39 懇願 イファデール視点①
パトリシアが何人か侍女を連れてルーファの部屋の中に入って来た。まだ眠そうにしているルーファに寄り添いながら、少しずつ食事の支度を始めていく。目を覚まし、ゆっくりと動くルーファを見て、改めて安堵する。もう少しで最愛の妹を失うところだった。眠っていた時のルーファの横顔は、まるで死人のようだった。
ルーファに詳しくは伝えていないけれど、催眠魔法は人類が発明した魔法の中で3本の指に入るほどの凶悪な魔法の一つだ。
術者の魔力が魔法をかけた相手の脳に入り込み、脳組織を破壊していく。相手を乗っ取りながらも少しずつ体内から破壊していく恐ろしい魔法だ。察知する事が難しく、また、蘇生術でなければ完全回復は不可能だ。対処が遅れてしまえば死に至る。
罪のない幼い妹に対してそれほどまでに恐ろしい魔法をかけたリベラ様が僕は許せなかった。一体ルーファが何をしたというのだろうか。ルーファはただ、戦争のない平和な未来を望み、自分にできることを精いっぱいやっていただけなのに。精いっぱい生きていただけなのに。
脳裏にリベラ様の顔が浮かぶだけで、穏やかな気持ちではいられない。リベラ様はレイ帝国の公爵家の人間だ。その立場にいながら味方である同国のルーファに危害を与えた。反逆罪と捉えられてもおかしくはない。でも、今はもうそんな事はどうでもいい。
どうして幼いルーファなのか。どうして次期当主である僕じゃないのか。なぜそんな凶悪な魔法をかける必要があったのか。今すぐリベラ様に問い詰めたい。
ルーファの体内に入り、脳を診た時の衝撃を僕は忘れることができない。脳内のありとあらゆる組織にルーファのものではない魔力がこびり付いていた。脳が荒らされ、食われ、毒されていた。あまりに痛ましくて、全てを投げ出しそうになった。
ソウマ君が催眠魔法の進行を止めていなければルーファは今頃には死んでいたかもしれない。恐怖と怒りでどうにかなりそうだ。これほどまでに何かに対して怒りを覚えたのは初めてだった。
怒りのままに顔を上げると、ベッドの上にいるルーファの姿が目に入った。パトリシアから差し出されたスプーンに口をつけている。お粥を口に含むと顔が花が咲くように綻んだ。
その姿を見ていると燃え上がっていた心の中の怒りがいくらか落ち着いていく。
僕が守りたかったのはこの笑顔なんだ。ルーファが生きていてくれて本当によかった。蘇生術を頑張ってきて……本当によかった。
パトリシアの助けを得ながら、ルーファはお粥を次々と口に運んでいく。食欲はあるようだ。しっかり栄養をとり、休んでくれればすぐに回復するだろう。
ルーファの姿に安堵しながら部屋を出ると、部屋の前にセツ君がいた。僕が部屋から出てくると思わなかったのか、セツ君が驚いたように目を見開いた。
セツ君はルーファが眠っている間、常に彼女の傍にいた。朝から晩までルーファに付き添ってくれていた。
ルーファの様子を見に部屋に入ると、いつもセツ君がルーファに身体をぴったり寄せて横になっていた。部屋に入る人間を一人一人警戒し、僕や両親であると分かると安心したように上げた頭をルーファに擦り寄せる。
僕が診ている間だけはルーファの傍を離れ、ベイリー家の結界を張り直しに行っていた。ベイリー家の屋敷だけでもそれなりの広さがあるのに、端から端まで丁寧に結界を張ってくれているらしい。
今日もそうだ。セツ君が結界を張り直している間にルーファの目が覚めた。
部屋に控えていたトンファオ君にルーファが目覚めたことを伝えるようセツ君への伝言をお願いしていた。その伝言を受けてちょうど帰ってきたのだろう。
「セツ君、今日もありがとう。ルーファなら目が覚めて、今ご飯を食べているよ」
「ご飯を……それはよかったです。ルーファ様の体調はどうでしたか?」
