41 失ったもの、得たもの
「今日も完食できましたね。さすがルーファ様でございます」
「ありがとうございます」
パトリシアが幸せそうな笑みを浮かべながら、私の朝食の後片付けを進めている。他の侍女達も次々と私を褒めるせいで思わず俯いてしまう。そう言われるほど子供ではないのに。じわりじわりと熱くなる頬を手で抑えながらそう思う。
「ルーファ様、たくさん食べられて偉いです」
「セツまでそんなことを」
私の傍に身体を寄せながらセツもパトリシア達に便乗して褒めてくれる。逃げ場がなくなったみたいで益々どうしていいか分からない。指先でセツの毛をくるくると回す。少しでも恥ずかしさが紛れるよう願いながら、指が青白い毛に埋もれていくのを見続ける。
「ルーファ様、室長のローア様よりお手紙が届いております」
「ありがとうございます。この後すぐ確認しますので、私の化粧台の引き出しに手紙を入れていただけますか?」
顔を上げて慌ててパトリシアに返事をした。恥ずかしさに動揺している場合ではない。
待っていた手紙が届いたことにほっとする。今の私にできる唯一の仕事。一日中ベッドの中にいる私ができる唯一の仕事の大事な手紙だ。
私が目覚めてからもうすぐ1週間が経とうとしている。
目覚めてからほとんどの時間を私は自室で過ごしている。授業やレッスンはお休み、デゼスへの対抗に関する研究にも書面に留まる程度の仕事しかできない。研究の時間以外はただただ自室で本を読んだり、セツと話をしたりしながら日々を過ごしていた。
兄の蘇生術は完璧で、身体の痛みは一切ない。体調が悪いと感じることもなく、私は至って健康だ。
催眠魔法をかけられるとまず無事ではいられないらしい。そうテレンス先生が教えてくれた。脳の組織が破壊され、人によっては死に至ることもあると言う。
私はとても運が良かった。催眠魔法がかけられてすぐにセツが気がついてくれて、ソウマが術の進行を止めてくれて、私を兄の下に運んでくれた。そして、蘇生術に長けた兄がすぐに治癒してくれた。
だから、ほとんど無傷で生きていられている。とても運が良かったし、セツやソウマ、兄に感謝してもしきれない。他にもたくさんの人に助けてもらえた。いや、今も助けられている。
「ルーファ様、この後テレンス先生がこちらにいらっしゃいますからね」
「分かりました」
「回復を急ぐ事はありませんからね」
パトリシアがそう言って私に柔らかく笑いかけてくれた。その笑顔に胸が苦しくなる。
私は運がよかった。身体にも異常はない。でも、前と変わってしまった事がある。
「あ、ちょうどテレンス先生がいらっしゃったようですよ」
パトリシアの声で入り口に目を向けると目を細めて笑うテレンス先生の姿があった。
「おはようございます、ルーファ様」
「テレンス先生、おはようございます。いつも朝早くからすみません」
「いえいえ。ルーファ様のためならいつでもどこでも参りますとも。お加減はいかがですか?」
「身体の状態はすごく良いです。テレンス先生がいてくださるおかげです」
「ははは、嬉しいお言葉をありがとうございます」
テレンス先生は柔らかな笑みを浮かべながらベッドの傍に腰掛けた。
淡い黄色の羽を持つ蝶々がテレンス先生の頭の周りをゆっくりと飛んでいる。この蝶々は香花蝶と呼ばれる魔法で生成された蝶で、前世でいうアロマキャンドルのようなものだ。精神を落ち着ける効果があるらしく、テレンス先生は勤務中にいつもこの蝶々を出している。テレンス先生の治療を受けたソウマが、すごいと驚いていたことを思い出す。
優しい花の香りがふわりと広がり、気持ちが少し上を向く。
「心の状態はいかがでしょうか?」
チョコレート色の瞳が眼鏡の奥から覗いている。テレンス先生の目はいつも優しい色をしている。香花蝶の影響もあるとは思うけれど、テレンス先生と話をしているとこの場では何もかも許されるような気持になる。
「そうですね……焦っています」
「リベラ様の事でしょうか?」
「はい。お父様とお兄様が動いてくださっているのは分かっているのですが、すごく落ち着かなくて。私だけが取り残されているような気がして」
思わず手元のシーツを握り締めた。
