5-31
ひしゃげた梁と柱に、抉られたような断面の床と壁。辺り一面に散らばる瓦礫と、それを覆いつくさんばかりの白の結晶。
「……!――レーネ……!」
エルハルトはようやく取り戻した言葉の内の中から、彼女の名を選び取って並べた。
しかし、雪が吹雪く極寒の冬景色の中でその声が果たして波の形を形成できていたかどうかは、それを発している本人ですら判然としなかった。
少なくとも吹雪が吹き荒れる中の、遠くに見える点のような人影にはその波が届いて居ようはずが無かった。
踝まで降り積もった雪を足で掻け分けながら、妙に見覚えのある、柱の残骸や微かに残された回廊の跡をたどって、かつての大広間の入り口を目指して歩く。
とにかく遠くに見える、あの人影の正体が誰であるかだけでも確かめなくてはいけない。
「一体何があったんだ……」
しかし何とか大広間の入り口辺りまでたどり着いたエルハルトは途端にその指針を見失った。
大広間の損傷は激しく、あの大きな扉も、それに続くあの無駄に長い回廊も全て瓦礫に埋もれて、過去の痕跡を根拠にそれにたどり着くことはほとんど不可能だった。
「レーネ……」
異世界となった現実の中でついにエルハルトは彼女にたどり着いた。
もうここまでくると見間違えるはずもない。しかしエルハルトはどうしても彼女の姿をその表象と一致させることができなかった。
彼女はもはや彼が知っている彼女ではなかった。
白の不可思議なベールに覆われた彼女は、その身に大仰なドレスのような雪――まさに雪の結晶を象ったような衣服を纏って、本来人が知覚できない領域に佇んでいた。
エルハルトは突き刺すような寒さによって止めどなく流れる涙を何度も拭いながら、その姿を脳裏に焼き付けて反芻した。
だけど視えない。彼の記憶にある彼女とはどうしても一致しない。姿かたちは同じであるはずなのに、どうしようもなく彼女が遠くに見える。
「レ……」
エルハルトはあまりに異様なその姿に不安を感じて、もう一度彼女の名を呼ぼうとした。そうすることによって、何とか彼女をこちらの世界まで手繰り寄せようとした。
しかし、喉から出かかったその声はある一つの気付きを得て、引っ込めざるを得なかった。
「――――……」
「――……」
彼女の目の前にはもう一つの人らしき影があった。
勇者だ。
忘れられるはずの無い、あの忌まわしき眼光――
そして何やら話し声が聞こえた。
「――――」
「――……」
しかし吹きすさぶ雪と残骸の間を通り抜ける風の音によって彼女たちの声は聞き取ることができない。
エルハルトはきょろきょろと周りを見渡すと、彼女たちに近づくために、隠れ蓑となるような瓦礫や柱を探した。そして見つけた瓦礫を伝いながら、彼女たちに近づいていくと、最後に丁度良い距離にある柱の残骸を見つけて、その隙間にするりと身体を忍び込ませた。
彼女たちの様子を見るに、どうやら彼の動きにはどちらも気付いてはいないようだった。場には絶えず雪が振り続けているし、マナの動きも平時より滅茶苦茶で、更には謎の薄い膜のような力を感じる粒子のようなものも漂っていて、彼の勇者であっても息を顰めるネズミ一匹ぐらいは見逃す環境であったのかもしれない。
(……いいぞ、なんかよくはわからんがレーネのやつ上手くやっている様じゃないか)
そしてエルハルトは湧き上がる不安を抱えながらも、柱の影から見える戦況が実に好ましいものであることに気付いて、そう心の中で呟いた。この何もかもが終わったような瓦礫と雪の山の中で、エルハルトは唯一の過去とのつながりをそれに求めたのかもしれない。
――――……