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6-18

 「すまない、メイリ、もう一度言ってくれないか」


 「……――――」


 メイリは数々の荒波にさらされ、かつての、それほどあったかもわからないなけなしの尊厳すらも手離して、書斎机からしょぼくれた野犬のような上目遣いで自らを見上げるエルハルトをただ無言で見つめた。


 「いや、本当、すまん」


 「いえ、お気になさらず――えーと、まずは調査団の件ですね。表向きは遺跡調査の体で申請が為されていますが、これは恐らく政府に潜む反体制派が仕組んだ抜き打ち調査でしょう。そして状況から鑑みるにアリアさんの件が外部に漏れた結果これらの事態に発展していると思われます。ですが、それは元々承知の上であるとともに、これらの調査自体は過去に何度も執り行われ、大体が問題なくやり過ごせています。事が事なので今回は多少手こずるかもしれませんが、もうすでにミーシャさんの根回しも完了済みであり、今回もきっと問題なく乗り越えられるはずです」


 「ああ」


 野犬の声は長らくの辛苦により、しゃがれていた。


 「そして、次の……例の件ですが――やはり、メアの病状は過労であり、それに加えて二日間の面会謝絶は絶対である事が私からも確認が取れました」


 そしてメイリは野犬を見つめて少し緊張した様子で言った。


 「ああ――そうか……お前が圧を掛けても譲らないとしたら、冗談ではないのだろうな」


 彼女のその言葉にエルハルトは項垂れるように視線を落とした。


 「……」


 初めから分かっていたことではあったが、メイリはその様子に少なからず胸が痛んだ。


 正直なことを言うとメイリはテオスに圧力など掛けてはいない。

 しかし、そういう事にしないと彼はきっとメアが過労で倒れたなどという事実を認めることはできないだろう。


 「あ、あのさ……」


 しばらくの沈黙の後しょぼくれた野犬が言った。


 「何でしょう、エルハルト様」


 メイリは努めて冷静に返した。


 「こんなこと思うのは自分でも自意識過剰かと思うんだけどさ」


 「はい」


 「いや、それにもちろん僕もメアの頑強さは知っているつもりだし、多少の事で彼女がどうこうなってしまうわけでは無いって事もわかってるんだけどさ」


 「はい」


 「だから、僕が彼女に対してどうこう言うのはとてもおこがましい事だと思うし、僕のこの浅慮によって彼女のプロフェッショナルな仕事観を傷つけてしまう可能性だって重々承知しているつもりでもあるんだけど」


 「はい」


 「だけど一応、僕も彼女の主人だ。責任がある」


 「はい」


 「だからさ……なんていうか、もしかするとだけどさ」


 「はい」


 「――これ、僕の所為かな?」


 「……――――ええ、その認識で間違いないと思われます」


 人はあまりに想定外な事象に出くわした場合、まず目を逸らすことによってその膨大かつ理不尽な情報を遮断する。

 それは暗い視界の中で唐突に現れた照明魔法から反射的に眼球を守ろうとする行為とほとんど同じ行為であるが、それでもなおそれ自体が、身近な、特に家族や親友のような親い間柄の者に迫る、喫緊の重要課題であるならば、たとえ目を焼かれようと目を逸らすことはできない。


 「やっぱりそう、だよな……僕の個人的な事情でそんな……わかってる。僕だってできるだけ普段通り振る舞おうとは思ってるんだ。だけど……いや、本当にすまない」


 「私に謝られても困ります、エルハルト様」


 メイリは感情を表に出さないように、あえていつも以上に冷静で丁寧な言葉遣いを心掛けた。


 メイリも正直なところ焼かれた視界の中で何が起こっているのか完全には理解できていなかった。

 医者にこうして二日間の面会謝絶を言い渡されて、しょぼくれた野犬のように項垂れている主人と自分は決して立場を異としているわけではなく、同じように枯れ果てた大地で行く当てもわからず彷徨っている旅人だった。


 「いや、謝らせてくれ」


 だけど、どうやら彼女と連れ立った野犬は、いつもの冷静さは忘れて、自分ばかりが荒野を彷徨っていると勘違いしているようだった。


 「メアの突然の報せを聞いた時、僕はお前に謝らなければと思ったんだ。メアはお前にとってただ一人の大切な妹だ。もちろん僕にとっても大切な家族であることには変わりないが、お前にとってメアはそれ以上の繋がりを持つ大切な家族だ。お前が誰よりもメアを大切に思っている事を僕は知っている。だけど、それを知っているはずなのに、僕は自らの諸事情にかまけて、未然にこのような事態になるのを防ぐことができなかった……」


