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ルーファの救済  作者: リリアナ佐助
1章
21/44

20 慈愛の一族


 風が吹いている。



 とても穏やかで優しい風だ。頬を撫でる風は草木の香りを運んでくる。日差しも暖かで気持ちがよくて、お昼寝にはぴったりだ。


 頬を寄せたその人からはお日様の匂いがした。頭上から笑いが漏れる音がして、ゆっくりと頭を撫でられる。


 行ったり来たり、行ったり来たり。とても優しい手つきで私の髪を梳いていく。今、私はとても幸せだ。


「僕のルーファ」


 低く掠れた声が心地いい。名前を呼ばれるだけで満たされる。身体をさらに寄せる。


「僕の妖力がせっかくルーファの身体の中に入ったのに。すぐに使ってしまうから」

「だって大切で……守りたかったの」

「そっか」


 その人の指がするりと私の耳を撫でる。くすぐったくて笑うと、その人もつられたように笑った。妖力を使ったことに対する小さな抵抗だろうか。


「僕は早くルーファに会いたい」


 額に柔らかいものがあたる。苦しそうな声に胸の奥が痛くなった。今はどんな表情をしているのだろう。目を開こうとしても開かない。


「私も会いたい」


 きっと私も会いたい。胸の奥で焦がれている。会いたくて泣きたくなる。手を伸ばすとそれを握られた。


「大丈夫。会えるよ。もう誰にも邪魔はさせない。ルーファの気持ちが変わらない限り」

「変わらないよ」

「うん。僕も変わらない。……もう間違えない」


 強く手を握られた。苦しそうだ。


 その人の手を自分に引き寄せてそっとキスをした。私に渡せるものは何もないけれど、少しでも気持ちを和らげることができるのなら。


 再び手を握られた。


「……ありがとう」


 指先が濡れた。きっとキスを落とされた。


 私は誰に焦がれているのだろう。ずっと会いたくて会えなかった気がする。ずっと今の時間を求めていた気がする。誰だろう。微かに甘い香りが追って鼻を掠める。ローズベリーだろうか。


「……さぁ、もう起きる時間だよ」


 私の髪を撫でつけながら残念そうにその声は言う。置いて行かれそうで慌てて口を開く。


「次はいつ会える?」

「……いつ、だろう。でも、必ず会える」


 弱く私の手が握られた。私の指とその人の指が絡まる。その人の指は蛇のようだ。ふとそう思った。


 じわりと熱が溶けるような感覚が脳内で広がっていく。それがもう時間だと告げている。目が熱くなって泣いてしまいそうになる。この別れを身体すべてで拒絶している。


 脳内の熱が頭に、首に、心臓に、身体中に広がっていって、すべてを呑み込んでいく。抗えない力でこの世界から私を追い出そうとする。


 いつの間にか手の感触も、香りも消えて行き、何もない空間へと放られたような感覚に包まれる。


「またね、ルーファ」


 最後の寂しそうな声が聞こえて。心地いい世界から遮断された。








◇◆◇


 ふわふわのふかふか。私は寝返りを打つ。寝返りを打った先もふかふかで顔を埋める。とても肌触りがいい。瞼を持ち上げると真っ白な毛が視界いっぱいに広がる。雪景色のようだ。


「ルーファ様、お目覚めになりましたか?」

「セツ……?」


 ころころとした愛らしい声。顔を上げると優しく細められた金色の瞳が私を見ていた。セツだ。ベッドにセツがいると安心する。


「セツ……あっ」


 首に抱き着こうと身体を起こすも視界がぐらりと揺れて立ち上がることができなかった。そのままセツの身体に頭が沈む。


「まだ体調が万全ではありませんので、横になってください」

「私って」

「ご両親の寝室でルーファ様は倒れてしまったのです。トンファオがいなければ地面に頭を打っていたでしょう。イベルト様曰く、魔力不足と疲労だろうということでした。しばらくはこのベッドでお休みください」