父は、私がこれ以上リベラの件に関わらなくてもいいと言っていた。父と兄が対処するから、ゆっくり休んでほしいとも。二人を信じていないわけではない。でも、ほとんどベッドの上で過ごす自分が取り残されたような気持になる。世界から切り離されたような絶望に陥ることがある。
父と兄は、今回の件は皇帝に報告していない。ベイリー家を訪れていたとはいえ、私とリベラは部屋で二人きりだったこと、私の治癒をするために私の体内にあるリベラの魔力だと思われるものを取り除いたことで、リベラが私を襲ったという証拠はほとんど無くなってしまった。兄はリベラを治癒したことがないため、私の体内にあった魔力がリベラのものだったのかは分からないそうだ。その証拠がない状態でスローパー家に訴えても決していい結果にはならない。むしろリベラの背後にいる存在を逃してしまう可能性だってある。そのため、今回は皇帝に報告はせず、内々にスローパー家を調べることとなった。
「ルーファ様の今までの勇気ある行動があったからこそ、秘められてきた事が明るみになっていると私は個人的に感じますが……でも、焦ってしまいますよね。特にこのような状況下では」
香花蝶がゆらりと私の前を通った。テレンス先生は眼鏡をそっと指先で直す。
「今までできていた事ができなくなってしまっても、自分を失ったわけではございませんからね。ここまで成し得たのです、ルーファ様は」
「ありがとうございます」
私はリベラに催眠魔法をかけられてから、治癒術が使えなくなった。また、動揺に治癒術を受けることも恐ろしくなっていた。
術の扱い方を忘れたのではない。必要なことは覚えている。記憶や私の保有する魔力量に問題はない。けれど、治癒術のことを考えるだけで具合が悪くなる。治癒のために魔力を注ぐ行為が侵食をしているかのように感じる。また、その逆の行為も侵食されているように感じ、恐ろしく思う。これを所謂、トラウマと呼ぶのだろう。
少しでもそれを乗り越えるために、毎朝テレンス先生に来てもらって治癒術を受ける練習をしている。これからデゼスの流行を迎えるかもしれないこの世界で治癒術を失うのはとても危険だ。一刻も早く乗り越えなければならない。
目を瞑り、深呼吸をする。これから起こることを想像してざわつく心をゆっくりと落ち着かせる。一瞬リベラの苦しそうな笑みが脳裏を過るも、その記憶に蓋をする。今ここに私を脅かすものは何もない。何度か深呼吸をしてから瞼を持ち上げ、テレンス先生と目を合わせた。
「準備ができました。テレンス先生、お願いしてもよろしいでしょうか」
「分かりました。少しでも無理だと感じたら教えてくださいね」
「はい」
テレンス先生に返事をした時の声が震えていた。気持ちを落ち着けたはずなのに、すぐに私は脆くなる。吸う息、吐く息、すべてが微かに震えている。手先が急に冷たくなり、お腹の奥がきゅうっと締め付けられるのを感じる。
テレンス先生の魔力を遠くで感じ、身体が強張る。いよいよ来る。そう思うとがくがくと身体の奥から震えがくる。唇を噛み締めると舌を噛み切った時のことを思い出した。ちぎれた音とあるはずのものがない喪失感。口の中いっぱいの噎せ返るような鉄の味。
「ルーファ様」
そっと私の手に青白い毛並みの前足が乗せられた。とても優しい声で私を呼ぶのはセツだった。
「セツ」
「大丈夫です。ルーファ様は世界で一番守られています。何も怖くないですよ。私がずっとお守りいたします」
セツが私に身体を寄せる。香花蝶も目の前で漂っている。香りが変わったのだろうか。暖かなお日様のような香りと、セツの優しい毛並みに心が現実に戻って来るのを感じる。
「ルーファ様、ゆっくりいきましょう。無理をすれば心に傷がつきます」
穏やかな声に顔を上げるとテレンス先生が心配そうに私を見ていた。私は無理をしているのだろうか。これは無理だというのだろうか。よく分からない。手を見ると震えていた。
「ごめんなさい」
治癒術を受けるのが怖い。あのどろりと入って来る魔力の量が自分を失いそうに感じて気持ち悪い。今まで何の抵抗もなかったのに。震える手を抑えつけるために強く握る。
今ここでこうやって立ち止まってる時間なんてないのに。自分への苛立ちと情けなさと怒りでくらりと眩暈がした。
◇◆◇
結局私は治癒術を受ける練習で一度も治癒術を受けることができなかった。テレンス先生が魔力を練っている段階で恐怖のピークがきて、どうしても続けることができなくなってしまう。
