2-14
「今日の朝はごめんなさい、アリアちゃん。私、自分勝手に盛り上がってしまって……」
「ううん、謝らないでメアちゃん。私嬉しかったよ。確かにちょっとやりすぎだったかもしれないけど、私はその気持ちがすごく嬉しかった。ありがとね、メアちゃん、私のこと考えてくれて」
「そんな……私は……自分のことしか考えられてなくて……だからいつも――――」
「だ め で す !――――でしょ?メアちゃん。皆メアちゃんの料理食べて幸せそうな顔してたんだから。もちろん私も幸せだった。だから、いいんだよメアちゃん。きっとその優しさはみんなを幸せにするはずだから」
「アリアちゃん……」
「もちろん一度立ち止まって考えることも必要だけどね!」
「ごめんなさい……アリアちゃん――――……えへへ……エルハルト様にも同じこと言われちゃいました」
「そう……エルハルトさん、良い人だね。ちゃんと怒ってくれる人って意外と珍しいんだよ?」
「はい……!エルハルト様はお優しいんです。だからエルハルト様のためにも私たちがしっかりしないと」
「そうだね、私も迷惑を掛けないように仕事早く覚えないと」
アリアは彼女たちのようにエルハルトを信仰する気は更々無かったが、彼女たちがエルハルトを慕い、彼の為に尽くす理由が少しだけわかったような気がした。
「はい!私も精一杯サポートしますからね!」
「うん、ありがとうメアちゃん――――……まあメアちゃんはちょっと働きすぎかもだから、あまり無理しないで欲しいんけど……」
「?」
「いや、なんでもない――――……ふわぁ……ごめん、今日はさすがに疲れちゃったかも」
「あ、ごめんなさい。お部屋の前で……」
「ううん、今度余裕がある時は、お部屋の中でゆっくりお話ししようね」
「はい!――では今日は大変お疲れさまでした。お部屋でごゆっくりお休みくださいませ」
「うん、お疲れ様。じゃあ、また明日ね、メアちゃん。おやすみ」
今日も同じ軌道を描いて重苦しい深茶のドアは、二人の間に境界を隔てた。
アリアは扉に背を向けると、とぼとぼとベットまでの距離を進んで、そのままバタンと倒れこんだ。
「あ゛あ゛ーーやってしまった……」
アリアはベッドの上で寝返りをうって、天井を見上げた。
「やってしまった……これだよ、これがだめなんだよ……昔の悪い癖がまた……」
アリアは染み一つない瀟洒な模様が描かれた天井を眺めながら、模様の線をなぞるように自らの過去をなぞる。
「学園の時もこうして――――……油断してた……ネームドの人たちの方が私より年上のはずだからって……でも、そうじゃないんだ。メアちゃんたちに年齢は関係ない」
彼らはいくら歳を重ねようとも、変わらない。永久不滅であることは、彼らの時間の固定を意味する。彼らにとって不変は常であり、アリア達のように歳を積み重ね、変化していく心こそ異常なのである。
「でも……これでいいのかも……役割があって、求められて、そして私はそれを忠実にこなす……」
彼女はそれが自らの天性であると自覚していた。
「それにメアちゃんにはエルハルトさんがいるもの……だからきっと私の思い上がり……」
おそらくそれは事実で、しかし一度それを認めてしまうとそれはそれで虚しい気持ちになるのは何故だろう。
「はっ――――もしかして……これが恋……?」
やはりメアは危険な存在だった。
「はあ……私、なにバカなこと言ってんだろ……」
手元のスマホの電源ボタンを押して、もう二度と押さないと決めた、甲冑に覆われた騎士の横顔が描かれた、アプリのアイコンを眺める。
「…………」
アリアはしばらくそうしてアイコンを見つめて、そのままスマホの電源ボタンを押して、スマホをスリープモードにした。
「偉いぞ、私。デイリーも、武器堀りも、素材集めも、もうやらなくていいんだ。なんて清々しい気分……」
アリアの言葉には少しの真実と多くの嘘があった。少なくとも、もし本当に未練がこれっぽちも無いのなら、もうすでに彼女のスマホからはそのアイコンは消えているはずだろう。
