29 ジャリス・ウェロー
私の言葉にその人は振り返らなかったけれど、繋がれた手を優しく握ってくれた。
ソウマなんだ。ソウマが来てくれたんだ。
喜びと安堵が一気に胸内で広がっていくのを感じたけれど、同時に軽々しく皇城の敷地内でソウマの名前を口に出してしまったことへの自分の迂闊さが嫌になった。ソウマがレイ帝国内にいることは限られた人しか知らないことなのに。
「……私としたことが、申し訳ございません。ソウマ様に会いたいあまり、似ている方を見かけるとつい声をかけてしまって」
ソウマの手を握りながら謝った。今更遅いかもしれないけれど、自分の言葉を訂正する。
「ムスビ公爵子息が行方不明になられてから3年経っておりますから。お気持ちをお察しいたします。レイ帝国とイヅル国の両国で捜索を行っております。きっと見つかるはずです」
「優しいお言葉をありがとうございます」
ソウマが再び手を握ってくれた。先ほどまで感じていた恐怖から少しずつ解放されていく。気が付けば浅くなっていた呼吸も、落ち着いて深く息を吸うことができるようになっていた。
ソウマがあの場から連れ出してくれた。そのことを嬉しく思う一方で、皇帝の表情が脳裏を過った。諦めた目をこちらに向けながら「深く愛されている」と言っていた。ソウマが私を助けたのだと分かっている。後でそのことでソウマが咎められることはないのだろうか。
「火急の用とのことでございましたが、あの場から立ち去ってしまってもよかったのでしょうか。貴方様に何らかの処分が下されないか心配です」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、ご心配には及びません。陛下がベイリー嬢のご退席を許されたということは、それほど重要な報告をすぐに聞かなければならないと判断されたという事ですから。報告を控えることの方が処分を受けます」
ソウマはあははと何でもないことのように笑った。問題になるわけではなさそうだけれども、それほど重要な報告とは何なのだろう。私が知る必要のある情報であれば、父から後ほど説明があるはずだから今は待つしかないだろう。
「問題にならないのであればよかったです……ありがとうございました」
何がとは言えないが、ソウマが来てくれてよかった。あのまま将来の確約を皇帝の前で宣言するようなことにならなくてよかった。私が大切にしたいものを守れてよかった。私が皇帝と二人きりになることを選んだとはいえ、何も思わないわけではない。とても恐ろしく、不安になる時間だった。やはり私は小説内で描かれていないことに対しての動きが弱い。それを痛感した。
「何かお力になれたならばよかったです」
ソウマは優しくそう言った。
ソウマに手を引かれ温室を出ると、入り口からそう遠くない場所に兄とペリシアン、そして先ほどまで護衛として傍にいてくれていた帝国騎士の面々がいた。兄は私を見るや否やすぐに駆け寄ってくれた。
「ルーファ、大丈夫だったかい? 緊張しただろう?」
「緊張しましたが、陛下がご配慮くださったおかげで楽しく過ごせました」
「そう」
兄は私の頬を取ると、顔を覗き込んだ。ペリシアン達の前だと言うのにお構いなしに私に近づくその瞳は心配そうに揺れていた。兄をなだめるように腕を撫でた。やり過ぎると兄が陛下を貶めているように見えてしまう。
「君は?」
私に腕を撫でられ少し落ち着いた兄が後ろに控えるソウマに目を向けた。兄が警戒している様子を見るに、ソウマであることに気が付いていないみたいだ。
ソウマは顔を下げ、騎士としての最上位の礼をとった。
「帝国騎士第2隊所属、ジャリス・ウェローです。ベイリー公爵子息」
「私を出口まで護衛してくださった方です。とてもお優しくて、陛下との謁見後に緊張していたところを励ましてくださったのです」
「そうだったのか。失礼な態度をとってしまい申し訳ないな、ウェロー殿」
「いえ、ご不安になって当然かと存じます。名乗らずに現れ、申し訳ございませんでした」
ソウマはそう謝罪して頭を下げ続けた。帝国騎士団ではジャリス・ウェローと名乗っているようだ。ソウマは私に皇城にいる時のことを極力語りたがらないから、知らなかった。
兄の背後からペリシアンが現れ、ソウマの傍に立った。
「ご心配をおかけしてすみません。私からも謝罪いたします。彼は私が統率している第2隊所属の騎士です。まだ若いですがとても優秀で、陛下も信頼しておられる男です。私が保証いたします」
