26 お出迎え
朝日が夜の闇を照らしだす。朝日と夜空が交じり合いながら溶けていく。この世界の夜明けは何度見ても美しいと思う。
前世の夜明けも綺麗だったけれど、こちらの世界の空はより澄んでいる気がする。どうしてだろう。空気中の成分が前世のものとは違うのかもしれない。いつか調べてみたい。
「ルーファ様」
「どうしたの、セツ?」
「綺麗ですねぇ」
「そうだね。本当に」
「ルーファ様の瞳のようで、私は夜明けが大好きです」
「嬉しいな。ありがとう」
ソウマにも似たようなことを言われた気がする。夜明けの空の色は好きだから、そう言われると素直に嬉しく思う。
セツが私の頭をざらざらとした温かい舌で舐めた。頭の毛がセツの舌で整えられていくのを感じる。頭全体を丁寧にゆっくりと舐められていると二度寝したくなるような心地になる。
セツの大きな前足に頭を乗せると私の喉からごろごろと音が鳴った。
気持ちを楽にしたい時、セツは私を猫に変えてくれる。そして、セツが母猫のように思いきり甘やかしてくれる。毛づくろいをしたり、顔を擦り寄せたり、セツの身体を借りてお昼寝させてくれたりと色々甘やかしてくれるのだ。
最初は恥ずかしさもあったけれど、あまりの心地よさに今では私のお気に入りの時間だ。猫になれるって素晴らしい。秘術万歳だ。
もふもふのセツの胸毛に頭を突っ込むと、ふかふかの毛に包まれて天国にいるかのような気持ちになった。最高だ。くぐもった笑い声が聞こえた。セツが笑っているらしい。
でもいつもは気持ちがほぐれるこの時間も、今日はゆっくりしながらもどこか落ち着かない気持ちになっていた。
「ルーファ様は甘えん坊ですね」
「すごく心地いいからね。でも、やっぱり緊張するな……皇帝陛下か」
「本日お会いするのですよね?」
「うん」
私と兄と話がしたいと皇帝が言っていたことを父が教えてくれたのが数週間前だ。あの話があった後の数日後にローズベリーの薬は国公認の薬として承認された。薬が『アルデルファ』と、私の名前がつけられたことは後から知らされた。兄の仕業らしい。私だけの力で開発されたものではないから申し訳なく思ったけれど、兄は誰も気にしないと言った。そういうことではないが。
薬が承認されたことで、皇帝は正式に私と兄を皇城に招待した。今日がその日だ。皇帝と私、兄でお茶を楽しみながら話をするらしい。楽しめるのだろうか。私は今から胃が痛い。
「失礼なことを言ったらどうしよう。ベイリー家の教育がなっていないと思われるよね」
「ルーファ様は完璧ですから、心配されることはありません。交流会でも堂々とされていたではありませんか」
「交流会と皇帝陛下とのお茶会は全然違うよ」
セツの胸毛に頭をさらに押し付ける。少しでも緊張を和らげたい。
私が怒られる程度ならば少し怯えるだけで済むけれど、家族に迷惑がかかるのは嫌だ。ただ、いつまでも嫌だ嫌だと駄々をこねている訳にもいかない。
あと少しすれば私の支度を手伝うためにパトリシアが来る。切り替えないといけない。
「一先ず、こうしても仕方がないから頑張る」
「心から応援しています。いつも通り、私はルーファ様のペンダントの中に入ってお傍にいます」
「ありがとう、セツ。いつも助けてもらってばっかりだね」
少しずつ猫から人間の姿に戻っていくのを感じる。視線が上がり、四肢が伸びていく。声の質が変わり、私が私に戻っていく。
「私はルーファ様がこうして甘えてくださることが嬉しいのです。数年前まではルーファ様は感じられたことを胸に秘められることが多かったですから」
セツが私の頬に自分のものを寄せてくれた。嬉しそうに尻尾が揺れている。その姿が愛らしくてセツの首を撫でた。セツが私のことで喜んでくれるのが嬉しい。確かに4年前に出会った時よりもセツとは距離が近くなったように思う。
初めてセツと出会った時のことを思い返す。
「セツの主様は元気?」
「んー、元気と言えば元気でしょうか?」
「それは、元気といえるのかな」