「現実に生きるのよ、アリア……その為に私はここにいるんでしょ」
脳内に思い浮かべたメイジ郎のアバターが消えて、代わりにメイリの厳しくも美しい、凛とした立ち姿が浮かんだ。
「まずは、あの人に認められるくらいの仕事はできるようにならないと……今日だって――――」
――――――……
――――……
「この装丁の刺繍は……こうして……糸を通すのよ」
「わあ、すごい……!綺麗……」
「感心している暇はないわ。まだここ以外にもたくさん仕事があるんですから――――……安心しなさい。これと他のいくつかのパターンを覚えればあなた一人でも出来るようになるわ」
「え……?このパターンを全部ですか……?すごいこだわり……でも、これなら本物の本を使った方が安く済むんじゃ無いですか?」
「ふふ……あなたもそう思うのね……でもだめなの……エルハルト様が『たとえ、安い写本だからと言え、書物が燃やされたり、破壊されたりするのは見るに忍びない』と言って認めてくれないの」
「あ……そうですよね、ここダンジョン一部だから……」
「そうね、でも蔵書庫エリアに本がないのはおかしい……実際に手に取る人もいるかもしれない――まあさすがに中身は書かれていませんけどね――でもその実際の本の重みが館としてのリアリティを高める大きな要因となっている……」
「やっぱり、すごいこだわり……」
「ふふ……それがエルハルト様なんです。おかしいでしょ?でもそんな繊細で神経質で、優しいところが……この館を素晴らしいものにしているのよ――――」
――――――……
――――……
「私、やっぱりわかってなかったな……メイリさんの言う通りだ……私の仕事とは直接関係無いことでも、知っているのと知らないのでは全然違う……」
そう、玲瓏館のほとんどの資金の流れはこういった“こだわり”によって生み出される。それらをほんの一部でも知ることが出来れば、彼女の仕事はきっと誤りの少ないものになっていくだろう……ただ前提にある“メイリさんの言う通り”という誤りを除いて……
「それに……メイリさんのあの表情……ひょっとして、メイリさんエルハルトさんの事が……」
そして、アリアは勘の良いガキだった。
「ネームドは恋をしないってあれ、やっぱ嘘だったのかな……わかんない……でも――――なんかいいな……そうだったら……」
エルハルトを語るメイリの横顔には、メアのようなエルハルトへの敬愛の情だけではなく、それ以上の慕情が秘められているような、そんな気配をアリアは感じ取っていた。
「あーー、たまんないなあー、自分の理想を叶える為になりふり構わず仕事に打ち込む主とそれを陰ながら支えつつ、密かに主に忠誠以上の感情を抱えて見守る従者――――」
当たらずも遠からず。だけどどうしてだろう、そんな綺麗なもんじゃないと彼女の言葉を否定したくなるのは。
「なんか……本当にわかってなかったかもなあ……」
噂に聞くネームドとダンジョンの実態。世間ではダンジョンは、堕落した人間がたどり着く流刑地のような職場であると認知されていた。それは偏にネームドの危険性と、世間から浮世離れした暴力が、その本質の大半を占めているからであるが、アリアはそれだけではない、それに似つかわしくない、愛としか表現できない情を、玲瓏館とその従業員から感じ取っていた。
「少しだけ――勘違いかもしれないけど――なんかメイリさんのこと、昨日より遠くに感じないかも……」
メイリのいじらしく健気な、その刺繍を入れる手元に、アリアは歳の差や立場の違いを超えた、親しみのような感情を抱き始めていた。
「生きてみよう……この現実で……上手くいかないかもしれないけど、今までよりは少しだけましだと思うから……」
いつまでもアンインストールできないそのアイコンに、未練を抱いていないわけではない。でも、もう歩き出したこの道を、立ち止まる理由にはならない――――
――――でもこれってフラグですよね……?
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