28 救世主
胸にあるペンダントが熱く、かたかたと震えている。セツが私を守ろうとペンダントから出ようとしているのかもしれない。力の入らない腕を何とか動かし、ペンダントに触れ、指の裏でそっと撫でた。セツに問題ないことを伝えるためだ。
気怠い身体に何とか力を込めて顔をゆっくりと上げた。赤い瞳が私を見下ろしている。突き刺さるような目線だ。私は何かをしてしまったのだろうか。分からない。
でも、皇帝が何らかの力を持っていることは確かだ。身をもって理解した。
皇帝の言っていた通り、帝国史ではレイ一族は他の四大公爵家と違って特出した力を持たないとされている。それが実は人を服従させる力があるのだとしたら、失望する帝国民は多いだろう。ゴライア帝国の支配を逃れるために、大陸統一戦争では多くの国や家が一致団結したと言われている。それがそれぞれの国や家の意志によって動いたものではなく、レイ一族の力によって無理に従わされていたかもしれないものだったら? 内戦が起きてしまう可能性だってあるのではないだろうか。だから秘められているのだ。
そんな秘めるべき力を、次期当主でもない幼い私にこんな形で見せつけたということは、私によっぽど重要な何か伝えたいのだろう。そういえば、婚約者候補の話であると最初に言っていた。
一つ、息を大きく吸う。
「……これは私にソウマ様と婚姻を結ぶように命じられているという理解でよろしいでしょうか」
「持ち直すのが早いな。ただ、命じているのではない。私の野望に乗っからないかという話をしたいだけだ」
「野望ですか」
「そうだ。怯えさせてすまなかった。アルデルファ嬢がどう対応するのかを見たかった」
皇帝が屈み、私に手を差し出した。皇帝に手を取ってもらって立ち上がるのは不敬だと捉えられるように思い躊躇ったけれど、そのまま皇帝が私の手を取り立ち上がらせた。
8歳の少女相手に二人きりの空間で試すように力を使うのは正直どうかと思う。セツがいてくれているからある程度落ち着いていられたものの、成人女性であってもこの状況は恐ろしいと思うだろう。必要と判断したら少女相手でも容赦しない人物として認識し直さなければならないみたいだ。
皇帝に促され椅子に座った。目の前の皇帝は何事もなかったかのように椅子に座り直し、真っ直ぐと私を見る。冷たい瞳にお腹の底が冷えるような感覚がした。
「先程も伝えたようにレイ一族の力はゴライア人を祖とする人間にのみ作用する。帝国内では皇帝にのみ権力が集いすぎないような制度が様々あるが、レイ一族が命じれば最後、何もかも支配可能だ」
「今の国の制度は形だけのもの、ということでしょうか」
「そうだな……そうとも言える。レイ一族と言っても私のように力が強い者ばかりではないが、いつでも支配しようと思えば支配できる力はある」
皇帝の言葉で身体が勝手に動いたことを思い出してぞっとした。
ゴライア人を祖とする周辺国は多い。先ほど話に出た神聖国クロイレもそうだ。でも、レイ帝国内や周辺国で、一方的にレイ一族が好き勝手に統治しているような様子はない。全てを見ているわけではないから、絶対そうとは言い切れないけれど、服従の力があればもっとレイ一族としての立場を強くする方法はあったはず。
そもそも初代のレイ帝国王はなぜ4つの公爵家に皇帝が必要以上に権力を行使しないよう監視したり、権力のバランスをとる役割を与えたのだろうか。
「初代レイ帝国王ベネシリア・レイは、一方的に服従できる力を望んではいなかった。憎きゴライア帝国と同価値になってしまうとな。よって少しずつレイ一族の力を削ぐためにゴライア人を祖としない国民を積極的に受け入れるよう動いた。ムスビ家を公爵家として迎えたのもこのためだ。だが、早速2代目から雲行きが怪しくなってな……今に至る」
皇帝は呆れたように息を吐いてから続けた。
「私はベネシリア王と同じ考えだ。イヅル国を始めとするゴライア人以外の人種を国に取り入れ、レイ一族の力を弱めたい」
「公爵家に異国の血を取り込むために私とソウマ様の婚姻が必要ということですか。私とソウマ様の間に子が生まれたとしても半分はゴライア人の血を引くのではないのですか? それでも陛下の野望が叶うことに繋がるのでしょうか?」
「レイ一族の力は異国の血が少しでも混じっている者には効かない。ゴライア帝国にはその弱点を突かれて対策を講じられてしまっていることが残念ではあるが」
そう言うと皇帝は忌々しいと言いたげに顔を歪めた。
私はどうやらとんでもないことに巻き込まれていたようだ。両親はこのことを知っているのだろうか。知っていたらもっと私とソウマの婚姻に関して大きく抵抗しそうな気がする。それならば、ソウマはどうだろう。ソウマが大きな鍵となることを考えると知っているのかもしれない。
とてつもない情報量と自分の置かれた状況に眩暈がする。私に服従の力を使ったのも、力の恐ろしさを思い知らせるためだろう。私がどれだけ重要な役割を担っているのか自覚させることが目的かもしれない。
「よって、私はアルデルファ嬢にはソウマと婚姻を結ぶことを期待している」
「理解いたしました、陛下」
「アルデルファ嬢は自身の婚姻に関して今後どうするつもりであるか聞かせてくれないか」