「ええ。主様が望まれていることができているので幸せなのではないでしょうか」
契約の制限を受けているせいでセツはあまりセツの主のことに関して話すことができない。この4年セツと一緒にいたけれどセツの主のことはまだよく分かっていない。
私にセツとの仮の従魔契約を許してくれた人で、とんでもないくらいの妖力を持つ人。妖力を持つことからもイヅル人ということくらいしか分からない。恐らく神獣の聖女と呼ばれる人なのかもしれないと思ったけれど、推測の域を出ない。
「ルーファ様、おはようございます。起床のお時間です。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
部屋をノックする音の後にパトリシアの声がした。もう時間が来てしまった。緊張はまだするけれども、先ほどよりかなり気持ちが落ち着いている。
「頑張ってくるね、セツ」
最後にセツを一撫でしてから、パトリシアに返事をした。
◇◆◇
パトリシアを始めとする侍女達はいつもより力を入れて私の身だしなみを整えてくれた。数人がかりで少しずつ私を完成させていく様子はとても興味深かった。
普段から手を抜かれているというわけではないけれど、今日は特別丁寧で、一つ一つの工程に目が行く。丁寧に梳かれた髪は艶が出て美しく、肌はどこを触ってもすべすべだ。いつもはしない化粧だってした。化粧をしたと言っても、まだ子供ということもあって薄いけれど。肌に乗せるお粉は軽めで、頬と唇に紅を足した程度だ。けれど、いつもとは違う自分になれて見ていて楽しかった。
支度が終わるとそのまま兄と一緒に馬車に乗せられ皇城に連れられた。皇城のある皇都ゼファリアまではベイリー家から馬車で1時間程度とそう距離があるわけではない。兄と雑談をしているうちにあっという間に皇城に到着した。
馬車の窓から見える皇城は真っ白で美しく、威厳がある。所々金の装飾が施されているけれど、過度なものではなく、白とのバランスがちょうどいい。皇城の城壁を白としているのは、皇帝一族が血や欲で穢されることはなく、高潔であることを誓っているからという理由があるのだと兄から教えてもらった。その想いでこの皇城が建っていると思うと、建国当時の皇帝一族の想いを感じて気が引き締まる。悪い緊張感ではない。落ち着いて対応ができる気がしてきた。
皇城への入り口となる正門を通ってしばらくすると馬車が止まった。ようやく到着したのだ。胸のペンダントをそっと撫でると触れたところが熱を持った。セツが励ましてくれている。息を吐き、目の前の兄を見ると、笑いかけてくれた。
「大丈夫だよ、ルーファ。いつも通りで問題はない。ルーファは立派なレディだよ」
「ありがとうございます、お兄様」
兄が私の手を握ってくれる。兄がいてくれてよかった。改めて私は環境に恵まれていると実感する。
馬車の扉が開かれ、兄にエスコートされるままに馬車を降りる。私達の馬車の前には帝国騎士の制服を身に纏った者が複数名、馬車を守るように左右に控え、間隔を空けて並んでいた。
お茶会のお出迎えに帝国騎士が控えていることに驚く。ざっと見て10名ほどいるが、一お茶会にここまでするものだろうか。ベイリー家の護衛だっているのに。動揺しながら視線をあげると、その先にペリシアン・グレーがいた。
「イファデール様、アルデルファ様、お待ちしておりました」
白い歯を出してにかっと笑うと、私と兄に向かって進んでくる。
どうしてペリシアンがここにいるのか。先ほどまでいい緊張感を保てていたのに、それがすべて吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。
銀色の短髪に少し焼けた肌。聡明そうな金色の瞳が私を見ている。背は以前会った時よりもかなり伸びており、身体も筋肉がついているのか大きい。獅子のような雰囲気を持つ人だと交流会の時にも感じた気がするけれど、今はさらにその雰囲気が強い。傍にいるだけで全てを飲み込むような強さを感じられる。
