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扉の先に映し出される、もはや懐かしささえ覚える光景に、エルハルトは何十年かぶりの仕事の時間が来たことを知った。
「――――ははは!勇者ミーシャ!!派手にやってくれたようだな!!」
「エル君……」
ミーシャは血塗れの剣を握って立ち尽くしながら、悲しそうな顔で声高に笑うエルハルトを見て、そして彼の名前を呟いた。
「ふむ。人を魔獣化させる薬……か……今は禁止されている……から入手にかなり手間取ったのだぞ!!」
人を魔獣化させる薬。モブにしか効果を及ぼさないが、その効果は絶大で、一時的にネームドに匹敵するほどの力を得られる薬である。だがその力の代償は致命的で、一度魔獣化してしまった人間は元に戻ることは出来ず、一般的にはその後は理性すらも失い、獣へと成り下がる。そうなってしまった人間はもう人では無い。故に彼女の処置は適切で、彼女にとってはそれ以外の選択肢は無かっただろう。
ミーシャが立ち尽くす、その下にある無残な肉片は恐らく元は人間だったものだ。そしてそれは家を燃やした、あの男のものだろう。
「ほら!見ろ!!そこのご婦人を!!恐怖で顔が引きつっているじゃないか!!ああ!!なんと惨い!!貴様がやったのだぞ!!勇者ミーシャ!!」
正義は為された。しかし、その圧倒的な力による征伐は、見る者に恐怖と畏怖の感情を抱かせる。誰もが悪人ではないが、完全な善人というわけでもない。しかし、エルハルトとそして村の人々は知っていた。彼女が純然たる善であることを。
遠巻きに見ていたギャラリーがざわつき、ひそひそと思い思いにその身の内を語る。
“そんな、あんなに可愛い娘なのに……あれは……ちょっと怖いわ”
”ああ、あんな化け物にこの村は守られていたのか……”
「っ――――……」
化け物――――その言葉を耳にしたミーシャの表情をエルハルトは何度も見てきたが、何度見てもエルハルトはその表情に慣れることはなかった。
(ミーシャ…………少しだけ我慢してくれ、そうすれば…………)
「さあ…………!これが勇者の正体だ…………!!目を覚ませ愚民ども…………!!目を覚ましその手で立ち上がるのだ…………!!そしてこの女を――――」
“そ、そうだ…………あいつの言う通りだ。もうネームドが起こす厄介事にはうんざりだ…………”
“こんな奴らがいる世界で生きていけるわけが無い…………”
“数ならこっちの方が何倍だって多いんだ…………”
そう、それはこの世界が持つ歪み――――圧倒的な格差、力…………不滅のネームドと限りある人類の隔絶された決して越えられぬ壁――――
それらの歪みは自ずと対立を生み、そして血が流れる。
最初はそれぞれが大切なもの守るため、そして次には大切なものを奪われた憎しみのため、そしてその次にはその奪われたものに奪われた憎しみが続いて、最後には……いや最後は無い、その連鎖には終わりがない。
潜在的な火種は常に存在し、きっと誰か、例えば人々の中からこの世界の歪みを何とかしようとする、とても良い人が現れたのなら、その火は瞬く間に燃え上がって、この世界を焼き尽くすだろう。
「だからこの僕と共に――――」
(だから僕がその“良い人”の手柄をあらかじめ横取りする――――)
「みんな何言ってるんだよ!!!」
(だけど僕は“良い人”ではないから――――)
「ミーシャは勇者なんだ!!僕たちを守ってくれるヒーローなんだぞ!!」
(この世の中は「何を言ったか」じゃない。「誰が言ったか」だ)
正義は勝つ。そんなの子供のころから誰でも知ってることだ。例えどんなに悪者が正論を言おうとも、元が悪だったら、正義には勝てない――――
「私知ってるもん!!あのエルってやつ、悪いやつなんでしょ?お母さんが言ってたもん!!なんか確率操作してるって!!」
(ふっ……全く良い教育してやがる)
だけど時が経てば、知ってても忘れてしまうものなのかもしれない。そのどこの誰とも知れない子供達の心からの叫びは、きっとその忘れてた記憶を呼び覚ます、朝焼けの光そのものだった。光は途絶えない――――
“そ、そうだ、そうだ!!やることがせこいんだよ!!エルハルト!!”
“そうか、あいつどっかで見たことあると思ったらエル様じゃねえか!!”
“こんなみみっちいことしやがって!!やっちまえ!!ミーシャさん!!”
“あいつが全部悪いんだ!!ミーシャさん!!そんな言葉に惑わされないで!!”
“負けるなミーシャ!!”
いつの時代になっても、彼らの清い魂は美しいものだ。純粋で無垢なその心がこの劇を成り立たせる。流れは決した。後は仕事を果たすのみである。