前世では今以上の仕打ちを受けていたのに、どうしてこんなことで駄目になってしまうのか。悔しくて仕方がない。私は厳しい環境に身を置かなければ強くなれない性質なのだろうか。そんなことばかりを考えてしまう。
朝の治癒術の練習でかなり体力を消耗してしまい、テレンス先生との時間が終わるとすぐに寝込んでしまった。目を覚ますと夜で、部屋の中は真っ暗だった。
すぐ隣にはセツの身体があった。小さく可愛いゆったりとした呼吸を聞く限り、眠っているようだった。セツのいる位置は朝から変わっていない。ずっと同じ場所で傍にいてくれたのだろうか。そう思うと胸の奥が押し潰されそうな気持ちになった。
セツは私が目覚めてから文字通りずっと傍にいる。私に可能な限り身体を寄せて、私に少しでもおかしい点があればすぐに声をかけてくれる。そうやってセツを縛っていることが心苦しく思いながらも、同時にセツが傍にいてくれてよかったと感じている。私が落ち着いて過ごせているのもセツがずっと傍にいてくれているおかげだ。一人きりだときっと絶望に呑まれていた。
カーテンを開けようとそっと身体を起こす。こんなに気持ちよさそうな寝息をたてているセツを起こしたくはない。ずっと気を張っているのは疲れるだろう。少しは休ませてあげたい。
なるべく静かに布団を捲り、ベッドから足を下ろす。
「ルーファ様?」
そのままベッドから離れようとしたところでセツの声がした。振り返ると金色の瞳が二つ、こちらを向いていた。暗闇で光る金色の瞳はとても綺麗だった。
「起こしてごめんね。ちょっとカーテンを開けようと思って」
「そうでしたか。それならカーテンは私が開けますので、ベッドで休んでいてくださいな」
「ありがとう。ごめんね」
セツは寝起きとは思えないほどの軽々しさでベッドを降り、窓に駆け寄る。そのままカーテンの端を咥えてさっと開けた。
雲一つない美しい星空が窓一杯に広がる。今日は新月で、星の瞬きがより一層よく見える。美しい夜空に息が漏れた。
「とても綺麗な夜空だね」
「ええ。美しいですね」
セツがベッドに戻り、私に身体を寄せる。そのままセツの身体に手を乗せて、ゆっくりと撫でる。いつ撫でてもふかふかで気持ちがいい。こうやって撫でていると気持ちが落ち着いていく。
気持ちが落ち着くとソウマの事が脳裏に浮かぶ。
「ソウマ様、問題なく過ごせてるかな」
私を助けるためにレイ帝国に戻ってきていた。秘術で転移したのだろう。でも、ソウマはベイリー家を離れる際に、しばらく会えないと私に言っていた。無理をして私を助けに来たのだと思う。それが申し訳なくて、同時に心配になる。誰にも悟られずにイヅル国に戻れただろうか。
セツの首に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「きっと大丈夫です。何かあれば使い魔を通して連絡があるはずですよ」
「……うん」
今のソウマはイヅル国では話題の人物だ。帝にも一目置かれているとの事までは父から聞いている。それほどまでの重要な人物の周りには手練れの秘術使いが控えているはずだ。状況確認のために軽率に使い魔を送るわけにはいかない。
「いつソウマ様に会えるかな」
「会いたいのですか?」
「うん。今は特に。何と言えばいいかな。ソウマ様は凄いのだなと改めて思ったの。時々ソウマ様が私の部屋に夜中に来ていたこと、覚えている?」
「覚えていますよ。ルーファ様に治癒術をかけてほしいと頼まれておりましたよね」
ソウマがベイリー家に保護された最初の頃、夜中にソウマが部屋に訪ねてくることがあった。治癒術をかけてほしいと、とてもやつれた顔をして私に頼むのだ。治癒術を一通りかけて、妖力に問題はないことを伝えると、安心した顔をして、部屋に戻るのだ。
「誘拐の後からは妖力が不安定になることはなかったけれど、きっと妖力が安定していなかった事が恐ろしかったのだと思うの。気が付かない内に体内に魔力がいて自分の妖力を喰らっていただなんて……恐ろしいことだよ。その恐怖がありながらも、ソウマ様は自分の立場から逃げずに戦われた。改めて凄いなと思ったの」