「イファデール様とは公務で何度かお会いしておりますが、アルデルファ様にお会いするのは交流会ぶりですね」
「ええ、お久しぶりです。ペリシアン様」
「ペリシアン様、まさかこの場でお会いできるとは思いませんでした。本日は帝国騎士が我々の護衛を?」
礼をとっている私の前に兄が出た。私の動揺を察してくれているのだろう。私に向けられていたペリシアンの視線は兄に向き、少しだけ安堵する。
でもどうしてここにペリシアンが。一お茶会に公爵家の次期当主になるかもしれない人物がお出迎えをするものだろうか。私と兄が皇族ならまだしも、同等の立場の人間だ。
「はい。皇帝陛下がいらっしゃる場ですから我々も同席しております。でもご安心ください。ただ傍に控えているだけですから。あくまで護衛です」
「ここまで手厚くしていただけるとは……驚いております。ペリシアン様がいらっしゃるとなりますと、統率はペリシアン様が?」
「ええ。私が立候補させていただいたのです。アルデルファ様の初めての登城を少しでも安心していただけるものにしたく、皇帝陛下に希望を出したのです」
「そうでしたか。お心遣い痛み入ります」
皇帝の許可が出てこの場にいるのか。皇帝はソウマと私が結ばれることを願っているのにどうして。でも、ここで考えていても仕方がない。ソウマを刺激するかもしれないけれど、皇帝が許可している以上、護衛を断る強い理由がないため、このまま受け入れるしかない。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。緊張で至らぬところがあるかもしれませんが、本日はよろしくお願いいたします」
「どうぞお任せください。皇帝陛下のいらっしゃる温室までご案内させていただきます」
スカートの裾をとり礼をするとペリシアンは歯を見せて爽やかに笑った。
何と言えばいいのだろう。今のペリシアンには何があっても折れないような強さを感じる。太陽を傍に置いているような不思議な感覚で何だか落ち着かない。
ペリシアンは私達兄妹の前を歩き、皇帝の待つ温室までの案内を始めた。私達の後ろには帝国騎士達が並び、結構な人数で移動している。今から魔物の討伐に向かうと言われても納得するような人数だ。
私はベイリー家から出ることが少ないから知らないだけかもしれないけれど、公爵家の人間は本来はここまで守られているべきものなのだろうか。常識が分からなくなってくる。後で兄に聞いてみよう。
「先日は帝国騎士団の治癒要請に応じていただきありがとうございました。イファデール様にすぐに対応いただけたからこそ、負傷した騎士達もすぐに復帰できました」
「お力になれてよかったです。ただ、私はベイリー家の人間としてするべきことをしたまでですから」
そういえば数か月前、兄は魔物討伐で負傷した帝国騎士団の治癒要請に向かっていた。かなり厄介な魔物だったらしく、帝国騎士団数十名が負傷した。内、数名が重症だったらしいけれど、兄の蘇生術により全快したと聞く。
「それに、アルデルファ様は魔力を増加させる薬を開発されるだなんて……魔導管炎損病に悩まされている者達にとっての救世主です」
「そう仰っていただけて嬉しく思います。もちろん乱用されないために増加量の調整や使用者を制限する措置は必要ではありますが」
「ええ。それは議会で細かく取り決められるでしょう。父もその取り決めに参加する予定です。それと……実は本日護衛の任にあたっている者はアルデルファ様が開発された薬の臨床試験の被験者なのですよ。皆、今回の登城でアルデルファ様の護衛をやりたいと自ら志願した者達で」
「まあ。そうなのですか」
被験者のほとんどは帝国騎士団の予備兵だったと聞いていたけれど、まさかこの場にいる人達だったなんて。振り返ると皆、私に頭を下げてくれた。中には照れくさそうに笑っている者もいる。
「気が付かず大変失礼いたしました。また、お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。臨床試験にご協力いただき、ありがとうございました」