「うん。問題ないよ。蘇生術に怯えていた様子があったから、魔道具での診察にはなったけれど、今のところ特に異常はない。詳しく調べるのはルーファが眠ってからかな」
「そうでしたか」
ルーファの様子を聞いて安心した様子を見せながらも、セツ君の声は暗かった。
いつもは冷静で大人しいルーファが、セツ君の目の前で舌を切って逃げ出そうとした。催眠魔法のせいとはいえ、誰にとっても心に傷が残る出来事だ。目の前でその一連を見ていたセツ君は尚の事傷ついているはず。
今はルーファもセツ君も癒えるための時間が必要だ。
「ルーファ、目覚めてからセツ君の姿を捜していたよ。どこか落ち着かない様子だった。きっとセツ君に傍にいて欲しいのだと思う」
「ルーファ様が、私を」
「今回の件は、父上と僕で対処する。リベラ様にも相応の報いを受けてもらう。だから、ルーファにはしばらく休んでほしいと思っているんだ。できればセツ君に一番傍にいて支えてあげてほしい」
正直に言うと、もうルーファを前線には出したくなかった。
デゼスの流行や戦争の回避から一番離れたところにいてほしい。平和な世界でみんなから愛されてずっと幸せに笑っていてほしい。そう願うけれど、ルーファの持つ前世からの知識は、事実、ルーファが想像する以上に多くの人々を助けている。世界から切り離すことはできないほどの影響力を持っている。切り離すことができないのならばせめて、リベラ様の件からだけでも離れていてほしかった。ルーファが休んでいる間に父上と僕ですべてを片付ける。そう父上とも話をしていた。
「それはもちろんです。お傍にずっと……ずっとおります」
セツ君は静かに、でも、熱い意志を確かに感じる強い声でそう答えた。
ルーファの部屋からパトリシアの嬉しそうな声が聞こえてきた。どうやらルーファがお粥を完食したらしい。パトリシアの涙声を聞いていると、僕自身も胸がいっぱいになった。
この2日間、ルーファは死んだように眠っていた。蘇生術によって身体に問題がないことは知っていたけれど、とても恐ろしく感じた2日間だった。いつ目が覚めるのか。本当に後遺症はないのか。みんながみんな心配していた。だからこうして起きて、食べ物を口にしてくれている事が嬉しくて堪らない。
「では、私はルーファ様の下に戻ります」
「分かった。……あ、セツ君、ごめんね。その前に一つ教えてほしいことがあるんだ」
ルーファの部屋の中に入ろうとしていたセツ君を止めた。セツ君はゆっくりと顔をこちらに向けた。
「今、ソウマ君はどこにいるのかな?」
セツ君ならば分かるかもしれない。その可能性にかけてそう声をかけた。
2日前からソウマ君がどこにいるのか分からなくなっている。
僕は一度でも蘇生術で治癒したことのある相手ならば、相手がどこにいるか特定することができる。
蘇生術で治癒をする際に、相手の体内の細胞に僕の魔力を残していくのだ。その魔力を辿れば相手がどこにいるか難なく分かる。どれだけ遠くにいようと、身を潜めようと関係ない。僕が望めば相手を僕の管理下に置くことができる。
ソウマ君の体内にも、僕の魔力を残している。
普段は陛下の命を受けない限りは相手の居場所を探ることなんてしないけれど、何だかとても嫌な予感がして、初めて自分の意思でソウマ君の居場所を探ってみた。けれど、居場所が特定できなかった。
ソウマ君の体内に残した魔力を辿ろうとすればするほど、頭がぼうっとして集中できなくなり、まるで霧の中で迷子になっているかのような感覚に陥っていく。こんなことは初めてだった。
ベイリー家の偵察隊の話では、イヅル国の帝が住まう帝城にソウマ君がいることを確認しているらしい。
