表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルーファの救済  作者: リリアナ佐助
2章
38/44

37 甘い痺れ

「ありがとう」


 リベラはそう言うと、私の手を握り返した。あまりに冷たい手だ。彼女自身の体調は大丈夫だろうか。

 イグニスの体内にデゼスが潜んでいる可能性があるのなら、リベラも同様に危険に晒されていると考えるべきだ。イグニスがデゼスに感染しているのかはまだ分からないけれど、リベラの体調も念のために気にかけた方がいい。


「リベラ様の体調は問題ないでしょうか?」

「私?」

「ええ。イグニス様の魔力が安定しない原因が分からない以上、イグニス様の周囲にいる方々の体調にも注意する必要がありますから」

「そうね」


 リベラは少し考えるように目を伏せた。長いまつ毛は涙で濡れていた。塗れた涙は窓から差し込む日の光を拾い、美しく光っている。リベラが強く目を瞑ると涙が頬を流れていった。


「精神的なものかもしれないけれど、良いとは言えないわね。魔力も安定していない気がするわ」

「そうでしたか。差し支えなければ、私の治癒術でリベラ様の魔力の状態を確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、構わないわ」


 目に涙を滲ませながら苦しそうにリベラは笑った。その笑顔に少し胸がざわついた。先ほどイグニスの事を語っていた時よりも更に苦しそうに見えたから。どうしてだろうか。


 そう思いながら、身体の奥にある魔力を手繰り寄せて練る。気がかりではあるけれど、今はリベラの魔力が安定しているかを確認することを優先しなければ。もしデゼスに感染している可能性があるならば、このままリベラを保護することも考えた方がいいかもしれない。


「それでは、失礼いたします」


 リベラを驚かせないよう声をかけてから私の魔力を注いだ。

 難なく私の魔力がリベラの体内に入る。リベラに目を向けたけれど、魔力を注いだことによる痛みや苦しみはないように見えた。そのままリベラの体内の魔力を確認していく。


「アルデルファ様、今日お話した内容はどうか口外しないでください」


 魔力を注ぐ私の手に自身の手を重ねながらリベラがそう言った。リベラの体内で魔力を操作しながら私は顔を上げる。先ほどまで苦しみに歪んでいた瞳が真っすぐ私を見つめていた。真っすぐで美しい瞳に思わず目が奪われる。


「私の家族であっても、でしょうか」

「ええ。今日の話は私とアルデルファ様だけに留めてほしいの」

「……それはどうしてでしょうか」


 蘇生術での治療となってしまわないかリベラは恐れているのだろうか。であればそうならないように家族に予め話をすると言葉に出そうとしたが、声にならなかった。頭が突然甘く痺れ、うまく言葉を紡げない。

 何か異変があったのかと慌ててリベラの体内に意識を向けるが、リベラの体内におかしい様子はない。魔力量は問題なく、魔力が体内であちこちに散らばっている様子もない。ただ、血の巡りがあまりよくない気がする。


「少し具合が悪く……そのまま治癒をお願いできるかしら」

「ええ。それはもちろんです」

「助かるわ」


 私の魔力の周囲に漂っていたリベラの魔力に触れた。そのまま魔力を血液に送り込む。魔力の循環に問題はないけれど、特別良いというわけでもなさそうだ。少し循環を助けてあげれば体調も良くなるはずだ。



 一つ、また一つとリベラの魔力を捕らえ、血液に送っていく。私の魔力が近づくと磁石のようにリベラの魔力が引っ付いてくる。魔力を捕らえることに苦労しないため治癒術をかけやすい。また、リベラの魔力は私の魔力に従順だ。私自身の魔力であると錯覚しそうになるほどよく動いてくれる。


「口外しない理由だったわね。今のイグニスは誰からも容易に命が奪える状態にあるわ。こんな状態のイグニスを誰にも知られたくはないの」

「ですが、私はまだ8つです。家族の力が無ければ外出することもままなりません」

「そんなことないわ」


 リベラの魔力はよく動いてくれる。私の魔力のようによく動く。動かしたい場所に動かしたいように動いてくれる。まるで二人の魔力が一人の魔力のようだ。

 リベラの魔力と私の魔力が交じり合う。溶け合って混ざり合って、同化する。私がリベラでリベラが私だ。これを血に送らなければ。誰の……誰に?