健康に問題はないはずなのに、私は自分の恐怖から抜け出せないでいる。私自身の今の精神状態の中で、ソウマの乗り越えたものを思うと、とてつもない努力をしたのだとより深く実感する。ソウマの気持ちを完全に理解できているわけではない。理解できると言ってしまうのはあまりにもソウマの努力を軽視し過ぎている。でも、自分が抗えないほどの恐怖を味わうことでソウマの乗り越えてきたものの価値を真の意味で理解した気がする。
そうやってソウマの事を考えると、会いたくなる。私の問題を解決してほしいわけではない。けれど、ただ傍にいて他愛のない話をしたい。そうすれば心の中の膿が流れ出ていくような気がするのだ。私もソウマのように乗り越えなければと感情を整理できるように思う。
ソウマが私を助けたことでイヅル国で問題が出ていないか気にするわりには、会いたいと願う。自分勝手な自分の感情に呆れてしまう。これ以上自分を嫌いになる前に、そう願う気持ちは胸の奥に仕舞っておくとする。
「ソウマ様、きっとそのルーファ様の言葉に喜ばれると思いますよ。きっとルーファ様に会いに転移してしまうほどに」
セツは笑いながらそう言った。本当に会うことができればどんなにいいか。それは言葉に出さずに少し笑ってセツを撫でる。
「ソウマ様がレイ帝国に帰ってくる前に、私は私で成長しなきゃいけないね」
私には私の戦いがある。今頑張らなければ。
治癒術を恐れないこともそうだ。でも、それとは別に、リベラの件をどうにかしなければならない。
「セツ、少し待っていてね。手紙を取りに行ってくる」
「ローア様から届いたお手紙ですか?」
「うん」
セツの頭を一撫でしてからベッドから降りる。化粧台まで行くと、引き出しから手紙を取り出した。すぐにベッドまで戻り、セツに身体を寄せる。
「朝に内容を少し確認したんだけど、イグニス様の議会への召喚を陛下が承認してくれたみたい」
「そうでしたか。うまくいってよかったですね」
「うん。これでイグニス様が議会に実際に参加される前に保護できれば」
手紙に目を走らせて内容を再確認する。うん、間違いない。皇帝はイグニスの参加を承認したことが書かれている。
数日前、もう間もなく開かれる『アルデルファ』の取り扱いを決める帝国議会に関して皇帝に議会への参考人召喚の依頼を出した。イグニスの召喚依頼だ。
イグニスは平民出身であることからも、民衆の観点からの意見がほしいとして皇帝に依頼したところイグニスの召喚が認められた。皇帝が承認した召喚であれば、スローパー家は逆らうことはできないだろう。
目が覚めてから、ずっと考えていた。リベラほどの人物が私をこうも大胆に襲う理由を。スローパー家は叡智の一族と呼ばれるほどの高い知性を持つ一族だ。
ベイリー家の屋敷内で同じ公爵家の人間に手を出した。蘇生術を扱える人間が住む屋敷で私を襲った。仮に催眠魔法をかけたとしても、すぐに回復してしまう可能性が高い相手に対して、捕らえられて処刑されてしまうかもしれないリスクを負ってまで催眠魔法をかけるだろうか。この一連の騒動はリベラからのメッセージのような気がしてならなかった。
考え抜いた末、イグニスを人質にムスビ家から脅されているから――そう思い至った。
リベラが私に接触できること、イグニスの症状を伝えれば私が反応することを把握していること、そして、ソウマの主治医の遺体にデゼスと疑われる魔物が付着していたことを考慮すると、今回の件の裏にはムスビ家がいると判断した。
私とリベラは交流会で初めて出会い、接点を持った。その交流会で私はリベラを怯えさせてしまった過去がある。私が邪魔で私の粗を探していたのならば交流会のあの一連で何かあったのだと分かったはずだ。だからリベラが選ばれた。
リベラが選ばれたのは私のせいなのだ。だから、私はいつまでも休んでいるわけにはいかない。
セツが私の手の上にそっと前足を置いた。手がふわふわな肉球に包まれる。
「またご自身を責めていませんか」
「……ごめんね。そんなことをしても意味がないのにね」
「謝る必要はございません。そんなお優しいところもルーファ様のいいところです」
セツはそう言って慰めるように私の手をざらざらの舌で舐めてくれた。
私が襲われた日からセツは私の傍を離れない。どれだけセツの心に傷をつけたか。今夜だってカーテンを開けに行くだけなのに、セツはすぐに起きた。それを自覚しておきながら、私はセツにイグニスを保護する話をしている。こんな事、本当はセツは聞きたくないだろう。でも、私がやろうとしていることを尊重してくれている。