ルーファを助けに秘かにレイ帝国に戻って来ていたけれど、ソウマ君は陛下からイヅル国からしばらく離れないよう命を受けている。ルーファの安全を確認するとすぐにイヅル国に転移で戻って行った。陛下の命もあるし心配しなくてもいいのかもしれない。でも、どうも帝城にいるのがソウマ君とは思えない。
セツ君は何も言わず、じっと僕を見つめていた。感情を映さない目でただじっと僕を見つめている。まるでナイフを喉元に当てられたかのような心地になった。
「ソウマ君の気配が感じ取れなくなった。イヅル国にいるらしいけれど、僕はそうは思わない」
「それは何故でしょうか」
「ソウマ君がリベラ様を放っておくとは思わないからだよ」
ソウマ君のすべてを知っている訳ではない。でも、少なくともベイリー家で一緒に過ごしてきた3年の間に見た彼の姿なら分かる。
ソウマ君はルーファに強く執着している。
「ソウマ君はルーファのためならば何でも犠牲にする危うさを持っている。それほどまでに大切に想っている相手が危険に晒されて大人しくイヅル国に戻るとは思えないんだ。何か恐ろしいことをしている気がする」
「リベラが襲われたという話が出ているのですか?」
金の瞳をこちらに向けたまま、鋭い声でセツ君がそう言った。
「……リベラ様が襲われたという話は入ってきていないよ」
「では、大丈夫なのではないでしょうか。私は何も知りません。……まあ、仮にリベラが襲われていたとしても、私は喜ばしい事だと思いますけれども」
セツ君が愉快そうに金色の瞳を細めた。セツ君はやはり何かを知っているのだと確信を持つと同時に、恐ろしいほどに冷たい表情に肌が粟立つのを感じる。
今までセツ君の温情で僕は対等に接してもらえていたのだと自覚させられる。ルーファの兄だから、会話を許されている。ルーファの兄だから傍にいることを許されている。それを痛いほどに思い知らされるような目だった。神獣と人間の違いを見せつけられる。
もうセツ君の中で話は終わったのだろう。セツ君は僕から視線を外すと、ルーファの部屋に足を進める。
僕のことはもう眼中にないようだ。
眼中にあるのはただ一人。ルーファだけだ。
恐怖に竦んでいた身体を気持ちで奮い立たせる。ここで怯んではいけない。ソウマ君とルーファを想うのであれば尚のこと。二人を守りたいならば強くならなければならない。
リベラ様が憎いのは僕も一緒だ。けれど、だからと言ってルーファが守ってきたものまで壊すつもりは一切ない。
「それはルーファが本当に望んでいることなのかな」
セツ君の背中にそう声をかける。恐怖が悟られないよう冷静に慎重に言葉を吐く。セツ君の耳が少しだけ震えるのが見えた。
「ルーファは誰も亡くなる事のない、戦争のない未来を望んでいたはずだよ。ソウマ君の事も守ろうと必死だったはずだ。それなのに、いいのかな」
セツ君が振り返った。鋭い目で僕を睨みつけている。ここで目を逸らせばセツ君の殺気に呑み込まれてしまう。震え上がりそうになるのをぐっと堪えてセツ君の目を真っすぐ見返した。
「ソウマ君がリベラ様に危害を与えているのだとしたら、ルーファはそれを喜ぶかな。公になれば戦争を招きかねない行為だし、何より、大量に人を殺めてしまったソウマ君の過去の傷を抉るような事になると思う。ルーファはそれを知ったら絶望すると思う。信じていた大切な人達に事実を覆い隠されて望んでなかった未来を迎えるなんて……酷い裏切りだ」
「私がルーファ様を裏切っていると?」
気が付くと周囲が暗闇に包まれていた。一瞬の出来事に驚いて周りを見回すも、セツ君と僕しかこの場にいない。ルーファの部屋の前で話をしていたはずなのに、暗闇の中でセツ君と僕だけが光を灯し、対峙している。セツ君が射抜くような目で僕を見ていた。視線だけで殺されそうな威圧感に自然と呼吸が浅くなる。
「これ程までの侮辱を受けたことはありません」
毛は逆立ち、喉が唸る。1歩ずつ、白い虎が僕に迫る。
