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「……存在が崩壊?」
だが、メイリは彼女が吶々と語る、どうにもイメージが掴み切れない抽象的なその文字列に、単語の意味以上の理解を得ることができなかった。
ただし彼女の無表情とその淡々とした態度に不穏な気配が現れていることだけは少しだけ察した。
「うん、私たちが現存在である限り、現象はそのような形をたどるはず」
全く意味が分からない。
「……」
どうやら、レーネも言葉が通じていないことを理解して、まだ結論を語るには文字数が足りないことを察した様だった。
「――――……もう少し詳しく話すね。そもそもあなたたちネームドは、私たちの認識に照らすのなら、存在とは言えないものなの。あなたたちネームドは永久に時間から切り離されている。本来存在とは時間と空間無くしては認識し得ないものであるから、つまり、私たちが知覚するあなたたちの非連続的な記憶や現象は非合理的かつ超越的な存在でなくてはならないという事」
メイリは出来る限り努力して、あえて彼女の言ったことをこの世界の常識で捉えた、チープな言葉に翻訳していった。
「えっと、つまり……私たちは実際には存在しない幽霊だって言いたいんですか」
「うん、まあ、そうなるかな――だけど、こうしてあなたと私がこうして連続性を持って会話という行為を行えている時点で、その理屈は破綻しているし、その現象が私個人にのみ起こり得る、非常に小規模の現象であるならば――まあ詳しい説明は省くけど――実現可能な事象ではあるものの、こうした普遍的かつ広範囲に影響を及ぼし、そして見かけ上、合理的に物理法則に則ったように見える事象を、少なくとも現時点の私の研究段階においてはこの現象について全く説明をすることができない」
「それは、なんというか、今更ですね……私たちが不合理な存在であることはとっくの昔からわかりきっていることじゃないですか」
メイリは少し不安になって、彼女が知る現実へと話の矛先を戻そうとしたものの、レーネにとってはそれらの常識という名の安全装置は思考を妨害するただのノイズでしかないらしく、メイリの言葉に少し気分を害した様に眉を顰めると、そのまま言葉を続けた。
「何言ってるの。わかってないなら、全然わかりきってないじゃん――まあ、とにかく、私が言いたいのは、そんなおかしなあなたたちを認識できている私たちの方もおかしいってこと。それは、より小規模にはなるけれど、マナという概念上の存在を認知できる人間が世界中に複数存在していることも、同様の事と言える」
「はあ……で、それがどうエルハルト様の存在崩壊につながるんですか」
「……気持ちはわかるけど、焦らないで。つまり、ネームドが存在している原因について、その存在を私たちが認識している状況について、私たちは全く理解が及んでいないという事。――そして、ここからが重要なのだけど、その理解が不十分であるネームドの枠組みにおいても、エル君は特異な存在であるという事。それが長年の観測によって証明されたの」
「……どういうことですか」
今まで淡々と語って来たレーネがまるでメイリの不安が感染したかのようにその顔が陰に隠れると、それの反動か更に感情を抑えた淡白な口調で吶々と難解な事実のみを語った。
「彼のマナ、及び見かけ上の記憶の非連続性が、完全なブラックボックスとなり、また、彼が隣接する観測可能な座標空間において、それらの物理的な質量の流動的な増減が見られた。そして、その後の観測経緯を見る限り、エル君の存在は実質的には”目減り”しているように見え、そして、私たちに観測できる見かけ上の記憶が流動性を持っていることが確認された」
「えっと、つまり……?」
「故にエル君は私たちが知覚できるネームドと呼ばれる概念から、その形を変化させ続けている状況であり、それにより、いずれは彼が――この世界から消失してしまう可能性がある」
「……」
しばらく誰も何も言えない時間が過ぎた。
「……いや、ごめん、少し端折り過ぎた。私たちの知覚からはつまりそれは崩壊と呼べる現象で、結果的には同じ事象を経るはずだけど、観測データから予想されるブラックボックス内の変遷は壊変という過程を経て――」
しばらくの沈黙の後レーネが言った。
「大丈夫です――もう、大丈夫です……つまり、エルハルト様の命は風前の灯火という事ですね」
メイリはそんなレーネの姿に何か不憫な気持ちになって、少し楽観的な口調で言ったが、それでも彼女の陰を取り去ることはできないらしかった。
「それはどうかわからない。さっき言った通り、エル君はもうネームドの枠組みの中には存在しない。だけど、彼がいつからその枠組みから外れていたのかは、正直なところ私にもわからないの」
「……」
「少なくとも私がエル君に会った時にはもうすでに、存在は崩壊を始めていたと考えられる。だから、風前の灯火というのはその通りなんだけど、その灯火が元は一体どれだけの灯りだったのかすらも私にはわからない」
「そんな……」
レーネの言葉が生み出す、漆黒の潮のような高波にメイリは本能的な恐怖を感じて呟いた。
メイリは正直レーネの言っていることの半分も理解できていなかったが、その態度から絶望的な状況である事をなんとなく察して、それどころかそのような状況であるのにも関わらず、何一つそれらの事実を知らずにのうのうと暮らしていた自分にも少しだけショックを受けていた。