正直、リベラの件に関与することにセツは反対するかと思っていた。だからどう説得しようかと考えていたけれど、イグニスを帝国議会に召喚するよう準備を進めることをセツに伝えたところ、セツは私の考えを尊重し、協力してくれると言ってくれた。諦めでも呆れでもなく、セツは私の傍にいると力強く言ってくれた。
セツの首に手を回し、抱きしめた。ふわふわの毛の中に顔が埋もれていく。こうしているととても落ち着く。
「傍にいてくれてありがとう、セツ」
「いつまでもお傍にいます」
後はどう家族に話をするかだ。家族にリベラの話をすると現状について少し話をしてくれるけれど、その後に必ずリベラのことは任せてほしいと言われてしまう。私は部屋でゆっくり休んでほしいと。私を愛しているが故の言葉だと理解しているからだと分かっているけれど、私が引き起こした事態の尻拭いを家族にさせるなんてことはできなかった。
それに、リベラの背後にいるのがムスビ家であるのならば、今ここで止めなければ脅威は終わらない。
ソウマは今イヅル国で神獣の聖人だと騒がれている。イヅル国では神獣の聖人は帝以上に高貴な存在だ。帝以上にイヅル国内で実権が握れる可能性のある人物をムスビ家がそう簡単に手放すとは思えない。
反帝国派に至っては、小説と同様に、ソウマを傀儡とするつもりだろう。むしろムスビ家がイヅル国の貴族として舞い戻れる絶好の機会だと思っている可能性だってある。そうなると私の存在は邪魔だ。
きっとソウマは婚約者候補を辞退することを断っている。レイ帝国の皇帝も私とソウマの婚姻を希望していると明言している。そうなると一番手っ取り早く状況を変えられるのは私が消えることだ。
それに、リベラがこの件で潰れてくれれば、レイ帝国の公爵家内にソウマと婚姻が結べる相手がいなくなる。あとは、ムスビ家側が公爵家の人間と結婚できなければレイ帝国内で婚姻相手を探すことはできないと言えばいい。神獣の聖人であるかもしれない人間の家族を皇帝も無碍にはできない。
そういった背景があることを伝えたくてリベラはあえて派手に私に手を出したのではないだろうか。私に危害が加えられれば、私を保護するためにベイリー家は動き、その上でスローパー家のイグニスについて探りを入れてくる。それを望んでいるのかもしれない。
「提案なのですが、ソウマ様のお力をここで借りられてはいかがでしょうか? ムスビ家が背後にいるのならば、ソウマ様の協力は必要不可欠です。ソウマ様もルーファ様の頼みならば喜んで協力してくださるでしょう」
「もしムスビ家が背後にいるのならば、ソウマ様の力を借りたいところだけど……今の時期にソウマ様に助けを求めるのはソウマ様にかなり負担を強いることになるような気がする。せめてイグニス様を保護してからでも遅くないような気がするけれど」
「イグニス様の保護に対して妨害が入る可能性を考えると早めに動いた方がいいと思います。今は緊急事態です、ルーファ様。躊躇う必要はないと思います」
ムスビ家の当主夫妻は今回の帝国議会は欠席する予定であることは聞いているけれど、リベラにしたように誰かを使って妨害をする可能性は十分にある。
自分だけの力ではどうにもできない事を悔しく思いながら奥歯を噛む。同時に、ソウマが誘拐された日のことを思い出す。
頼る人と頼るタイミングを誤らないことは生きる上でかなり重要な要素だと父が言っていた。頼ることは悪ではない。そう思い出し、顔の力が抜けていく。
「イグニス様の召喚の件は私から家族に伝える。当日の動き方含め相談する。そして、セツ、ソウマ様への連絡の手配をお願いできるかな」
「もちろんです」
「絶対に誰にも悟られることがないように慎重にいこう」
息を吐いて夜空に目を向ける。迫る現実に胸が押し潰されそうになる。未だ私の魔力は身体の奥底で燻ってはいる。無力なことに変わりはない。その現実にどうしようもなく苦しくなるけれど、でも、私は一人ぼっちではないのだ。
前世での最期を思い浮かべながら私はそっと息を吐いた。
仕事の繁忙期と体調不良が重なり更新が遅れてしまいました。
引き続き更新を頑張っていきますので、よろしくお願いします。




