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「では明日までこちらでごゆっくりお休みくださいませ。アリアちゃんが楽しくお仕事できるよう、私いっぱい頑張りますから、アリアちゃんもわからないことがあったら気軽におっしゃってくださいね」
「うん、今日はありがとうね、メアちゃん――私もメアちゃんの期待に応えられるよう頑張るね」
「はい!ではまた明日。おやすみなさい」
「うん、おやすみ――――」
重い、深茶色の扉が静かに閉じられて、アリアはやっと一人になることが出来た。
「はあ、メアちゃん……何て言うか……すごいな……私が男の子だったら、一瞬で恋に落ちてるよ……」
アリアとメアはこの短い時間で――主にメアの活躍によって――急速にその距離を縮めていた。
「なんか、人を愛し、人に愛されし少女っていう感じ……?空前絶後って感じ……?でもそれってネームドの人たちにとっては普通のことなのかな……エルハルトさんも他のネームドの人たちも……私たちとは全然違う……」
アリアは彼女たちと今日初めて言葉を交わし、ただ一度共に食事をしただけで、彼女たちがいかに特別な存在なのか思い知らされていた。
「それに……なんか本当にアットホームじゃん……求人情報にそう書かれてたら、要注意ってネットに書いてあったんだけどな……」
アリアは求人情報誌に寄せられていた、エルハルトの(良くネットで見る)フリー素材の画像の横に添えられた、アットホーム、未経験者歓迎の文字を思い浮かべた。
(何て言うか……アットホームすぎて、逆にすごい居心地が悪い……)
アリアは根っからの陰キャだった。
「皆いい人っぽいんだけどな……いい人っぽいから逆になあ……」
――――嫌われたくない
もちろんアリアだって、ギスギスした職場よりかはそちらの方が良いとは思っていたのだが、もしその輪の中に自分が入れなかったらと一度でも考え始めると、その空気に妙な息苦しさを感じてしまうのだった。職場の人間関係が良好であればあるほど、部外者の孤独はより一層増すのだ。
「特にあの背が高くて綺麗なあの人……」
アリアは彼女の煌びやかに輝く銀の長髪と、切れ長の眼の、長いまつ毛の下に潜む透き通るような赫を脳裏に思い浮かべた。
「メアちゃんのお姉さんの……確か……メイリさん……すごくお淑やかで……仕草も楚々としていて、綺麗で……でも少し冷たい印象があって……どうしよう……私……あの人に使えない娘って思われてたら……」
……さすが玲瓏館の有能メイド長。ミーシャ相手に何百年も猫をかぶり続けた女だ。面構えが違う。
アリアは今宵招かれた、煌びやかな晩餐での失敗を思い出した。
「――――あー!!私の馬鹿っ!!何であんな何も無いところで躓くのよ……しかもエルハルトさんの手を煩わしてしまって……主に忠実なメイドなら当然だよね……メアちゃんとエルハルトさんは気にしなくて良いって言ってくれたけど……」
アリアは晩餐の席で、慣れない毛先の長い絨毯に躓き、すんでのところでエルハルトに体を支えられて、見かけの上では事なきを得ていた。しかし――――
「メイリさんのあの目……ああ……あれだったら、頭から無様に突っ込んだ方がましだったよ、あの絨毯すっごいふかふかだったし、怪我なんかするわけないし……絶対どんくさい娘って思われたよ……あの人すごい仕事できそうだもん……やっぱりこの職場はメアちゃんの飴とメイリさんの鞭で成り立ってるんだろうなあ……たぶん……」
アリアは頭の中でメアに飴を無理やり口に放り込まれる場面と、メイリに床に這いつくばりながら鞭でしばかれている場面を交互に思い浮かべて、憂鬱な表情を見せた……でも、なんか見方によってはどっちも鞭な気がするんですけど、どうなんすかね?
