6-41
あくる日、玲瓏館一同は新たな客人を迎えるために、本館のエントランスで横並びになってその到着を待ちわびていた。
「いや、待ち侘びてはいないんだけど」
真ん中で少しでも威圧感が出るように、無い背丈を精一杯伸ばしたエルハルトが言った。
「なんですか、エルハルト様、今更怖気づいたのですか」
メイリがいつもの無表情で言った。
「いや、別にそういう訳じゃないんだけど――」
「大丈夫です。今回は私とそれに――」
メイリは隣で少し緊張気味に肩を強張らせているアリアを見た。
「アリアさんもいるんですから」
メイリに名前を呼ばれたアリアは、びくっと何かスイッチが入ったかのように身体を震わせると、口からたどたどしい機会音声を垂れ流した。
「えっと、はい! 不束者ですが、この不肖アリア・ミリ・アルスティアが全力を持って今回の問題に当たらせていただきます!」
「だから心配なんだけど……というか、アリアさんには出来るだけ表に出ないようにしてもらった方が良いんじゃないか? お互いの為に……」
「まあまあ、どうせ相手方の思惑で表に引っ張り出されるのならば、最初からこちらが主導権を握れるように堂々としていた方が良い、という見方もあるのではないでしょうか」
「まあ、それは確かに一理あるが……」
更に隣で控えていたじいやが言った。
「はっはっは――これはいけませんなあ、エルハルト様、これらの策は事前に一同で取り決めたもの、エルハルト様と言えど、その一存ではそれを反故にすることは叶いませんぞ」
この玲瓏館ではその個人の活躍度に反して、民主主義がしっかりと行き渡っている。
つまり衆愚政治一歩手前の環境なのである。
「あー、わかってるよ。とにかく……少しだけ心配になっただけだ」
だが、今回ばかりはその腐りかけの民主制が活躍するときであった。
「エルハルト様、もう一度言いますが、心配には及びません。エルハルト様はただ、三日後のミーシャさんとのデートの事だけを心配していればいいんです」
「ぬわあーー! 何でお前知ってんだよ! っていうか何ばらしてんだよ!」
「そりゃあ、知ってるでしょ。誰のおかげでデートを取り付けられたと思ってるんですか」
「いや……まあ、そうか……」
「と言う訳で――」
いつでも自らの代わりが存在するというのは、かくも悲しく、そして喜ばしいことなのだろうか。
人の社会が群集であり、またその個人において、永遠が存在しないのであれば、その損失によってどれだけの悲しみが溢れていたとしても、それらのシステムを機能させ続ける必要があるのだ。
「あ、あの……もうお客様が到着なさるみたいです」
アリアがその尖った長い耳をひくひくさせて言った。
だが、もうすでに宣戦布告は為されているのである。
たとえその社会機構に致命的な欠陥が潜んでいようと、今更その是非について議論を交わしたところで差し迫った問題が解決するわけではない。
「そのようですな」
じいやが扉の奥の集団を見据えながら、その油断ならない、老練な青灰色の眼を鈍く光らせた。
整然と並べられた兵士たちは、少し浮足立ったその足元を抑えるように、ただ黙って合図を待つ。
たとえどれほど内情が混乱していようと、それを敵国が慮る道理はない。
呼び鈴と同時にエントランスの両開きの扉が開いた。
開戦の角笛が鳴る。
エルハルトが言った。
「ようこそ我が玲瓏館へ」
集団の一番先頭に立った眼鏡の男が、一人でに開いた扉に驚きながらも、冷静な口調で言った。
「おやおや、急な用事なのに随分と用意が整っていらっしゃるようですねえ」
そしてエルハルトも間髪を入れずにあらかじめ用意された口上を読み上げる。
初動においては決して、相手に主導権を握らせてはいけない。
「さあ、遠慮せずに館に足を踏み入れるがいい。僕たちは君たちの飽くなき知的欲求と太古の神話への羨望の眼差しを――」
だが、続くエルハルトの口上はそこで途切れた。
戦場においては予期せぬ事態が起きるのもまた常ではある。
「なんだそのふざけた顔は!?」
エルハルトが眼鏡の男に続いて現れた、”その栗色の髪を持つ女性”を見て珍しく取り乱したように言った。
そしてそれと同時に――
「えっ……嘘……!?」
隣にいたアリアがその後に現れたもう一人の人物――エルフ特有の長い耳に、それらしからぬ、美しい金の髪に混ざる黒――を見つけて、悲鳴を上げるように言った。
「これはこれは……なんと……」
あのじいやですら、あの大きながなり声を抑えて呟くように言う。
戦場に落とされた混沌。
突撃を受けた兵士の戦列は、いとも容易く瓦解した。
敵の兵士の一人である、エルフの女がその鋭い切れ長の瞳をアリアに向けた。
アリアはその視線に、かつての罪を幻視して言った。
「ルキナちゃん……?」
そして、メイリもその後ろの怯えたような栗色の髪の女の視線に、かつてのその温もりを思い出して呟いた。
「お母……様……?」
――――……
そう、此度訪れた、招かれざる客人には、彼らが過去に置き忘れた泡沫が紛れ込んでいた。
彼らが見た幻影は二つとも、過去に閉じ込められた記憶と瓜二つ。
果たしてそれは敵軍が玲瓏を穿つために、深き水底から放った一矢か。
それとも、水面を踊るように周る神がめぐり合わせた数奇な運命か。
日が墜ち、月が満ちる。
今宵は水面に過去の幻影が浮かぶ。