5-35
「私はね、ミーシャがすき」
「……」
「もちろん、エル君の事もすき」
「――――……」
「だからね――」
エルハルトは我慢できずに口を挟んだ。
「なあ、レーネ、前から思っていたことがあるんだが……一体、ミーシャ達との旅の中で何があったんだ?かつての君たちとは何もかもが違う。ミーシャも君も、僕が知る君たちとはまるで違う。きっと僕が想像し得るよりも辛いことがあった事はわかる。思い出すのも辛いだろう、だけど――」
「もう……エル君、全然人の話聞かないじゃん。だからわざわざこうして下準備をしてきたのに、これじゃあ勝負に勝った意味が全然ないよ」
「……」
「でも仕方がないから、エル君の話にも付き合ってあげる」
「……あ、うん、ありがとう」
そんなドヤ顔でこちらを見られてはそう言うしかないのである。
レーネは指を人差し指から一本ずつ持ち上げると、順々にエルハルトの質問に答えていった。
「まず一つ目、私はエル君を恨んでなんかない。むしろ恨まれなきゃいけないのは私の方。二つ目、だから謝らなきゃいけないのは私の方。だからこうしてる。三つ目、確かにエル君の言う通り、私は旅になんか出たくなかった」
「ごめん……」
「ううん、いいの。最初は確かにいろいろな誓約があって、自分の意志とは違う形になった運命を恨んだ。だけどね、今ではその誓約に、私を無理やり旅に連れ出したその運命に、私はね感謝してるんだよ」
「レーネ……」
「あの旅路に何があったか……確かに私たちは旅の中でいろいろな困難に出会った。私たちがどうすることもできない外圧的な出来事も、私たちが持ち合わせた内部のいざこざも、いろんな事が旅の障碍になった。でも、私たちは無事に旅の使命を終えて、この村に帰還することができた――」
不安そうな顔で話を聞くエルハルトに、レーネはその固い表情を緩ませて笑顔をつくった。
それはエルハルトの知っているそれより遥かに上手くつくられていた。
「もっと、簡単に言うね。あの旅の中で何があったのか。その答えはね、『何も無かった』、だよ。私たちの間にはただ時間だけが流れた。その長い長い時間の中であらゆる障壁も、軋轢も、使命も、何もかもが溶けて消えていったの」
エルハルトは驚いたように目を見開いて、そして、同時に得心がいったように大きく息をついた。
「そう、だったのか……僕はてっきり……」
しかし、それは宇宙の法則に照らせば当然の理だったかもしれない。
「だから、私の願いはただ一つ。私が尽きてしまう前に、永遠であるあなたたちに恩返しをすること。過去の罪を償って、恩返しをして、そしてあなたたちの永遠の記憶の中で、私との記憶がより善いものであるように精一杯努力をするの」
そうして、彼女はもう話は終わりだと言わんばかりに手に持った大きな錫杖を地面に叩き付けた。
「レーネ……一体何を」
叩き付けられたその杖の先端から波紋が広がって、大広間の床に大きな円状の幾何学模様が浮かび上がった。
「……!――」
大きな力の波動が波を打って唸る。
エルハルトは自分の身体が自由に動かせなくなっていることにようやく気付いた。
「だからね、ちょっと変なことをするかもしれないけど、私を信じて見守っていて欲しい」
対象の座標が固定され、さらに術式が展開される。
幾重にも重なった幾何学模様が周り、宙を舞い、軌道に乗って、エルハルトを中心に線で作られた美しい正円形の球体がつくられていく。
「だけどレーネ……」
何重にも書き連ねられた、巨大な魔法陣だ。
しかもエルハルトの知る魔法陣とは違う、まさに別格の魔法量、機構、複雑さ……
通常であれば床に二次元で書き連ねるそれも、エルハルトを中心に回る天体のように、規則正しく運行して、その軌道をたどるように三次元的に術式が展開させていく。
エルハルトはその光景に猛烈に嫌な予感を覚えた。
「もう……心配性だね、エル君は。昔はそんなでもなかったのに」
「そりゃそうさ!僕はもう二度と――」
「ふふっ……やっぱ優しいね、エル君は」
過去の彼女とだぶる。
「もう、術式は発動した。だから教えてあげる」
「……」
しかしもう手遅れなようだ。全ての操作手順を終えたレーネは掲げた杖を下ろして、中心で身動きが取れないエルハルトに向かって言った。
「この術式はね、エル君の全てを乗っ取る為のものなの」
「……どういう、ことだ?」
まさしくろくでもない。
「エル君の役割も使命も全部私のものになる。あの時……私がエル君を殺してしまった時、私は取り返しのつかない罪を負った。だけど、私は愚かだから、その罪と向き合う覚悟なんてできなかった。だから、祈った。罪がなかったことになりますようにって……」
「……」
「そうしたらね、本当にそれが叶っちゃった」
彼女の業。彼女がずっと抱えてきた罪。
「これはね誰にも言ってない事。ミーシャも、リアも、クエリも知らない――」
「……」
「本当はね、あの奇蹟は山の女神さまのものじゃない。もちろん私のものでも無い――元からね君の中にあったもの、なんだよ」
「――――……」
「だから私は君に全てを捧げて、その罪を贖わなくちゃいけない――」
淡い碧の粒子がふわりと舞って、雪のように降り注ぐ。大広間を照らす中空に描かれた数奇な幾何学模様がさらに光を増して、エルハルトの視界を碧で埋め尽くした。
「君をこの運命から解放する」
その碧の光には見覚えがある。彼の根源に灯る、地下の大結晶の淡い碧の輝き――
そしてその深淵にあるのはまばゆいばかりの――――銀。