32 心
夜、待っていて――ソウマに皇城でそう言われて、いつもより早い時間に夜の支度を終えて自分の部屋に戻った。
自分の部屋の扉を開けるとムギがいた。
「ムギ!」
「ルーファ様、お久しぶりですね」
急いで駆け寄り、ムギの太くて細長い、大きな体に抱き着いた。
ムギは水龍と呼ばれる神獣で、ソウマと従魔契約を結んでいる。
見た目は、前世の時に本やテレビ等でよく目にしていた龍の姿そのもので、身体は大蛇のように長く、大きい。群青色の宝石のような鱗を全身に纏い、瞳はセツと同じ金色だ。顔周りには白いふかふかの髭と、立派な金色の角が生えていて迫力があってかっこいい。
ソウマ曰く、本当はベイリー家の屋敷よりも大きな身体を持つらしいけれど、目立つことや、不便ということもあって普段は部屋に入りきる程度の大きさに身体を小さくしている。身体を小さくしているといっても、大きな蛇くらいのサイズ感ではあるから初めて会った時はぎょっとした。
「ムギに会えて嬉しいな。相変わらずお髭がふかふかだね」
「ふふふ。ルーファ様に喜んでいただくためにお手入れは毎日しっかりしていました」
ムギの髭に触れ、毛の流れに沿って手を滑らせる。すべすべしていて、かつ、ふかふかである。不思議な触り心地だ。ソウマがムギと一緒にいる時はいつもムギに触らせてもらっているが、これが堪らないのだ。
ムギに触れていると、大きな白い前足が私の手に乗せられた。セツだ。顔を見ると少し面白くなさそうにセツが髭を垂らしていた。ムギに触り過ぎてしまったみたいだ。
ムギは初めて会った時から私に好意的だった。ソウマが私にムギを紹介するよりも先に挨拶をされ、未来永劫守るのだとその場で誓ってくれた。ソウマがそう誓うようにムギに指示をしたのかとソウマに後日訊ねたけれど、どうやら自主的なものだったらしい。不思議だ。
セツとセツの主も、出会う前から私を知っていた様子だった。ムギも同様に、会う前から私のことを何か知っていたのかもしれない。もし「セツの主が神獣の聖女だ」という私の考えが正しいのならば、ムギも神獣の聖女と繋がりがあるはずだ。
私と神獣の聖女に繋がりがあるのかについてはまだ分からないけれど、ムギと神獣の聖女が繋がっているのならば、私のことを知っていてもおかしくはない。
転生という不思議な現象が起こるくらいだ。転生とは別に私がこの世界に何か干渉していることがあるのかもしれない。
ムギと出会った時のことを思い出していたが、ふと、ムギが何か言いたそうにこちらを見ながらそわそわしていることに気が付いた。金色の瞳がうるうるしていて可愛らしい。
「ムギがいるという事は、ソウマ様から何か頼まれているのかな?」
「そうです。文を預かっています。私がしばらくルーファ様に会えていなかったので、私が文を届けるように命じられました」
「そうだったんだ。ありがとう、ムギ」
ムギから文を受け取り、開いた。
『急用ができてしまって、イベルト様のところに寄ってから来るね。待たせてしまってごめんね』
そう書かれていた。やはり来ない、という内容ではなかったことに安心する。最近会えていなかったから有り得そうで。
「ソウマ様、遅くなるみたい。お父様に会ってからこちらに来るらしいけれど、何かあったのかな」
「ソウマ様の口からルーファ様にお伝えする予定なので、私からは詳しくは言えませんが……何かはありました」
そういえばソウマは皇帝に火急の用があると言っていた。それに関する事なのだろうか。たしかイヅル国の主治医の件に関して、と言っていた。そうすると、ソウマの主治医のことだろう。
実は、ソウマが行方不明になったとされてから、ソウマの主治医もすぐに行方不明となった。私とセツ、そしてセツの使い魔達がソウマの救出に注力している間にムスビ家の屋敷から消えていたのだ。それからムギとセツの使い魔達がイヅル国中を捜し回っていたけれど、不思議なことに消息がつかめなかった。
後のベイリー家による調査でソウマの師匠だったブンエイと主治医が繋がっていたことが分かった。ソウマの修行中、高霊山の麓の村から何度か豆の差し入れがあったが、それがソウマの主治医によって手配されていた痕跡があった。わざわざ偽名で手配していたらしく、怪しい事この上ない。
ただ、分かっていることはそれだけで、なぜ主治医が偽名で豆を手配する必要があったのか、その豆に何の意味があったのか未だ分かっていない。ソウマの修行場所もソウマの秘術によって消し飛ばされてしまっており、手配されていた豆も調べることができなかった。
高霊山の麓の村の人達も詳しいことを知らされておらず、主治医に関する調査が行き詰っていた。今回は何か進展があったということなのだろうか。
「ルーファ様、難しい顔をされています。ムギがそんな風に言うから」
「誤魔化しても仕方がないでしょう。では、あなたはルーファ様に嘘を吐けと?」
「そうは言っていないでしょ。言い方の問題だって言ってるの」
