6-17
「……ちょっとやり方が酷すぎませんか?」
終焉を見届けて、ただひたすらにホースから流れ出る水音を聞いていたアリアが言った。
「そんなことはない。“俺たち”と“お前たち”にはその精神構造に大きな隔たりがある。俺たちにとってはこの方法こそが最速であり、故に最善だ」
アリアは今日、そのどれだけ手を伸ばそうと届かない隔たりに直面し、十分にその距離を実感したはずだった。
だが――
「それは……そうかもしれないですけど――」
「強固な精神構造を誇る俺たちのそれであっても、あらゆる相互作用の下に外部からの影響を完全に遮断することは難しい。その中でも最も影響があるのは他者だ。人と人とはこの宇宙を隔てる空間を挟んで断絶されているが、他者の実在からなるその人の形をなす形相は、あらゆる形相の中でも最も強くその精神に現れる。故に、物理的にその実存を排除するのは元の魂への属性的な帰属を考えた場合最も確実である」
「あの……何言ってるかさっぱりなんですけど」
「つまり端的に言えば、誰とも会わずに二日ぐらいたったら大体は元に戻る」
「そう、なんですか……」
それは彼なりの優しさだろうか。
それとも真っ当な医者としての判断が、その診断を彼女に告げさせたのだろうか。
「――――……」
だが、いずれにしてもアリアにとってはそのやり方が、必ずしも正しいとは思えなかった。
「あの、テオスさん、でも私思うんですけどメアちゃんから仕事取り上げたら、あの娘本当に死んじゃいますよ? だって、テオスさんも知ってるでしょ? メアちゃんの仕事熱心はほとんど病気みたいなものなんですよ?」
「お前は何を言ってるんだ? それこそちゃんと休ませた方が良いに決まってるだろ。大抵の人間は余計な労働を厭うようにできてるんだ。それが自然だ。もしその自然選択に逆らうような方向性を持つ人間がいたのなら、それはどこかで無理をして帳尻を合わせているという事なんだ。もちろん、その方向性を健康的に維持できているのなら何の問題も無い。その軌道を維持できているのは他の個体にはない長所だ。だが、それがままならぬ状況になった時、必ず誰かの手助けが必要になるだろう。何故なら、その軌道は常に何らかの反動の上にその調和が成り立っており、大抵はその反動については無自覚だからだ」
テオスは列の最後の、おどろおどろしい、赤と紫が絶妙に混ざり合った奇怪な花に水をやり終えて、シャワーノズルの栓を閉じた。
ノズルの先の、止め損ねた余分な水分が、水滴となってぽたぽたと石灰岩の白に落ちて灰色の斑をつくった。
「とはいえ、今回はそれほど問題にはならないだろう。ネームドの恒常性は通常の人のそれより遥かに強靭であり、便宜上同じ語句を使ったもののその本質的な様態はまるで違う――まあつまり、出来るだけ干渉を避け、放っておくのが一番という事だ。お前たちと違ってな」
もちろん理論と経験に置いてアリアは医者であるテオスに太刀打ちできるはずがない。特に彼らがネームドという、通常の人より分かたれた存在であるならばなおさらだ。
「そう、なんでしょうか……」
だが、それでもなお、アリアの直感はテオスのこれまでの理論に何か見落としがあると騒ぎ立てていた。
「――――……わかりました。でも二日安静にしていたら、もう会ってもいいんですよね? 出来る限り刺激しないようにしますから」
しかし、医者の言う事は素直に聞くものである。
少なくとも何も知らぬ田舎者の少女と、遥かなる悠久を生きてきた熟練の医者ならば当然、客観的に見てその主導権は医者に委ねるべきだろう。
つまり医者に許可をねだるのがこの場合は最も確実な方法である。
「ふむ、良いだろう。もちろん経過次第ではあるがな」
「……! ありがとうございます」
「だが、少し待て」
だが、医者は目的を達成してそそくさと退散しようとしたアリアを引き留めた。
「……なんですか? 大丈夫ですよ、私を信頼してください。悪いようにはしませんから」
悪いようにするだろう悪役からしか聞かないような台詞を言いながら、アリアは足を止めてテオスにその警戒を向けたが、どうやら彼の興味はもうそこには無いようだった。
「いや、もうその話は済んだ、お前の良心が許す範囲で好きにすればいい。だが、これからする話はお前のその善良な魂では解決し得ない話だ」
「……?」
もしかしたらアリアの内でずっと音を鳴らし続けている、この得たいのしれないさざめきは、この男の語る終焉を予期したものだったのかもしれない。
「例の件を嗅ぎ付けられたかもしれない。急遽予定に差し込まれた調査団だ。到着は翌日。用心せよ」
アリアは彼のその忠告に、すべての景色が遠ざかっていくのを感じた。
空に浮かぶ摩訶不思議な太陽も、楽園の瓦礫も、彼らと隔たる障壁も。
全てが真っ黒の渦の中に飲み込まれていく――
崩壊。
各々の有限からなる個人から見える無限も、それ自体がその境界を認識している限り、それは有限となる。
何故なら無限とは果てしなく流れていくものであり、その始まりも終わりも存在せず、またそれ故に境界は存在せず、世界の全てを内包する存在でなくてはいけないからである。
となれば、いずれ終焉は訪れるのだろう。
そしてそれは彼女たちが認識し得るこの世界の法則に照らすならば、崩壊という現象によって引き起こされる。
――用心せよ
自らをも飲み込んだ黒の渦の先から繰り返し再生されるテオスの声。
アリアは彼らの体内を巡る恒常性と言う名の反動が、その確実に来る崩壊によって、少しずつその質量を喪失していく幻覚を得た。
――――――…………
――――……
――……