「そう、だったの。トンファオにはお礼を言わないとね」

「今はトンファオは別室で休んでいますから、話をするなら明日でいいでしょう」


 セツは謎にふんと鼻を鳴らした。その姿が愛らしい。


 そうか、私は倒れてしまったのか。


 見回すとここは私の部屋で、ベッドの上に私とセツがいるだけだった。ペンダントを撫でてもトンファオの気配を感じない。セツの言う通り、別室で休んでいるのだろう。

 外からは月明りが漏れており、すっかり夜になっていた。屋敷に着いたのは早朝だったから、かなり長いこと眠っていたことになる。


「先ほどまでイベルト様とエリカ様がいらっしゃったのですが、部屋に戻られました。起きたら部屋の前の護衛に知らせてほしいとのことでしたが……いかがいたしますか?」

「まだ少し……ゆっくりしていたいかも」

「はい。もうしばらくこのセツと一緒に過ごしましょう」


 セツは身体を少し動かし、私の方に顔を寄せてきた。首の下を撫でるとごろごろと心地よさそうな音がする。家に帰って来たのだと、ほっとする。セツとゆっくり過ごせる時間が嬉しい。


 早めに起きたことを知らせた方がいいのだろうけど、でも、まだ少しゆっくりしていたい。少しだけでいいから。一度に色んな事があったから。


「何だか不思議な夢を見た気がするの」

「夢ですか?」

「うん。心がすごく満たされる夢。誰かと話をしていた気がするけど、誰だろうね」


 何もかも思い出せない。私も相手の事を知っているようだった。でも、思い出そうとすると頭の中が霧がかったように何もかも分からなくなる。前世で命を落とす前に聞いた声といい、この夢といい、誰かの存在を裏に感じる。私はきっと何かを知っているのだと思う。自分が思うよりずっと大切な何かをきっと知っている。いつか分かる日がくるのだろうか。


 セツは私を優しく見つめ返している。「夢を思い出せるといいですね」と静かに私に返してくれた。私を通して何かを見ているような目に、セツも何かを知っているのだと思った。セツの主に関することなのかもしれない。もしかしたら私はセツの主を知っているのだろうか。


「そういえば、イベルト様が1ヶ月ほど屋敷を封鎖すると仰っていました。デゼス菌がいないことをしっかり確認されてから屋敷を開放するとのことです」

「そっか。そうだよね。私がいきなりソウマ様を連れて帰って来たから」

「あの状況ではそうするしかありませんでした」

「もっと方法はあった気がするけど」


 父の方でも対策をとってくれていることにほっとした。1ヶ月は周囲の人間に迷惑をかけることになるのが辛いところではあるけれど、今はそうした方がいいのだと思う。


「セツは怪我してない? 大丈夫?」

「私は大丈夫ですよ。なかなかルーファ様の元へ戻れず、申し訳ございませんでした」

「謝らないで。セツを一人にしてしまってごめんなさい」


 高霊山にいた時と違って、セツの身体は真っ白だった。屋敷の中の誰かがセツの身体を洗ってくれたのかもしれない。セツの身体に顔を埋めるといい香りがした。屋敷で使っているお香だ。やっぱりお風呂に入ったんだ。


 見たところセツに怪我もなくて安心した。セツが強い事は知っていたけれど、相手はあの元将軍のブンエイだ。イヅル国の中でも屈指の秘術使い。セツの強さのすべてを知っているわけではないから不安だった。


「ブンエイは確かに力のある人間でした。彼なら神獣と従魔契約を結べる力はあるでしょう。ただ、私には主様の加護がありますから負かされる心配はありませんでした。結果的にソウマ様の術に助けられる形にはなりましたが」