すっと目を細め、皇帝が獲物を狙うかのような視線で私を見る。選択肢が与えられているようで与えられていない。ここでソウマとの婚姻は考えていないと口にしたらどうなるのだろうか。秘められたことを多く知ってしまった私をこのまま帰すだろうか。
口を開かない私を見て皇帝は薄い唇を僅かに結んだ。空気が張り詰めたものに変わっていく。
ソウマとの婚姻は考えたことがないわけではない。ずっと一緒にいると誓った。一緒にいることが婚姻を意味することになるかもしれないとも思った。
でも、すぐに婚姻を結ぶという結論を出すのには問題が多い。私はまだ愛がどうあるべきか分からない。ソウマがくれる愛と同等の愛をソウマに注げるのか。私は愛を正しく理解して正しく愛していけるのか。自己愛が強すぎて前世の時のように愛に溺れて駄目になってしまったら。恐ろしい気持ちが先行する。
それに、ソウマは私に好意を持ってくれているけれど、それがソウマを取り巻く環境が選択を狭めたことによって引き起こされたものだったとしたら? 先日のソウマも私への気持ちのせいでかなり追い詰められていた。
様々な問題があるのに、それに蓋をして婚姻を結ぶと軽率に発言するなんてこと、とてもできない。私の気持ちを尊重してくれている家族のことを思うと尚更言えない。
どう答えるべきか考える。貴族の令嬢は価値のある婚姻を結ぶ義務がある。特に皇帝がここまで強く薦める婚姻は無視してはいけない。だからと言って皇帝に嘘を伝えるのは駄目だ。反逆扱いとされることがある。
こんな大切なこと、このような場で触れなければならないなんて。
「お取込み中失礼いたします、陛下」
固く力強い声が背後から聞こえた。振り返ると帝国騎士の黒い制服を身に纏った人物が騎士の最上位の礼をとって離れたところに立っていた。先ほど私に護衛としてついてくれていた騎士の中の一人かと思い顔を見てみたが……よく分からなかった。顔を認識しようとすればするほど歪んでいくような、認識できないような、とにかくその人物の顔がぼやけて見える。
「人は入れるなと言ったはずだが」
「存じ上げております。しかし、先ほど例の方よりイヅル国の主治医の件で火急の用があると伝言がございます」
皇帝の厳しい声に臆することなく、その騎士は礼をとり続ける。声もぶれることなく力強いままだ。その騎士の気迫にこの場の緊迫した空気が掻き消されていくのを感じる。
皇帝は目を瞑り考える様子を見せたけれど、深く息を吐き、諦めたように目を開いた。
「運が良いな、アルデルファ嬢。それとも深く愛されていると言うべきか」
深く愛されている? 今この場から出る言葉にしては適切ではない言葉に引っかかった。けれど、何だっていい。この場を逃れることができるのであれば、騎士の言う『例の方』には感謝しかない。
「先ほどの答えは、まあよい。だが、私の野望を忘れぬことを願っている」
「心に刻みます、陛下」
「アルデルファ嬢を頼む」
皇帝は礼をとっている騎士にそう命じると、騎士は急ぎ私の傍についた。一人で椅子から降りることもできるのに、私の手を取り優しく助けてくれる。
騎士にしては少し背丈が低いような気がした。何がそう思わせるのかは分からないけれど、まだ幼いようにも感じる。ただ、これだけ傍にいても顔はやっぱりぼやけて見える。恩人の顔をきちんと認識することもできないなんて何だか残念だ。でもどうしてだろう、すごく安心するのだ。
「陛下、このたびは私たち兄妹のためにお時間をとっていただきありがとうございました」
「ああ」
最後に皇帝に礼をとった。もう用がないと言いたげに皇帝は私に目を向けず、紅茶に口をつけた。
今日初めて皇帝と話をしたけれど、想像以上に恐ろしい人だと感じた。服従の力がなくとも、あのような空間であのような話を聞いてしまえば、服従の力が使われているも同然だと思う。皇帝の望んでいることやその重要性は理解したが、心から納得できないのはそのせいだ。
「ベイリー公爵令嬢、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
騎士の手を取り、ここまで来た道を戻っていく。一刻も早く兄の下に帰りたい。家に帰って、ただ兄に頑張ったと頭を撫でられたい。
「手が震えております」
「え」
騎士に言われて初めて自分の手が震えていることに気が付いた。皇帝にどう報告されてしまうだろうか。恐ろしくなって自分の手を抑えてみるけれど震えがおさまらない。止まってほしいのに。最後まで怖がっていたことを悟られたくない。きっとここでのことも皇帝に報告される。
「大丈夫です、決して口外はいたしません」
優しく私の手を握ると、その騎士は私の前で膝をついた。安心させてくれるような柔らかい声に少しほっとする。相変わらず顔はぼやけて見えるけれど、気にならないくらい物腰が柔らかい。
「ゆっくり歩きましょうか」
「……ありがとうございます」
礼を言うとその人がふっと笑ったような気がした。顔が分からないのに不思議だ。
その騎士は立ち上がると私の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。私の心地よいペースを初めから知っているかのようなスピードだ。
でも、それで分かってしまった。そうか。そうなのか。これが認識阻害の術なのか。
「ソウマ様、ですよね?」
私の手を引くその人の背中にそう声をかけた。