私に身体を寄せながらセツがムギに吠えた。ムギは呆れたような様子で息を吐く。
セツとムギの仲はあまり良くない。私がムギと初めて出会った時からそうだった。すでにお互いのことを知っている様子で、会えばこんな小競り合いをしている。お互い神獣だし、私と出会うよりも前に関わりがあってもおかしくはないけれど、会うたびに小競り合いをするというのは……一体過去に何があったのだろう。
「ムギがすみません、ルーファ様。勿体ぶるなと私から伝えますね」
「ソウマ様から詳しくお伝えする内容を私が先にお伝えする訳にはいかないってことは分かりませんか? 物わかりの悪い猫がルーファ様のお傍にいるのはいけませんね……私が傍でルーファ様をお守りした方がよいのでは」
「ぬわー! この! ソウマ様と契約をしておきながら浮気ですかー!」
「まあまあ。セツもムギも落ち着いて」
セツの背を撫でて落ち着かせる。セツは喉でぐるぐると唸りながらも、その場に伏せてくれた。ムギはつんと横を向いている。
「会えば喧嘩しているような気がするけれど、仲良くはできないの?」
「陰湿な蛇とはちょっと……って感じです」
「独占欲が強い猫は好きではないです。あ、虎でしたっけ? あまりにも威厳がないものですから……」
「この!」
「どっちも落ち着いてね。仲良くできないことはよく分かったよ」
過去に何があったのか、セツは詳しくは教えてくれないし、だからといってムギにこっそり訊くのもセツを裏切る気がして嫌だ。殴り合いの喧嘩でもないのだから、放っておくのがいいのだろう。たぶん。
「何してるの、ムギ。ルーファを困らせたら駄目だよ」
柔らかく低い声。待っていた人の声に顔を上げた。バルコニーから部屋に続く窓を後ろ手で閉めながらソウマがムギに声をかけた。
黒いフードを取りながら私と目が合うと、笑いかけてくれた。ソウマだ。ソウマが来てくれた。嬉しくてソウマの傍まで駆け寄った。
「ソウマ様、おかえりなさい」
「ただいま、ルーファ。窓からお邪魔しちゃってごめんね。あまり人目につきたくなくて……あれ、ソウマ様って言ってる」
「あ、ごめんなさい。ちゃんと呼びたいのに」
「ふふ。意地悪言ってごめんね。頑張ろうとしてくれているのが嬉しいから」
自然とソウマの名が呼べない。そんな自分にもどかしく思っているとソウマが手を伸ばし、私の頭をゆっくり撫でてくれた。久しぶりに触れられて胸の奥が温かくなる。やっぱりソウマと会えるのはすごく嬉しい。会いたかった。本当に。
「こうして会うのは久しぶりだね。毎日会っていたのに、なかなか会いに来れなくてごめんね」
「いえ……えっと、私も忙しくしていたから」
「寂しかった?」
ストレートな質問に言葉が詰まった。気持ちの準備ができていない。困ってソウマの顔を見ると、笑顔を浮かべたまま真っすぐにこちらを見ていた。声色は軽やかな感じではあったけれど、目が真剣だ。逃がすつもりはなさそうなその表情に小さく「寂しかった」と答えた。
ソウマは満足そうに笑うと、私の頭を撫でていた手を下ろし、私の手を握った。
「僕もすごく寂しかった。すべてを投げ出して会いたかった」
「そう、なんだね」
「うん。会えない間、ずっとルーファのことばかりを考えていた。だから、皇城で会えてよかった」
ソウマは私の手を強く握る。視線を私に向けたまま。部屋に置かれている椅子に座るよう促してくれる。椅子に座り、向かいの椅子にソウマに座るように今度は私が促すと、ソウマは私に目を向けたままゆっくりと腰掛けた。視線が私から離れないのが少し怖い。一挙一動見ていくつもりなのかもしれない。
セツが小走りに私の方に駆け寄り、膝に頭を乗せてくれた。その仕草が可愛くて頭を撫でる。
「私もソウマが皇城にいると思わなくて。一番心細かった時にいてくれて嬉しかったの。ありがとう」
皇帝の言葉と力に怯えていたところにソウマが来てくれた。どれだけ救われたことか。今夜はセツがいてくれたのと、ソウマに会えることで気持ちを持ち直せていたけれど、何もなければ一人で部屋に籠って怯えていたと思う。
ソウマは周りを見回してから、そっと私に身体を寄せた。何か他人に聞かれては困る話をするかのようだった。
「僕は、陛下の服従の力の件を知っているよ」
「え?」
「服従の力は、力を使いたい相手が、服従の命令を出す場にいなければ使えないものだよ。陛下の力について誰かに話をすることで、何かしらの罰をルーファが受けるわけではないから安心して」
皇帝の力の話が突然出るとは思わなくて、言葉が出なかった。たしかに私は命に係わる制限、或いは罰のようなものがあるかもと怯えていたけれど、それを悟られていただなんて。
ソウマは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「ルーファのことだから、その点を心配しているかと思ったけど……違った?」
「違わないよ」
そう答えるとソウマは柔らかく笑った。
