6-9
「……――――」
(はっ――ああ、ダメダメ!なんか私までおかしくなってる。)
絡んで取りつき、行動と思考を雁字搦めにしようとしてくる目に見えない何かを振り切るために、アリアは早足でメアの元を目指して駆けた。
それらに追いつかれたら、全ての意志が無に帰してしまう事をアリアは経験上知っていた。
戻って来たアリアの気配に気づいたメアが注意を植物たちに向けたまま言った。
「あっ、アリアちゃん、ありがとうございます。とってもいい感じですよ。ほら、マンドラコラさんたちも気持ちよさそうです」
アリアは気を取り直して、今度こそ取っ掛かりを掴むために、思考を巡らせながら彼女の背後に立ってその仕事を見つめる。
「うん、任せて。私プロだからね――」
プロどころか、この楽園では生まれて間もない、赤子同然のアリアが言った。
地下に成育された得体のしれない草花にも分け隔てなく施しを与える彼女はまさに女神でありすべての母だった。
赤子同然のアリアから見れば、彼女のその姿は現世のありきたりな悩みも、苦痛も、快楽すらも無縁に思える。
「……」
アリアはしばらく無言で彼女の奇跡を見つめた。
そしてアリアはメアを見つめる内に不思議と、つい先ほどまで背中に迫っていた鎖のような何かが瓦解して、すっと消えてなくなっていることに気付いた。
「……綺麗」
美とは儚くも絶対的であり、そして全てが忘れ去られるほどに圧倒的な善がその内に秘められている。
「ふふ、そうですね。でもこちらのアスフォデルスさんは見た目は百合に似て可憐ですが、その実マナを必要以上にため込む性質があって、人によっては触れただけでその由来の通り、即エリュシオン(楽園)往きという人もいるくらいなんですよ」
「うええっ!?」
油断していたアリアは驚きで思わず大声を上げた。
「大丈夫ですよ。アリアちゃんはエルフですし、滅多なことじゃそんなすぐには楽園往きなんてことにはなりません」
そうだ、ここはまだ楽園じゃない。
「へ、へー、良かった……エルフに産まれて」
アリアは久々に自分の生まれに感謝した。
「っていうか、やっぱり結構やばそうなの育ててるんだね。どうりで全然知らない品種しかいないわけだ」
だが、ともすれば、ここに長く居座れば遠からず本当に楽園往きという事態にもなる可能性もあるかもしれない。
アリアはそう思って、並みいる多種多様な植物たちを警戒心を持った視線で見つめたが、やはり女神の慈愛はその浅はかな小心すらも優しく包み込んで、その疑念すらも取り去ってしまうようだ。
「そうですね。だから、この植物園にはここでしか生きていけない植物さんたちも大勢いらっしゃるんです」
メアは聖母のような視線で植物たちを見つめた。
「……そうなんだ」
アリアはそんなメアの横顔に思わず神妙な気持ちになって聞き返した。
少しだけ彼らの姿が自分の影と重なって見えた。
「ええ。ですから、いろんな事情で外に居場所がなくなったこの子たちもせめてこの場所では幸せに暮らせるようできたらいいなって、いつもそう思ってるんです」
「そっか……」
(ああ、そうか)
アリアは心の中で小さく呟いた。
何故この館が、これほどに暖かく優しさに溢れているのか。
その答えが彼女の視線にはあった。
「そう、なんだ。優しいね。メアちゃんは」
「えへへ。いえ、私が好きでやっていることですから」
彼女の実体に認知の歪みが正されていくのを感じる。
そして彼女の横顔をじっと見つめる内にアリアはとある正解へとたどり着いた。
(ああ、私はこの子のことが好きなんだ。友人として、誰でもないメアちゃんとして――)
結局人は他者と関わることでしか自らの実体を描くことはできないのだろう。
彼女の実像がアリアに教えたのは、純粋さとその美しさだった。
きっと彼女に対して何か誤解があったとしても、一度こうして言葉を交わせば、誰もがその正しさを自覚し、自らの過ちに気付くだろう。
(やっぱ不思議だなあ、メアちゃんって、本当にどうして――)
だが、精神を含めた美しさレベルだったら姉を遥かにぶっちぎっているのにも関わらず、何故彼女には近寄り難さを感じないのだろう。
シャワーノズルの先から放たれる水飛沫が、朝の光に照らされてまたきらきらと光った。
彼女の実体を捉えたかに思えた知覚が途端にその反射を見失って、陽炎のようにゆらゆらと揺れる。
「……」
もしかしたらその答えは美しさ故に現実感が無さ過ぎるからかもしれない――