僕の愛しのモンスター
僕には双子の妹がいる。
妹のカレンは、兄の僕から見てもすごく綺麗な二十歳の女の子だ。
濡羽色の腰まで届くサラサラの髪、猫みたいに大きくて印象的な目。
田舎臭い顔立ちだったらこけしみたいになる意思の強そうな眉毛の上に切り揃えられた前髪は、カレンの雰囲気にとてもよく似合っていた。
細くて長い手足も、スタイル抜群で人目を引く。本人はもうちょっと女性らしい体型になりたいと思っているけど、僕が「今のままで十分素敵だよ」と言うと嬉しそうに照れ笑いをしていた。可愛い妹でしょ。
カレンには、足繁く通う小洒落たカフェがあった。駅前にある大きな店で、おしゃれなアメリカンみたいな雰囲気。コーヒー片手にノートパソコンに向き合う人たちの間に、外国人のカップルがスマホを無言でスマホを弄ってる、そんな感じって言えば伝わるかな。
カレンは学校に行っていない。そのせいもあって、友達が全くいなかった。しかもかなりの人見知りだから、僕がいればいいんだって言っていつもひとりで行動している。
綺麗な見た目から色んな人に声を掛けられるけど、人見知りだからうまく返事できなくて固まっちゃう。自分に自信がないんだって。滅茶苦茶可愛いのにな。
そんなある日、カフェでスマホを弄っていると、ちょっと悪ぶった若い男がカレンの前の席に座ったんだって。カレンが怯えて固まっていると、男はカレンが話を聞いてくれていると勘違いしたのか、どんどん喋って勝手にこの後二人で遊ぼうとか言い出した。
カレンは怖がって首を小さく横に振るしかできない。男が「じゃあ行こっか!」とカレンの細い手首を掴んだ時。
ひとりの店員が男の肩に手を置いて言ってくれたんだ。
「お客様、店内でのナンパは他のお客様のご迷惑です。ご遠慮下さい」って。
男を止めてくれたのは、カフェの男性店員だった。
カレンは自分の彼女だと言う男に、店員はカレンが常連さんだから嘘だって分かってるって言い返したらしい。男は「こんな店二度と来るか!」とコーヒーを店員にぶち撒けて出ていった。
「あちち……っ」
「だ、大丈夫ですか……?」
それが、カレンと大学生のバイト・慎太郎の出会いだったんだ。
カレンは素朴な笑顔の慎太郎にひとめ惚れした。「助けてくれたお礼に」って、慎太郎の仕事が終わるのを待って食事に行った。カレンにしては、かなり頑張った方だと思う。
二人は連絡先を交換して、そこから少しずつ二人の交流が始まった。
慎太郎は優しい人で、カレンが物凄い人見知りだってことをすぐに察してくれた。だからゆっくり、本当にゆっくりと距離を縮めていってくれたんだ。
二人が出会って二ヶ月が過ぎた頃、慎太郎は意を決してカレンに告白した。
だけど、カレンは告白を断った。慎太郎のことは大好きだけど、付き合えないって。自分には資格がないんだって。
家に帰って泣くカレンを、僕は慰めてやった。僕にはカレンの気持ちが痛いほどよく分かったから。
その日から、カレンは外に出なくなってしまった。でも、慎太郎の様子は気になるらしい。僕に見に行ってほしいと頼むなんて、いじらしいよね。
僕はカレンと双子だから、とてもよく似ている。だからキャップ帽子を目深に被って今どきっぽいダボッとした上下を着て、絶対バレないだろうと思ってカフェに行ったんだ。
だけど、慎太郎は僕の顔を見た瞬間驚いた顔をした。僕の変装はあっさりと見破られてしまい、慎太郎は慌てた様子で僕に迫った。
「カレンはどうしてる!?」って。
ふうん、思っていたよりも本気なんじゃないか。そう思った僕は、慎太郎に最後のテストをすることにしたんだ。
話をしたいから待っていてほしいと言われて、大人しく慎太郎の仕事が終わるのを待つ。カレンが通うだけあって、ここのコーヒーは美味しかったから待つのは苦じゃなかった。