時限爆弾のようなものを抱えているような気持ちだったけれど、それがふわっと軽くなった。こんなに簡単に安心してしまってもよいのだろうか。突然のことに感情が追いつかない。
「陛下はルーファが口外しないと判断してあえて力を使わなかったのだと思う。信じてもらうためにあんな風にルーファに力を使っていたみたいだけれど、人を無理に従わせることが好きではないらしいし」
「安心しても、いいのですか?」
「大丈夫だよ」
そっと手を優しく握られた。
私だけが知る話なのかもしれないと、とんでもない話を聞いてしまったのだと恐ろしく思っていた。それを心を許す人が知っていて、こうして安心させてくれるなんて。
セツが頭を私の身体に擦り寄せてくれた。よかったねと言われているかのようだった。皇城から帰って来てすぐにセツが私を慰めてくれたけれど、私から質問を投げかけることはできなかった。話すとどうなるか分からなかったから、セツもまたどう話を切り出すべきか悩んでいた。どの発言がどう影響するか分からないからだ。
「本当によかった」
私もソウマの手を握り返した。
ソウマが私の気持ちを考えて、こうして話をしてくれたことが嬉しくて。
ソウマは心を守ってくれようとしているのだ。人を守るということは、こういう事なのだと実感する。
胸の奥からじわりと温かく満たされていく。私が人として扱われていることへの感動なのだろうか。家族から溢れんばかりの愛情をもらっているけれど、やはりこういった想いはいくらもらっても嬉しい。前世ではあまり触れることができなかった感情だから。
「守りきれなくてごめんね」
「すでにたくさん守られているよ」
「ううん。陛下がルーファに服従の力を使った時、守ることができなかった。ルーファ、見たことないくらい怖がっていた。あんな経験をする必要なんてない」
ソウマは暗い顔で目線を落とした。手は痛いくらい強く握られている。
ソウマに自分のことを責めて欲しくなかった。あの状況では、誰もどうすることもできない。それに、今こうして守ってもらえている事が私は嬉しいのだ。
「たしかに、すごく怖かった。あんなにも無力になる事があるんだって、恐ろしかった。でも、ソウマが守ってくれたでしょ?」
そう言ってソウマと目を合わせる。伝わっているだろうか。言葉にした途端、何だか軽く聞こえてしまう。もっとうまく伝えることができたなら。
「忙しいのに、こうして時間を作ってくれて……私が心配している事を取り除いてくれようとしてくれて……私はそのことが嬉しい。ソウマに守られていると感じる。だから、ありがとう」
ソウマは私の言葉を聞くと、顔を逸らしてしまった。うまく伝わらなかっただろうか。ソウマを見続けるけれどもこちらを見てくれない。
「いつも守ってくれてありがとう。ソウマのおかげで私は強くいたいと思うよ」
今一度伝えてみるけれど、ソウマは横を向いたまま反応しない。
それに、気のせいか握られた手が熱い。また妖力が急速に増えてしまっているのではないかと心配になる。前回のこともあるし治癒術をかけておくべきか。
妖力の状態を探ろうと魔力をソウマに注いでみたけれど、ソウマの妖力が私の魔力を包み主導権を奪った。そのまま私の魔力はソウマの体内に取り込まれていった。
今は私の対応は不要らしい。
ソウマに目を向けると、「大丈夫だよ」と言って弱く笑っていた。ようやく目が合った。
余計なことをしてしまったのは私なので、そのまま謝罪した。
「ルーファの気持ちは分かったよ。ただ、もうルーファが誰かに怯えることがないよう全力を尽くす。これは僕の勝手」
そう言うと、ソウマは抱きしめるように私の手を胸元に持っていく。理解してほしいとでも言いたげに視線がこちらに向けられた。とてもじゃないけれど13歳には見えない。
「あと、伝えたいことがもう1つ。あとでイベルト様から話があると思うけど、ムスビ家にいた時の僕の主治医の行方が分かった」
「え……どこにいたの?」
「イヅル国の東外れにある村に一部白骨化した状態で遺体が見つかった」
「……亡くなっていたんだ」
「うん」
衝撃だった。
行方不明となっている時点で、死亡している可能性は考えていたけれど、でも本当に亡くなっているだなんて。
重たい話をしているはずなのに、ソウマは口角を少し上げて話を続けた。
「死因はイベルト様に調べてもらっているからまだ詳細は分からないけど、遺体にデゼスと思われる魔物が付着していたよ」
憎しみが混ざったような目の色をして、ソウマが息を吐いて笑った。
今シーズン2度目のインフルエンザにやられてしまいました……復活です。
そして、いつも「いいね」や「誤字報告」をありがとうございます。
すごくすごく有難く、励みになっております。
誤字報告に関して、恥ずかしい誤字も多く、お手数をおかけしてしまって申し訳ございません。
お世話になっておきながらこう言ってしまうのも何なのですが、とても助けられております。ありがとうございます。
お礼をお伝えしたく、こちらに記載させていただきます。




