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少し落ち着いて、血の気を取り戻し始めた表情でメアの方に顔向けると、どうやら彼女の方も意気消沈した植物さんたちの様子に、これ以上警戒する必要が無いことを察したのか、手に持った鋏をカートの上に置いた。
「ええ、任せてください。それにほら、先ほどの植物さんをよく見てください」
「え?」
それにどうやら、これらの恐怖はアリアの取り越し苦労である可能性は高そうだった。
「ほら、見覚えがありませんか?」
「ん?――ああ、えと何だっけ、見たことある……ニチアサソウ……?だっけ、これ……」
そう、その顔には三年ほど前に非情に世話になった記憶があった。
「ええ!その通りですアリアちゃん! ほら、見てください! 名前を覚えられていたのが嬉しかったのか、こんなにも喜びに震えていますよ!」
メアの楽しそうな声に、アリアは一度背けた顔を戻して嫌々件のニチアサソウと向き合う。
彼は手足たる蔓を鋭利な刃物に切断されて、その切断面からひたひたと半透明な体液を垂らしながらも、メアの言う通り確かにふるふるとその身を震わせていたが、残念ながらアリアからはそれが喜びの感情から端を発する蠕動にはどうしても見えなかった。
「うぇ……あ、うん、そうだね――」
アリアはその惨たらしい姿に思わず顔をしかめて、また視線を逸らした。
「むむぅ……なるほどぉ……久しぶりに会ったからつい嬉しくなって飛びついてしまったんですね」
だが、メアはそんなアリアには目もくれず、ニチアサソウを見つめて不可解なことに一人何やらぶつぶつと呟き始めた。
アリアの胸の内に、先ほどとは違う種類の恐怖が去来する気配を感じた。
「ううむ……では、仕方ありません、それならば許せる余地があるかもしれません」
「……」
「どうでしょう、アリアちゃん」
「え、何――」
突然話を振られたアリアは素っ頓狂な声を上げた。
「はい、もちろん先ほどの行為はとても褒められたものではありません。ですが、そうした理由ならばここは彼の切断された手足を持って不問とするのも、私たち調和を是する生物として妥当な選択肢だと思うのですが……」
「……」
「どうでしょう……」
アリアはそうして見つめるメアの、純粋無垢という言葉が世界で一番似合う、その姉より濃度の薄い桃色の瞳を困惑気味に見つめ返しながら、必死に最適となる答えを脳内で探った。
「ああ、うん、もちろん……もちろん私は許すつもりだよ……と言うより私は別に何も被害は受けてないし……」
少なくともアリアは、彼女の日々の努力がここにいる植物たちの幸福を目指して行われている事を知っていた。
「……! ありがとうございます!アリアちゃん!」
「……」
どうやら今度もちゃんと正解にはたどり着けたようだ。
メアは満面の笑みでアリアに礼をすると、もう一度物言わぬ蔓植物に向き合って、それに笑顔で語り掛けた。
「ふふ、良かったですね、ニチアサソウさん」
「……」
アリアはその姿に一瞬、自分が知らないこの世界の「何か」を垣間見たような気がしたが、よく考えてみれば、彼が三年前の個体とは別個体であるのは間違いないはずだし、別個体であるという事は記憶ももちろん別であるはずなので、彼女が交わした蔓植物との会話はいろいろと矛盾があるのは間違いなく、その会話が真実であることはあまり考えられなかった。
(うーん、でもつまりそういうことだよね? メアちゃん……?)
だがしかしアリアとしても自らが彼女と同じく、調和を是とする生物である自負ぐらいはある。
ならばこれからアリアが取らなければいけない行動は一つである。
「こちらこそごめんなさい。私がもっと注意していればこんな事にはならなかったかもしれないからね」
こういう時は細かいことを気にしてはいけないのが、人の社会と言うものだ。
「……」
物言わぬ蔓植物も相変わらずふるふると震えて、その切断面から体液を滴らせている。
「ふふ、ありがとうございますアリアちゃん。これにて万事解決。さあ、気を取り直して水やりの続きをしましょう」
「うん、そうだね」
合理的な思考、つまり理性が、神が人に与えた最も崇高なものであるというのなら、こうして思考を放棄した彼女はきっと罰当たりな存在だろう。
しかし彼女にしてみれば、生きている今こそ全てなのである。
何も救ってはくれない神様はさておいて、彼女は彼女なりの論理で知性を働かせ、自らの平穏を保全するのである。
つまり彼女がこれから為さなければならないことは――
「でももし良かったら一応近くを通りかかった植物さんたちのことを教えてくれると嬉しいな、その……ダンジョントラップとしての有用性とか――」
安全第一、ヨシッ!
「……! はい、もちろんです!アリアちゃん! 私としてもこれをきっかけにアリアちゃんがもっと植物さんたちを好きになってくれると嬉しいなって思います」
これが調和。
誰もがそれぞれの役割を理解し、相互に作用し、助け合い、そして一体となるのだ。
――――……