「正直に申し上げると、私はルーファ様とソウマ様以外の人間はどうでもよいのです。お2人が幸せであれば、それでいい。他の誰が死のうと気になりません」
ギリギリと歯を削る音が聞こえる。眉間に皺を寄せながら僕との間合いを詰めてくる。
「もう人間界は疲れたのです、私は」
息のかかる距離にセツ君はいた。細く長い歯が覗いている。セツ君がその気になれば僕の命は呆気なく今ここで散る。背中に汗が伝うのを感じた。
でも、どうしてだろう。たしかにセツ君は怒っているはずなのに、その声は悲しみを孕んでいるような気がした。
「傷つけるような言葉を吐いてしまったのは謝る。申し訳ない」
セツ君と目を合わせる。人間界に疲れたと言わせる迄にどれほどの事があったのだろうか。昨日今日の話をしている訳ではない事はすぐに分かった。僕では到底想像できないほどの事があったのだろう。
僕の持つ力も、人間の世界では救いにもなり、同時に争いの起爆剤にもなり得るもので、実際、僕は人にはとても言えないことにも手を染めている。僕自身もまたセツ君の人間界への失望に加担している側の人間だ。
だから、ソウマ君を止める資格はないのかもしれない。でも、どうしても譲れない。ソウマ君に僕と同じところまで堕ちてほしくない。ルーファとソウマ君には幸せに笑っていてほしいから。
「セツ君もルーファのことを大切に想っているのは知っている。でもそれは僕も同じだ。ルーファはリベラ様が傷つく事を決して望まない。ソウマ君にリベラ様を傷つけさせるだなんてことも絶対に望んではいない。僕はルーファの想いを守りたい」
想いを一滴も取り零すことなく伝えたい。その一心でセツ君に目を向けて訴える。
「ルーファが今まで積み上げてきたものを無に帰すような事はしたくない。ルーファが動けない今、僕がルーファの想いを守るんだ。ベイリーの次期当主として、そして、兄として。だから、お願い。ソウマ君の居場所を教えてほしい」
セツ君から流れ出る冷たい殺気に身体中から汗が噴き出ている。全身の脱力感に情けなく座り込みそうになるも、気力で持ち堪える。
どれくらいセツ君と見つめ合っていたかは分からない。辺りが真っ暗だから時間の感覚も掴みづらい。狂ってしまいそうになるほど間を空けた後に、セツ君がゆっくりと口を開いた。
「トンファオをつけます」
重く低い声で絞り出すようにセツ君が言う。苦しむような様子に、セツ君自身かなり悩んだ末に出した言葉なのだと分かる。
「トンファオがソウマ様の下にイファデール様を連れて行きます。私はルーファ様のお傍を離れたくありませんから」
「ありがとう、セツ君」
「ソウマ様の下に連れて行くだけです。ソウマ様を止められるのはイファデール様次第。私はリベラが消えても構わないのですから」
「もちろんだよ。ソウマ君は僕が止める」
やはりソウマ君は動いていたのだ。2日前から動いていたとするならば、手遅れになっている可能性があるけれど、僕をソウマ君の下に連れて行ってくれることを考慮するとまだソウマ君を止める希望は残されているのかもしれない。
セツ君と僕を覆っていた暗闇が夜明けのように少しずつ明けていく。
セツ君が後退し、僕から距離をとった。離れていくセツ君の目は苦しみを訴えているように見える。ルーファのためを想ってセツ君が譲ってくれた。
「必ずこのような事を企てた黒幕を突き止めてください。そして、死しても逃れられないほどの報いを」
消えてしまいそうなほど小さな声でセツ君が僕にそう願った。
修正:
6/9 イファデールのセツの呼び方を「セツ君」に変更
更新情報について:
酷く体調を崩しているため、6/9の更新はお休みいたします。
下書きはいくらか形になっているため、6/16までに2話ほど更新できたらと思っております。
何卒宜しくお願い致します。