 そしてエルハルトはもう一度、その彷徨える野犬のような瞳でメイリを見上げた。

 彼の瞳はたとえ野犬の身にやつしても、ただひたすらに純粋で真っすぐで、そして正しかった。


 確かにメアが大切な家族であることは疑いようもない事実だし、メアが掛け替えのない、何ものにも代えがたいただ一人の妹であることは嘘偽りの無い真実だ。

 しかし、メイリはその視線を受けながら、ふと言いようのない違和感のようなものを覚えた。

 その真実の中に、人が観測するうえでどうしても発生してしまう勘違いのようなものが含まれているような気がした。


 そんな気はしたが、今のメイリにその勘違いを見抜けるほどの余裕はなかったし、そもそもそんな大層なもの見抜く必要があるとも思えなかった。


 「いえ、メアがああなってしまった責任は私にもあります。メアの異変に気付けなかったのは私も同じですから」


 そしてメイリは嘘をついた。

 メアの異変には最初から気付いていた。

 だけど、これほどまでの事態になることは想定外だった。


 「そうか……でも僕がお前に謝らなければいけないことはまだたくさんあるんだ」


 だが、背後で一瞬息を止めたメイリに、もちろん彼は気付くことなくその歩を進めた。


 「前も言ったかもしれないが、最近のお前は本当にようやっとる。僕が信じられないようなミスをしてもすぐにカバーしてくれるし、紅茶だって普通のタイミングで出してくれるようになった」


 そしてエルハルトはメイリの淹れた紅茶を、酒を煽るようにグイっと飲み干して、ここが場末のキャバレーか何かだと勘違いした様に今にも泣きだしそうな声で弱音を吐露し始めた。


 「……」


 メイリはその姿に、もうこれ以降の会話がいつもの生産性の欠片も無い、ただ時間を浪費するだけの停滞を崇める儀式へと移り変わった事を知った。


 「それに比べて僕は本当に駄目な主人だ――ここのところずっと上の空だし仕事もミスしてばかり。周りだって全然見えてやしない。事実こんなことになるまで、全然メアの異変にだって全く気付いてやることができなかった――なあ、メイリ……僕はどうしたら――いや、すまない。わかってる。これは僕がはっきりとさせなくてはいけないことなんだ……本当にすまない。お前にはここ最近ずっと迷惑を掛けているな……」


 彼はいつものルーティンのように、自らが抱える悩み事へと帰って、彼女に何とも言えない後味の悪い土産を残した。


 最近は事あるごとにこうしてメイリは彼の残した土産の後始末をさせられている。

 そのような日常が続いた結果、彼女の返答ももちろんルーティンが形成されていた。


 「――いえ……エルハルト様は今、人生の重要な分岐点に立っているのでございます。我ら誇らしき主人であるあなた様であるならば、これらの問題を決して軽く扱う事はできないでしょう。ですが安心してくださいませ。私どもはそのことを誰よりも理解しております。存分に思慮を重ね、その聡明な頭脳をもってより良い未来を迎えていただくため、私どもはあなた様のおそばを離れることはございません」


 「う゛う゛……メイリぃ、どう゛じでそんなに優しいのお……もう、そんなん本物のメイドじゃん……アイデンティティの欠如じゃん……」


 メイリは心の中で盛大に鳴らされた舌打ちのオンパレードをどうにか喉元で抑えることに成功した。

 今日の土産は過去最悪といっていい程の味覚だった。


 「……エルハルト様、しっかりしてくださいませ。自らに非があると理解しておいでなのでしたら、まずはその涙をお拭きになってくださいませ。やはり、エルハルト様にそのような顔はお似合いになりません――だって、そのしょぼくれた野犬のような面では、出るとこには出られませんでしょう?」


 だから、少しぐらい不平を吐き出しても、それが罪になることはないだろう。


 「め、いり……?」


 「おっと――ええ、つきましては親愛なる主様のため、こちら、私より贈り物がございます」


 そしてメイリは誤魔化すように話の段階を進めた。

 もとよりメイリは場末のキャバレーよろしく、彼とくだを巻くためにこの部屋を訪れた訳ではなかった。

 メアが倒れたと聞いた時、自らの甘さを再度自覚したメイリは、このような強行策が彼らには必要だと気付いたのだ。

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