5-33
「久しぶり、エル君」
「そう、だな……」
その言葉の意味は無論、この場所で二人が巡り合う事が、という意味である。
彼はあの日、この場所で、彼女の振るう神剣の前に身を差し出した。
「エル君、ごめんね。これが最後の勝負」
酷く曖昧な境界の内側で、エルハルトは彼女と言葉を交わしていた。
かつて彼の罪によって引かれたその境界線に彼女が姿を現すまで、彼はその一線を越えられなかった。
だから、彼女がこれで最後と言えば、もう一度彼女と言葉を交わす機会はもう訪れないのかもしれない。
「……僕はこれが最後でなくとも構わない」
エルハルトは願った。その言葉が偽であることを。
「この世界はね、有限なの。つまり私は有限……限りがあるのなら、私は今を生きなければならない」
しかし彼女の表情は決意に満ちて、
「さあ、始めよう。ルールは――」
その言葉が真実であることを示していた。
「私が勝つまで」
勝つか負けるかしかない、戦いの渦――
果たして彼女は未だにその渦の中にいるのだろうか。彼が突き落としてしまったその渦の中に――
彼女は膨大な魔力を顕現させ、大広間を瞬く間に、白と灰の世界に塗り替える。
彼女の姿が消えた――
――――……
「私の勝ち」
「早いよ……」
勝敗は一瞬の内に決した。元々エルハルトが勝てる道理などなかったのである。
「なあ、どうしてもっと早くこうしなかったんだ?」
「それが私の弱さ。私にはまだ迷いがあった」
エルハルトを囲む幾人もの氷の彫像が、各々のその武器の切っ先を下ろして、大気に溶け込み消えた。
「……よくわからないけど、最後に少しだけ話をする時間をくれないか?」
「もちろん」
へなへなと膝から崩れ落ちたエルハルトは、情けなさで顔を背けた。
「――君が僕を恨むのは当然だ」
敗者に許されるのはその辞世の句のみである。だけど彼にとってはいつだってその地点こそが勝負の始まりだった。
「すまなかった、レーネ。僕は本当に取り返しのつかないことをした。君を戦いに巻き込み、君の将来全てを奪った。それなのに僕は事の成り行きに任せて、君の旅立ちを止める努力さえもしなかった。君の犠牲と自らの生活を天秤にかけて、僕は後者を選んだ。村を去る君の後ろ姿は今でも覚えている」
エゴイズムとその醜さ。
「あの日全てを失った僕は、何かに縋りつくように君に手を伸ばした。寂しかったんだ……弱い。弱すぎる心だ。そんな弱い心が、醜い身勝手さが君を傷つけてしまった……君が勇者の神剣を振り上げたとき、その憎悪に落ちていく時、過ちに気付いた。君を、あの時の僕に手を差し伸べてくれた優しい君の手を、僕は穢してしまったんだ。血に塗れた戦禍に君を巻き込んでしまったから……」
許されざる人の原罪。
「なあ、レーネ、今更だけど僕は君に謝りたいんだ、罪を償いたいんだ……許してくれとは言わない。君が僕を遠ざけようとするのも当然だ」
だけどそれ故に、それがある故に。
「だけど、君の去っていく後ろ姿に僕は気付かされたんだ。君は僕に助けられたといった。だけど、本当に助けられたのは僕の方だ。君の優しさに僕は助けられたんだよ、そしてその優しさに今も僕は生かされている」
人は人と関わりを持とうとする。
「だから僕はこれからも君と一緒に居たい。その君の優しさも、不器用さも、ちょっと暴力的なところも僕は失いたくない」
本質的にはそれは悪であろう。例えば一方向のそれは間違いなく悪である。だけど――
「あの頃と何も変わっていないことはわかってる。でも僕には君が必要だ……だから、君の望みを聞かせてくれ。僕にできることなら何でもする。たとえできないことでもできるように努力するから」
それが双方向になされたのなら、人はそれをどう捉えるだろうか。
「エル君……」
この世で最も不可思議な先天的な認識。
それを人は美しいと捉える。
レーネは思わず直視するエルハルトの視線から逃れた。
「レーネ……」
果たして彼女もその認識は同じだろうか。
「だから僕は――」
「……何で今更そんな恥ずかしいこと言うの」
……同じだろうか。
「いや……何でって、その――」
だけど背けたレーネの横顔にある耳の先は少し赤くなっていた。
「でも、嬉しい……ありがとうエル君――」
「ああ、うん……どういたしまして?」
絶妙に噛み合っていない会話と共に不思議な空気が二人の間に流れた。
果たして彼女に彼の願いは伝わったのだろうか。
「レーネ……?」
「じゃあ、その……エル君――」
「ああ、なんだ」
「何でも言う事聞いてくれるんだよね?」
「ああ、もちろん。何でも言ってくれ、僕は君との繋がりを保てるなら、その罪を償えるなら――」
しかしどれほど衒学的な言葉で装飾を施しても語れないものは存在する。
「じゃあ――付き合って」
「……え?」
それは――
「付き合って――ミーシャと……」
「え゛?」
「何でも」と言う言葉は軽はずみに言ってはいけないという事である。
――――…………
――……