」


 アリアはメイリとミーシャそして、それ以外の玲瓏館の皆の顔を見渡して、最後に自らの両親を見つめた。アリアは今日初めて両親と目があった気がした。


 「帰りましょう。アリアちゃん――」


 「そうだ、もう一度帰って話をしよう。気がすむまで……」


 アリアは両親の言葉にゆっくりと頷いた。


 「ふっ……それが子供の特権だ」


 エルハルトはそういって、最後にもうぬるくなってしまったハーブティをすすった。


 ――――……


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