表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

123/150

6-14

 「あ、あの……ごめんなさいアリアちゃん。あの……私あのままだとアリアちゃんが風邪をひいてしまうと思って……」


 二人の会話を見守っていたメアが申し訳なさそうにしながらアリアに言った。


 「いや、良いの……よくよく考えてみたら、このコートを着ずにこの植物園を歩き回る方がいろいろ危なかったし、そもそもこんな格好でこんな場所まで来た私が悪いから……」


 「あ、アリアちゃん……」


 「まあ、そういう事だアルスティア。必要経費だと思って我慢しろ」


 テオスが横から口を挟んで言った。


 「うぅ、はい……わかってます……」


 正しい言葉が正しい人間関係を築ける必須条件でないことは、大体は彼か、自称メイド長の女から教わったような気がする。


 「それにメア、これはお前が気に病むことじゃない。約束も取り付けずに勝手にこんな格好でこんなところに来た奴が一番悪いんだ。正しく現実を認識しろ」


 「うぐっ……」


 「あ、アリアちゃん……」


 相変わらず物凄い切れ味のナイフだ。

 館の庭先でみっともなく蔓植物に喘がされていた男に、何故こんな説教を垂らされないといけないのだろう。


 「この話は以上だ。それと次の話題だが――」


 だが、彼は不可解なことに、唐突にその切れ味の鋭いナイフを収めると、いつもの雰囲気を和らげてアリアの方に向き合った。


 「まずは朝の挨拶だ。おはよう、二人とも。特にアルスティア、すまない。さっきの挨拶をまだ返してなかったな」


 「え? あ、はい、おはようございます」


 アリアは彼の突然の奇行――彼の通常時の行いを鑑みればこの程度の行いでも十分奇行と言って差し支えないと思う――に困惑しながらも彼にもう一度朝の挨拶を返した。


 確かに朝の挨拶はこの館の、というよりこの職場での最も基本的な決まり事の一つだった。


 アリアはこの男の、突然の、そして変に規則正しい行動原理に不可解な気分になりながらも、特段気にする事も無くその朝の決まり事を受け入れた。

 だが、全てが手遅れとなった今となれば、この男の不可解な行動ももっと吟味するべきであったと思う。何故なら――


 「あっ……」


 隣の怯えたような声音にアリアははっとなって彼女の方を向いた。


 「ごめんなさい……私――その……おはようございます、テオスさん」


 テオスの行動原理には理解が及ばなくとも、隣の怯える少女の気持ちはアリアには手に取るように分かる。

 仕事でミスをした者は誰もが同じような怯えを見せるのだ。

 そしてそれは常に完璧な仕事をこなし続けてきたメアであっても同じだった。


 静かに、しかし確実に至る喪失感のようなものが浸透した、彼女らしからぬ固い笑顔に彩られた朝の挨拶にアリアの魂は同じ色の揺らぎを得た。


 「いや、謝罪はいい。俺だってエルがやれと言うからやってるだけにすぎん。仮にもあいつはここのトップだからな」


 そして、「彼」の名前を意図的にその言葉の端に添えたテオスに対して、アリアは彼の確信犯を直感した。

 きっとテオスの目的とアリアの目的は同じだ。


 「いえ……その……私は――どうして……」


 だが、いつものメアなら絶対に怠るはずの無い、最も基本的な仕事を彼女が忘れてしまうに至った経緯についてはアリアも未だ知り得ずにいる。


 それを彼は知り得ようとしているのだろう。


 失敗の性質はともかく、彼女の性格上、今その名を出されれば、そのかつての誰も侵入を許したことが無い鉄壁の城壁であっても、石壁にほんの少しのひびを入れることくらいは叶うかもしれない。


 アリアはつい我慢できずにテオスに耳打ちをするように彼の白衣を引っ張って、彼女よりいくらか高い位置にある耳の位置を自らの声が届く距離まで下げようとした。


 「(テっ、テオスさん!!何やってるんですか!?どうでもいいって思ってるんなら、わざわざこんなことする必要ないじゃないですか! っていうかそもそもあなた、エルハルトさんの言う事を素直に聞いたことなんて一回も無いじゃないですか!)」


 「ああ、なんだよ……おい、白衣を引っ張るな。聞こえてるって――」


 が、普通に失敗した。

 ついでにその行為の大体の意味である秘密の共有も普通に失敗した。


 「それにお前だって最近おかしいメアの様子を心配してここに来てるんだろ? 俺の言いたいことなんて聞かずにも理解できるだろ」


 侵入者のあまりにも無遠慮で暴力的な言葉は幻想の中に有った楽園を崩壊させるには十分だった。


 「……!? ああ!何言ってんですか!テオスさん!私が繊細に積み重ねた朝の苦労をそんな簡単に!!」


 「――――……あ、アリアちゃん……?」


 崩れ行く楽園の中でメアが小さく呟いた。


 幻想的な白の曲線で描かれた砂上の楼閣がぼろぼろと崩れていく。

 頭上に輝くプリズムも、整列する植物たちも、白く輝く石灰石のアーチも、神性を失ってただの物質へと貶められる。


 やがて残ったのは、自らの疑心暗鬼に陥った、怯えた一人の少女だけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