「折角メアちゃんが良くしてくれてるのに、これじゃあ台無しだよ……しかも明日からはメアちゃんじゃなくて、メイリさんに付くようにって……本当……どうしよう……やっぱり、最初は厳しくして、徹底的に仕事を叩き込む方針なのかな……」
アリアは知らない。きっと新人を付かせれば、たとえあのメイリといえど、ちゃんと仕事をするだろうというエルハルトの思惑があることを……
「あーー、憂鬱……もう、まじむり、クラレやろ……」
そしてアリアはそれ以上考えるのをやめた。彼女にはまだ現実以外の場所に逃げ場があった。
愛と裏切りのスマホRPG……クラレントソウル……通称クラレ――――数々のソシャゲを――スマホ容量の問題で――切り捨てた彼女であっても、唯一離れられないスマホゲームがクラレントソウル、通称クラレだった。
「ていうか電波届くのかな……ここ……お願い、届いて……あっ、いけそう」
アリアは高級そうなベッドに横になると、ゆらゆらと頭上でスマホを揺らして、溜まり行くロードゲージを見守った。
「ていうか、このベッドすごい……ふかふかだし、お日様の香りがする……メアちゃん、本当に準備してたんだ……なんか他の家具も高級感あふれてるし、本当にここ寮なのかな……?私、今日から本当にここに住むの……?」
アリアは頭上に掲げたスマホの画面から視線をずらして、古めかしくも手入れの行き届いた、深茶と赤を基調とした、高級感あふれる家具や装飾が施された部屋を見渡した。確かに重厚感あふれる高級家具を置くには、手狭な印象のある部屋ではあったが、従業員に供される一人部屋としてみれば、十分の広さであり、配置された高級家具を勘定に入れずとも、破格の待遇である事は間違いなかった。田舎から出てきたばかりの彼女が、これほどの待遇に見合う代償はいかほどのものであるかと訝しむのは無理もないことだろう。
「最初はダンジョン(こんなところ)で生きてけるかどうか心配だったけど、今は別の意味でなんか怖い……私、明日死ぬんかな……あ……ロード終わりそう……長かったな……そういえば今日アプデあったんだっけ……」
アリアは恐ろしい現実から目を背けるように、スマホの画面に集中し、いまだ終わらぬロード画面を無意味に連打した。
「あー、はやくー……今日メイジ郎さんいるかな……私、最近あんまログイン出来てなかったし、もう愛想付かされちゃったかも……でもまあ、いるにはいそう……たぶんあの人ニートだし……私就職決まったって言ったら、どういう反応するんだろう……」
実はアリアは特別クラレにのめりこんでいる訳ではなかった。クラレはPCオンラインゲーム全盛期に流行った、いわゆるネトゲというものをスマホゲームに落とし込んだ、いわば廉価版ネトゲのようなもので、長年そういった文化に慣れ親しんできたアリアにとっては、特別目新しいものもなく、サービス開始からそこそこ長い期間経っていることもあって、彼女の中ではクラレは惰性によって生きる、味のしないガムのようなものだった。
「家出たらもう全部やめるつもりだったんだけどな――」
“あれーなんか久しぶりじゃないですか、ありりりりあるさん”
「って、早……ふふ、やっぱこの人絶対ニートだよ」
丈の合っていないローブを引き摺りながら、こちらに向かってくる少年型のアバターを見つけて、アリアは思わず頬を緩ませた。自分はやめるつもりと言いつつも、いつもと変わらず出迎えてくれる、見知った顔に、言いようのない安心感を得ていた。
“こんー、久しぶりだねメイジ郎さん。あと、「り」は二つね二つ多いよ”
“こんばんはです。ありりあるさん。久しぶりだから間違えちゃいました”
“いつも間違えてるじゃん”
“さて、今日はどこ行きましょうか”
彼はいつも通り。
“私あれ行きたい。今日のアプデで追加されたあの――――”
そして、アリアもいつも通り、彼と冒険に出掛ける。
「やっぱ良くないなー、ふふ……この人とクラレやると終わんなくなっちゃう」
アリアが味のしないガムを一生噛み続けられる理由、それが彼、メイジ郎だった。
――――――……
“ありりりりあるさん、大丈夫でしたか?”
“もう、いい加減慣れてよ。私にはさいきょうバリアあるから大丈夫だって”
“えー?でも心配じゃないですか。一応これ新コンテンツですよ?メタられたら終わっちゃいますよ?”
“いや、これメタったら炎上するよ。これ取るのどんだけ時間かかると思ってんの”
ちなみに職業はメイジ郎がその名の通りメイジで、ありりあるがビショップ。ヒーラーと魔法アタッカーというバランスの悪い組み合わせでも、ありりあるとメイジ郎はそのプレイ時間の暴力で、大抵のコンテンツをたった二人のパーティーで破壊しつくしていた。
“あー、やっぱ末期感ありますよね、このゲーム”
“そだねー、サ終近いのかも……あ、そういえば末期といえば、私、このゲームやめるかも”
“前も同じこと言ってませんでした?”
“まあ、そうだけど、今度は本当”
“そんなこと言ってる奴に限って全然やめないですからね、こういうのは”
“ふふ、そうだね。でも少なくともログイン出来る時間は減っちゃいそう”
“あー、そういえば最近忙しそうでしたもんね”
“そうそう、リアルが忙しくなりそうなんだよね”
“そうですか……寂しくなりますね……”
アリアは画面の奥の少年のアバターが俯きながら呟いたその言葉に、胸が締め付けられるのを感じた。
“だったらさ連絡先交換しない?リアルの――――”
「って……私何書こうとしてるのよ」
アリアはチャットの入力欄に途中まで打ち込んでいたその文字を取り消して、新たに文章を打ち込んだ。
“私はこの終身刑から解放されるんだーー!!もう、こんなくそみてえな確率の武器堀なんかやってられるかーー!!”
“それはそう”
「リアルとは別……だよね……」
アリアは画面の奥の彼に、少なからず特別な感情を抱いていた。だけど彼女はそれが実らぬことを知っている。まず彼が画面の中と同じく、美少年の姿である可能性は十中八九無いし、ましてやアリアはエルフだ。彼が短命の種族だった場合、たとえすべてを乗り越えて、二人が現実で結ばれることがあったとしても、それは一炊の夢に過ぎなかった。
「でも一度くらいは会ってみたいな……別に特別になれなくたって、この人とだったら怖いものなんて何も無いのに……」
アリアは見慣れぬ天井を見つめる。これまでとこれからの不安がないまぜになって、急な孤独が彼女を襲った。思わずもう一度チャット欄に、さっき取り消した文字を書きそうになって、すんでのところで思いとどまる。
「はあ……もうこんな時間……寝なきゃ……」
“私もう落ちるね”
“はい、おつです。気が向いたらまたやりましょ”
“うん、おつかれー”
アリアは未練を断ち切るように、ログアウトボタンを押して、リアルに帰還した。もう夢を見る時間は終わったのだ。
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