 不安になって顔を上げるとリベラが優しい顔で私に笑いかけていた。晴天のような瞳だ。綺麗だ。


「交流会での貴女は立派だった。大人相手でも動じることなく対等に言葉を交わしていた。私は羨ましかったの。才能に溢れる貴女が」

「そんなこと」

「きっとイグニスの治癒も誰の手を借りずとも出来るわ。お願い、貴女だけが頼りなの。誰にも悟られないままイグニスの治癒をしてほしいの」


 温かい力がリベラから私に流れ込んでくる。治癒術をかけてもらう事はこんなに気持ちの良いことなのか。リベラが私を癒してくれている。どろりとした温かい魔力。とても幸せな気持ちになる。頭の奥から痺れてきて、幸福で満たされる。ああ、温かい。何でもできてしまうような気がする。


 頭から爪先まで甘い痺れが広がっていく。そうだ、私は何でもできるのだ。父や兄の力が無くとも問題はない。だって私はアルデルファだ。慈愛の一族のアルデルファ・ベイリー。患者が望んでいることを拒むなんて、慈愛の一族がすることではない。私は家族の力が無くとも未来を予知できていた。


 でも少し怖い。こんな仕事を一人でするなんて。これは一人でやっても問題のない仕事だろうか。何かが自分の中で引っかかる。


「家族に相談しなければ。とても私一人では」

「そう……そうよね。貴女はまだ8つよね。無理を言ってごめんなさい。でも、私は嫌だと思うことを忘れないでほしいの」


 リベラが私の手を胸に寄せた。まるで祈るような姿に心が揺さぶられる。リベラは私に期待してくれていたのに、私はその純粋な思いを裏切ったのだ。彼女はただただ弟のイグニスを救いたいだけなのに。


 リベラの魔力が私から抜けていくのを感じる。温かい幸せが私の身体から引いていく。海が波を連れて行ってしまうかのように、それは幸せを持ち去っていく。恐ろしい。あの温かさが離れていくのがとても恐ろしい。だめだ。行かないでほしい。だめなんだ。


 慌ててリベラの手を握り返し、私の魔力を送った。リベラの魔力を捕らえ、私の身体に引き寄せる。しかし、リベラは簡単に私の魔力を振り払った。リベラの魔力はリベラの身体へと帰っていく。私とリベラを繋ぐ手も同じように離れていった。それは失望しているかのように冷たかった。


「イグニスの治療の件については追って手紙で詳細を伝えるわ。どう対応するかは貴女に任せる。でもどうか、私の気持ちは分かってね」


 リベラは弱く笑いながら立ち上がり、そのまま礼をとった。もう話は終わりなのだ。リベラの悲しそうに垂れた眉を見て、彼女を失望させてしまったのだと理解した。私が自分の力に自信が持てないから、一人では手に負えないと判断したから、リベラを失望させた。


「ええ。お手紙をお待ちしております。きっとご期待にお応えいたします」


 悔しくて堪らなくて自分のドレスを握った。このまま泣いて縋りたいほどに苦しい。私も私自身に失望している。私は何もできない人間だ。


「身体が軽いわ。アルデルファ様の治癒術は凄いわね。……では、それでは、またいつか」


 晴天のようだと思ったリベラの瞳が、今は曇り空のように沈んでいる。私がそうさせたのだと心が鉛のように重くなる。再び私はリベラとうまく接することができなかった。それが今日の結果だった。


◇◆◇


「ルーファ様、どうして」


 帰宅するリベラを見送った後、部屋に戻るなりセツがペンダントから飛び出した。心配そうに私を見るセツの頭を撫でた。セツには情けない姿を見せてしまった。とても恥ずかしい。


「どうしてって?」

「リベラ様とのやり取りですよ。期待に応えるって何ですか?」


 いつもは優しく穏やかに話すセツの声が珍しく強張っている。怒っているような呆れているようなそんな声だ。セツも私の無様な姿に失望してしまったのだろう。胸の奥が痛むのを抑え付けながら笑顔を向けた。


「何って言葉の通りだよ。私ならできると思うのだけど」

「できるって……何をされるつもりですか? もちろんイベルト様やエリカ様に相談されるのですよね?」


 心配そうに目を細めるセツの頭を撫でた。きっと私があまりにも頼りないからこんなにも心配させてしまっているのだ。力不足だからこんな顔をさせてしまう。

 前世で私は変われなかった。だから、今世でも期待を裏切ってしまうのだ。根が一緒ならば転生しても私の本質は変わらない。それをリベラは嫌というほど教えてくれた。


「セツは私が信じられない?」

「へ?」

「ごめんね。契約相手がこんな感じだったら安心できないよね。それは私の力不足」

「ルーファ様、何を、仰っているのですか?」


 金の瞳がじっと私を見つめている。どうしてそんな瞳で私を見つめているのだろうか。そんなに私はおかしな事を言っているのだろうか。自分の言葉を振り返ってもよく分からない。とにかく今はセツを安心させて、私を信じてくれるように説得したかった。


「イグニス様は私でもきっと治せるよ。治癒術の腕も上がったし、私は未来が分かる。家族やセツに頼らなくてもきっと大丈夫だよ」

「え」


 口をぽかんと開けてセツは私を見た。信じられないといった様子だ。そうだろう。セツは私の成長を信じてはいない。セツに触れようとすると、すっと身を引かれた。


「ルーファ様は、たしかに、成長されました。それは私が一番よく知っております。でも……でも、そうではないのです。そうではないのですよ。ルーファ様、どうされたんですか?」