「大変失礼いたしました。妹を愛するあまり恥ずかしい姿をお見せしてしまいましたね」
「恥ずかしいだなんてそんな。幼い妹君を守ろうと思うのは当然のことですから」
ペリシアンは穏やかそうに笑いながらそう言った。
私も詳しいことは把握できていないけれど、帝国騎士の第1隊と第2隊は帝国騎士団の中でもエリート中のエリートの騎士が集う隊だと聞いたことがある。その第2隊をこの若さで率いるペリシアンは、さすが次期騎士団長と言うべきか。そこに3年の間に所属することとなったソウマもとてつもない実力者である。
ソウマはペリシアンの部下として普段一緒に働いているのか……ペリシアンを殺したいと言っていたソウマを思い出す。そのソウマはただ静かにペリシアンの横で頭を下げ続けていた。どれほど耐えているのだろう。
それに、毎日のように認識阻害の術を展開しているのだろう、この場にいる全員がソウマの正体に気が付かないほどソウマはここでの日常に溶け込んでいる。ソウマが毎日欠かさず鍛錬をしているのは知っていたつもりだったけれど、その成果を目の当たりにすると、これまでの努力が分かって胸の奥から痺れるような感覚がした。
3年前からソウマはイヅル国に戻るためにこうして身を潜めていたのだ。ソウマが精神的に不安定になり傍につくことは度々あったけれど、私はこういった背景を真の意味で理解して寄り添えていただろうか。
「ルーファ、そろそろ戻るけれど大丈夫?」
「あっ、はい、大丈夫です」
兄の声で現実に戻された。慌てて返事をすると兄は少し心配そうにしていた。笑顔を向けて兄を安心させながらソウマに目を向けると、ペリシアンに耳打ちで何かを話していた。家に戻る前に言葉を交わしたかったけれどそれも難しそうだ。
「それでは、馬車まで護衛いたしましょう。今日はこのまま帰宅されますよね?」
「ええ。あまり長くいては父も心配しますから」
「かしこまりました」
ペリシアンは近くにいた騎士に帰宅の準備を指示し、この場で待機していた騎士達が動き出す。私達の帰宅準備のために忙しなく騎士が動く中で、黒い瞳と目が合った。ソウマの顔がはっきりと見え、私に何か伝えるように口が動いた。
夜、待っていて――そう見えた。驚いて瞬きをすると、瞼を上げた頃にはソウマの顔がぼやけて見えた。一瞬の出来事だった。
思わず周りを見回すも気が付いているような人はいない。安心して息をつく。
ソウマは私に向けて一礼すると、温室の中に戻っていった。今日の夜に会えるということなのだろうか。だとしたら久しぶりだ。しばらく会えていなかったから、すごく嬉しい。
「アルデルファ様、もう間もなく馬車が到着するそうですが……とても嬉しそうですね」
「ペリシアン様。ええ。帰宅できるとなると安心してしまって」
いつの間にか傍にいたペリシアンに驚きつつ、誤魔化した。今の一連を見られていたのではないかと心配になる。
「そうだったのですね。すみません。ウェローの方を見られていたので、少し気になってしまって」
「失礼だったでしょうか?」
「いえ、そういうことではないのですが……アルデルファ様はウェローのような男性が気になるのかと思いまして」
ペリシアンは言いづらそうにそう言った。目を合わせると自分自身の言葉に驚いたような様子で戸惑っている。あまりソウマを目で追うべきではなかったと反省する。
「いえ、やはり何でもありません。今の発言はお忘れください。度が過ぎたものでした」
ペリシアンは顔を赤らめながら早口でそうまくし立ててしまった。言葉を返す間もなく終わってしまったけれど、この反応……ペリシアンは私に好意を持っているように見える。考え過ぎだろうか。
でも、どうしてだろう。今日含め私たちは2度しか会っていない。深く話をしたわけでもない。やはり、小説の強制力なのだろうか。
なぜ婚約者候補の申し入れをしたのか訊いてしまいたいが、まだ仲を深めていない状態で立ち話でさらっとするような話でもないためぐっと堪える。
でも、少しだけ私の気持ちを伝えたかった。ペリシアンと結ばれる気はないし、何よりソウマがこの3年の耐えてきたものを先ほど目の当たりにしたから。
「男性に対して気になるという感情はまだ私には分かりませんが……私はただソウマ様がご無事でいらっしゃるだろうかということが毎日気になって仕方がないのです」
金の目は見開いた。何か言いたげに私に目が向けられていたけれど、それもそっと伏せられた。
「そう、ですね。私もソウマ様のご無事を祈っております」