やがて、焦りながら慎太郎が僕の元へとやってくる。
カレンのことを諦めきれない。いくら連絡してもカレンの既読がつかない。カレンに会って、好き同士なら乗り越えられると説得したいんだと、慎太郎は僕に語った。
「んー……。会わせてあげてもいいけど、カレンの秘密を知っても好きでいられるかなあ」
僕の言葉に、慎太郎は「どんなカレンでも受け入れてみせる!」と豪語したんだ。大抵みんな、自分は大丈夫って言うんだよね。
家に帰ると、僕とカレンの部屋に慎太郎を連れていった。
カレンはいつもウォークインクローゼットの中でシーツに包まって小さくなって過ごしている。母親に見つかったら拙いからってずっとそうしていた頃の名残なんだ。もうあの口うるさい母親はいないのに、習慣が抜けないんだって。可愛いよね。
僕はクローゼットの扉を開く。すると、泣き腫らした顔のカレンが僕と僕の後ろに立っている慎太郎を見て、綺麗で大きな目を見開いた。やっぱり僕の妹は可愛いなあ。
「慎太郎さん……どうして」
「カレン! 俺は君を諦められないんだ!」
カレンの前に跪いてカレンの手を両手で包む姿は、さながらお姫様に愛を乞う王子様だ。
僕はカレンに聞いてみた。
「カレン、どうする? カレンの秘密を知っても好きでいられるって言ってたよ。見せてみたら?」
「で、でも……」
泣きながら頭を横に振るカレン。慎太郎はカレンに向かって、「どんなカレンでも受け入れてみせるから」ってさっき僕に言ったのと同じ台詞を繰り返した。
それでも迷っている風のカレンの背中を押すのは、僕の役目だ。
「大丈夫。僕がついているから」
慎太郎は怪訝そうな顔で僕を見上げたけど、都合よく解釈してくれたらしい。
「お願いだカレン。俺にカレンの秘密を教えて……?」
慎太郎に懇願され、とうとうカレンは決心した。
「う、うん……!」
カレンは静かに立ち上がる。
おもむろにプチ、プチ、とワンピースの前のボタンを外し始めた。
慎太郎は目をまん丸くして、「え? えっ?」と顔を赤く染めている。
カレンの秘密を知ってもカレンのことが好きなら、カレンと一緒にいることを許してあげるよ。
心の中で、慎太郎に向かって言った。まあ当然聞こえてないだろうけどね。
カレンは、本当は見せたくないんだろう。緩慢な動きだったけど、それでもボタンがお腹の所まで外れると、ワンピースの前身頃をギュッと可愛らしく掴んで慎太郎を見下ろした。
「わ、私の秘密はこれなの」
「え」
カレンはワンピースを肩から外す。ファサリ、と布が足許に筒状に広がった。
「え……な……っ」
慎太郎の唇が、ガクガクと震えている。顔色は蒼白に変わっていた。あーあ、だからやめておけばよかったのに。
「傷でもあると思った?」
泣き出しそうな顔のカレンの代わりに、僕が尋ねる。
「こ、こここ……っええっ!?」
慎太郎は腰を抜かしてしまったのか、腕の力だけで後ろに下がろうとしているけどうまくいっていない。
カレンの腹部でぱっかりと口を開けているのは、大きな異形の口だった。下腹部から胸の高さまでイソギンチャクみたいにまあるく開いていて、縁にはびっしりと鮫のような細かくて鋭い歯が隙間なく並んでいる。口腔内は爛れたように赤黒く、まあ普通の人間なら見て早々驚くのも仕方ないよね。
口をパクパクして異形の口を凝視しているだけの慎太郎に向かって、僕は親切だから説明してあげることにした。
「カレンはね、元は目と口があるだけの、バスケットボールくらいの大きさの可愛いモンスターだったんだ」
「モ、モンスター……」
慎太郎が、ごくんと唾を嚥下する音がクローゼット内に響く。あは、これは相当ビビってるな。
「子供の時、公園で拾ったんだよ。お腹を空かせて泣いてたから、家に連れて帰って餌を与えたんだ」
慎太郎が、僕を化け物を見るみたいな目つきで見た。