 セツが私に迫ってきた。ぐっと顔が近づき、その勢いに身体が揺れる。持ち直そうと踏ん張るも、セツが私に強引に身体を寄せたせいでそのままベッドに背から倒れた。起き上がろうと手を伸ばすと、代わりに猫の手が天井に向かって伸びた。ふさふさな毛が生えた自分の腕を見て猫に変えられたのだと気が付いた。


「セツ!」

「どうしよう。ルーファ様がルーファ様じゃない。でも、呪われている様子もないし……どうして?」


 セツの顔が近づき、ふわふわの白い頭が目の前に広がる。こつんと額を当てられ、触れられたところが熱くなった。その熱が頭の皮膚を通ってじわじわと頭の中に侵入してくる。セツの妖力が入ってきているのだろうか。


「うーん。何か靄がかかっている気がする。魔法かな。テレンス先生なら何か分かる? いや、イファデール様がいいのかな。うーん」


 私の額を解放したセツがぶつぶつ言い出した。何を考えているのかは分からないけれど、私のことをテレンス先生や兄に伝えるつもりだろうか。そうなるとまずい。リベラには口外しないでほしいと言われている。


「セツ、私のことは誰にも言わないで」

「どうしてですか?」

「リベラ様が口外しないで欲しいって言ってたの」

「……リベラか」


 先程までぶつぶつと呟いていたセツの声が突然低くなった。同時に部屋の空気が一気に冷たくなったのを感じる。金色の瞳が咎めるように私を見る。


「リベラですね。何をされたのですか?」

「何って……何もされていないよ。セツも見ていたでしょう?」


 セツは私の言葉に返事をしなかった。ただひたすら金色の瞳で私を見つめている。そこには温かさはない。神獣であるとありありと分かるその瞳の色に、胸の奥がちりちりと痛むのを感じた。


「とにかく今は口外するしないの話をしている場合ではありません。ルーファ様の安全が第一です。テレンス先生のところに行きますよ」

「いやっ、セツ!」


 抵抗をするために腕を振り回すも、セツは難なく私の首の裏を咥え持ち上げる。ふわりと身体が浮き、そのままセツに連れて行かれる。


 ああ、私の力はちっぽけなのだ。セツの前では何もできない。ただ治癒術を幼い頃から学ぶ環境があっただけの、ただ周りよりも少しだけ治癒術が使えるだけのちっぽけな少女だ。リベラが私に期待してくれたのに、私が無力であるせいで彼女を失望させるのだ。


 自分の無力さを噛みしめていると、頭の奥からじんわり痺れてきた。脳が小刻みに揺れ、頭の奥から囁き声がする。やっぱり貴女にはできないのね――失望と悲しみが入り混じった声が響く。ああ、私は、私は。



 あたまのおくが、ぷつんと、はちきれた。



「ルーファ様!」


 気が付けば血を吐いていた。舌先の刺すような鋭い痛みに喉から唸り声が出た。ああ、舌が痛い。燃えるように痛い。気が付けば私は舌を噛み切っていた。私の真っ赤な血が大理石の床に落ちる。セツの前脚も血に染まり、ソウマが誘拐された日を何となく思い出した。


 動揺したのかセツが私を解放した。今のうちだと脳内の声が一斉に騒ぐ。今しかないと血を引き連れながら全速力で駆け出した。


「ルーファ様、止まってください! みんなもルーファ様を捕まえて! 失敗したら許さないからね!」


 セツの悲鳴のような声が後ろで聞こえる。セツは速い。すぐ追いつかれる。廊下を駆けながら顔を上げると少し先に窓が見えた。そこから逃げよう。逃げて逃げて、スローパー家に向かうのだ。そうすれば、誰にも口外せずにイグニスに接触できる。そして、そして。


「っぉいかけたらぁ、さらに舌をぉ切いますからぁ」


 うまく回らない舌を何とか動かしながら追手を脅す。鉄の味が口いっぱいに広がっているせいで酔いそうになる。口の中で溢れるそれを吐き出すと白い床に血が花のように咲いた。


 喉の奥で燻る錆びた臭いにえずきながら窓に向かって飛び上がった。身体をそのまま窓にぶつけようと身を捩じったところで窓の外の蛇と目が合った。真っ黒な瞳は誰かに似ている。

 そのまま窓に身体ごと突っ込むと、窓がすんなり開いてくれた。誰にも止められずに外に出られると安堵した瞬間、獲物を捕らえるように大きく口を開いた蛇が私に飛び掛かった。


(ぜつ)


 蛇の声はとても優しい音がした。とても心地がよい。頭の声が一斉に静まる。


 安心したせいなのか、ぐらりと視界が揺れ、身体から力が抜けていく。痛みも、臭いも、真っ赤な色も何もかもすべて遠のいていく。頭の中もとても静かだ。すべての感覚が私から零れていく。


「今はおやすみ、僕の愛しいルーファ」


 耳元でそう優しく囁く声がした。その声の主に身体を寄せながら私はゆっくり瞼を下ろした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