慌てて礼をとって感謝の気持ちを伝える。
正直、魔力量を増加させる薬の臨床試験だなんて嫌がる人が多いと思っていた。魔力は生活において必要不可欠なもので、それに干渉するような薬なんて失敗した時のリスクが恐ろしい。普通の生活に戻れない可能性がある。でも、実際は予備兵からの被験者の志願者が多く、サンプルも多く取れたとベイリー家専属の薬物研究士が言っていた。
「帝国騎士団の予備兵、つまり、事務官を指すのですが、魔導管炎損病になってしまったことで事務官に転属となった者が多いんです。やはり戦闘の多い仕事ですから、負傷時に魔導管が傷つき、以降は騎士として戦うことができなくなる者も多くいます。補給機で魔力の補給はできますが、アルデルファ様もご存知の通り、補給機には制限が色々ございますから」
ペリシアンが説明を続けてくれる。
魔導管炎損病は、魔力を体内で生成できる器官である魔導管に傷がつく事でその役割をほとんど果たせなくなる病だ。魔力を体外から定期的に取り入れる必要があり、魔力を温存するためにほとんど魔法が使えない。
よって、補給機で数時間魔力を補給した後は、次の補給時間まで魔力を温存しながら生活をする必要がある。戦闘で魔法を使う必要がある帝国騎士にとっては、魔導管炎損病になってしまえばもう二度と戦うことはできないだろう。
確か魔導管炎損病の被験者を集めるためにも、帝国騎士団の予備兵にも臨床試験があると声をかけていた経緯があったはずだ。
「今回護衛の任についている騎士は、臨床試験で投薬を受け、薬を継続使用したことによって魔力が安定し、補給機が不要となった者達です。魔力量も安定していることから試験的に事務官から護衛への転属が決まって今に至ります。薬の使用に関する法整備は今後細かく行われていきますが、騎士団は薬の優先使用が許可されておりますから、今後投薬を続けて様子を見ていく予定です」
「そうでしたか。臨床試験後も薬を使用される方々がいることは伺っておりましたが、こうしてお会いできて嬉しいです。もし薬を服用するにあたって何か気になる点等ございましたら遠慮なくベイリー家までお知らせください。改良に力を尽くします」
「かしこまりました。我々のことを気にかけてくださり、ありがとうございます」
声をかけた護衛達は明るく返事をしてくれた。
最初はこれだけの護衛が付くことに戸惑いがあったのだけれど、被験者と私を会わせる意図があったのだと分かる。デビュタント前で、かつ、まだ公務が行えない私がベイリー家の外に出て外部と交流をする機会はあまりない。薬を開発するのにあたって、検査結果や被験者の健康状態のデータを参照する機会はあったけれど、被験者の声を直接聞く機会はほとんどなかった。だから、この機会を作ってもらえたことは嬉しい。
「ペリシアン様、皆様にお会いできる機会を作ってくださりありがとうございます。私がやってきた事が誰かの力になれていると知れて嬉しいです。私はただ私のために作りたいものを作ってきただけでしたから……それに意味があってよかったです」
「私と部下達がアルデルファ様に感謝の気持ちを伝える場が欲しかっただけですから。改めまして、ありがとうございます、アルデルファ様」
ペリシアンが立ち止まって護衛達と共に胸に手を当て、深い礼をした。騎士にとっての最敬礼だ。驚いて兄に目を向けると優しく頷いてくれた。その顔は誇らしげで……兄が私を誇らしく思ってくれていることに幸せを感じる。幸せを胸に抱きながら私も礼を返した。
少しするとペリシアンが顔を上げ、笑いかけてくれた。
「ご案内の途中ですることではありませんでしたね。失礼しました。お礼の機会は別に設けさせていただくとして、皇帝陛下の下へ向かいましょう」
新年早々インフルエンザに感染してしまって更新が遅くなりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




