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「はっ……ええと、その、メアちゃん――」
アリアは彼我の彼方へと交じり合いつつある精神を無理矢理、元の肉体と言う匣へと戻して言った。
アリアは地下の植物園で彼女の施しを待つだけの存在ではない。
神と見紛うばかりの彼女と対等の存在なのだ。
否、対等であらなければならない。それが友と言うものだ。
そして友として、彼女に語りかけなければいけない。
もし目の前で困っている友人を見かけたのならば、その隣で共にあることが「友」と言うものだろう。
「その……おはよう?」
「はい、おはようございます。アリアちゃん」
だけど、人と人との関係はそういった単純な事実だけが全てではないようだった。
事実と言うのは人が認識し得る最低限の真実である。
現実に帰って来たら来たで、もっとぼんやりとしたものに囲まれて生活をしなければならないのだ。
(だから、なんかやっぱなんか難しいんだよなあ)
アリアは曖昧な笑みを浮かべてメアから視線を逸らすと、目の前の幻想的な生命の脈動に感動するふりをして、しばらく無言のまま自らの内に閉じこもって思索に耽った。
「……」
「……」
アリアはメアとの間に何か目に見えない、距離のようなものがあることに気付いていた。
彼女の笑顔は本物だ。きっと彼女と交わす言葉も、感情も本物だろう。
そして彼女と過ごした記憶も、経験も間違いなく本物だ。
彼女の楽しそうな顔も、少し悲しそうな顔も、ちょっと怒ったような顔だって知っている。
だけど何かが足りない。
――ごめんなさい、アリアちゃん、私、大事なことを忘れてて……だから……
それは在りし日の記憶。
三年前、アリアが過去に犯した過ち。
彼女に理不尽をぶつけ、それが引き起こした悲しい末路。
あの時、ミーシャが止めに来なければ果たしてどうなっていただろうか。
「どうでしょう、アリアちゃん。寒さの方は大丈夫ですか? この植物園は年中同じ温度になるように設定がされています。ダンジョンで冷えた体もこの日差しとテオスさんのコートがあれば、きっとすぐに良くなると思ったのですが……」
思考の海に沈んでいたアリアはメアの声にはっとなって顔を上げた。
言われてみれば身体の震えはもう収まっていた。
「うん、もう全然寒くないよ。ありがとね、メアちゃん」
「いえ、テオスさんのコートのおかげです。だから、今日もしっかりと植物さんたちにお水をあげなくてはいけませんね!」
メアは笑顔だ。
きっと彼女はこの仕事に苦を一滴も見出していないだろう。もしかしたらもはや仕事とすら思っていないかもしれない。
(それなのに、どうして……)
一般的には重労働と思われる早朝よりの水やりも、彼女にとっては何の苦にもならない。
それならば彼女にとっての苦はどこにあるのだろう。
彼女が最近ふとした拍子に見せる、その苦の表情は一体どこから来るものなのだろう。
(やっぱり“あの事”だよね)
だからこそ、そんな彼女が思い悩むほどの問題をアリアは友として放っておくことなどできないと思った。
「ええと、メアちゃん。こんな格好で申し訳ないんだけど――」
そして一応アリアには先ほどの無意味な思考の片隅で、密かに組み立てていたほんのささやかな作戦があった。
「出来れば私にも水やり手伝わせてくれないかな? 足手まといになっちゃうかもしれないけど、私もテオスさんにお礼しなきゃいけないから」
少し不自然かもしれないがそれでも、何も無いよりはましな建前だった。
ちなみにこの摩訶不思議な植物園は彼の錬金術師がこの地下ダンジョンに住み着いた折に創造されたものだった。
彼はこの地下に足を踏み入れるやいなや、「これほど理想的な環境は他にない!」と言って、当主であるエルハルトを半ば強引に巻き込んでその設計を始め、様々な困難と向き合った末に、最終的にはこれほど壮観な植物園を創造するに至ったのである。
その出来は巻き込まれた側であるエルハルトですら、「ふふん、この植物園は僕と、そしてこのテオス・プラストスの生涯の内でも、いや、全世界のあらゆる構造物の中でも屈指の名作として、この世に燦然と刻まれるだろう」と言って、絶賛したほどだった。
しかし、完璧に植物園の造園をこなした彼らも造形以外の場所に重要な見落としがあった。
それは毎日の水やりである。
あまりにも重労働のそれは彼らだけでは明らかに労働力不足だった。
そこで、困る彼らを見かねて自ら手を挙げたのがメアだった。
それ以来、彼女の朝の日課には地下の植物園の水やりという重労働も加わることになったのである。