「黒雷だね」

「はい。あれほどの術を放ったのですから、ソウマ様は覚醒されたのでしょう」

「黒雷ってやっぱり強い術だよね?」

「ええ。周囲一帯を死滅させる術ですから。反動もそれだけ強いはずですが、ソウマ様には全くその様子が見られませんでした」


 山を焼け野原にするほどの術を放ったのにも関わらず、妖力が大きく減少している様子はなかった。私の中の妖力をソウマに渡した事で覚醒したのだろうか、それとも精神的なものからだろうか。どちらがきっかけかは分からないし、どちらもきっかけだったのかもしれない。


 私はセツにソウマが黒雷を出すまでに私がソウマにしたことを語った。ソウマの身体の中に魔物のようなものがいたこと、ソウマの妖力だけではなく私の魔力まで食べられてしまったこと、妖力の欠片にあった妖力を渡してしまったこと――すべてを話した。セツはソウマから聞いていたのかもしれない。驚くことなくセツは私の話を聞いていた。


「ルーファ様が妖力をソウマ様に渡してしまった事については色々言いたいことがありますが……イベルト様からお叱りを受けていると聞いていますので、この気持ちは飲み込みましょう。でも、そんな事があったのですね」

「うっ……ごめんね」

「改めて、ルーファ様がご無事で何よりです。もうそんな無茶はさせません。私は絶対にルーファ様から離れませんよ」


 セツが私の顔に自分の顔を擦りつける。どれだけセツが心配していたかが分かる。私は再び謝ってセツの顔を撫でて抱きしめた。セツが無事でよかったとの感情がどんどん込み上げてくる。


 考えると私とセツは危なかったのだ。ソウマの術によって全て終わったけれど、山を下る時に敵にやられていたらと考えるとぞっとする。ブンエイの経歴とあの場にいた敵の数を考えると、イヅル国の小隊と争っていたようなものだ。危ない橋を渡ったのだと今更震えがやってくる。

 ただ、今はもう安全な場所にいる。私とセツだけが戦っているのではない。少なくとも多くの使い魔達とこの屋敷にいる人々は仲間であり、この屋敷内は安全だ。


「本当に今回は色々あった。分からない事もたくさん出てきて、同時に自分の無力さと愚かさを思い知ったの。未来を知っているというだけで無敵なわけではないのに、私は一人ではなかったのに、一人で戦っているかのように振舞ってきた。セツも傍で力になってくれていたのにね」


 セツが私に心の拠り所になりたいのだと前に語ってくれた時があった。あの時はどう受け取っていいか分からなかったけれど、今ならその答えが分かる気がする。


「私、ベイリー家に相応しい人間になりたい。そのために、強くなりたい。愛し愛されたいと思って今まで過ごしていたけれど、それだけでは駄目なんだって気が付いたの。愛を理解できる人でいたい」


 母がくれた『慈愛の一族に生まれるべくして生まれた』との言葉を現実にしたかった。母の言葉への依存だろうか。いや、私の願いだろう。こうでなくてはならないとの義務感は自分の中にはない。母の希望を叶えたいということではない。その明確な思いが自分の中にあるというだけで私は満たされたような気持ちになる。母の言ったことだから忠実に守らなければならないという義務感はない。私は自分の意思でそうありたいという願いを持っている。


「ただ『愛』という便利な言葉を使って分かった気になんてなりたくない。傷ついてでもいいから、そこにある感情の価値を理解できる人でいたい。そう思ったの」

「それはそれは……とても尊い願いですね」

「ありがとう、でいいのかな?」

「ええ。ありがとうでいいのです」


 私とセツは顔を見合わせて笑った。考えるべきこと、覚悟を決めるべきこと、やるべきこと、色々あるけれど今世で生きていくために一つ一つ自分の人生に刻んで生きていきたい。それを重ねていけばきっと私は自分の足で立って胸を張って生きていけるのだろう。


「セツ、私の話を聞いてくれる? 私のもう一つの人生の話」

「それは喜んで」



 セツと一緒に窓の外を見ながら私は口を開いた。前世の話、転生の話。セツにも聞いて欲しかった。私の願いを、すべてを。


 私が起きていることに護衛が気が付くまで、私はセツに語り続けたのだった。


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