2-12
(やばい、詰んだ……)
アリアの待つ玲瓏館別館への渡し廊下を、いつもより幾分かゆったりとした歩調で歩くメイリの姿は、ともすれば瀟洒な玲瓏館の廊下に相応しき優雅な振る舞いであったが、その心境を知るものからすれば、それは塩をかけられた蛞蝓と大差ない、しょぼくれた歩みだった。
(だめだ……このままどこかにふけようと思っても、メアに連絡が行ってしまえばすぐにサボってることがバレてしまう。それにもし上手く行ったとしても、一定時間おきにボス部屋に呼び戻されるから、その度に言い訳を考えないといけない。それではいずれ限界が来る――――本当……どうすればいいの……)
普通に仕事すればいいと思います。
(というかあの娘一体何なのよ……何で衣装選ぶのこんなに早いの……?やっぱエルフだから……?いや、エルフだから早いって何よ……むしろ遅そうじゃない……)
もし、メイリの疑問に答える声があるとするならば、それはアリアのネトゲプレイスタイルが所謂、効率廚と呼ばれるプレイスタイルであるということくらいだろうか。
(とにかく……彼女に早く次の仕事を与えないと……長時間で、自然に一人になれる仕事……?そんなの玲瓏館にあるわけないじゃない。なんか無駄にアットホームなのよ。そんなところ基本的にはメアと私しか近寄らないメイド服専用試着室しかないじゃない――――)
「あ、お帰りなさい、メイリさん。お仕事お疲れ様です。ごめんなさい私、メイリさんがダンジョンボスだったことすっかり忘れてました。それなのに私……」
メイリが試着室に帰ってくると、ちゃんと言いつけ通りにメイド服を着こなしたアリアが申し訳なさそうに眉を下げながら彼女を出迎えた。
アリアのメイド服姿は彼女のエルフとしては少々地味すぎる雰囲気を、楚々とした貞淑なる使用人としての凛とした魅力へと変え、それらの作用は彼女が持ち合わせる真面目さ、勤勉さを決して損なわせる事はなく、むしろそれらの美徳を、見る者に正確に伝えて、メイリがどうこうする間もなく、玲瓏館が誇るどこに出しても恥ずかしくない立派なメイドへと仕立て上げていた。
「――――いいのよ……それにそのメイド服良く似合ってるわ……」
「はっ……あの……その……見よう見まねで着てみたんですけど……あの……至らぬ点があれば今すぐ言ってください……」
だけどやはりまだ気恥ずかしさがあるのか、アリアは気まずそうにメイリから視線を逸らすと、手元無沙汰の指先をいじいじと弄んだ。メイリはその姿をじっと無言で見つめ、しばらくそうした後に静かに口を開いた。
「――――そうね……大変よく着こなせていますが……特にここらへんとか――――思わず見落としがちですから、これから気を付けるようにしてくださいね」
メイリはそういうと、アリアの背後に回って腰のリボンに手を添えた。
「あっ……ごめんなさい……私、ちゃんと見たはずなのにな……」
だがもちろんそれはメイリの嘘だった。それっぽいシチュエーションに思わず見栄を張ってしまったこの女をどうか許してやって欲しい。
(魔法でそれなりに修正がなされるとは言え、初見でこうも器用に……)
「いいのよ……これは付き添ってあげられなかった私の責任です――――大変だったでしょう?この中から自分に合ったサイズのメイド服を探すのは……」
「はい……クローゼットの制作者に狂気を感じるほど、規則正しく並べられているのにも関わらず、なにぶん数が多くて……少しだけ手間取ってしまいました」
「そ、そうね……でもそんなに焦る必要はないわ。時期に慣れるから……」
「頑張ります……あ、あとケータリングの配布も少しだけ終わらせておきました。着替えでちょっと手間取っちゃったから、全部はやっぱり無理だったんですけど……」
「え?本当――――って、もう大体終わってるじゃない」
「はい、あと――――」
『おい、メイリ――――』
アリアの言葉を遮って、頭の中に唐突に響いた声は、メイリが本来尽くすべき主のものだった。
『まだ時間掛かりそうか?アルスティアさんとはもう合流できてるだろ?』
『エルハルト様……?まあ、はい』
『だったらすまないが少しだけ急いでくれ。蔵書庫の損傷が思ったより酷くてな。少し在庫が足りなさそうなんだ』
『一体何の――――』
『あー、まだ話がいってなかったか、だがすまん今立て込んでるんだ――――詳しくはアルスティアさんの方から聞いてくれ。じゃあ頼んだぞ』
「ご、ごめんなさい。えと……私さっき廊下でちょうどエルハルトさんと出くわして……今小道具の人手が足りてないからって……仕事を頼まれて……」
どうやらこの念話の回線にはアリアも含まれていたようだ。エルハルトの声が聞こえなくなると、アリアはまだ手馴れていない様子ながらも、必要最低限の情報を簡潔にメイリに伝えた。
「…………」
「ごめんなさい勝手に引き受けてしまって……でもエルハルトさんが……」
(詰んだ……今度こそ正真正銘の詰み……)
「えと……メイリさん……?」
「ええ、もちろんよ。もちろん引き受けるべきだわ。あなたは間違ってない。何故なら私たちは主の忠実なしもべ。主の幸福を最もとする……」
「え?……私、そういうのはちょっと……」
「さ、行きましょう。早く終わらせるの。さっさと終わらせればまだワンチャンあるわ」
彼女に出来ることは最善を尽くし、ただ祈ることのみ。しかし奇跡というのは滅多に起きないから奇跡というのである。
「え?あ、はい。えと……場所は蔵書庫エリアの――――」
メイリはアリアという執行人に連れられ、背中に重い十字架を背負い、祈りながらその丘への道を辿る。ただ慈悲深き神の許しだけを信じて……
だがもちろんそれが神に届くことはなかった。
そしてメイリは死んだ。次から次へと襲い来る、終わらぬ雑務の連鎖によって――――