「カレンは優しい子なんだよ。でも、見た目がこれでしょ? だから家族には内緒にしてたのに、妹のカレンが僕がお風呂に入ってる間にクローゼットを開けちゃってさ」
「ま、待て、な、何を……」
慎太郎の乾いた声。
カレンは悔しそうに俯きながら、はらはらと澄んだ涙を流している。
「部屋に戻ってきたら、バットを取り出して僕のモンスターを殴ってたんだ。だから僕はバットを奪って、妹のカレンの方をバットで叩いた」
ふふ、と小さく笑うと、慎太郎は目を瞠るだけでもう何も言わなかった。
「人間って、結構簡単に死んじゃうんだね。動かなくなった妹のカレンをどうしようって困ってたら、僕のモンスターがカレンの死体を食べてくれたんだ」
ジョオオ、と音が聞こえたと思って慎太郎の股間を見ると、ズボンが濡れて湯気が立っている。あーあ、人の排尿を拭くのって好きになれないんだよね。
「そうしたら、あーら不思議。その日から僕のモンスターはカレンの姿になったんだ。モンスターと会話できるようになって、すごく嬉しかったよ」
だけど、と僕は続ける。
「親っていうのは子供をよく見てるんだね。カレンが別人になったって最初に騒ぎ始めたのは母さんだった。カレンばっかり可愛がる嫌な人だったから、大騒ぎになる前にカレンに食べてもらったんだ。今度は姿は変わらなかったよ」
「た、食べ……」
「うん、そう。今も失踪扱いになっているけど、カレンが別人だって騒いでくれたお陰で頭がおかしかったって周りが納得してくれたから助かったよ」
にこにこしながら話していると、僕の語りを静かに聞いていたカレンが、悲しそうに呟いた。
「ねえ、もういいよ……っ」
「カレンは優しいなあ。じゃあ、もうひとつだけ、最後に」
クローゼットの棚の上に置いておいたかつらを手に取り、被る。あはは、慎太郎の驚いた顔ったら。
「慎太郎が僕とカレンの違いに気付いてくれたなら、カレンの番にしてやってもいいかなあなんて思ってたんだよ? カレンもあんたのことは相当気に入ってたし」
「ま、待て……え、かつら? ま、まさか……っ」
「でもさ、二回に一回は僕と会ってたのに、ちっとも気付かなかったね。だから残念、慎太郎はテストに落ちたんだ」
慎太郎の白かった顔色が、更に白くなった。
慎太郎の頭をよしよしと撫でてやる。
「カレンの姿になってから、定期的に人間を食べないと保たなくなっちゃったんだよね。見繕うのが毎回結構大変だったから、近付いてきてくれて助かった。ありがとね、慎太郎」
相変わらず悲しそうに泣いている、僕の美しいモンスターを笑顔で見上げた。
「じゃあカレン、そろそろ食べ時だよ。次こそきっと番になれる人と出会えるから、頑張ろう」
「う、うん……っ!」
慎太郎の口が、叫ぶ形に開く。
――――カプリ。
カレンの大きな口が、慎太郎が声を発する前に彼を頭から呑み込んだ。
腰まで口に呑み込まれた慎太郎の足が、ビク、ビク、と痙攣している。尿が垂れているのが汚いなあと思ったけど、さっさと綺麗にすればニオイも残らないだろう。
「慎太郎さんとひとつになれた……!」
「よく味わってね」
「うん、ありがとうお兄ちゃん……!」
元は臆病なだけだった僕のモンスターは、恋愛脳だったカレンを取り込んだせいで「いつか自分にも運命の恋人ができる筈」と信じて疑わなくなってしまった。毎回餌に恋してしまうのが難儀だけれど、そこもまた可愛いと思っている。
ちなみに、僕の周りの害虫もみーんなカレンの餌になった。カレンがいてくれる限り、僕の人生には嫌なことなんてひとつもないんだ。
「可愛い僕のカレン、大好きだよ」
久々に、カレンの顔に花のような笑みが咲く。
「私もお兄ちゃんが一番大好き!」
カレンの言葉と共に、慎太郎のつま先がつぷんとカレンの口の中に呑み込まれたのだった。